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思い出の場所で

 僕は、距離にして3キロほどの道のりを、無我夢中で走り続けた。疲弊しきった体はあまり言うことを聞いてくれなくて、途中2回も転んだけど。それでも僕は、立ち止まらなかった。


 ……僕の思った通りの場所に、そのアパートはあった。二階建ての、赤い階段があるアパート。……やっぱり、この記憶は妄想なんかじゃない。自信をもった僕は階段を駆け上がり、二○二号室の扉に手をかけた。


 ゆっくりとノブを下げ、扉を引く。……鍵はかかっていないようだ。


「……だれ?」


 か細い、今にも消えてしまいそうな女性の声が、僕の耳に届いた。ひとまず安心する僕。……大丈夫、ちゃんと生きてる。


「……和馬……さん……!? な……なんで……!? どうして!?」


 僕の顔を見たその女性は、目を丸くして感嘆の声をあげた。やつれきったその顔は、まるで病人のようだった。


「……まさか、ずっと泣いてたの? ……カナちゃん……」


 女性は唇を噛みしめ、「ごめんなさい」と、一言呟いた。……もしかしたら、彼女が僕の家を出て行ったあの日からずっと、飲まず食わずなのかもしれない。もう少し発見が遅かったらと思うと、寒気がした。


「そんなんじゃ、死んじゃうよ!! 何か食べないと……!!  ……うっ!!」


 ちょっとしたものを作ってあげようと思って冷蔵庫を開くも、中の食材は完全に腐敗し、異臭を放っている。そりゃ、半年も放置しておいたんだ、こうなるのは当たり前か……。


「……ごめんなさい……。わたし……。もう、だめだとおもう……」


 力ない声で、彼女はそう呟いた。そんな彼女の隣に、僕はそっと腰を下ろす。


「……一緒に、来て欲しいところがある。そこで、何もかも話したい」

「……きてほしい……ところ?」

「うん。……君は歩けそうにないから、……ほら、僕がおぶってくよ」

「……でも」

「僕が来て欲しいんだ。大丈夫、今のカナちゃんならきっと、リュックサックより軽いだろうから。……駅のコンビニで、何か買って食べよう?」


 僕はカナちゃんをおんぶして、部屋を出た。本当に、彼女の体は軽くなっていた。喋る元気さえなさそうだったから、僕たちはほとんど無言で、駅までの道のりを歩いた。


 駅で、カナちゃんはメロンパンを一つ、食べた。両手でパンを持って、少しずつ時間をかけながら食べる彼女の姿が、リスみたいに見えて可愛かった。


「……どうして、私の住んでいるアパートが……分かったんですか?」


 食事をして、少し体力を回復したであろうカナちゃんが、そう問いかけてきた。


「……思い出したから。今は、そうとだけ言っておくよ」


 僕は少し意地悪な笑みを交えながら、カナちゃんにそう返す。カナちゃんは特になんの反応もせず、そのまま黙り込んでしまった。


 電車に乗り込んだ後も、僕とカナちゃんの間に会話はほとんどなかった。いつしかカナちゃんは寝てしまい、僕はそんな彼女の頭をずっと、なでていた。


 目的地に着いてもカナちゃんは起きなかったので、僕はまたカナちゃんを負ぶって、駅を出た。そこからさらに歩くこと10分。


「桜並木、校門……。やっぱりそうだ」


 僕は門をくぐり、桜並木を歩いた。突き当たりには、生徒玄関がある。冬休みに入っていたので、校舎は閑散としていた。事前に連絡しておいた事務に立ち寄り、入校許可証を受け取って中庭を目指す。


 夢にまで見たその光景は、そこにちゃんと広がっていた。


「ここだ……。ここだよ……!! 夢の中の世界じゃなかったんだ……!!」


 中庭の真ん中には、ちゃんと小さな噴水がある。それを囲むようにベンチが4つ配置されていて、噴水の両脇には大きなモミの木が2本、植わっていた。……まさに、夢で見たあの風景と完全に一緒。カナちゃんの描いた絵の通り。この場所は、確かにこの世に実在したんだ。


 僕は、まだ寝ているカナちゃんをそっとベンチにおろし、大きく深呼吸した。


 そう、こここそが……僕の母校だ。紛れもなく、僕が卒業した高校。


 しばらくすると、彼女が目を覚ました。目を開けた彼女は、つぶらな瞳をさらに丸くして、口に手を当てながら涙をこぼし始めた。


「……なんで? どうしてここが……?」

「……ようやくお目覚めだね、佐藤絵梨佳(さとうえりか)ちゃん」


 僕は彼女の隣に腰掛けながら、言った。彼女はなおも驚いた表情で、僕を見返してきた。僕はにっこり微笑んだ。


「君の本当の名前。そうでしょ? カナちゃんはもう卒業だね。……これからは、エリちゃんって呼ぶよ。今まで通りに」

「あなた、一体……だれ……? どうしてそんなに私のこと……」

「……誰だと思う? ヒントは、声」

「えっ……?」


 カナちゃん……じゃなくてエリちゃんは、首を小さく横に振りながら「うそ……」と繰り返した。


「そんな、だって……!! リンちゃんは……リンちゃんは、死んじゃったんだよ!?」

「うん、だから……ここにいるのは幽霊かも」

「あなた、リンちゃん……なの!?」

「……リンちゃんだ。僕は、磯本凛太朗だ」


 その瞬間。


 エリちゃんが、思い切り抱きついてきた。一生離してくれないんじゃないかと思うくらいに、強く。


「幽霊を、こんなに抱きしめられるわけない……!!」

「うん、正解。僕は幽霊じゃない。つまり、死んでなかったってこと」

「やっぱり、そうだったんだ……!! そうだよね、リンちゃんの雰囲気がありすぎだって、ずっと思ってた……!!」

「……僕もだ。ずっと、目の前の君を見て、君のことを思い出していた。……変な話だね。妹だと思ってたのも全部、君のことだったんだ」


 僕はゆっくり立ち上がると、噴水の前まで歩いていき、手を振った。


「こっち、おいで」


 すぐに、エリちゃんも僕のところまでやってきた。


「僕がエリちゃんに告白したの。あれは、高校の卒業式の日だったね。僕が高校三年生で、エリちゃんが高校二年生だった」

「うん……」

「なんて言ったか、覚えてる?」

「うん……。君のこと、ずっと好きだった。……これからもずっと一緒にいたいから、付き合ってください……って」

「はは、そうだね、正解。なんか恥ずかしい。……じゃあ、今日はなんて言うと思う?」

「……今日?」


 僕は少し間を開けてから、続けた。


「大学の卒業式の日に、エリちゃんにプロポーズします」


 それを聞いたエリちゃんは、ぷっ……と小さく吹き出した。


「その予告、昔聞いた気がするよ? また言うことないじゃん!」

「人間、いつどうなるか分からないから。言えるときに言っておこうと……」


 そこまで言ったら、エリちゃんにまた、抱きつかれた。


「やめてよ、そういうこというの!! もうどこにもいかないって約束して!! 約束してくれたら、結婚する……!!」

「……うん、わかった。もう僕は、どこにもいかない。約束する」

「リンちゃんっ……!!」


 中庭の噴水の前で、僕とエリちゃんは、しばらく抱きしめ合っていた。担任だった武田先生に偶然見つかり、二人して怒られるまでね。


「……明日、エリちゃんと僕が住んでた町に行こう」


 帰り道、僕はエリちゃんにそう提案した。彼女は嬉しそうに頷いた。


「アパートは……今エリちゃんが住んでるところで、また一緒に暮らそうか。問題は大学だけど、そもそも、最大の問題は……僕が新井和馬ってことになってるところか。色々とめんどくさそうだけど、磯本凛太朗に戻して貰わないと困るよなぁ……」

「……なんでそんなことに……なっちゃったの?」

「ん? うん……。きっとあの時……」


 そう、どうして僕が、新井和馬として生き延びたことになってしまったのか。そんなことさえなければ、この件はもっと……素直に片付いていたハズなのに。……だけど結論から言うと、その原因を作ったのは……僕自身だったんだ。


「説明するよ」


 帰りの電車に揺られながら、僕は当時の状況を詳しく話していった。

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