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別世界

 その後、雪はどんどんと強くなり、家に着く頃には10cmくらいの積雪となっていた。明日は、間違いなくホワイトクリスマスだろう。


「さ、気を取り直してケーキ作ろう!! ほら、元気出して!!」


 相変わらず暗い表情をしているカナちゃんの背中を叩きながら、僕は言った。それに呼応して、ちょっと無理矢理作ったような笑顔を見せてくれる彼女。頬には、涙の痕がクッキリと残っていた。


「そうですね」


 彼女は吹っ切ったようにそう呟くと、買い物袋を漁り始めたのだった。


 ……実際、カナちゃんが何をどこまで思い出し始めているのか、僕にはわからない。だけど、恐らく彼女は、「自分が自殺しようとした」という記憶を、取り戻しかけている。……何がきっかけなのかは不明だ。


 ……こんなことは初めてだった。彼女が全てを思い出してしまったときのことを、考え始めたほうがいいのだろうか。そう思うも、どうすればいいのかなんてわからない。


「湯煎して、人肌くらいまで暖まったら、砂糖百五十グラムを入れてひたすら混ぜるの! 和馬さんは体力あるから、大丈夫ですよね?」


 ケーキ作りが始まると、彼女は再び元気を取り戻した。やっぱり、料理やお菓子作りは好きなんだろうな。


「……できた、こんな感じでいいかな? ほら、ツノ立つし」

「うん、いい感じです! そしたら、泡が潰れないように、ゆっくり切るように小麦粉を混ぜて、オーブンで焼いたらスポンジのできあがり!」

「ゆっくり切るように……。結構難しい……。こんな感じ?」

「んー……」


 ……どうも、カナちゃん先生的にはイマイチらしい。


「ちょっと縮んじゃうかもしれないけど、仕方ないですね。焼いてる間に、具材の準備しちゃいましょう。イチゴとバナナと、ドラゴンフルーツ……。えと、本当に入れるんですか? コレ……」

「……んえっ!?」


 真顔でそんなことをカナちゃんに問われ、僕は変な声を上げてしまった。


「入れないの!? だってカナちゃんが……!!」


 この裏切られた気分はなんなんだろう……。入れようって言い出したの、カナちゃんじゃなかったっけ……?


「和馬さんがそう言うなら……。どうなるかわかりませんけど、入れてみましょうか」


 あれれ……? 僕は、カナちゃんが入れたそうだったから入れようって言ったつもりなのにあれれれぇー!? もしかして、冗談だったの? 僕、本気にしちゃったんだけど。カナちゃんが可愛かったからだぞ?


「入れる。なんか悔しいから。それに、売り物みたいなケーキ作ってもつまんないし。どうせ作るなら、どこにも売ってないようなケーキにしたい」

「……和馬さんらしいですね」


 無邪気ないたずら心を隠したような笑顔をしながら、彼女は言った。


「そうかな? じゃ、早速準備しよっか」


 こうしてできあがったケーキは、確かにどこにも売ってないような、個性溢れるものとなった。とりあえず、上に飾り付けたドラゴンフルーツがこんにゃくみたいに見えて、美味しそう……ではない。ドラゴンフルーツって赤いのは皮だけで、身は青白いんだね。色々と裏切られっ放しだよ。


 ケーキ作りを終えて、後片付けが済んだ頃には……。外は、すっかり暗くなっていた。だけど、地面を覆う雪に月の光が反射して、夜とは思えないほど空が明るく輝いている。


 それに気づいたカナちゃんは、部屋の明りを消して、窓越しに外を眺め始めた。


「……別の星みたいだね」


 そう呟くカナちゃんにつられて、僕も外を眺める。


 確かに、雪で覆われた地面は何も無いように見え、月は恒星のようだし、澄んだ空には信じられないほどたくさんの星が輝いていて……。まるで、銀河系の秘境の星にでも迷い込んだかのような、不思議な気持ちになった。


「……同じ世界なのに、こんなに違って見えるものなんですね。ここが地球だってこと、忘れてしまいそう……」

「……ここが地球だってことを忘れたら、地球じゃなくなるのかな?」


 何気なく、僕はカナちゃんに問いかけた。


「地球じゃなくなるのかもしれません。だけど同時に、この気持ちも消えてしまうでしょうね。ここが地球だってことを覚えているからこそ、日常とのズレに不思議な感覚を覚える……」


 それは、独り言のように呟かれた。なんとなく違う気がする世界。全く身に覚えのない思い出話。……なのに不思議な懐かしさを感じるのは……。


 覚えているからなんだろう、僕が新井和馬で、妹がいたという事実を。思い出せなくても、僕は忘れていないんだ。


 どこに行っても、どんなに逃げようとしても、……きっと思い出は、僕を追いかけてくる。……カナちゃんだって。僕たちはたぶん、逃げ切れない。


「……お茶……」


 そんなことを考えていたら、彼女がまた、独り言のように呟いた。


「……昆布茶……飲みたい」

「わかった。いれてくる」


 果たしてソレが、僕に向けて発せられた言葉なのかどうかも分からなかったけど。僕はお茶を入れるために、そっと立ち上がった。


 暗闇に目も慣れていたし、外がとても明るかったので、部屋の明りをともす必要はなかった。僕は昆布茶のパウダーを二つのマグカップに入れ、電気ポットのお湯を注いだ。


「……あ」


 お湯は、一杯分のお茶を入れる量しか残っていなかった。仕方ないのでポットに水を足し、出来た一杯はカナちゃんのところへ持って行った。


「……ありがとう。あったかい」


 カナちゃんは目を瞑って、ゆっくりお茶をすすり始めた。同時に……


「……っく、っつ……」


 ……涙をボロボロと流しながら、泣き出してしまった。それは、今までに見せたことが無いような、とても辛そうな泣き方……。


「か……カナちゃん……!?」


 そんな彼女に、僕が驚かないわけがない。慌てて隣に寄り添い、背中をさする。でも彼女は、一向に泣き止まず、一向に何も話してくれなかった。


 ……そしてそのまま、彼女は一晩中泣き続け……。


 ……気がつけば、夜が明けていた。別の星のように見えていたその風景も、太陽が昇ってくると同時に、地球に、戻った。


 カナちゃんの頬は、真っ赤に腫れていた。泣き止もうとして、涙をこぼし……。それをひたすら、繰り返しているうちに。何を聞いても、何も話してくれなくて。だけど僕にはなんとなく、彼女の泣く理由が分かっていた。


「……ごめんなさい。しばらく……一人にして欲しいんです」


 夜が明けてから、どれくらいが経っていただろうか。


 ようやく落ち着いてきた彼女は、小さくそう呟いた。僕は無言で頷いて、カナちゃんから離れた。……一晩中一緒にいても、僕には何も出来なかったんだ。少し迷ったけど、ここは身を引くのが賢明だろう。


 アパートを出て、一面真っ白な銀世界を歩いた。相変わらず寒さは身にしみるものの、今日はよく晴れていた。この雪も、じきに溶けて無くなってしまうのだろうか。そう思うと、なぜか少しだけ寂しく感じる。


「……暖かいスープでも作ってあげるか」


 ふとそう思い立った僕は、再び隣町のデパートへ向かうことにした。どうせ、しばらくアパートには戻れないんだ。多少遠出しないと、時間を持て余してしまう。……そう思った僕は、徒歩でデパートまで行き、スープの材料を買い、そして徒歩でアパートまで戻ってきた。距離にして往復25キロメートルほど。ほとんど一日潰れてしまった。


 ……これくらい一人にしてあげれば、十分だろう。色々落ち着いていればいいけど……。ケーキもそのままだし、さすがにもう戻らないと。


 少し緊張しながら、アパートの扉を開く。全身がクタクタだ。カナちゃんと一緒にケーキ食べて、すぐ寝よう。……よく考えたら僕、昨日ほとんど寝てないし。その上25キロ歩くとか……。良く死ななかったな。


「……え?」


 ……そんな僕は。アパートの玄関で、立ち尽くす。


 ……部屋は、もぬけの殻だった。

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