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 5


「ふぁぁぁああああああああああああああああ」


 朝の陽ざしを浴びながら体を伸ばす。

 眠い。眠いよ。眠すぎるよ。

 あんまり寝てないから、ベッドから出たくない事この上なかった。


 でも、実験農場のチェックは時間を決めているから後回しにできないんだ。属性値って時間によって微妙に変わるからさあ。

 こういう時、手伝ってくれる助手がいてくれたら助かるのに。


「おうおう、でっけえ欠伸だな、賢者のダンナ! 夜街にでも行ってたのか!?」

「あれ。ジョゼフさん?」


 振り返るとジョゼフさんの巨体がのしのし近づいてくるところだった。

 朝からとっても元気そうに手を振っている。


 昨日は夜の街には行っていたけど、ジョゼフさんが言っているのはそういう意味じゃないよなあ。

 とりあえず、聞き流しとこうか。


「おはようございます。どうしました? もしかして、エリエルさんのところの水粒草に何かありました?」

「おはようさん! 今日はエリエルんところの用じゃねえんだ。あっちは昨日、言われた通りにしといたぜ! エリエルの奴が張り切ってなあ……!」


 娘さんが結婚するんだったっけ。お父さんが張り切るのは仕方ない。

 うんうんと聞いていたけど、唐突にジョゼフさんがハッという顔になる。


「いや、ちげえよ! エリエルじゃなくて、今日は別の用事なんだよ!」


 別件。

 お昼の差し入れにしてはだいぶ早い時間だし、実験農場のお手伝いはお願いしていなかったし、他に難しい相談事も受けていなかったはずだけど。

 なんだろう? いや、その前に気になる事がある。


「そういえば、ミネットさんがいませんね」


 この夫妻、尻に敷いて敷かれての関係だけど、とてもとても仲がいい。

 ジョゼフさんはミネットさんにべたぼれだし、ミネットさんも表にわかりやすく出さないだけでジョゼフさんを愛している。

 一人でいい用事でも一緒にやってくる事からもわかる。

 まあ、ジョゼフさん一人だとうっかりが多いから、放っておくのが怖いというのもあるんだけど。


「かあちゃんも一緒なんだぜ! ただ、あいつらがなかなか言う事を聞いてくれなくてよ……」


 珍しく声が小さくなるジョゼフさん。

 あいつら? 言う事を聞かない? 一体、なんのことだろう?


「あんたたちねえ。うちらが信じられないのはわかるけどね、しっかりついてきてくれよ」


 詳しく聞きだすより先に、話題のミネットさんの声が聞こえてきた。

 ジョゼフさんの後ろからやってきている。

 僕は大きな体の向こう側を覗き込んだ。


「ミネットさん、どうしたんで――え?」


 っと、危ない。

 思わず大声を上げそうになって、慌てて飲み込む。


 びっくりした。

 びっくりして言葉が続かない。

 そんな僕にミネットさんが話しかけてくる。


「あ、賢者様。ごめんなさいねえ。昨日の今日でまた来ちゃってねえ」

「い、いえ。それは全然構わないんですけど」


 不自然にならないように返事をしながらも、ミネットさんから少し距離を取りながらもついてきている人たちに注目してしまう。


 小さな子供だ。

 子供ながらに顔立ちの整った、線の細い体つきの男の子と女の子。

 肌の色が白いのは種族的な特徴なのか、それとも食生活のせいなのか……気になるな。

 ともあれ、昨日見た時よりも怪我の手当てもされて、服も質素ながらも綺麗なものになっていて、ずいぶんまともな状態になっている。


 エルフの兄妹。

 昨日、ヨーシャーク商会から解放された二人が目の前にいた。

 ぶすっと不機嫌を隠しもしない兄と、まだ眠いのかぼんやりとフラフラ歩く妹。


 なんで?

 どうして?

 てっきり、森に帰ったとばかり思っていたんだけどなあ。

 わからない事ばかりだけど、ここで黙ったままだと不自然だ。


「この子たちは?」

「ほら、昨日も見ただろう? ヨーシャーク商会のところにいた、ね?」


 僕にだけ聞こえるように声を潜めてミネットさんが言う。

 この様子だとジョゼフさんはこの子たちの境遇とか何も聞かされてないのかな。


「実はよ、今朝の早くに路地裏でうずくまってるの見つけたんだ。なんか、元気ねえからかあちゃんのメシを食わせてやろうって思ったんだ」


 僕とミネットさんのやり取りに気付かないままジョゼフさんが話し始める。

 おかげで状況は見えてきた。


 兄妹は昨晩の内に王都から出られなかったんだな。

 無理もない。かなり酷い境遇にあったみたいで、昨日も大森林から帰ってきたばかりの様子だった。

 幼い二人が途中で動けなくなってしまうのもわかる。

 どうやらヨーシャーク商会のあった上級区から下級区までは来れたみたいだけど、そこで力尽きて一休みしたまま眠ってしまった、と。

 そして、そこをジョゼフさんが見つけて、声を掛けたわけだ。


 ジョゼフさんは頭をガリガリかきながら、弱り切った様子で話を続ける。


「でもよ、なんも食ってくれねえんだよ。腹はグルグル鳴ってるし、メシは食いたそうなのによう。こんなちっちぇえガキが腹空かしてるなんてかわいそうじゃねえか。なんとかならねえかなあ、賢者のダンナ?」


 なるほど。そういう流れか。

 頼られたからには力になってあげたい。

 特にいい方法はないかと聞かれたのだからなおさらだ。

 しかし、困ったな。


 僕はあらためて兄妹を見る。

 兄の方は僕を見て警戒を強めている。

 銀色の髪の間から睨みつけていて、妹を庇うような立ち方をしていた。

 妹の方はようやく意識がはっきりしてきたのか、目をごしごしとこすって、パチパチとまばたきしている。

 妹の方はともかく、兄の方は手負いの獣みたいな警戒感だ。


 正直、手に余る。

 それなりに知識を持っているし、珍しい食材だって持っているけど、この子たちの場合は食材の良しあしや、料理の腕どうこうが問題じゃない。

 単純に人間が信じられないのが問題なんだ。

 だから、ここは人間不信の心を解きほぐさなくてはならないわけで、僕にはそんな技術も知識もないわけで。


「どうしたものかな」


 わかっているのは二つ。

 とにかく、まずは栄養を取らないといけないという事。

 けど、そのためには信頼を得ないといけないという事。


 今の僕にはどちらも用意できていない。

 まさか生の芋やゴボウを食べさせるわけにはいかないだろう。そんな事をしたら得られる信頼もどこかに吹き飛んでしまう。


「あ、朝ご飯は用意してあるからね」


 ミネットさんが腕にかけていたカゴを差し出してくるのを受け取る。


 中身はサンドイッチ。

 やわらかいパンにハムやたまごや野菜が挟まれていて、組み合わせも豊富だ。半分ぐらいはわざわざトーストにしてあって、パンの食感も香りも工夫してある。

 ソースやドレッシングの香りもいい。

 それぞれの香りがいいだけじゃなくて、混ざり合った事でより良い匂いになっている。


 作られてから時間が経っているのだろうけど、それでも食欲が刺激された。

 この子たちのために朝から奮発したんだろう。材料も豪華だし、手が込んでいるな。さすが、ミネットさん。

 おかげで食事の方は目途が立った。


 ぐ~。

 そんな音が聞こえてきた。


 顔を上げると、ほっぺを赤くしたエルフ兄と目が合った。

 サンドイッチに目が釘付けになっていたから、僕と目が合うわけだね。

 慌てて『別に何も気になっていませんけど、何か!?』みたいな感じで目を反らすけど、うっすら耳まで赤くなりかけているから誤魔化せてないよ?


「なあ、食えって。かあちゃんのメシはうまいぞ?」

「し、知りません! ぼくは平気ですから放っておいてください!」


 ジョゼフさんが勧めてもそっぽを向いてしまう。


 うん。

 きっとこの子も自分たちの状況は理解していると思うんだ。

 今の自分たちは誰かに保護してもらわないと生きていけないって。自分たちだけで生きていけるなら、二人だけで大森林に向かっているんだから。


 そして、ジョゼフさんとミネットさんは信じてもいいかもしれないとも理解している。

 じゃなかったら、ここまでついてこないもんね。


 けど、そうやって以前頼ったヨーシャークから受けた仕打ちのせいで一歩が踏み出せないでいる。

 善意と打算はよく似ていて、付かず離れず、後から意味が変わってしまいすらする。大人ですら見極めるのが難しいそれを、子供の彼が見抜くなんて不可能だ。

 それでも、自分のために、妹のために、必死になって生きようとしているんだ。


 これは、何かきっかけがいるな。

 最初の一歩を踏み出せるためのきっかけが。


「んー」


 考え込んでいるとポスっと足に何かがぶつかってきた。


 見下ろすと、金色の髪が目に入って、次に見上げてくる幼い目と目が合う。

 エルフ妹だった。

 エルフ兄の後ろにいたのが、兄がジョゼフさんから目を反らし続けている間に近づいてきていたのは気づいていたけど……え、なに?

 どうして僕の足にしがみついてくるの?


「だぁれ?」


 小さく首を傾げて、舌足らずな声で聞いてくる。


「え、僕? 僕は……」

「クウ! ダメだ、人間に近づいちゃいけない!」


 慌ててやってきたエルフ兄がエルフ妹――クウという名前なのかな?――を僕から引き離そうとする。

 けど、クウは僕の足にしがみついて離れようとしない。

 うわっ。子供のやる事だから痛くはないけど、ズボンが伸びるから。というか、このままだと脱げちゃいそう。

 せめてベルトを押さえて抵抗しとこう。

 兄妹に注意を促したいところだけど、どうやらそんな雰囲気じゃないからガマンだ。


「クウ?」

「お兄ちゃん。だいじょうぶだよ? この人、へいき」


 うん?

 昨晩も似たような事を言っていたな。

 あの時と同じようにエルフ兄は引き離そうとするのをやめた。

 でも、納得はしていないのか僕を睨むように見上げてくる。


「平気って、この仮面の男が?」


 それは完全に不審人物を見る目だった。

 いや、まあね。そう思われてしまうのも仕方ないんだけどね。

 僕は目元から鼻先を隠している『仮面』を指先で触れた。


 金と黒の仮面。

『賢者』の僕はこれを絶対に外さない。外すのは『顔無し』の暗殺者に戻る時だけ。


 ジョゼフさんやミネットさんたちみたいな交流のある人はもう慣れてしまったけど、初対面の人が怪しむのも無理はない。

 なつかしいなあ。

 冒険者の子たちを泊めてあげた時とか。武器、手放そうとしなかったよなあ。

 僕も初めてここを訪れた時は……。


「ああ」


 ふとその流れで思い出す。

 僕がこの仮面に初めて出会った日の事を。

 あの時、あの人はどうしたっけ?


「うん。そうだった」


 僕は二人と目線を合わせるように膝を折った。


初めまして・・・・・。僕はレサト。七人目の賢者なんて呼ばれたりしているよ」


 まずは挨拶と自己紹介。

 まあ、正確には二回目なわけだけど、一回目の時は素顔の方を見せているからね。こっちでは間違いなく『初めまして』だからいいだろう。


 兄は黙ったまま僕を見つめてくる。

 睨む程ではないけど、疑いを隠せない様子。

 僕は気長に彼の返事を待ち続けた。


 やがて。


「……リガとクナの子のカイ、です。この子は妹のクウ」


 仕方なさそうに名乗るエルフ兄――カイ。

 クウの方は僕の首に抱きついてきて、にっこりと笑っている。

 どうしてこんなに懐いてくれるのかわからないけど、この子がカイの心を解きほぐしてくれる鍵だ。


 僕はそっとクウの頭を撫でてみる。

 おお。髪、柔らかいな。ふわふわだ。

 カイが止めようと手を伸ばそうとしたけど、クウは嫌がらずに受け入れてくれた。気持ちよさそうに目を細めている。


 それを見てカイは手を下ろして、じっと僕を見つめてくる。

 疑うよりも少しだけ落ち着いた、人を観察する目だ。

 僕はそれを見つめ返して、提案する。


「二人にどんな事情があるか僕は知らないけど、まずは朝ご飯にしよう?」

「でも、それは……」

「うん。クウ、おなか、すいた」

「クウ……」


 かごの中をじっと見つめるクウに、カイは溜息を吐いた。

 それからそっと様子を窺うみたいに聞いてくる。


「本当にいただいて、いいんですか?」

「うん。どうぞ」


 クウのおかげで警戒と緊張が解けたかな。

 よかった。

 まずはご飯。

 全部、それからだ。


「さっすが、賢者のダンナだぜ! 俺たちにできねえことをあっさりやってのけてくれるぜ! しびれるねえ!」

「はいはい。あんたは大声出さないの。子供たちが怯えちまうじゃない。ほら、突っ立ってないで水ぐらい汲んでくるんだね」

「おうよ、かあちゃん! ダンナ、井戸を借りるぜ!」

「賢者様はその子たち、お願いね」


 ジョゼフさんがミネットさんにパシンとタオルで背中を叩かれて走っていく。

 ミネットさんは嬉しそうに家の方に向かっていった。きっと食器を持ってきてくれるつもりなんだろう。

 二人とも勝手知ったる人の家。実にスムーズだ。


 夫婦が用意してくれるのに甘えて、僕たちはテーブルに着いた。

 クウは僕の隣に座って、ぎゅっと服を掴んでくる。足をぶらぶらと揺らして、並べられるサンドイッチを楽しみにしている。

 目が合うとにっこり笑って、とても愛らしい。

 けど、本当にどうしてこんなに懐いてくれるんだろう?


「あの……」


 心当たりがなくて首を傾げていると声を掛けられる。

 クウの向こう側に座ったカイが、じっとテーブルを見つめながら続けた。


「このご恩は必ずお返しします。お返ししますから……」

「お返しなんていらないよ?」


 ジョゼフさんとミネットさんのお節介。

 僕も個人的な気持ちで勝手にやる事だからね。

 そもそも、子供というのは大人に守られるべきなのだから、恩返しなんて考えなくていいんだ。


「ダメです!」


 だけど、カイは頑なに首を横に振る。

 目に強い意志……いや、意地をこめて、大きな声で続けた。


「ダメなんです! 恩は返さないと、いけないんです! エルフは恥知らずなんかじゃないですから!」


 なんとなく察した。

 どうやらヨーシャークの奴に何か吹き込まれたんだな。

 本当にろくでもない奴だ。まあ、もういない人間の事を思い出しても意味がないから忘れてしまおう。


 カイはギュッと小さな手を握りしめている。

 かなり意思は固そうだ。

 これは大丈夫といくら言ってもダメか。

 いくら周りがいいと言っても、本人が納得しないんだから、どんなに言葉を尽くしても意味がない。


「そうかあ……じゃあ、カイ」


 なら、話に乗った上で恩返しはいらないようにしてしまおう。

 幸い、やり方は知っている。いや、もう思い出している。


 心配そうに兄を見つめるクウの頭を撫でて、不安そうな顔をやっと上げたカイと目を合わせて、二人に提案する。


「こうしよう。君たち、今日から僕の助手にならないかい?」

「え、助手……ですか?」

「そう。助手。僕の研究を手伝ってほしいんだ」


 助手なら生活の保障をするのが雇い主の役目だ。

 だから、恩返しなんていらない。食事や寝床を用意するのは当たり前のことなんだから。


 このエルフの兄妹は厄介の種だろう。

 ただでさえエルフという事で周囲からは浮いてしまうというのに、殺されたエルフの連絡員の子供でもあり、更には壊滅したヨーシャーク商会にも関わっていた。

 だけど、その辺りはあいつに協力させよう。

 文句を言うかもしれないけど、知った事か。


 急な提案に目を見開くカイの肩に手を置く。


「まあ、その話もご飯の後にしようか。ほら、準備できたみたいだよ」

「はいな! さあ、おあがりよ」


 テーブルに並べられたお皿にはたくさんのサンドイッチ。

 彩りと香りが食べる前から、もうおいしいと伝えてくれる。


 カイとクウがそろって喉を鳴らした。

 その姿に僕たちは微笑みあって、パンと一つ手を打ち鳴らす。

 難しい話はここまで。


「さあ、食べよう。それからたくさん話をしよう」


 こうして『賢者』で『顔無し』な青年の新しい生活が始まるのだった。

とりあえず、今回は切りのいいここまでです。

お付き合い下さりありがとうございます。


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