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トントントン。
規則正しく、少しも途切れるずに鳴り続けるノック。
決して大きな音じゃないのだけど、確実に意識を覚醒に導いていくようだ。
「賢者様、起きてください。朝です。もう日が出てきてしまいますよ」
「うーん。わかってるよー。すぐに行くから、ご飯の準備しといてー」
いつものように返事をする。
返事をしながらベッドに倒れこむ。
朝の支度は終えているんだけど、まだまだ眠い。
このまま二度寝してしまいた。いや、五分だけ。五分だけうとうとさせてくれるだけでいいんだ。
けど、ノックの音はやまない。
その音には『絶対に起こすんだ』という強い意志を感じる。いや、嘘だ。そんな意思なんて音からわかるわけない。
ただ、ノックの主――カイはそう考えているに違いない。
「そう言って、この前は三十分も部屋から出てきませんでしたよ。それに朝食はもうできています」
む。手際がいいなあ。
寝ころんだまま窓のカーテンをめくると、朝日が東の空に姿を現すところだった。
普通の農家ならとっくに起きて、朝食も終える時刻。
この前まで料理の準備がようやく終わる頃だったのに、それがもう料理までできてしまっているなんて。
カイの成長を感じる。
「けんじゃさまー。おはよぅだよー? 起きてー」
クウの声もする。
ぺしぺしと扉を叩く音まで。
五歳児にまで呼ばれてたら起きるしかないか。
ベッドから体を起こして、仮面の位置を確かめる。
「はいはい。起きたよ――っと?」
「おー?」
扉を開けると、寄りかかっていたらしいクウが倒れこんできて、そのまま足にしがみついてきた。
「おはよぅ」
「うん。おはよう、クウ。カイも、おはよう」
「おはようございます。ほら、クウ。それじゃ賢者様が歩けないよ」
「んー」
「こら。賢者様に迷惑かけちゃダメだ」
妹を優しく引きはがすカイ。
クウは足から離れたものの僕のローブを掴んだままだ。
まあ、これぐらいなら歩けるからいいか。
「いいよ。好きにさせてあげよう」
「賢者様はクウに甘すぎます。あんまり甘やかすとクウがダメな子になってしまいます」
「いやいや、これぐらいでクウは悪い子にはならないと思うよ?」
「いいえ! お言葉ですが、賢者様。こういう小さなことの積み重ねがですね?」
腰に手を当てて、語り始めるカイ。
朝からお説教はいやだ。
「あー、ご飯。折角、カイが作ってくれたご飯が冷めちゃいけないね。ほら、食堂に行こう。いやあ、カイのご飯が楽しみだなあ」
「クウもたのしみー」
「賢者様もクウも……はあ」
溜息を吐くカイだけど、自分の料理を楽しみと言われて悪い気はしないみたいだ。
僕たちの前を歩く足取りが軽い。
うーん。
賑やかな朝だな。
カイとクウが僕の助手になって十日。
兄妹はとても元気に過ごしている。
食堂、とは呼んでいるものの長いテーブルが二つに、いくつか椅子があるだけの広い部屋。
昼は外で食べるのが多いけど、朝と夕はここで食事を取っている。これはカイとクウが来てからも一緒だ。
ただ、掃除が隅々まで行き届いて、カーテンやテーブルクロスはいつもきれいになって、おまけに窓際には薄紅色の花をつけた鉢植えが置かれるようになった。
全部、カイが用意した物だ。僕が知らない間にミネットさんに相談したのだとか。
けど、一番変わったのは厨房。
食堂と直接繋がっている厨房からはいい匂いがしていた。
これは焼き立てパンの香ばしさに、コーンポタージュの甘さに、ベーコンとじゃがいもの炒めものの脂。それにお茶の豊かな香りもする。
料理は人並み以下の僕が使っていた頃は、こんな香りはしなかったな。
いつの間にか棚に並ぶ調味料の数が大幅に増えているもんなあ。
素早く配膳をしていくカイを眺めながら、香りを楽しむ。
目の前に料理が並ぶとますますおいしそうな香りが強くなる。これは食べなくてもおいしいってわかるやつだ。
まさか、カイの料理がこんなに上達するなんて思いもしなかった。
「カイ、本当に料理がうまくなったね」
「別に。僕は普通です。ミネットさんの教えるのがうまいだけですよ。それにまだまだですから」
謙虚だね。それにまじめだ。
感心しながら席に着くと、隣に座ったクウが服を引っ張ってくる。どうやら耳を貸してほしいみたいだ。
頭を寄せるとこしょこしょと教えてくれた。
「あのね。お兄ちゃん。うれしいと、耳がピクピクするんだよ」
ふむ。言われてみるとカイの長い耳がピクピクと揺れている。
エルフ的にあれは喜んでいるらしい。勉強になる。
「賢者様? クウ? 何を話しているんですか?」
準備を終えて向かい側に座ったカイが首を傾げるのに、僕たちはにっこりと笑い返した。
「いや、なんでもないよ。ね?」
「なんでもないよねー」
「? いいですけど、食べないんですか?」
食べるに決まっている。
ご飯の良しあしは料理の腕や素材も大事だけど、出来立てというのも大切だ。
「もちろん、頂くよ。毎日、ありがとうね、カイ」
「お兄ちゃん、ありがとう」
「はい。お口に合えばいいんですが……」
カイはどこか不安そうだ。
食事の時、いつもこの顔をする。料理の腕に自信がないというのは本当なんだろう。
僕の手元をジッと見つめるのに気付かないふりをして、僕は早速スプーンを手に取った。
まずはコーンポタージュ。
「うん。おいしい。この濃い感じ、好きだな」
「そ、そうですか? 濃厚なのはいいですけど、後に残りすぎな気がしますから、改善しないといけませんね」
ピクピク。
「ベーコンとジャガイモの組み合わせもいいね。ベーコンの脂がホクホクのジャガイモと一緒になっておいしいよ」
「そ、そうかもしれませんね。でも、ジャガイモはもっと小さく切った方が良かったです。火の通りが甘い気がします」
ピクピクピク。
「パンも焼き立てでおいしい。外はカリカリで中はふわふわ。それに中に何か入って……クルミかあ。これは焼き加減とか難しかったんじゃない?」
「そ、そんな事ありません。素材がいいんです。素材が」
ピクピクピクピク。
素っ気ない事を言っているけど、エルフ耳がとても素直だった。
澄ました顔で淡々と食べているけど、その内心を想像してしまうと微笑ましくなる。
おいしくてあっという間に食べ終わってしまった。まだ食べている兄妹を見守りながら食後のお茶に口をつける。
うーん。お茶も絶品。これ、前に品種改良のお礼にもらった物だよなあ。僕が淹れた時はただ苦かっただけなのに、まるで別物みたいに味がいい。
一口終えて、残る香りもスッとして素晴らしい。
もちろん、ほめたのはカイをからかうためじゃなくて本心から。
両親が仕事で不在の時は家事をしていたらしく、カイの主夫スキルはとても高い。
料理、洗濯、掃除。どれをやらせても僕よりうまい上に、完璧主義なのかどんどん屋敷を住みよい空間にしようとする。
ほんの十日で屋敷は見違えるようになっていた。
「ご飯はおいしいし、屋敷はきれいだし、服は清潔。いやあ、カイのおかげで助かるよ」
「お、おだてないで下さい! こ、こんなの普通ですから!」
また耳をピクピクさせるカイだけど、僕がニコニコしているのに気付くと眉をしかめた。
「その顔、からかってますね? 賢者様、本当に僕がすごいんじゃありません! 賢者様が家事を疎かにしていただけなんですからね! もっとご自分を大切にして下さい! 昨日だって夜遅くまで起きていませんでしたか!?」
いけない。カイの説教は始まると長くなる。
ここは強引にでも話題をぶった切らないと。
「いやいや、からかってないよ。本当にね。感心しているし、感謝しているんだって」
身を乗り出して、頭を撫でてあげる。
カイはお説教の続きを飲みむと、キュッと唇に力を入れて黙ってしまった。顔が緩まないようにしているみたいだけど、また耳が動いていた。
「けんじゃさま、クウは?」
「クウもいてくれて嬉しいよ。クウがいるとお家の中がポカポカするからね」
隣から見上げてくるクウも撫でる。
こっちは素直にキャッキャッと大喜びだ。撫でる手に自分から頭を押し付けてくる。
「け、賢者様。そろそろ、いいですから。わかりましたから……」
撫で続けていたらカイのピクピク耳が真っ赤になってしまった。
カイぐらいの年頃だと嬉しいより、恥ずかしいが強いのかもしれない。
食べるのを邪魔しちゃ悪いし、ナデナデは終了だ。
「はは。嫌だったかな。ごめんね」
「べ、別に嫌だなんて言っては――ああ、もう! そ、それよりです! そんなに僕の家事がいいなら、地下室も掃除させてください!」
話題を変えるつもりなのか、カイがいきなりそんな事を言ってきた。
地下室かあ。
カイの言う通り、この屋敷には巨大な地下室がある。
階段の裏側の床。そこだけ引き上げられるようになっていて、下には地下に続く縦穴が空いている。
見つけようと思えば見つけられる位置にあるから、好奇心で開けたりして落ちては大変だと、二人には教えてある。
そして、同時に入らないように厳命してあった。
「前に言っただろ? あそこは荷物が山積みなんだ。重い道具とか本とかね。それに魔導具も紛れているから、立ち入り禁止だよ」
「じゃあ、それこそ掃除しないといけませんね!」
カイ、君はどうしてそんなに目を輝かせているんだい? 掃除、好きすぎるだろ。
これだけ家事を頑張ってくれているカイの望みなら叶えてあげたい。
けど、こればかりは甘い顔はできないのだ。
「うーん。ちょっと門外不出の物もあるからな。カイにはまだ早いよ」
「……はい」
食事に戻るカイだけど、うつむいてしまった。
うーん。不満そうだね。
ちょっとカイはやる気が溢れすぎているなあ。
もしも、僕の役に立たないと追い出されるんじゃないかなんて不安になっているのなら心配だぞ。
そっとお茶を飲みながらカイの様子を窺う。
がっかりした様子でパンを食べているけど、小さく呟くのが聞こえた。
「地下室……かっこいいのに」
あれ? もしかして、単純に地下室に興味津々? カイも男の子なんだなあ。
とにかく、心配が杞憂で終わったならそれが一番いい。
今度こそ落ち着いた気持ちでお茶を楽しんでいると、兄妹も食べ終わったようだ。
食器の片づけは僕とクウの二人でしている。
頑張って大皿を持って歩くクウを後ろから見守りながら、僕も重ねた食器を持って厨房の隅の水場までやってきた。
カイが用意してくれたらしい水の入った大きな木桶。
そこで洗った食器を隣に座ったクウに渡すと、よいしょ、よいしょと一生懸命にきれいな布で拭いていく。
時間をかけて終わらせて食堂に戻ると、テーブルはカイがピカピカにしてくれていた。それも僕たち片づけ係の仕事なんだけど、目の前に家事があったら放っておけないとはプロ意識が高すぎる。
それでもピシッと背筋を伸ばして座っている姿がちょっと得意げな辺り、まだまだ子供っぽくて笑いを誘うんだけどね。
と、いけない。笑ってしまうとすねちゃうか。
何も気づいてないふりで席に着くと、早速カイは書類を出してくる。
「賢者様。朝の定期調査です」
「え? もうやっちゃったの?」
書類は確かにいつもの記録だった。
今日の欄にはカイらしいきれいな字が書かれている。チェック漏れもなく、完璧な調査がされている。
「朝食の準備前に終わりました。」
有能すぎる、このエルフ。
将来は秘書でも、主夫でも、執事でも、メイドでもなれるんじゃないか?
一人に任せてしまうのは申し訳ないけど、カイも無理に早起きしている様子はないし、しばらくは頼んでしまおうかな。
調子を悪くしたら早めに止める。そうしよう。
「ありがとう。助かるよ」
「大したことはありません。助手として当然の務めですから」
そう言いながらも誇らしげなカイに頷いて返す。
なら、時間ができた分、今日はがっつりと研究に力を入れよう。
「じゃあ、今日は薬草の適正属性値。いくつかが似た数字だったから、その辺りの検証をやって――」
「賢者様ー! あーそびーまーしょっ!」
そんな声が屋敷の外から聞こえてきた。
同時にバーンと派手に扉が開く音が食堂まで聞こえてくる。
エルフの兄妹は目をまん丸にするのを見ながら、僕はそっと溜息を吐いた。
あいつ、何しにきやがった?