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新しいスタート

 僕は、言葉を失ったまま固まるエリちゃんの両親に、あの日起きたことを丁寧に説明した。最初は半信半疑だった二人も、昔の思い出話に花が咲き始めると、ようやく僕が「磯本凛太朗」であることを認めてくれた。


 お互いに記憶を失った状態で出会い、そのまま半年間一緒に生活していたことも話した。目を丸くして驚く二人を見て、改めてアレが奇跡の再会だったことに気づかされる。新井和馬くんの歳が僕と同じで、僕たちが住んでいたアパートのすぐ近くで暮らしていて、大学は違うけど学部は同じ経済学部で、二歳下の妹がいて……。


 こんな条件が整っていたからこそ、僕はエリちゃんを見つけて助けることができたし、それほど抵抗なく一緒に暮らすこともできたんだ。


 ……もし、僕の知らないところでエリちゃんだけが自殺してしまっていたら……と考えると、恐ろしくて言葉も出ない。あの時エリちゃんを受け止めることが出来て、本当に良かったと思う。


 エリちゃんの両親は、僕の相談に親身になってのってくれた。「新井和馬」から「磯本凛太朗」へ変えるにはどうすればいいのか、今磯本家の墓に入っている和馬君の遺骨をどうすればいいのか、保険金や遺産の相続はどうなるのか……、どうしたらいいのか分からないことは山のようにある。


 とりあえず、一つ一つ順番に解決していこうということになり、いつ何をすればいいのかをカレンダーへ書き込んでいった。エリちゃんも、真剣に話を聞いている。


「えっと、今日は午前中弁護士と連絡をとって、それから……あ、戸籍謄本がいるんだった。ごめんエリちゃん、貰ってきてくれない?」

「わかった。市役所に行くのは明日だよね? 保険会社にも相談しなくちゃだし……」


 バタバタと、慌ただしい日々が過ぎていった。社会的な僕の中身も、徐々に「新井和馬」から「磯本凛太朗」へと塗り変わってゆく。


 ……これはつまり、僕が生きていたことを喜ぶ人間がいる代わりに、和馬くんが死んでいたということに悲しむ人間も大勢いるということだ。……全人類の幸せなんて、願うことはできても実現はしないのだろう。


「……お兄さんいなくて、寂しかったよな。ごめんな」


 幸せの座席と、不幸の座席は、……たぶん最初からその数が決まっていて。誰かが幸せになれば、必ず誰かが不幸になるのかもしれない。


 僕とエリちゃんは、「新井家之墓」と掘られた墓石の前に立っていた。

 

 和馬くんの親族はこの近くに住んでいなかったので、紆余曲折の末、彼の遺骨は……僕とエリちゃんが代理で移すことになったんだ。


「……妹さん、……ちゃんとお兄さんと再会できたのかな……」


 エリちゃんが呟いた。僕は、黙り込むことしかできなかった。


 ……仮に、幸せの座席の数が決まっているとしたら。限られた席に座ってもらう一番確実な方法は、「席を譲る」ことだ。


 電車の優先席に座る若者に向かって、「お前ら優先席なんだから譲れよ!」と「座りながら」怒鳴っても、説得力はない。それより、仮令そこが優先席じゃなくても、自分が席を立って譲った方が、よっぽど人間味がある。前者は、「自分は譲る気なんてさらさらないけど、相手を注意することでその気があるように見せる」という、偽善行為だ。


 ……だから僕は思う。「自身の幸せを祈りながらも相手の幸せを祈る」という行為もまた、偽善なんじゃないかと。


 恐らく、自分が幸せの座席に座っている限り、相手が幸せになることはない。「相手の幸せを願う自分、ステキ」と思いたいがゆえの、自己満足。


 ……僕は彼女が幸せになることを祈って、助けようとした。


 ……だけど真に祈っていたのは、彼女の死を見ないで済むという、自身の幸せだったのかもしれない。


 明らかに彼女以外の家族全員が息絶えていたあの状況で、僕は、彼女が生き残った後のことを考えていたのか。自分の幸せを捨て、「彼女を幸せにするためだけに生きる」というほどの覚悟を、持っていたというのか。


 何も考えてなかっただろう、そんなこと。彼女が助かったら助かったで、僕は彼女を置き去りにしたに違いない。助かったね、良かったね。後は頑張って生きてね。……彼女を幸せにできたと勝手に満足しながら、そんな無責任なことを言い残して。


 彼女を助けられなかった――、そう思い続けて苦しむ自分が嫌だったから、僕は手を差し伸べた。仮に彼女が生き残っていたとしても、僕に感謝の念を抱くことはなかっただろう。彼女は孤独に苦しみ、結局は自殺したのかもしれない。


 ……エリちゃんのように。


 そうだ、無様に尻尾を巻いて逃げるべきだったんだ、僕は。爆発する車と、中でもがき苦しみながら炎に包まれていく彼女を目に焼き付け、一生苦しみ続けるべきだった。


 僕は、神の出した課題に誤った解を出してしまった。……今回の騒動は、その結果与えられた神からの罰だったんじゃないだろうか。


「……私は違うと思うけどね」


 帰り道、僕の考えていたことをエリちゃんに話したら、あっさりそう返されてしまった。


「そもそも、偽善じゃない善ってなんなの? 自分の人生なんだよ? 自分の幸せを祈らないで、何を祈るの?」

「それは……」

「他人に自分の人生を百パーセント捧げるのが真の善なんだとしたら、そんなのしなくていいと思う。それに、幸せの形は人によって違うもん」


 ……情けないことに、僕は……何も言い返せなかった。


「助かった後の人生をどうするのかなんて、妹さんの勝手だし。不幸か幸せかを決めるのも妹さんで、リンちゃんじゃない。私だって、人助けはする。だけど、どこかで自分と切り離すし、それが偽善なら偽善でいいと思ってる。他人の課題は他人の課題。私の課題とは別だもの」

「……なんか、ごめん」


 ダメだ、完敗だ。実は僕、人文学部で哲学や心理学を学ぶエリちゃんに、この手の話で言い合って、勝てたためしがない。シュンとへこむ僕を見て、「あっ……」と小さく呟くエリちゃん。


「違うの、リンちゃんを責めてるんじゃなくて!」


 慌てたように、胸の前で両手を振った。


「私は、妹さんを助けようとしたリンちゃんを誇りに思うし、尊敬するし、大好きだよ。……だからもう、自分を責めないで。どうだっていいよ、善でも偽善でも。そんなので、リンちゃんの価値は変わらないから」


 そう言う彼女に、僕はそっと微笑んだ。……そうか、どうだっていいか、善でも偽善でも。これは善、これは偽善……と判別したところで、むなしくなる以外にメリットなんてないんだもんな。


 仮にも今、僕たちが幸せの座席に座れているのだとしても。それがずっと続くわけじゃないし、必ず交代するときはやってくる。今まで不幸の座席に座っていたと考えれば、この幸せは妥当なのかもしれない。


 ……だったら、精一杯幸せを堪能すればいいのか。エリちゃんとともに。


 もちろん、「和馬君が死んでいた」という事実や、「妹を助けられなかった」という悔しさを、僕が忘れることはない。それによって悲しむ人々が大勢いるということも。……それを踏まえた上で、僕たちは僕たちに訪れた幸せを、少しの間堪能させて頂こうと思う。


「……さて、これでこの大学ともお別れか」


 身元を書き換え、遺骨を移し……。大学の転学手続きも、ようやく終えた。正確には転学ではないのだけれど、いかんせん前例がないから、大学も戸惑っているようだ。……当たり前か。


 いくつかの書類をペラペラとめくりながら、僕は事務室を出る。……和馬君が経済学部の大学生で、本当に助かった。なんとか単位は振り返られそうだし、半年間を無駄にしなくて済むのだから。僕も僕で、ちゃんと勉強しておいて良かったな。


 ほっとため息を吐いた僕は、書類を鞄へしまって大学の出口に向かって歩き出した。その時……


「和馬……!!」


 誰かに呼び止められて、僕は振り向いた。


 ……そこにいたのは、寂しそうな顔をした篠原くん。僕を呼び止めた彼は、ゆっくり僕の方へ歩いてきた。


「……やっぱり、違ったんだな」


 僕は無言で頷いてから、続けた。


「そうみたい。事故で亡くなったのは新井和馬君の方だった」

「聞いたよ。あいつ……死んでたのか……。なんか悪かったな、色々と」

「僕こそ。見たまんまブタゴリラとか言っちゃってごめん」

「……お前ソレ、謝ってねーだろ。最後に一発ぶん殴るぞ?」

「謝ってるって!! 本当に楽しかったよ、僕は。……今までありがとう」

「……俺こそ。あ、もう関係ないかもしれないけど、一つ報告があるんだ」

「……報告?」


 やや深刻そうに話し始める彼に、僕は少し眉をひそめた。


「……うん。お前が和馬じゃないからこそ言えるんだけどさ。……実は俺、ユキと……付き合ってるんだ」


 どうでもよすぎて、吹き出した。けれどあえて、真顔で彼を見つめる。


「ホント、関係ない……けど、友達の彼女をとるって……どうなのかな? 僕が和馬君じゃなかったから良かったものの」

「……だよな。後で和馬の墓に行って、土下座してくる」


 相変わらず深刻そうに話す彼に、僕はまた、ぷっと吹き出した。


「冗談だよ。ユキさんが僕に愛想尽かしたのは、僕のせいだし。あの時点で別れたんだから、篠原くんが奪ったことにはならないでしょ」

「……そうか?」

「そうだよ。ユキさんと篠原くんが付き合ったって、なんの問題もない」


 篠原くんは、見た目の割にピュアなのかもしれない。


「なんか、ありがとな。……ところでお前、本当の名前は?」


 そして、ふと思い出したようにそう問いかけてくる篠原くん。


「名前? 名前は……、磯本凛太朗」

「凛太朗……か。とりあえず覚えといてやるよ」

「うん。僕も篠原くんのこと、とりあえず覚えておいてあげる」

「相変わらず嫌みなヤツだな。モテないだろ、お前」

「正解。だけど僕は、一人で精一杯だから、これがちょうどいいかな」

「ふぅん。……ま、せいぜい幸せになってくれよ」

「そうだね、僕も篠原くんの幸せを祈ってる。『お互い幸せに』なろう」


 ……僕は、篠原玄太君と別れた。彼とは短い付き合いだったけど、なんとなく……僕にとってとても大切な存在になるような気がした。


 こうして僕たちの生活は、おそよ事故の前と同じになったんだ。両親は死んでしまったし、エリちゃんは留年していたりして、完全に元通りとは行かなかったけれど。……でも、前向きに人生を歩む準備は整った。


 その後、予告通り大学の卒業式で僕はエリちゃんにプロポーズした。もっとも、入籍したのはエリちゃんが大学を卒業してからだけど。


 彼女の両親は、体力の衰えや人員不足、後継者がいないといった問題から事業の縮小を余儀なくされ、農地の多くを売却していた。そのうちの一部を譲り受けた僕たちは、新たな出発地点として、そこに自分たちの家を建てた。ここからまた、新しい物語がスタートするんだ。


「……リンちゃん、赤ちゃんね、女の子だった」


 エリちゃんが妊娠したのは、マイホームが完成して少ししてからだった。こうして、命は受け継がれていくんだ、この先の世へ……。今はもうだいぶ大きくなったお腹をさすりながら、彼女は言った。


「……名前、どうしよっか。何かいい案ある?」

「んー……」


 僕は少しの間考えを巡らせてから、答えた。


「僕とエリちゃんに共通する『り』っていう字をお互いの名前からとって、『リリ』って名付けたらどうだろう?」


 それを聞いたエリちゃんは、満足そうに「ステキ」と言って、微笑んだ。


「……リリちゃん、もうすぐ会えるからね。もうちょっとだけ、頑張ろうね」

「よし、じゃあ名前が決まった記念に、ケーキでも作るか!! ドラゴンフルーツ入りの!!」


 背伸びをしながらそう言う僕に、エリちゃんが少し苦笑いをする。


「ドラゴンフルーツ……ケーキに入れたら美味しいの?」

「美味いぞ? そういえば、エリちゃんは食べてないもんな。すげー美味かった。一人でワンホールイケたくらい」

「ホントにィー?」

「ホントだって!! あ控えめな甘さがクリームと抜群に合うんだよ!! よし、そうと決まれば早速、材料買ってくるか! エリちゃんは留守番な!」


 そう言いながら、僕は車のキーをポケットに突っ込んだ。


「そうそう……」


 財布を探しながら、あることを思い出した僕は、再びエリちゃんに声をかける。


「そういえば今度、社員旅行で京都に行くんだけど。お土産、何がいい?」

「京都? いいなぁー。お土産は、うーん……。任せるよ。あ、でも」


 僕に目を合せてから満面の笑みを披露したエリちゃんは、言った。


「梅昆布茶だけは、絶対に買ってきてね」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 作品同士で、つながりのある構成。 ある種のオムニバス形式。 [気になる点] 昆布茶。 梅昆布茶。 磯本家では、これが欠かせないらしい。 [一言] リリさんがここに!
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