ヘブンズ・ホール①
朝──
「トウマ、起きなさい!トウマー!」
母の声で、目が覚める。
ああ、もうこんな時間──
「!!?」
いや待て、なぜ僕は『自宅』で『布団』に入って、『寝て』いるんだッ……!!?
「……た、確か──」
寝起きの、歯車の噛み合わない頭で考える。
「トーウーマー!?」
「ちょっと待ってよ、母さん!」
──なんて言っても、待ってはくれないだろうな。
「……僕はいったい、何を……?」
風呂にも入ってる模様で、体は清潔。寝間着のタンクトップとトランクス一丁のまま、居間に向かう。
「……よく眠れたわね、ハイ朝ご飯食べる!」
「はいはーい。」
そう言えば母さん、いつもは急かす癖に、今日だけは待っててくれたな……
そう思いながら斗真は、朝ご飯にありついたのだった……
制服に着替え、鏡を見ながら歯を磨く。
「……」
そう言えば、酷かった顔のアザも、階段から転げ落ちた怪我とかも、全部消え失せている。何処も痛い所は無いし、寧ろ体の調子は良い。
いったい、何があった?まるで、いつも通りに平穏に学校生活を過ごし、そのまま帰ったかのようだ。
「でもなぁ……」
それでも、氷川華鈴に目をつけられたという事実。学校になんか、行きたくない。それでも行かねばならないというのが、健全な高校生の定めなのだが。
「……行くしかないか。」
出掛ける準備は済んだので、大きな声で「行ってきます」と言い、家を出た。そして、あの恐怖の大城に向かった。
あのクラスで味方はいないが……何か、不思議と怖くない。寧ろ、「かかってこい」ぐらいの意気込みが、心の奥にある。
「……ふふん。」
少しニヤつきながら、斗真は通学路を行ったのだった……
教室に入り、いつも通りに自分の席に座ろうとする。
自分が入ってきた瞬間に、男子の俯瞰の目と女子の嘲笑の目が自分に殺到した。
「……」
机には、罵詈雑言の嵐。「死ね」だの「アホ」だの「キモイ」だのと、言いたい放題だ。それだけで、ブルーな気持ちになる。
とにかく席につき、カバンから本を出す。そして、それを読み始めた。
「……クスクス……」
女子が突っかかろうと、近寄ってくる。
反射的に、「近寄んじゃねぇ」と呟いた、次の瞬間だった。
「きゃあっ!?」
その女子が、何も無いところで急にすっ転んだ。
「い、いったぁ〜……」
「大丈夫!?」
「……」
ザマァ見ろ。日頃の行いが悪いから、そんなマヌケな姿を晒す事になるんだ、このスカタン。
「どうかしたのか?」
氷川華鈴が、転んだ女子に話しかける。
その女子は、半笑いで斗真の方を指差した。
「と、トウマが〜……」
自分で転んだんだろうが、馬鹿が。そんな事も分かんねぇとか頭終わってんな、オイ。
「そうか……」
華鈴はこちらに向き、歩いてくる。
いやいやいや、アンタ見てただろ。ソイツが勝手に転んだだけですし。僕は本読んでただけなんですけど。
「理不尽に女に手を上げる男には、制裁を加えねばな──」
「……」
来る。あの理不尽極まりない暴力の拳が。あーあ、せっかく治ったアザなのに。あの拳、何かの間違いであのすっ転んだ女に叩き込んでくれねぇかな──
「っっ!!?」
華鈴は急に気分でも変わったのか、先程の女子の頬に拳を叩き込んだ。
「ぶっ!?」
「ッッ!!?」
本を読んでいた僕も、思わず二度見する。まさか、本当にそうなるとは思わない訳だから。
何だか知らないが、今日は僕にとって都合の良い事がたくさん起こる日らしい。
「なっ、えっ……!!?て、手が勝手にっ!?ご、ごめんなさいっ!へ、平気か!?」
「い、いったぁ……!」
「あははははっ!」
面白くなった斗真、席を立って華鈴の方へ向く。
「見ーちゃった、見ィちゃった。「現役アイドルの娘、突如女子生徒を殴るっ!」って、マスコミに言ったらどうなっちゃうのかなァ?」
「ッ……!!うるさいぞ、社会不適合者の分際で!」
「おっとぉ、慎ましく本を読んでる僕と、突然人をぶん殴る君。どっちが社会不適合者なのか、火を見るより明らかだろう?普段から碌でもない事ばっかしてるからだ、このタコ!」
斗真の悪い口に、エンジンが入る。
「怖いぞ〜、今のマスコミは。嘘かどうかも分からん情報を、「注目が集まればいいや」って理由であることない事想像して、本やら新聞やらでばら撒くんだもんなぁ。そうなればお前は「突然人をぶん殴るキチガイ」、お前の母ちゃんは「そんなキチガイの母親」って評価をされて、順風満帆だった人生もそこでどん底に陥って、負け犬コースまっしぐらだ!ザマァー見ろ!」
ここ一番の煽り顔で、華鈴を指差しながら言う。マシンガンのような言葉の嵐は、彼女の焦燥を煽った。
「っぐ、く、お前の言うことなんて、誰が信用するか!」
「いいや、信用させるさ。この僕が、お前に消された人々にこの事をバラせば、そいつらはそれを100%信じる!お前を恨んでるからな!そうして僕と同じ事を、マスコミに言わせれば、それだけが真実になる!」
「っぐ、ぅっ、く、くぅぅ……!!」
斗真は煽り顔を、爽やかな笑顔に塗り替える。
「この事バラして欲しくなければ、土下座して「ごめんなさい斗真様、もう二度とあなたに暴力を振るいません。オタクを馬鹿にしません。許してください。」って許しを乞うんだな!そうしたら、考えてやるよ!」
まぁ、プライドの高い彼女のことだから、そんな事はしないと思うが──
「だ、誰がそんッ──!!?」
華鈴の膝が、床につく。彼女はそのまま頭を床につけ、土下座したのだった。
「──!!?」
これには斗真も、驚きを隠せないようだ。そんな彼の前で、彼女は言われた通りに指令をこなしていた。
「っ、ぐ、ぅ、ぇ……!!?」
体が思うように動かない。誰かからマリオネットにされてるかのように、勝手に動く。口もだ。言いたくもない言葉が勝手に喉から口へ出ていった。
「っぅ、ご、ごめんな、さい……斗真、さ、ま……ッ!も、もう二度と、貴方に暴力を、ふ、振るいません……!お、オタクも、馬鹿に……しません……!ゆ、許して、ください……!!」
その言葉に、クラス全体が騒然とする。俯瞰に徹していた男子達も、尊敬の目を向けていた女子達も、一斉にして怪訝な目を、二人に殺到させたのだった。
「ッッ……」
い、言いやがった、この女ッ!!
い、いやっ……!『何か』おかしい。何か異常な事が起こっているッ!!
来るなと言ったら急にすっ転ぶ女子、言ったことや、思った事まで実行してしまう華鈴。まるで、世界の中心がこの僕になっているかのような感覚。
「ッッこ、このぉおおっ!!」
屈辱に震える華鈴は、すぐさま拳を振るってくる。
彼女は空手黒帯。喧嘩の経験もクソもない僕に、素手で挑むのは無謀の極み。僕に『特殊能力』でもない限り、フィジカルの差を埋めることは出来ないッ!
だがッ!だがだがだがッッ!敵意は僕に向いているッ!もう昨日みたいな思いはゴメンだッ!
「ぶっ!?」
そんな思いも虚しく、ぶっ飛ばされてしまう。思いっきりぶん殴られ、よろめいてから尻もちをついた。
「二度とこの学校に来れなくしてやる!!」
「いででで……!!」
嗚呼、こんなアニオタもどきのインドアな僕じゃあ、彼女に勝てないのか?僕も空手黒帯ぐらいの戦闘力があれば、渡り合えただろうか。そうならば、そうなって欲しいのだが──
「このっ!!」
再び、拳が迫ってくる。
「……!」
それは、唐突に訪れた。
超感覚じみた反射神経でその拳を避け、拳を握る。
「ムダダァッ!! 」
己に襲いかかった間抜けな拳を、逆に殴ってやった。
「!!?」
想定外の反撃──手に走った激痛を押さえ、距離を離す。
「お、お前っ……!!」
「こ、これは……!」
自分の中で、灯火のような感覚が湧き上がる。其れは、「確信」という形を成して、心に刻み込まれた。
僕には、『特殊能力』があるッ!フィジカルの差を埋められる、僕だけの特権がッ!
「僕は、僕は『何が出来る』んだッ!」
考える、考える、考える。無い時間の中で、思考をフル回転させて考え込む。
嗚呼……時間が──1秒が、10分ぐらいになってくれれば──
「……ッッ!!?」
考えていたら、急に周囲の時間がゆっくりになった。襲いかかる彼女は、遅送りでもしてるかのようにスローモーだ。
「これは……ッ!?」
思った事を本当にする能力か?いいや違う。「そこの椅子、破裂しろ」と思っても、椅子は破裂しない。
「華鈴、そのまま頭からそこの机に突っ込め!!」
そう言うと、時間は歩みの速度を戻す。次の瞬間、彼女はまた気分が変わったかのように、引っ張られるようにそこらの机に頭突きした。
「っがぁあぁあっ!?」
「……こいつはッ……!!?」
そう言えば、今朝だってそうだ。いつもは急かしてくる母が、「ちょっと待って」というお願いを聞いてくれた。さっきの女子も、「こっちに来るな」という命令ですっ転んだ。華鈴だって、「そこの奴をぶん殴れ」ですっ転んだ女をぶん殴った。自分にだって、「空手黒帯程の戦闘力になれ」、「1秒が10分程度に感じてほしい」、等の命令を、尽く実行した。
この能力──絶対服従、または自己暗示の類い?DLSのジャンルで言う所の、『催眠』と考えていいのか?
「は、ははは……!」
ならば、この能力は『人の知性に対する絶対命令権』だ。早い話が、(少し下劣な話になるが)『催眠能力』だ。
この能力は、神様がくれたのか?はたまた、悪魔がくれたのか?どっちにしろ、僕だけの特権を手に入れられた。おかげで、天国にも辿り着いた気分だ。
そう──僕を『天国』に導いてくれるこの能力の名は──
「──『ヘブンズ・ホール』ッ!せいぜい、利用させてもらうぜ。」
彼はそう言いながら、ニヤリと笑ったのだった……