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エリちゃん

 佐藤絵梨佳(さとうえりか)ちゃん、通称エリちゃんは、僕の幼なじみだ。


 佐藤家は長く続く農家の家系で、広大な土地を田舎に所有していた。そんなエリちゃんのところへ、都会から逃げるようにして僕たち家族が引っ越してきたのは、昭和50年頃。もっともこのときはまだ、エリちゃんはいなかったけれど。


 高度経済成長のあおりを受けて様々な公害が発生し、もともと体の弱かった父は都会で暮らすことが難しくなっていた。連日のように発生する光化学スモッグの影響で父は気管支を患ってしまい、仕事もままならなくなってしまったのだ。


 結局僕たちは、父の友人のツテを使って佐藤家とコンタクトをとり、空き家になっている家を借りる形でその町に引っ越すことになった。


 借りることになったのは佐藤家族が住む家のすぐ隣、もともと二世帯住宅として作られた家だった。佐藤家は僕たちと逆に、高度経済成長で発展した都会へ人が流れ、今は一組の若い夫婦とおじいちゃんが一人、住んでいるだけだった。


「急に人手がなくなってしまってね……。嫁も妊娠しちまってさぁ。途方に暮れていたんだよ」


 おじいちゃんは言う。つまり僕たち家族は、「佐藤家に雇われる」形でここへ引っ越してきたということ。この日から、父の職業は「農家」へ変わった。もちろん母も、農家として仕事をすることになったわけだ。


 このとき僕は、一歳になるかならないかくらいの歳で、引っ越してきた最初の頃がどうだったのかは、ほとんど記憶にない。ただ、父と母が毎日ドロだけになりながらも、佐藤家の人たちと楽しそうに働いていたという、おぼろげな思い出はある。


 一応、別の家族ということで、二つの家の間には簡単な垣根が作られた。だけど、家の中は繋がっていたし、ほとんど一つの家族も同然だった。


 そんなある日。満面の笑みを浮かべる母から、ある報告を受けた。


「リンちゃん、佐藤さんのところね、もう少しで赤ちゃんが生まれるんだって。女の子だよ。良かったね」


 母の言葉を、僕が理解できていたのかどうかはわからない。正確になんて言っていたのかも、正直覚えてない。ただ、こんな形で「重大発表」されたという記憶はある。


「リンちゃんはお兄ちゃんになるんだよ?」


 ちなみに、このとき母は二十四、五歳だったハズだ。僕もそろそろそんな歳になってしまうんだと思うと、複雑な気持ちになる。


 そういえば、「絵梨佳」という名前の名付け親は、僕らしい。僕には本当になんの身に覚えもないのだけれど、どんな名前にするかを話し合っていたときに、小さく「えりか」と呟いたのだそうだ。


「えりかかぁ。イィ名前だ。こりゃ、何かの運命かもしれねーなぁ!」


 話し合いに参加していたおじいちゃんのその一言で、「えりか」に決まったという。もしそれが本当なら、荷が重い話だよな。


 このエピソードは、何かとよく話されたので、鮮明に覚えている。エリちゃんも、僕が名付け親だってことを友達に言いふらしていたみたい。


 エリちゃんが生まれてから、僕とエリちゃんは血の繋がっている兄妹以上に、いつも一緒にいた。だだっ広い畳の部屋で一緒に遊ぶことなんて日常茶飯事だったし、小学校低学年くらいまではお風呂だって一緒に入っていた。


 僕の両親と彼女の両親は、畑に出ていて家にいないことが多かったから、基本子守はおじいちゃんがしてくれた。しわくちゃな顔をさらにしわくちゃにして笑うおじいちゃんの笑顔は、いつ見てもステキだった。


 この町には、幼稚園や保育園なんてなかったから、僕たちの最初の先生もまた、おじいちゃんだった。おじいちゃんは僕たちに、ひらがなとカタカナを教えてくれた。


「こ・ん・に・ち・は」

「エリカ、違うぞー。それだと『くんにさは』だ」

「じいちゃん、リンのは!?」

「お、リンタロウはちゃんと書けてるじゃないか!! さすがはエリカの兄貴分!!」

「ずーるーいー!! エリもぉー!! エリもヤニキブンがいぃー!!」


 午後三時になると、「いづも商店」という駄菓子屋さんに、僕とエリちゃんとおじいちゃんの三人で行くのが、毎日の日課になっていた。時計の針が3時近くになると、エリちゃんが「いづものばあちゃんち行くー!」と騒ぎ始めるんだ。


「うーさーぎーおーいしーかーのーやーまー……」


 エリちゃんは「ふるさと」を歌うのが好きで、機嫌がいいと口ずさむ癖があった。三人でいづも商店に行くときは、だいたいいつも先頭に立って歌っていたっけ……。鼻歌のときもあれば、澄んだ歌声を披露することもあった。


 いづも商店は、おじいちゃんと同じ歳くらいのおばあちゃんが、一人で経営していた。息子夫婦は全員この町を出て行ってしまい、誰もお店を引き継いでくれなかったらしい。寂しい話だ。


 蛇足だけど、いづものおばちゃんとおじいちゃんは昔、恋人同士だったという。戦争のせいで別れることになったんだとかなんとか、今聞けば切なくなるような裏話があるようだけど、詳細は僕にもわからない。


 でも、おじいちゃんがいづものおばちゃんと結ばれていたら、エリちゃんは生まれて来なかったわけで……。二人の恋が成就しなくて良かったと思ってしまう僕が、ここにいる。本当に、運命とは残酷なものだ。


 こんな調子で毎日を過ごしていった僕とエリちゃんは、何事もなくすくすくと、順調に育っていった。


 小学生になると、さすがに毎日いづも商店に行くことはできなくなった。休日は顔を出していたし、夏休みはそれこそ毎日のように通っていたけど、おじいちゃんは腰を悪くしてしまい……。いつしか、僕とエリちゃんだけで行くようになっていた。僕はだんだん行くのが億劫になってきて、エリちゃんに「行こう」と誘われても、渋る機会が増えていた気がするけど。


 いづものおばちゃんは、僕たちが行くと本当に嬉しそうに色々話してくれた。今思えば、おばちゃんは相当寂しかったんだと思う。


 夏休みになると、その辺で拾ってきた謎の木の実やガラクタを、エリちゃんが毎日のように届けに行っていて、おばちゃんはいつも笑顔で受け取っていた。「ふるさと」を披露することも多かった。


 ただ、時折おじいちゃんの話をするときのおばちゃんは、やっぱりどこか、寂しそうだった……。


 ある日、自転車に乗る練習をしていたエリちゃんは、それはもう壮大にずっこけて、気に入っていたワンピースをボロボロにしてしまった。他にも服はあったんだけど、あんまりにもエリちゃんが泣きわめくものだから、仕方なく町に出て服を買ってくることになった。


 基本的に、服は着られなくなるまで着潰すし、食料はほぼ自給自足でまかなっていたから、町に出ることなんて滅多にない。珍しいことだからと僕もお供させて頂くことになり、エリちゃんのお母さんの運転で、僕とエリちゃんは町のデパートへ向かった。


「新しい服は、リンちゃんに選んでもらうんだぁー!!」


 デパートに向かう道中の車内で、エリちゃんはずっとこんなことを言っていた。僕に女の子の趣味なんてわからないし、本当にそうなったら困るけど、たぶん現場に着いたら我を忘れて自分で選ぶんだろうな……


 ……と思っていたのに、エリちゃんの決意は揺るがなかった。


「本当に僕が選んでいいの!?」

「うん、エリ、リンちゃんが選んだ服がいい!!」

「ホントにぃ!? 僕に選ばせたこと、後悔しないって約束する?」

「する! 約束する!」


 仕方なく、僕は洋服売り場に突入した。僕の少し後ろを、エリちゃんもついてくる。ハンガーに掛かる服を色々と眺めながら、彼女が着たときの姿を想像してみるけど、なかなかしっくりこない。僕としてはやっぱり、ワンピースが似合うと思うんだよなぁ……。あっ!


「……これだ」


 選んだその服は、青と白のチェックが入った、シンプルなワンピース。派手すぎないし、今のエリちゃんにはぴったりだと思った。


「わぁ、ステキ!! これにする!!」

「……決めるの早くない? まずは試着してみたら?」

「あはは、わかったー!!」


 そう言うなり、その場でごそごそ服を脱ぎ始めようとするエリちゃん。そんな彼女を、僕は慌てて引き止めた。


「ちょ……違うよ!! 色々違うよ!! そこ!! そこに試着室あるでしょ!?」

「えっ?」


 きょとんとするエリちゃん。多分、何がダメなのか分かってない。


「あのね、他の人もいるんだから、着替えるときはあそこに入るんだよ!」

「そうなの? だって、学校で着替えるときはそんなことしないよ?」

「うん、それはそうなんだけど! ここは、知らない人もいるし、エリちゃんは女の子なんだから!! もっと自覚もって!!」

「……じかくぅ?」

「いいから!! 学校と家以外は、誰かに見られないように着替えるの!!」


 僕は半ば無理矢理エリちゃんを試着室に押し込み、はぁっとため息を吐いた。……何も知らないって怖い。


「……着替えられた?」

「……んしょ……。もうちょい……。狭くて着替えにくいよ」

「我慢して!!」


 しばらく試着室でごそごそしていたエリちゃんは、ようやく着替えが終わったらしく、「もぉーいーよぉー」と声を上げた。


「うん、よかったら出てきていいんだよ? かくれんぼじゃないんだから」

「そっか! じゃーん!!」


 ぴょん、と試着室から出てきたエリちゃん。白と青のワンピースは、彼女によく似合っていた。


「いいじゃん!! 我ながら、いいチョイスだったと思う!!」

「えへへぇー!! ママにも見せてくるねぇー!!」


 結局、エリちゃんの新しい服はそれに決まった。彼女はその服が本当に気に入ったらしく、その日は着替えることなく終日そのままだった。僕もよほど印象に残っていたのだろう、ワンピースに着替えたエリちゃんが試着室から出てくる瞬間を、何年経っても覚えていた。


 それ以来、例のワンピースはエリちゃんの中で殿堂入りしたらしい。彼女は、かなりの頻度で青と白に染まることになる。あまりにも頻繁に着るので、エリちゃんのお母さんが内緒で同じ服をもう一着買いに行ってくる始末。


 こうして、僕の夢にたびたび出てきた、あの女の子の姿が完成した。アレは別世界でも妄想でもなく、実在した僕の過去だった。


 ……あの女の子の名前は、佐藤絵梨佳ちゃん。通称エリちゃんは、僕の……幼なじみだ。

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