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「賢者様、賢者様、賢者様! あたしが遊びに来ましたよ! 賢者様、どこー!? 二階? もしかして、お部屋? 立ち入り禁止の噂の賢者様の自室ですか!? は、入っちゃっていい? 入っちゃうよ? 賢者様の大切な所、入っちゃうよ? いろんな意味で無防備な寝顔を見ちゃうよ? いいよね、ダメって言われなかったから! はい、ドーン! 入っちゃいましたよ、賢者様! って、あれ、いない……。賢者様ー! 賢者様、あたしを家に入れておいて、放置って酷いんじゃないですかー!?」


 屋敷中にバタバタと足音が走り回る。

 しかも、無駄にやたらと高くて遠くまでよく通る声が、ベラベラ、ベラベラと響き渡って……率直にうるさい。


「あの、賢者様? これって……」

「大丈夫。任せて」


 呆然としているエルフの兄妹にシーっとしてから、そっと食堂に扉まで忍び寄る。

 耳を澄まさなくても聞こえる足音とリズムに乗った声が、二階から一階に戻ってきて、だんだん近づいてきた。


「賢者様ー! 賢者様ー! どこですかー? 隠れてないで、出ておいでー? 出てこないと、出てこないと……どうしよ? あー、プチってしちゃいますよー?」


 怖いわ。

 何をプチッとする気だ。

 というか。


「お前がプチッとなれ」

「ぷぎゃっ!?」


 ばこーん。そんな感じの音がした。

 食堂の前にやってきただろうタイミングに合わせて、勢いよく扉を開くとイイ手応えが返ってきた。


 廊下を見ればぶっ倒れた少女が一人。

 両手で鼻を押さえて、足をバタバタさせて、痛い痛いとわめいている。

 短いスカートがめくれそうになって、タイツに包まれた太ももが割と際どい所まで見えそうになっているが、色気なんて欠片もないから気にもならないな。


「うるさい。勝手に入ってくるな。うるさい。部屋にも入るな。うるさい。というか、うるさい」


 声を掛けるとばっと起き上がってくる。

 立ち上がると体の小ささがよくわかるようになる。僕の胸辺りに頭が来る程度。カイとあんまり変わらないぐらいだ。

 ずれた帽子の位置を直しつつ、うるうると涙目で見上げてくる姿は庇護欲を誘うのかもしれない。かもしれないが。


「うるさいって四回も言いましたね!? あーもう、鼻が潰れたらどうするつもりなんですか? 傷物にした責任、取ってくださいよね。あ、もしかして、それが狙いですか!? わざと傷物にして、安く買い取るつもりなんですね! 汚い! 賢者様、汚い! その怪しい仮面の下で『ぐへへ、これでこの女も今日から俺のもんだぜ』なんてほくそ笑んでいるんでしょう!」

「うるさい」


 こんだけ騒がれては罪悪感なんて微塵も持てるはずもない。

 ぎゃあぎゃあと騒ぐ頭を抑え込んでいると、後ろから声を掛けられた。

 カイとクウだ。


「あの、賢者様。その……すごい、声が大き――元気な? 人はどなたですか?」


 カイ、すごい言葉を選んでくれたな。

 いいのに。こいつに気遣いなんてしなくていいのに、いい子だ。

 僕が感心している間に、すっかり復活した少女が食堂に突撃していた。


「あー! この子たちですね、賢者様のところに新しく入った子っていうのは! わあ、本当にエルフだ! しかも二人も! 耳が長い! 美人! 髪も男の子が銀で、女の子が金色で綺麗! し・か・も! しかも、ちっちゃーい! もう、賢者様ったら! こんなにかわいい子たちを囲っちゃってどうするつもりなんですか!?」

「どうもしないから落ち着いて」


 じりじりと近づこうとする少女の首根っこを捕まえる。

 まったく、二人が怯えてしまっているだろう……って、あれ? こんな時に怖がりそうなのはクウなのに、今はじっと少女を見つめ続けていた。


「クウ?」

「ん……」


 クウが僕の腰にしがみついてきて、そのまま少女を睨みあげる。


「どうしたんだい、クウ?」

「この人、やだ」


 ビシッと少女を指さすクウ。

 これに驚いたのはカイと少女だ。


「クウ!? 賢者様のお客様に失礼を言ったらダメだよ? あ、でも、不法侵入者なら追い出さないと……」

「ええええええええええええっ!? いきなり幼女に嫌われましたよ! 賢者様、何を吹き込んだんですか!? あと、こっちのショタっ子があたしを見る目、犯罪者を見る目になっちゃったんですけど!?」


 ああ、もう。

 クウはわけがわからないし、こいつはうるさいし、カイも混乱している。


 このままだと収拾がつかない。

 まずはパンパンと手を叩いて、注目を集める。


「はいはい。いったん、落ち着こうか。まずはこいつの紹介からするよ。こいつは……」

「あ、自己紹介ですね。あたしはクリス。王都でちょっと大きなエイチコ商会のお嬢様で、賢者様のいい人です!」

「違うから」


 頭を押さえ込んで否定する。

 まったく、カイとクウが信じたらどうするんだ。


「こいつ、実験農場の出資者。パトロンなんだ」


 ここは王都の城壁の外だけど、だからといって勝手に畑を作っていいわけではないし、住んでいいわけでもない。

 普通は騎士に追い払われてしまう。じゃなかったら、今頃はこの辺りにスラムができあがっていただろう。

 けど、そうならないように手配したのが、この少女――クリスだった。


 クリスには色々な伝手があって、騎士にも『お話』できるのだ。

 そこから荒野を耕して、広げて、作物の種や苗を用意して、収穫してと、大変な道のりがあったわけだけど、その間に掛かった費用を払ってもらっている。

 さらに言えば、この屋敷を用意したのもこいつだから、不法侵入というのはちょっと違う。


「お金持ち、商会……」

「あれえ!? ますますあたしを見る目が厳しく!?」


 カイとクウはヨーシャーク商会でひどい目にあったんだ。商会の人間を警戒してしまうのは仕方ないかもしれない。

 とはいえ、その思い込みはゆっくりでも直していかないと。


「カイ。こいつは大丈夫だから、安心して」

「あ、はい。すみません、賢者様。クリス様も」

「いえいえ、いいですよ。あたしは気にしませんから」


 あほだけど、クリスは後に引きずらないのはいいところだ。


「クウも。そんなに警戒しなくていいから」

「………」


 クウは僕のお腹に顔を押し付けて、首を振る。

 ダメだ。どうにもクリスが気に入らないらしい。


「賢者様。クウはぼくに任せてください」

「んん」


 カイがクウの肩に手を置くと、クウはそちらに身を寄せた。

 クウがどうしてクリスをそんなに嫌がるのかわからない。わからないけど、妹を見るカイの目には頭ごなしに叱ろうという気配もない。

 ここは兄に任せた方がよさそうか。


「ごめんね。じゃあ、外のテーブルでデータをまとめてもらえるかな。そうだな。まとめるだけじゃなくて、気付いたことがあったら教えてね」

「は、はい! ぼく、頑張ります!」


 張り切って屋敷を出ていくカイ。手を繋がれたクウは振り返り、振り返りだけど、エルフの兄妹は外に出ていった。

 その気配が十分に離れたところで、僕は溜息を吐いた。


「まったく。なんで、来たんだ?」

「ええー。あたしが来ちゃダメなんですか? そんないじわるを言うなんて、賢者様は本当に素直じゃないですね。……もしかして、人に見せられないような事をロリっ子とショタっ子にするつもりだったとか? それはいけません。いけませんよ。養いっ子に手を出すなんてダメですからね! ああ、あたしが構ってあげないばかりに賢者様が犯罪者になっちゃうなんて……」


 ひどい風評被害だ。

 抗議するのも面倒で、黙ったままぎゅうっとクリスの顔を両手で挟んで圧し潰す。


「うきゃああああっ! 賢者様、激しいです! 激しすぎです! 変顔がいいんですか!? あたしの変顔を見て喜んじゃってるんですか!? 変態です!」

「こいつ、精神強すぎだろ」


 僕が自分を好きに違いないと一寸の疑いも抱いていないらしい。

 もう溜息しか出てこない。

 ポイっと手を放して、もう一度聞きなおす。


「それで? 用件は?」

「んー。ここに新しい住人が来たって聞いて様子を見に来たんです」


 嘘ではない、な。

 ただ、全て語ったわけでもないというところか。

 睨みつけてもニコニコ笑ったまま揺らがない。


「じゃあ、カイとクウの顔も見たんだし、さっさと帰ってね」

「本当に冷たいですね。あの子たちには優しくしてたのに、あたしだけ特別扱いですか?」

「当たり前だろ。お前は特別だよ」


 パトロンという意味で特別だ。

 いや、それも投資してもらった初期費用分は既に返済しているから、パトロンとしての価値は低いか。

 品種改良した作物。遠方の国でした育たなかった野菜に馴染む土壌の研究。さらに薬草の栽培。

 これらを協力してもらったジョゼフさんたち農家や、『黄金の盃』という酒場に回しているのだけど、それ以外にも一般販売もしてもらっている。

 その販売の部分を担っているのがクリスのエイチコ商家だ。

 実験農場の評判が高くなるにつれて、作物の価格は上がり続けている。この一年の販売益だけでも初期費用をとっくに超えているだろう。

 金銭面で頭が上がらないわけじゃない。


 ただ、相変わらずクリスの持つ人脈の意味は大きい。少なくとも問答無用で屋敷から追い出すのは憚れるぐらいには。


 事実をそのまま言うと、クリスは満足そうに何度も頷いている。


「そうそう。わかっているならいいんですよ、賢者様」

「上から目線で……」


 本当に面倒くさい奴だな。

 いちいち訂正するのも面倒になってしまう。

 早く帰ってほしい。


 けど、居座る気満々だ。

 なら、追い返すのは諦めよう。カイとクウの近くに連れていくのは、二人の情操教育上よろしくない。ここでお茶でも飲ませておくか。

 朝の残りのお茶を用意してやるか。少し冷めてしまっているのは残念だけど、カイが用意してくれたおいしさまでは損なわれてない。

 カップを二つテーブルに置く。


「これでも飲んで大人しくしてよ」

「はーい」


 意外に素直な反応だった。

 クリスはイスに座って、両手でカップを包むように持つと、窓の外の風景を眺めだす。

 これだけ見れば絵になる美少女だ。このままずっとしゃべらなければいいのに。


 釣られるように僕もそちらに目をやると、カイとクウの姿があった。

 カイは薬草の属性値の記録を広げて、手元のメモ帳に書き込みをしている。クウの方は用紙が風に飛ばされてしまわないように押さえているみたいだ。

 属性値なんて言葉を知ったのも最近。勉強も足りていない。それでもカイは一生懸命に考察を続けている。

 そんな兄の姿にクウも嬉しそうに笑っていた。


「……いい子たちなんですね?」

「うん。二人とも幸せになってほしいよ」


 どうすれば幸せになれるのか。いや、そもそもどんな形の幸せなら二人が満たされるのかもわからないけど。

 ただ、そうあってほしいと心から願う。

 親を亡くし、人に騙され、同族の元に帰る目途も立たない兄妹。

 不幸であった分、幸せにならないといけない。


「それで、いつまでここに置いておくんですか?」


 答えに詰まってしまった。

 クリスはさっきと変わらない様子でエルフの兄妹を眺めている。お茶を飲みながら微笑む姿は平和そのものだ。

 なのに、責められていると感じるのは気のせいなのだろうか?


「あの子たちの親、いないんですよね?」

「そうだね」

「エルフの里は大森林の奥にあるんですよね?」

「そうらしいね」

「もう少ししたら落ちた体力も完全に戻るんじゃないですか?」

「そうだろうね」


 聞かれて、答えるたびに、誘導されているような気がした。

 ただ、それが間違いではないのもわかる。

 あの子たちの未来を考えれば、何が最善なのかはわかり切っているのだ。


 人間の中でエルフが生きていくのは厳しい。

 同族の下に返してあげるのが一番だ。

 一時的に保護するのはいい。

 ただ、それなら助手にする必要はなかったのだ。

 身元引受人。そんな形で十分だった。


「じゃあ、賢者様はどうするつもりなんですか?」

「僕は……」


 もう一度、エルフの兄妹を見つめる。

 二人に重なって見えるのは、初めて出会った日の事。

 賢者と助手。その出会い。


 ……うん。答えは決まっている。


「僕は二人が一人前になるまで面倒を見るよ。だって、助手だからね」


 子供は大人が守ってあげるものだ。

 こんなのは賢者じゃなくても、誰だって知っている当たり前。

 まして、僕にとって助手は特別だ。

 軽い気持ちでカイを弟子にしたつもりはないし、放り出すなんてとんでもない。


 クリスはようやく僕に目を向けた。


「賢者様、それって賢者様が寂しいから引き留めるなんてだけなんじゃないですか?」

「そうじゃないよ」


 僕は寂しくなんかない。

 もう寂しくなんかなくなった。


 はっきりと答えると、クリスが頬を膨らませた。


「ぶうー。そんなこと言って、本当はちっちゃいのが好きなだけなんじゃないですか? ちっこさならあたしもなかなかのものですよ? しかも、あっちと違って十九歳! いつまでも賢者様好みのちっさい女の子を提供できるんですよ!? ほらほら、ハグとかしちゃいましょうか? あたしの胸――は恥ずかしいから、お腹ぐらいなら貸しますよ?」

「やめろ、バカ。へそを出すな。女の子がお腹を冷やすんじゃない」


 ペロンとシャツをまくり上げるクリス。

 羞恥心がないのか、この娘は。十九歳という自己申告も怪しいな。


 僕にその腹をどうしろと? ええい、腰を回すんじゃない。さっさと手を放しなさい。


「何がしたいんだ、お前は……」

「まあ、いいでしょう。女の子扱いしてくれましたしね」


 シャツを掴んでいた手を放すと、やっと落ち着いてくれた。

 クリスは飲みかけのカップに口をつけて、それから小さな声でつぶやいた。


「じゃあ、やっぱりあたしはここにいるべきですか」

「なんでだよ」


 脈絡がない話に首を傾げる。

 冗談という感じもしないし、ますますわからない。

 いきなりの来訪といい、突然の追求といい、なかなか帰ろうとしなかったり、何を考えているんだ。


「ん?」


 クリスが何を考えているかに悩んでいると、城門の方から知らない気配が屋敷に近づいてくるのに気付く。


 数は十人。

 ジョゼフさんたち、じゃないな。彼らはこんな剣呑な気配でやってこない。

 これは戦う人間の気配だ。


 屋敷の前を通り過ぎるだけかもしれない。

 そう思って様子を見ていたけど、気配は屋敷の近くで止まる。


「ここに来た? 誰がなんの用だろう?」


 窓から誰が来たのか見るより先に大きな声が聞こえてきた。

 男らしい野太く、荒々しい声で。


「ここにヨーシャーク商会長、殺害の容疑者が潜伏しているのはわかっている! 邪悪なエルフめ! すぐに出てこい!」


 そういう事か。

 僕は隣で変わらずお茶を飲んでいるクリスを睨みつけて、外に向かって走り出した。

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