ヘブンズ・ホール②
自衛斗真──彼の人生のターニングポイントは、中学2年の頃。気が弱く、声も小さく、大人しい性格の彼は、いじめのいい標的だった。親に相談なんか出来るわけもなく、その身に余る暴虐を受けていた。
そんな毎日を繰り返すうちに、「自分はどうしようもないクズだ」と思い込み、病んでしまった。口にする食べ物の味は分からなくなり、無気力になり、目は光を喪って濁り果てた。
そうして遂には嫌気が差し、学校の屋上から飛び降りようとした。しかしその時、背から生徒会の会長が声をかけてきた。
「あんな奴らの為に死ぬな。私の下に来い。」……黒髪を靡かせながら言う彼女に、斗真は一目惚れする。
かくして、彼は彼女の部下として、生徒会に入った。彼を傷付けようとする者は、彼女が返り討ちにした。自分もそれに応じるように、仕事は出来る限りの全てをこなした。
そうしながら、ある日──男と手を繋ぎながら、幸せそうに笑う彼女の姿を見てしまった。
思い知る──彼女は、純粋な正義感でもって、自分を助けたのだ。別に僕の事が好きな訳じゃなかった。飛び降りようとしてるのは、僕じゃなくて良かったのだ。
そう思った途端──心の中で燃えていた恋の炎は、水でもぶっかけられたかのように消え失せてしまった。『自分』が必要とされてないと分かった時点で、全てのやる気が失せたのだった。
数日の喪失感と苦悩──その末に、彼は「自分らしく生きよう」「自分のやりたいようにやろう」と、踏ん切った。
生徒会を辞めたのは、3年の夏であった。定例会をバックれ、そのままフェードアウトした。会長や書記や先生から送られた連絡も、全て無視した。連中が必要としているのは『僕』ではなく、『都合の良い働き手』だったからな。
彼女達を含む生徒会の連中とはそれ以来会話もせず。かといって、暴虐は再来すること無く。彼は、完全に独りになっていた。
そんな孤独の最中、彼は誓っていた。「次に同じ事があれば、今度は独力で乗り越えてやる」と。
もう彼は濁った目はしない。腕っ節が弱かろうと、確かに強く輝く、まっすぐな『黄金の意思』を心に、人生を歩んだのだった……
そして今──
「こ、この……!!皆っ!出来るだけ固くて長い棒を持って!」
氷川華鈴の指示で、彼女の崇拝者達はホウキやら何やらを取り出し、斗真を囲んだ。
「今は8時30分……あと30分で、HRかァ〜……50分までには全員片付けれるんだろうけど、どうでしょうね〜……」
斗真はそんな中、呑気に教室の時計を確認していた。
「調子乗んな、クソおと──」
女子の一人が、斗真に襲いかかる。
次の瞬間、彼女の腹に炸裂するかのような激痛が走った。
「ぎゃあぁあぁあっ!?」
「『ヘブンズ・ホール』。お前は僕には攻撃できない。」
斗真は悶える女子を見下しながら、淡々と語る。そして、周りをギロリと見回した。
「な、なんなの……!?」
先陣が崩された事により、斗真を囲む輪が広がる。
彼はヘラヘラ笑いながら、周囲を見た。
「……武器を捨てて、大人しく席につくんだな……僕はその気になれば、この場の全員を一瞬で黙らせることが出来る。」
「そ、そんな事っ!や、やってみろ!」
華鈴はそう言い、斗真は「オーケィ」と頷く。
「はーい、みんな席についてー。」
彼は手を叩きながら、周囲に呼び掛ける。すると、さっきまでやる気マンマンだった周囲の生徒達が一斉に黙り、武器を片付け、姿勢よく席に着いたのだった。
これで、立ってるのは斗真と華鈴の二人になった。
「ぇ、ちょっ、皆っ!?ちょっと、ねぇっ!?」
華鈴が一人一人揺さぶるが、生徒達はマネキンか何かのように無反応のまま、瞬きもせずに虚空を見詰めている。
「な、何をした……!?なんなんだよ、お前ぇっ……!!」
「僕にはちょっとした特技が出来たみたいでね……洗脳とか催眠とか暗示とか、そういう類の事が出来るようになっちゃったんだ。」
斗真はそう言いながら、ギュウゥッと拳を握り締める。そして、真っ直ぐな目で続けた。
「これで君の味方も居なくなった……この場は、僕と君の一対一だ。」
「さ、催眠……!?」
困惑する、華鈴。
彼女は催眠とか暗示の類いは、信じない人だった。だからこそ、彼の巻き起こす現象に困惑した。
「別にこのままお前の記憶を全て消すのも、容易いさ……だが、それじゃ僕の気が済まない。こういう事言う柄じゃないけど……お前は法では裁けない悪とか、そういう類のものだ……だから、この僕が裁いてやる!お前に理不尽に踏みにじられた人間のぶんまでなぁ!!」
「何を次元の低い話してるのやら……やれるものなら、やってみろ!」
華鈴が、襲いかかってくる。空手黒帯に物言わせた暴力が、振りかかろうとする。
しかし自分の能力が分かった今、そんなものは恐れるに足らず。
「ふんっ!!」
暗示──自分に、彼女以上の戦闘力を。
プラシーボ効果により、彼の華奢な体には力が宿る。
「どらぁあっ!!」
そのまま机を片手で持ち、それで襲いかかってくる脅威を叩き潰した。
「っぎゃあぁあっ!?」
「昨日はよくもボコボコと殴ってくれたな……まずはその礼からしないと。」
机を直しながら、歩み寄る。
「このっ!」
彼女は、足払いをかけてくる。それは命中するも、斗真の足は長年を生きた樹木の根の如し、固く床に踏ん張っていた。
「あと、階段から突き落としたのも君の指示?部活中に冷水当ててレポート書くの、大変だったんだけど。」
「く、っ……このッ!!」
華鈴は起き上がり、拳を振るってくる。斗真はそれを軽々と避け、拳を握り込む。
「くらえ、僕の『ヘブンズ・ホール』の能力ッ!」
彼女の感覚を10倍にして、体感時間の速度を10分の1へ。そうしてから、拳をその頬に叩き込んだ。
「!!!」
拳が叩き込まれ、威力がゆっくりと差し込まれる。あの殴られた時の鋭い痛みも、全てスロー。
じわじわ強くなる耐え難い痛みに、彼女は白眼を剥き──
「だぁあーっ!!」
「ーーーっ!!!」
殴り飛ばしてやった。理不尽に殴られ続けた恨みを込め、理不尽に殴り返してやった。
「っっ、っ……!!」
「……」
追撃しようと、斗真は歩く。
「よ、寄るな!私は現役モデルの娘だぞっ!お前らとは違うんだっ!お前なんか、母さんの権力で消してやる!お前の親も不幸のドン底へ──」
彼を指差しながら、彼女は後ずさる。
「ヘブンズ・ホール!!あいつの時間を止めろ!!」
次の瞬間、華鈴は一時停止でも食らったかのように、ピタリと止まった。
この教室は斗真以外の全ての人間が静止し、まるで時間が止まったかのような空間を作った。しかし、時計の針は動いている。本当に時を止めた訳では無い。
「体感時間を止めた……黙って聞いてれば、ベラベラベラベラ下らないこと喋りやがって。」
彼はそう言いながら、指をボキボキ鳴らす。そして、両の拳を構えた。
「懺悔は聞かねぇ。許すつもりも無ぇ……後悔するんだなぁッ!!」
走り、腕をふりかぶる。その腕にかけられる限りの暗示をかけ──
「どぉだだだだだだだだだだだだだだだだァッッ!!!」
圧倒的で猛烈な拳の雨あられで、華鈴の全身を打ちのめした。それなのにも関わらず、彼女は無反応だ。当然か、時間を止めてるのだから。
ああ、こういうの、なんて言えば良いんだっけ……でも、ハマってる漫画の言葉を借りるんなら──
「『そして時は動き出す』……かな。」
彼がそう言った、次の瞬間だった。
「ぎゃあぁあぁあぁあぁあッッ!!」
全身に叩き込まれたダメージが炸裂し、華鈴は悶えながら転げ回った。何が起きたか理解出来ぬまま、床の埃を噛むハメになった。
「な、なに、が……!!?」
とにかく、斗真の方を見ようとする。次の瞬間、手にゾワゾワとした感触が走った。
「え──!!?」
手に、夥しい数の虫が湧いていた。ミミズやゴキブリやムカデなどといった、不快の象徴のような虫達だ。
「きゃあぁあぁあーーーっ!!?助けてぇえっ!!助けてぇえええーーーっ!!!」
それらは、服の中や耳に、遠慮なく入ってくる。
「嫌ぁあああっ!!嫌ぁああああーーーっ!!!」
彼女の絶叫が教室中に響くも、誰一人として反応はしない。自分を崇拝してくれた生徒達は、マネキンのように座り、ただ目の前を見ているだけだった。
「……」
彼女が見ているものは、斗真の能力で見せた幻覚。夥しい数の不快な虫など、この教室には一匹たりともいない。
それでも彼女はひたすらに絶叫しながら、何も居ない腕や身体を、出血するほど爪で引っ掻いていた。その様を、斗真は無表情で見続ける。
「今から三時間……体感時間にして50年、発狂もできないまま、虫とか何とかに身体中を食われる幻覚を見せた……永遠とも思える時間、自分のやった事に後悔し続けるんだな……その気になれば踏み潰せるハズの相手に、延々と食われ続けながらな……」
斗真はそう言いながら、彼女に背を向けたのだった……
「……あれ?」
「私達、何してたんだっけ……」
「あれ、華鈴さまは?」
生徒達は、正気を取り戻す。その記憶の一部は消されており、斗真に対する意味の無い嘲笑も消えていた。
「おお、珍しくみんな偉いな〜!ちゃんと席に座って!」
先生が、教室に入ってくる。そして、席を一望した。その中に、一つだけ欠席がある。氷川華鈴の席だ。
「むぅ、華鈴がいない……?」
「彼女なら具合が悪いとのことで、保健室に行きました。」
斗真が、真っ先に答えた。先生もそれに納得し、「そうか」とだけ言って、出席簿を付け始めたのだった……
この能力がきっかけで、斗真は数奇な運命を辿る事となる。
果たして、その果てにあるものとは──
息抜きに書いた物語なんで、ここで一旦終了です。
要望があれば続きます。