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そして恋人へ

 幼馴染みだった僕とエリちゃんの間に、「恋愛感情」が芽生えたのは、意外にも高校生になってからだった。


 もっとも、僕とエリちゃんはあまりにも一緒にいすぎたので、恋人同士になることはないだろうと家族の誰もが思っていたらしい。小さい頃は二人でたくさんイタズラして、よくお互いの両親を困らせたものだ。


 昼寝してるエリちゃんの顔に僕が筆ペンで落書きして、パンダみたいにしちゃったり。クレヨンで部屋の壁にでっかいリューリップの絵を協力して描いて、思いっきり叱られたり。おままごとの途中で喧嘩になって、泣かしてしまったこともあったっけ。……これもまた、いい思い出。


 学校へ行くようになっても、近所に同級生なんていなかったから、放課後の遊び相手は常にエリちゃんだった。よくやったのは、「いかに固いドロ団子を作るか」という、理解に苦しむ遊び。……そんなくだらないことにどうしてあそこまで夢中になれたのか、今となっては謎でしかない。とにかく僕たちは、四六時中一緒にいたわけだ。


 ……ところで。僕は昔、ジェネティック・セクシャル・アトラクションという言葉を知って、色々と調べたことがある。

 

 日本語訳は、確か遺伝子的な性的惹き付け……だったかな。生き別れた近親者同士が再会して、互いに惹かれ合ってしまう心理現象を指すらしい。

 

 人間は元々、「似たもの同士」で恋に落ちるよう、精神が設計されているのだそうだ。ただ、基準がそれだけだと一番の似たもの同士である「親族」と恋に落ちてしまい、遺伝的多様性が失われてしまう。


 そこで脳は、「毎日顔を合せている人間とは、恋愛のスイッチが切れる」という、新たなストッパーを獲得したのである。


 逆に一緒に暮らしていないと、たとえ近親者でも脳が上手くストッパーをかけられず、顔の特徴や性格、趣味などの共通点に共感し、恋に落ちてしまうのだ。これが、ジェネティック・セクシャル・アトラクションの仕組みとのこと。


 僕たちの場合、血は繋がっていなかったけど、脳が「親族」と判断してストッパーをかけていたことは間違いない。エリちゃんと恋人同士になるなんて、想像も出来なかったのだから。


 だけど、転機は突然訪れた。


 それは、エリちゃんが開花させた意外な才能に端を発する。


 ……絵だ。彼女は、絵を描くのがとても上手だった。


 いつも見ている風景を目に焼き付けているのか、エリちゃんは家にいながら、素晴らしい風景画を誰に教わることもなく次々に描き上げていった。


「これ、いづも商店だよね?」

「うん!!」

「……すごいなぁ、写真みたいだ。こんな細かいところまで、よく覚えてるねぇ……」


 ――記憶を取り戻す前、僕が見ていた夢の風景を詳細に描くことが出来たのは。


 彼女も僕と一緒に、同じ風景をいつも見ていたからなんだ。僕の心の中を覗いていたワケでも、夢を読み取っていたワケでもなく。僕の言葉を手がかりにして、彼女の頭の中に深く刻み込まれていた記憶を、ただ描き起こしていただけだった。


 だからこそ、事故現場の、僕視点の絵を描けなかった。彼女はその場にいなかったからだ。あの時描いてくれた絵は、ニュースで放送された映像だということが……後に分かった。僕が巻き込まれた忌々しい事故の映像を、じっと見続けていたに違いない。


 ともあれ、絵に関して天才的な能力を発揮するようになったエリちゃんは、中学校の先生の薦めで、東京にある絵の高等専門学校に進学することになった。


 当然、エリちゃんは東京に引っ越し、そこで一人暮らしをすることになる。彼女は最初、それをとても嫌がっていた。


 だけど、周囲からの説得の嵐に嫌気が差したエリちゃんは、結局東京への進学を承諾してしまう。


 そして僕たちは、この年ついに、離ればなれとなったんだ。


 エリちゃんのいない毎日は、実に寂しく空虚だった。月に一度くらいは手紙のやりとりをしていたけど、そんなんじゃ心に出来た隙間を埋めることなんて出来なくて。僕は初めて、エリちゃんを恋しく感じた。


 エリちゃんはエリちゃんで、相当辛い毎日を過ごしていたらしい。東京の人達からすれば存在さえ疑われるような片田舎から、コンクリートジャングルに身を投じたんだ。その上、急に始まった一人暮らし。辛くなるのも無理はない。


 人間関係も上手くいかず、日々押し寄せる人混みに身を揉まれ、疲弊しきってしまったのだろう。一年間はなんとか耐え抜いたものの、鬱病の兆候があるということで急遽、こっちに戻ってきた。


 約一年ぶりに再会したエリちゃんは、同じ人間とは思えないほど容姿も雰囲気も変化していた。快活だったあの性格は影を潜め、とてもお淑やかな感じになり、おかっぱだった髪型も大人らしい黒のロングヘアーへと変わっていた。


 なにより悲しかったのは、僕に対して非常によそよそしい態度をとるようになってしまったことだった。


 あんなにはしゃぎ回って、お風呂すら一緒に入るほどの仲だったのに、もごもご言って目も合せてくれない。今までの思い出がどこかに消えてしまったような感覚に陥り、僕は酷く落ち込んだ。


「思春期だからね。この歳の女の子は難しいんだよ。東京暮らしも大変だったみたいだし、そっとしておいてあげよう」


 母からはそう言われたけど、僕は耐えられなかった。今までのように他愛ない世間話に花を咲かせたかったし、一緒に買い物にも行きたかった。


 でも、その希望が叶いそうな気配は……一向にしなかった。


 こっちに戻ってきたエリちゃんは、編入試験を無事に乗り越え、僕と同じ高校の二年生になった。同じ高校を選んでくれたのは嬉しかったけど、相変わらず態度はよそよそしくて。僕はエリちゃんに嫌われてしまったんだと、ずっとそう思っていた。


 このときの僕たちは気づいてなかったんだ。離ればなれになっていた一年間で、「恋愛感情を抑制するストッパー」が外れていたということに。


 本当の兄妹だったら、一年会わないくらいじゃ何も変わらないのかもしれない。でも僕たちはもともと、赤の他人同士だ。少し会わなかっただけで、「幼馴染み」という記憶はそのままに、恋愛モードへ突入してしまったらしい。


 心から許せる相手を見つけるというのは、とても大変な作業だと思う。外見がいいとか、性格がいいとか、そんな単純な話じゃない。血の繋がっていない他人同士は、どんなに親しく見えたとしても、心のどこかで相手を疑うものである。


 僕もエリちゃんも、気まずい雰囲気になっている間に……別の人に恋をした。だけど、ドキドキしたのは最初のうちだけで……、どの恋も結局、うまくいかなかった。たぶん、「他人」という関係を打ち砕くための最後のハードルを、乗り越えることができなかったんだと思う。


 喜び喜ばせ、傷つき傷つけられ、色々な恋をして一周回って来た後に、僕とエリちゃんは、お互いにお互いのところへ帰ってきた。


 心の底から信じ合えて、気兼ねなく何でも話せるということが、どれほどステキなことなのか……。僕たちは、思い知らされていた。日本中を旅して自分の居場所を探していた人が、結局は「ふるさと」を選んだときのように。僕とエリちゃんは、昔のような仲睦まじい関係へと、戻った。


 そして。


「リンちゃん、話って……?」


 卒業式を終えたあの日、僕はエリちゃんを学校の中庭に呼び出した。真ん中には小さな噴水があって、その周りにはベンチが4つ、配置されている。噴水の両脇には、2本の大きなモミの木が植わっていた。


「ずっと言おうと思ってたこと、……今から言うよ」

「うん……」

「君のこと、ずっと好きだった。……これからもずっと一緒にいたいから、付き合ってください」


 僕とエリちゃんが出会って17年。……僕はようやく、積年の思いをエリちゃんに告げた。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 快諾してくれたエリちゃんに、ホッと胸をなで下ろす僕。どんなに親しい仲だって、この瞬間は緊張する。……だからあえて、僕は続けた。


「……ちなみに、大学の卒業式の日には……プロポーズしようと思う」

「それ、今言っちゃう?」


 プロポーズの予告。エリちゃんは、クスクスと笑っていた。


「サプライズの方が良かったかな?」

「ある意味、今のもサプライズだけどね!」


 こうして、晴れて恋人同士となった僕たちだけど……。現実は、厳しかった。とある大学の経済学部へ進学することが決まっていた僕は、すぐに引っ越す準備を始めなければならなくて。ろくにデートもできないまま、再び離ればなれになってしまった。


 僕は、エリちゃんがまた落ち込んでしまうのではないかと気が気じゃなかった。……でも、今度のエリちゃんは強かった。


「アパートは、二人で住める広さのところを選んでおいて!」


 ……それはつまり、エリちゃんも僕と同じ大学に進学して、同じアパートに住む、ということを意味する。そしてエリちゃんは見事有言実行し、同じ大学の人文学部へ合格してみせたんだ。


 僕の記憶が戻ったとき、彼女を迎えに行ったあのアパート……。あそこで僕たちは、事故の5日前まで一緒に生活していた。


 東京での一人暮らしがいい修行になったらしく、彼女の家事は完璧だった。料理にしても、僕の好みを把握していたエリちゃんは、望み通りにカスタマイズしてくれる。初めて彼女が料理を振る舞ってくれたとき、僕は涙が出るほど感動したっけ……。


 もともと二人で暮らすことに抵抗がなかった僕たちは、一緒に大学に通いつつ、順風満帆な人生を繰り広げていた。


 ……だけど。


「年末は、実家に帰ろう。僕は家族と父さんの実家に行かなくちゃいけないし。エリちゃんだって、帰った方がいいよ。……東京にいたときは一回も帰ってこなかったから、みんなすごく寂しがってた。僕もね」


 僕たちの幸せは、あの日を境に全て消え去った。


 ……この記憶もろとも、全て。

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