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月日は流れ……

 その後、篠原くんに相当無理を言って、週末一緒に母校まで行ってもらった。……だけど、彼の言う通り、その高校には噴水なんてものはなくて、夢で見たような風景はどこにも無かった。もちろん、記憶も戻らなかった。


 結局、切り札だったはずのあの風景画も、何にもならなかった。夢と現実が繋がることは無く、あの少女とともに過ごしたであろう世界に、僕は脚を踏み入れることができなかった。


 その後も、夢に新しい風景が出てくる度に、カナちゃんにお願いして描き起こしてもらった。垣根一つを隔てて隣り合う民家、だだっ広く広がる田んぼとそびえ立つ山々、高校の校門らしき入り口と桜並木……。


 絵の数はどんどん増えていったけど、思い当たる風景はこの町のどこにもなかった。次第に僕も、「あれは夢の中だけの話なんじゃないか……」と考えるようになり、現実世界に夢の風景を探す努力をしなくなっていった。


 こんな調子で、もしかしたらすぐに戻ってきてしまうんじゃないかと心配していた記憶は、結局……いつになっても戻ってこなかった。恐らく、僕が見ている夢は所詮夢で、記憶とは無関係なのだろう。


 それは、カナちゃんも同じだったようだ。


 彼女もやっぱり、記憶が戻ってきそうな気配はなく……。むしろ、最初から過去を取り戻そうとしていなかったカナちゃんは、まるで余計なことを考えないようにするかのように、いつもいつも完璧な家事をこなしていた。


 そんなカナちゃんと暮らしているうちに、僕も、過去のことなんてどうでもよくなっていった。そこにある幸せが続くだけで、十分だった。


 ……過去なんて実在しない。あるのは人々の記憶であり、幻想。もし仮に、人々の記憶を操作することができれば、「あったこと」にも「なかったこと」にもできる。それが、過去。


 ……だから、いいんだ。思い出さなければそれで。


 その後、カナちゃんとは色々なところに出かけた。


 夏の終わりには海に行くことになって、シーズンオフになったひと気の無い砂浜を、カナちゃんと一緒に散策した。彼女は例の白と青のワンピースがお気に入りで、二人で出かけるときはいつも、この服を身につけていた。


「ほら、見てこの木!!」

「うん?」

「なんか、ウナギさんみたいじゃないですか!?」


 彼女が拾ってきたのは、海岸に漂着していた20cmくらいの白いうねうねした木。そんな木はその辺り一帯にたくさん落ちているのに、その中でもどうして「ソレ」がウナギに見えるのか、僕にはわからなかった。


「そうだね、ウナギっぽいかも」


 だけど、嬉しそうに話してくれる彼女をガッカリさせたくなくて、「他の木との違いが分からない」なんて言えなかった。まぁ、芸術的センスは絶対にカナちゃんの方が上だし、僕に理解できることじゃないんだろうな。


 僕が同意してあげると、カナちゃんはまたニッコリ笑って、その枝をポーチへしまった。そしてまた、パタパタと駆け出すカナちゃん。子供のようにはしゃぐ彼女を見ていると、心が癒やされた。


 秋になると、紅葉狩りに出かけた。アパートの近くには素晴らしい紅葉を見せてくれる山があって、そこで風景画を描くのがカナちゃんの楽しみになっていたようだ。鉛筆だけだともの寂しいと思い、水彩絵の具を買い与えたら、すぐに使いこなして素敵な水彩画を描き上げた。


 カナちゃんはどうやら、一度見た風景をしばらく覚えているらしい。夏に行った海の風景がいつの間にか水彩画になっているのを見て、それに気づいた。瞳をキラキラさせながら幼稚園児のように絵を描く姿とは裏腹に、そのスキルは全てにおいて高かった。


 そして月日は流れ……。季節は、冬になった。


 今日はクリスマスイブ。僕とカナちゃんでクリスマスケーキを作ることになり、その材料を調達するべく、隣町のデパートに脚を運んでいる。さすがにもう寒くなってきたので、例のワンピースは着ていないけど。


「……あっ、これ!」


 デパートのフルーツ売り場で、妙な物体を取り上げるカナちゃん。


「……えっ、何ソレ。でっかいつぼみ?」

「やだ、知らないんですか和馬さん。ドラゴンフルーツですよ」

「ど……ドラゴンフルーツ!? 果物なの!?」

「はい。確か……サボテンの実、だったかな?」


 赤くて厳ついミョウガのような形をしたそれは、どうやら果物らしい。


「……美味しいの?」

「あんまり甘くはないですけど。すごく優しいキュウイフルーツ……みたいな。ケーキに入れてみます?」

「え、よくケーキに入れたりするワケ?」

「うーん……。普通入れないと思います。でも、入れたら美味しいかも?」


 ……いたずらっぽく無邪気に笑うカナちゃん。その笑顔が可愛すぎたので、ドラゴンフルーツをケーキに入れることにした。……後悔はしない。


「飲み物はやっぱり、紅茶とかがいいのかなぁ」


 続いて、僕がインスタント飲料のコーナーを漁っていると、これまたカナちゃんがいい笑顔をしながら何か持ってきた。


「私、コレが飲みたいです……!!」


 彼女が手にもっていたのは、「梅昆布茶」。いやいや、ケーキにそれってどうよ、カナちゃん……。


「紅茶とかコーヒーの方が良くない? 昆布茶って……」

「別にケーキと一緒じゃなくてもいいですけど! 和馬さんだって好きじゃないですか、昆布茶。昔、旅行のお土産に買ってきてくれて……」

「お土産……? そんなことあったっけ?」


 覚えの無い僕が聞き返すと、カナちゃんはハッとした表情で言葉を止めた。


「……それはきっと、僕じゃないよ」

「……ごめんなさい」

「いいって別に。それも買っていこう。何か思い出すかもしれないしね」


 このとき僕は、場当たり的にそう言ってしまったんだ。「思い出す」……この言葉が何を意味するのか、深く考えもせずに。


 その後、ケーキを作るのに必要な材料を買い集めた僕たちは、デパートの外に出た。まだお昼前だったけど、曇っているせいで薄暗かった。


「っさむぅっ!! 見て和馬さん、こんなに……息が真っ白だよ……」


 外に出た瞬間、猛烈な寒さが僕たちの体に突き刺さる。


「ホントに寒いね……。……あ」

「ゆき……」


 チラチラと空から降り注ぐ、白い小片……。今日は朝から寒かったけど、まさか雪になるなんて……。それも、あっという間に本降りになった。


「しまった、傘……持ってきてないや……」

「私、持ってますよ。相合い傘、しちゃいますか?」

「ごめん、お願いしていい?」

「……はい。……ついでに、手も」

「え?」

「手もつなげば、もっと暖かい」

「……うん」


 僕とカナちゃんは、手をつなぎながら相合い傘をして、駅までの道のりを歩き始めた。


「……妹ですよね、私」


 おもむろに呟くカナちゃん。僕は声を出さずに、彼女の方を見た。


「和馬さんにとって。……私は、妹……なんですよね?」

「違う」


 伏せ目気味に呟かれた彼女の言葉に対して、僕は即答する。


「カナちゃんは、カナちゃんだ。……妹じゃない。……妹は死んだ。妹とカナちゃんは、別の人間だ」

「……ほんとう?」

「本当だ。……だから僕は……」


 ……勢いで口に出してしまいそうになった台詞を、一旦飲み込む僕。


「……どうかしましたか?」

「……カナちゃんにとって、僕は何者なんだろう……って思って。いいんだ、別に。代わりでも。だけど、代わりでしか無い僕が……」

「代わりじゃないですよ」


 今度はカナちゃんが、伏せ目気味に呟かれた僕の言葉に即答した。


「……何も思い出さなければ。思い出さなければ……、過去なんてないのと同じだもの。無い過去に、思い出も思い出の人もいない。だから、和馬さんは和馬さん。誰かの代わりじゃ、ない」


 それは、力強い彼女の言葉だった。その言葉に安心した僕は……。


「……僕はカナちゃんのことが……好きだ」


 さっき飲み込んだ言葉を、吐き出した。


「ずっと好きだった。……これからもずっと、一緒にいたい」


 だけど、僕がそう続けると……。カナちゃんは、唇を噛みしめて泣き出してしまった。


「その台詞、初めて……ですか?」

「……え?」


 彼女の言葉の意味が分からず、当惑する僕。


「……いえ。私も、和馬さんが好きです……。だって私、もし和馬さんがいなかったら……」

「……どうしたんだよ、急に……」

「あの日に……」


 あの日……。急に泣き出した彼女と、あの日という単語。嫌な予感がする。


「和馬さん、私のこと……助けてくれたんじゃないですか? 私……なんとなく……!!」

「やめろ!!」


 ぞわっと悪寒が走り、咄嗟にカナちゃんを抱きしめた。


「思い出しちゃダメだ!!」

「そうですよね? 何があったのかはよく思い出せないけど、和馬さんは私を……助け……」

「だから!! いいんだよ余計なことは考えなくて!!」


 より一層カナちゃんを強く抱きしめる僕。そして……


「記憶が戻る前に……。……どこか遠くへ、誰からも見つからず、なんの見覚えもない場所に……行こう。何も思い出さなくてすむ場所に」


 ……こんこんと降り続ける雪の中で。


 僕は彼女に、そう呟いていた。

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