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北西の国の恋物語

後ろ向き騎士と前向き子爵令嬢

作者: あやぺん

 この世の何もかもが血染めだ。俺は朦朧とする意識の中、そんな事を思った。霞む視界は炎のような紅蓮。夕焼けだろうけれど、返り血を浴びた時の視界と区別がつきにくい。

 タンカで運ばれ、揺れるたびに足に激痛が走る。多分、折れたのだろう。戦場に派遣されるたびに、何かしらの傷を負う。まただ。

 気がついたら、灰色の天井を眺めていた。廃屋なのだろう。埃臭い。左右を見ると、怪我人が幾人も並んで呻いている。野戦病院か。病院という名の、単なる収容所。

 呼吸は荒く、頭が重くて痛い。熱いけれど震えが止まらない。怪我は、何度しても慣れない。いっそ殺してくれとも思うが、死にたくない。相反する気持ちに支配される。

 目を開くのも辛い。しかし、瞼を閉じると、飛んだ首や手足の映像が浮かぶ。薄眼を開けて、空中に舞う埃を数えた。

 不意に、視界に白い影が現れた。それに輝く白金(プラチナ)。ぼやけた世界なので、顔は分からないけれど、女性だというのは理解出来た。


「少し拭きますね」


 鈴を転がすような、とはこういう声なのだろう。えらく耳触りの良い、落ち着く声色。女性の声なので、従軍看護師か? 俺は返事も出来ない程苦しく、熱く、辛いので、無言だった。唇すら動かしたくない。

 トントン、トントンと、触れるか触れないかという、とても優しい感触を額に感じた。拭きます、だから汗を拭ってくれたのだろう。


「飲めますか?」


 問いかけられても、返事もままならない。そうしたら、唇に冷たさを感じた。


「このように湿らせた布を当てるだけでも、水分補給になります」

「はい、分かりました」


 そうなのか? 俺には何も分からない。手に温もりを感じ、俺は目を丸めた。しかし、やはり目はあまり開かないし、視界もぼやけている。滑らかで、小さな手。微かに震えている。


「私達が世話をします。大丈夫ですからね」


 その言葉は俺の痛みを、僅かに和らげた。こんな風に、見知らぬ赤の他人に心配されたことなんてない。白い影が遠ざかっていく。行かないで欲しい。どうか、もう少しこのまま手を握っていてくれたら、痛みを忘れていられるだろう。しかし、願望は届かず、彼女の姿は遠ざかっていった。俺の意識は、また暗闇の中に飲み込まれていった。

 目を覚ましたのは、傷の痛みのせい。足に火を近づけられたような感覚。大雨の中、泥だらけの中で戦い、馬の足を切られ、暴れる馬から落ちて足に激痛が走った。だから恐らく骨が折れ、この熱感は化膿だろう。

 漆黒の世界。苦悶の声ばかり。俺も呻いていた。そこに、ゆらゆら、ゆらゆらと橙色が揺れる。ランプの灯り? 真っ暗闇ではないことに安堵した。更には小さくも穏やかな歌が聞こえた。この声……気絶する前、世話をして手を繋いでくれた女性だ。

 しばらくして、額にひんやりとしたものが当てられた。その後、それは頭に移動して、優しげに髪を撫でてくれた。手だ。誰かの手。

 また白い影。いや、天使だ。地獄のような場所に、天使が来てくれた。俺は珍しくそんな楽観的な事を考えた。そのくらい、彼女の手は慈しみに満ちている。


「大丈夫ですからね」


 こんなに慈愛に満ちた声掛けなんて、生まれて初めてだ。いや、昼間と合わせて二度目。同じ声なので同一人物だ。喋れるのなら、感謝を述べたい。貴女のおかげで、眠れそうだ。気持ちが悪過ぎて、目が開かない。顔を……顔……誰だか分からないと、後で礼を言えない。俺はまた気を失った。


 何日経過した分からないが、時間が経過すると、嘘のように熱が引いた。相変わらず足は腫れていて痛いし、熱を持ってもいそうだが、随分楽。杖を支えにすれば歩ける。重病ではないなら、と病院という名の収容所を追い出された。部隊に戻らなくても良い、と見知らぬ、初めて会った上官に帰国を命じられた。

 帰国の前に、と俺は看護師という看護師に礼をして回った。しかし、肝心の彼女が居ない。顔は知らないけれど、声で分かる。それから白金(プラチナ)。多分髪の色だ。何度も声を掛けられ、手を握ってくれて、汗を拭いてもらった。

 野戦病院を一通り探してみたけれど、プラチナブロンドの女性は見つからなかった。

 別の収容施設が出来たらしいので、そこに移動したのかもしれない。しかし、探す時間は得られず、半ば無理矢理帰国させられた。


 帰国後、戦場での功績により、報奨金と療養期間を得られた。別に嬉しくない。これねまた、そのうち戦争へ駆り出される。つい、体が動くが、手柄なんてあげるものでは無い。片足を失って、二度と出征出来ない方が幸運というものだ。死ななくて済む。なのに、つい俺の体は敵を薙ぎ払い、つい無能な指揮官を無視して前線へ躍り出てしまう。実に最低で損な性格である。

 金があったって、使い道は無い。物欲はないし、食欲も無い。何年か前から味覚は消え、いつも血の匂いが鼻先につきまとっている。眠ればすぐに死体や血の夢を見る。

 怪我が落ち着いてきた頃、狭い騎士宿舎に客が現れた。幼い頃から仕えている、アルタイル王国第三王子ユース・アルタイル。市民服。また隠し通路を通って来たのだろう。この世で俺の友人というと、このユース王子と彼の乳兄弟のレグルスくらい。会うのは半月振り。久々の再会に、珍しく胸が弾んだ。心配も素直に喜ばしい。

 手土産だ、と白ワインのボトルを渡された。酒の味はすっかり分からないけれど、白ワインだと血の味はしない。酩酊感も嫌いでは無い。


「やっと会えた。君、会いに来ても会いに来ても居ないからさ。良かった、前よりも元気そうで」

「それは、すみません。ありがとうございます」


 素直に頭を下げる。


「療養期間なのに、毎日何をしているんだ?」

「元通りに動けるように歩いてます」


 足腰の鍛錬。落ちた体力の回復。なので、毎日、特に目的もなく城下街の郊外を歩いている。探し人がいるかも、と少しだけ期待しているけれど、会えていない。

 夕焼けは嫌いなので、その時間に食べたく無い食事を摂り、星が現れるとアルタイル大聖堂の隅でぼんやり夜空を見上げている。

 穏やかな星の煌めきは、嫌いではない。最近は特に。星の輝きが、プラチナだからかもしれない。


「図書館へも行っているよな?」


 ユース王子は寝台の上に腰掛けた。俺は椅子に座ったまま、読んでいた本を閉じた。


「やる事も無いので、適当に選んで読み漁っています」


 必要そうな書籍を読む間に、時折ゴルダガ戦線に関する新聞記事も漁っている。看護師従事者の名前や絵が載っているかもしれない、とほんの少しだけ期待したから。成果はない。


「ふーん、ならこれも読んで」


 そう言うと、ユース王子は上着の内ポケットから羊皮紙を取り出した。受け取り、折りたたまれたそれを開くと、哲学書やら経済学書や数学やら、俺には無縁そうなタイトルの本の名前ばかりが羅列してあった。


「それでフィラント、元気なら飲もう。今日は無理だけど、明日なら良い」

「分かりました。先程いただいた白ワインですよね?」

「いや、あれはそれとは別。私を誘う用だぞ。あのさあ、こう、ないの? ニッコリ笑って、ユース、是非飲みたい。嬉しい! 素敵! 抱いて! とかさ」

「……。はあ」

「はあ、ってさ! 連れないな。モテないぞ」

「ええ、モテた事なんてありません」


 そんな事言われても、ポンポンポンポン口の回るユース王子と、かなり考え込んでから喋る俺。冗談へ返す良い返事なんて、すぐには出てこない。まあ、考えても出てこなそうだが。


「あのなあ、フィラント。私の影武者役だった君がモテない訳がない」

「さっきと言っている事、違いません?」

「いいや、素敵な笑顔とお喋りでモテるぞ、と言いたいだけだ」


 俺は髪を掻いた。ユース王子は遊び人。女性がいたら口説くのが礼儀、という男。彼曰く、女性の大半は可愛い。癒される、らしい。特に勝ち気で、我が強い、我儘で色っぽい自信家を掌の上で転がすのは最高、らしい。俺にはその感覚は全然分からない。女性なんて、殆ど喋った事がない。

 何人かで集まってヒソヒソしながら、俺を見るという光景は時折ある。血塗れ騎士は恐ろしいとか、死神騎士と目を合わせるな、とかそんな話だろう。


「それでさ、君って何しているの?」

「あの、どういう意味です? さっきと同じ質問なのは、問いかけの意味が違うということですよね?」


 パチン、とユース王子の指が鳴った。


「そう。リハビリと読書以外にしている事、あるよね? 人探し、とか」


 何で分かる? と思ったが、ユース王子は情報通。アルタイル城内なら隠し通路、街では変装姿であれこれ調べ回っている。少ないながらも絶対的な忠臣もあちこちに配っている。権力がないって面倒で大変、がユース王子の口癖。この国は王子の背後にいる貴族達が、権力闘争をしていて、七面倒だ。


「ええ。ゴルダガ戦線で……」


 看護師従事をしていた女性にお礼を言いたくて探している、と言おうと思った。なのに、俺の口からは別の単語が飛び出した。


「天使に会った……」


 急に動悸がした。一度言葉が出てくると、するすると続きも出てくる。


「優しさに満ちた声で……手で……。髪はプラチナブランドだ。それで、白かった」


 ユース王子は目を丸めた後、しかめっ面になった。


「なんだ、軽傷と言っていたが、そんなに酷かったのか」

「え?」

「生死の境をさまようなんて……大丈夫だフィラント。私は二度と君を戦場へは行かせない。そろそろ反撃してやるからな」


 ギリリ、と歯をくいしばるような表情を浮かべると、ユース王子は「今日は帰る」と、去っていった。何か勘違いされたが、誤解を解く暇も無かった。

 翌日、ユース王子の近衛兵経由で政務室に呼び出された。助けてくれ、と書類の誤字探しを手伝わされる。騎士なのに何故? と思いつつも、主の命令なので黙って従う。多分、こうやって事務経験を積ませて、能力を身に付けさせて、事務官へ移動させようという心遣いだろう。

 助けて、と言ったのにユース王子は「もう他の仕事は終わっているんだもん」と、白ワインを呷っているのがその証拠。お調子者で、軽くて変な言葉遣いばかりするが、ユース王子は優秀。隠しているが、人の何倍も仕事をこなせる。


「従軍看護師名簿って見れない……よな……」


 与えられた書類に誤字を見つけ、羽根ペンを走らせていた時、無意識に問いかけていた。


「ゴルダガ戦線の?」

「……とても優しい歌を聞きました……」


 是非、また聴きたい。あのような慈しみに溢れた女性は、騎士なんて恐れるだろう。だから、お礼だけ言って、あとは少しの間遠くから眺める。その時に偶然歌ってくれたら、とても幸せな気持ちになれるに違いない。


「歌……」

「手も……優しかったです……」


 触るだけで痛みが和らぐとは、素晴らしい手だ。細くて小さかった。今の健康体で握ったら折れるかも。急な階段を登る際にエスコート、とかなら触れても許されるかも。その時は、腕を脱力させるべきだろう。


「へえ、美人?」

「はあ?」


 美人ならまた口説くのか?


「はあ? って何だ。おい、人前で失態したく無いから言葉遣いに気をつけるって、常日頃言っているのは君だぞ。それなのに、はあ? って何だ。睨むなよ」

「睨んでません。そういう顔です。お礼の話なのに……美人かって……君は女性の尻を追いかけ過ぎだ」

「おい、言うじゃないか。名簿、探してきてやらないぞ」

「申し訳ございませんでしたユース王子」


 機嫌を損ねても、ユース王子は名簿を探してくれるだろう。毒味係から影武者、そして隠密の近衛兵と長年仕えてきた。有り難いことに、ユース王子は自分を守る忠臣には、とことん甘い。


「おい、心がこもってない」

「自分で探します……」

「どんな子? 可愛い?」

「おい、だから……。顔は熱でぼんやりしていて……髪はプラチナブロンドで……白は多分……肌の色で……声も覚えているので……会えば分かると思います……」


 はあ、と小さなため息が漏れる。俺は羽根ペンを机の上に置いた。手を動かす気になれない。


「ユース……野戦病院に……天使がいたんだ……それで……」


 チラリと見ると、ユース王子は俺から目をそらした。俯いている。


「ふーん。まあ、頑張って探すんだな。君は私を怒らせたからね」


 頬を膨らませ、プイッと横を向いたユース王子に「帰れ」と政務室から追い出された。いくらいつだって親切とはいえ、雲の上の存在、王子に協力を期待するなんて、俺はどうかしていた。


 ★数ヶ月後★


 今日は来年度財政予算案の確認をさせられている。政務室にまた呼ばれたらこれ。ユース王子とレグルスはのんびり紅茶と酒を飲み交わしている。政治と女の話に花を咲かせ、実に楽しげ。単にこき使われている気がする。淡々と任された仕事をしていたら、配達人が現れて、封筒を渡された。内容を読んで驚愕。


「俺がジャン・シュテルン子爵の娘と結婚? 理由は何です? あと、この方は誰です?」


 ジャン・シュテルン子爵とは誰だ? 知らない名前。おまけに結婚。今の自分の立場と、この話を繋げてみる。ユース王子とレグルスは笑顔を引っ込めて、澄まし顔。返事無し。


「どこぞの没落貴族ですよね。自分で調べます。騎士の俺に子爵位を与えて、更に働かせるつもりですか。既に仕事を押し付けている癖に……」


 仕える主人にやや不敬な口調になってしまったが……怒っていなそうで安心した。二十年もの間共に育ち、気さくに接して貰っていて、友人のように思われているのは理解している。しかし今のような態度が公の場で出ないように、こういう時から気をつけないとならない。


「いいやフィラント。真面目で勤勉かつ優秀な君に父上からの褒賞だ」


 ウインクを飛ばしてきたユース王子。別に何かが飛んでくる訳でもないが、俺は思わず避けた。嫌な予感がする。褒賞と言う名の、重労働な気がしてならない。

 結婚、出世、どちらにも興味無い。ユース王子とレグルスは喧しいけれど、彼らは好きだ。恩のあるユース王子の近くで働き、戦争には二度と行かず、可能なら穏やかで静かな暮らしをしたい。それなのに、俺は地方、アストライア領地にあるアストライア街へ赴任となってしまった。しかも結婚。


 こうして俺は、急に結婚させられることになった。ユース王子の根回しだが、ジャン・シュテルン子爵のご令嬢、エトワールという方との結婚は国王陛下勅命。拒否権なんてない。


 アストライア街で相対したエトワール令嬢は、おっとりとした口調に心地良い音色の声をしていた。その声を聞いた瞬間、瞬時に考察が脳内を駆け巡る。ユース王子かレグルス、または両者が俺の探し人を見つけ、俺の結婚相手として用意した。

 彼女は肌が透き通っているように白かった。頬や唇は桃色。灰色のような、青や緑にも見える不思議な色彩の瞳。ふわふわした胸の高さまである巻き髪。卵型の顔で、目は大きい。それで垂れ目。ぷっくりして見える小さくも厚めな唇。穏やかそうな雰囲気の顔立ち。そして、可愛い。かなり可愛い容姿である。

 まとめ上げられたプラチナブロンドの髪。この美しくて愛らしいご令嬢は、甲斐甲斐しく他者に奉仕出来る。天使としか言いようがない。


 血塗れ死神騎士と天使なんて、不釣り合いとしか言えない。しかし、天使は俺の妻になる。実に可哀想で不幸な事だ。でも俺は、実に利己的なので、彼女を毎日見られる生活が欲しい。その代わりに、結婚までの期間は極力近寄らないようにした。初対面で怯えられたので、自分を律している。

 天使なのだから、不自由なく贅沢な暮らしをするべき。甘い物を好むと聞けば、最も好きな菓子を当てるまで、あちこちの店で様々な種類の菓子を購入。女は太ることを恐れるとレグルスが言うので、途中からは菓子と同じように好むらしい花に切り替えた。

 宝物だと思って大事にする。どうかいつも笑ってくれますように。そう祈りを、贈り物に込める。働いて稼いで、生活環境を整えて、好みのものを与える。俺にはそのくらいしか思いつかない。

 今は結婚準備期間で遠慮しているようだが、そのうち何か欲しいとか、言ってくるだろう。城とかは無理だけど、可能な限り何でも買うし、恋人でも出来たら離れに引っ込む。……かなり嫌なので保留。目の当たりにした時に考えることにする。

 そうして一ヶ月が過ぎて、後ろ盾のレグルス・カンタベリ伯爵の取り仕切りの元、盛大な挙式が行われた。


 正円十字架、平等の象徴である神の印。祭壇に飾られる女神像をぼんやりと眺める。俺の中の女神というと、高熱で浮かされていた時に見た、薄ぼんやりとした視界の中の女性。あの時、顔ははっきりしていなかったが、慈愛に満ちた小さな歌や、労りの手つきはよくよく覚えている。そのエトワール令嬢と、これから婚姻……。


 サン=ガリル聖堂のスタンドグラスから差し込む光が、特別礼拝室を七色に輝かせている。半年前に、返り血を浴びながら戦場を駆け抜けたのが嘘のよう。

 鳴り響くパイプオルガン。他は水を打ったように無音。布が擦れる音と、足音が近寄ってくる。

 今なら間に合う、今ならまだ間に合うと俺はグルグル、グルグルと自問自答した。

 目で見て愛でたいというだけで、エトワール・シュテルン子爵令嬢の一生を縛ることになる。引き返すなら、取り止めてもらうなら今しかない。手元に置いたら、離せない自信がある。今、もう既にその状態だ。

 神父に目で促されたので、俺は花嫁の方へ体を動かした。

 真っ白いドレスに、長い花柄のヴェールを纏ったエトワール令嬢がジャン・シュテルン子爵に連れられて、真紅の絨毯をゆっくりと進んでくる。

 血染めの道を、傷つきながら歩いてくるのではないか。そんな気がしてくる——……。


 挙式にて予定外のことが二つ起こった。一つは宣誓の台詞。エトワール令嬢は何故か「死が二人を分かつまで愛し、慈しみ、貞節を守ることをここに誓います」という言葉を増やした。

 二つ目は衝撃的な事で、誓いのキスが頬ではなく唇だった。エトワール令嬢の頬に顔を寄せたのに、彼女は顔の角度を変えて急接近してきた。柔らかで甘ったるい感触。俺はしばらく瞬きを繰り返して、茫然としていた。




 ☆エトワール令嬢☆

 

 私は勝手に宣誓の台詞を増やしました。


 そして、次は誓いのキス。アピールすると決めたので、とことんします。お互いに遠慮し合っていると、永遠に三歩離れた距離です。フィラント様は私が怯えているとか、怖がっているなどと、妙な勘違いをしています。おまけに、聞く耳も持たない。卑屈で後ろ向き。とっても変な人。しかも、想い人がいるらしい。野戦病院で世話になった、とても優しい方らしいです。フィラント様の友人、レグルス伯爵から聞かされ、想い人に勝つには努力しろとアドバイスされました。

 私は頬に顔を寄せたフィラント様の唇目掛けて特攻しました。

 正真正銘のキス。フィラント様の唇に自分の唇を重ねます。フィラント様の胸元の服を引っ張って、目一杯背伸びをしたら届きました。


 そっと、触れるだけ。


 柔らかくて、温かい。緊張で爆発しそうな心臓の鼓動が、私の耳を攻撃しています。この音、フィラント様や神父様にも聴こえているかもしれません。

 初めてのキスは、終わりのキスかもしれない。神様にフィラント様への永遠の愛を誓ったので、私はフィラント様以外の花嫁にはなりません。出会ったばかりなのに、この決意に、何の迷いもありません。


——すみませんエトワール様……宝物だと思って大事にします。どうかいつも笑っていて下さい


 微熱を出した時の、あの夢の中か現実なのか分からない時の言葉。本当に言われたと思うのです。

 フィラント様は私を宝物として大事にしてくれる。この一ヶ月、ずっとそうでした。なので、間違いなく私は幸せ者になれます。

 離れた時、フィラント様がどんな反応を示すのかが大切。私はそっと目を開きました。

 ぼんやりとして、赤黒い顔でした。驚きと照れ。多分、そう。これなら、大丈夫。生理的嫌悪がないなら、どうにかなります。

 人生とは根性。恋は初めてなので、勝手が分かりませんが私の恋は始まったばかり。自分に出来ることを全部してから、諦めようと思います。

 今夜は恥ずかしくても、絶対に同じ寝台で寝て、あわよくば手を出してもらうのです! 服を脱いで突撃したらどうにかなる、とは新しい友人フローラ談。緊張になんて負けません!

 集まって、ヒソヒソ、きゃあきゃあ騒ぐ女性達の中から恋人を作られる前に、私は絶対に妻から恋人に昇格してみせます!

 慈善活動、屋敷管理、教養向上にお洒落、そして女性としてのアピール。思いつくことは何でもします。

こうして少々誤解し合いながらも、口説き合う新婚夫婦が誕生しました。騎士はきっと幸せになれるでしょう。


めでたしめでたし。


長編は「成り上がり騎士と貧乏子爵令嬢の新婚生活」です。冒頭から結婚までを、短編ダイジェストにしてみました。

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