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 夕暮れの大通りは混雑する。

 仕事帰りの人たちが一斉に家路について、誰もが急ぎ足で行き交うからだ。

 上級区ともなると話は違うのだけど、平民の住まう下級区のいつもと変わらない風景。


 そんな中、この辺りは少し違う。

 人が多いのは同じでも、こちらは混んでいるだけじゃなくて賑わっている。

 というのも、ここは冒険者ギルドの近く。

 クエストを終えた冒険者たちが近くの酒場や娼館になだれ込む時間帯だ。周りの店も冒険者の客を見越した準備をしている。

 店前にまでテーブルや椅子を並べて、上機嫌の冒険者たちに早くも酒を運んでいた。


 僕はその中のひとつに足を踏み入れる。

 冒険者専用酒場『黄金の盃』。

 冒険者ギルドの正面に居を構えた大きな三階建ての店だ。

 かなり流行っている店だから、まだ早い時間なのに一階は満席になりかけていて、ウェイトレスさんたちが小走りに行きかっていた。

 あちこちから注文の声が聞こえてきて、それに応えて明るい返事が忙しくても楽しそう。


「元気だねえ」


 クエストがうまくいった者、そうでない者、休養日だった者。それぞれ事情は違うはずなのに、夜はうまい飯と酒がないと生きていけない。

 冒険者にはそんな連中が多い。


「あ、賢者様ー! こんな時間にお出かけですか!?」

「ほんとだ、賢者様だ! 賢者様、この揚げ芋、うまいっすよー!」


 僕に気付いた男女の冒険者が声を掛けてきた。

 赤い顔に高いテンション。これはいい感じに酔っているな。

 この二人は何年か前に実験農場の手伝いをお願いした人たちだ。あの時は遠くの国から仕入れた作物の種まきを手伝ってもらったんだっけ。


 女の子がフォークに刺してブンブン振っている芋は、そこから王都に広がったやつだ。

 どうやらハマったらしい。

 自分が広めた物が食べられているのは嬉しくて、ちょっと寄り道。


「やあ、最近はどう? あと、食べ物を振り回さないの」

「うっす。すみませんっす」


 しょんぼりしてお芋を口に運ぶ女の子。

 でも、すぐに幸せそうな顔になった。小さな声で「おいしぃー」と呟いている。チーズに絡めた小さな芋を次々と食べていく。

 僕は男の子と笑いあって、話を続けた。


「はい。おかげさまで順調です。この前、やっとCランク冒険者になれたんです」


 Cランクと言えば一人前の冒険者だ。

 二人はまだ二十前後ぐらいだったはずだから、かなり優秀なランクだと思う。

 男の子も前は元気が有り余って乱暴っぽい感じだったのが、随分と印象が変わったなあ。


「すごいじゃないか。でも、おかげさまって……僕は何もしてないよ?」

「いえ、田舎から出てきたばかりで困っていた僕たちを、賢者様たちが住み込みで働かせてくれなかったら今頃どうなっていたかわかりません」


 真剣な顔で男の子が頭を下げてくる。

 律儀だなあ。うん。こんなふうに言われたら何かしてあげたくなっちゃうじゃないか。

 会うといつもお礼を言ってくる彼に苦笑して、僕は近くを通った猫人のウェイトレスに銅貨を渡した。


「これでこの子たちに試作品を出してあげて」

「うけたみゃわりー」


 ちょっと舌足らずな返事をして猫人の子がちょこちょこ走っていく。


「え、賢者様!? そんな、悪いですよ!」

「いいのいいの。うちで取れたやつなんだけどね、ちょっと印象が悪くて。最初に手を出すのが怖いみたいなんだ。ちょっと食べてみて、今度感想でも聞かせてよ」

「印象が悪いんですか?」


 首を傾げる男の子。


「うん。説明しよう。見た目に抵抗があるみたいなんだよ。でも、香りがいいし、うまみも十分にある。それに栄養もたっぷりでね。特にお腹の調子をよくしてくれるんだ。だから、女の子にはおすすめさ。僕はあまり詳しくないけど、女の子はそういうの気になるものなんだ、ろ……?」


 おおっと、周りの女の子から冷たい視線が突き刺さるぞ? 客も店員も関係ない。特に男性と一緒にいる人のそれは魔眼レベルのプレッシャー。

 僕はただ質問に答えていただけなのに、どうしたんだ?

 よくわからない。よくわからないけど、これはいけない。これ以上、踏み込んだらドラゴンの尻尾を踏む結果になるのだけは間違いない。

 僕はそっと両手を持ち上げて無抵抗をアピール。


「とにかく、おいしいし、体にいいんだ。試してくれないかな?」

「うっす! 賢者様からのクエスト受注したっす!」

「ひゅー! いいぞ、姉ちゃん! クエストがうまくいったら俺らにも奢ってくれよ!」

「いやっす! あたしはその金でお代わりするっす!」

「そうだそうだ! 奢りなんて言うな! でも、おじさんにはちょっとだけ分けてくれてもいいんじゃね?」

「あげないっす!」


 いつの間にか芋を食べつくした女の子がフォークを掲げて宣言する。

 酔った周りの客もわけもわからないまま歓声を上げて囃し立てた。どいつもこいつもまだ夕方なのに酔っぱらっているな。

 まあ、食事は楽しいのが一番だ。

 それにしても成功報酬って、僕の奢りのはずなのに、さらにたかられてない?


「お代わりって……試作品だよ?」

「平気っす! 賢者様の作った物がうまくないわけないっす!」


 いや、失敗作もかなりあるんだよ?

 そういうのは肥料になったり、飼料になったり、僕が頑張って食べているんだけど。


 まあ、いっか。

 別に毒を食べさせようってわけじゃないんだし。

 ちょっと見た目が悪いけど、芋――じゃがいもを大喜びで食べた彼女ならそこまで抵抗感もないだろうし。

 試作品を出された時の彼女の反応は気になるけど、こちらも用事がある。


「じゃあ、また今度ね」

「あ、はい! 賢者様、お疲れ様です!」

「ごちになるっすー!」


 ひらひらと手を振って酒場の奥へ。

 料理場で腕を振るう店主に声を掛けて、店内からは見えないように厚手のカーテンで仕切られた向こう側に顔を出す。

 フロアが明るかったから廊下が余計に暗く見えた。

 もうちょっと早い時間なら開店前の準備に店員が走り回っているだろうけど、今はシンとしている。


 歩いていると後ろから悲鳴なのか歓声なのか区別できない声が聞こえてきた。

 なんとなく「これ木の根っこじゃないっすか!? 賢者様!? これってもしかして罰ゲームっすかー!?」みたいな声もしたから、きっと試作料理が出されたんだろう。

 異国でゴボウと呼ばれる植物なんだけど、まんま見た目が木の根なんだよなあ。

 うーん。玉ねぎとかニンジンとかと一緒に揚げてもらったから誤魔化せるかなって思ったけど、気付いちゃったか。

 まあ、食べ物の大切さを知っている子たちだ。食べずに捨てるなんてないだろう。


「食べてもらえたらいけるんだよ」


 実際、おいしかったし。

 塩と胡椒をかけたけだけでも、野菜の甘みがあるから単調な味にならない。

 何よりかき揚げという調理法だとサクサクした触感がとてもよかった。あれはきっとハマると思う。


 と、そんな事を考えている間に一番奥の部屋に到着していた。

 慌てて足を止めてノックをすると、中からどうぞと返事がする。


 そこは店員の休憩室みたいに使われている場所だ。

 ただ、この時間はとある人たちのための待ち部屋になっている。

 酒場の夜に活躍する人たち。


「こんばんは、『歌姫』さん」


 大きい酒場ならステージが用意されている。

 夕方から夜になると、様々な人がここで音楽を披露するのだ。


 調子に乗った冒険者。

 料理だけじゃなくて喉にも自信のある店員。

 街から街を旅する吟遊詩人。

 楽団の見習い演奏家。

 その中でも一番多いのが歌うたいで、さらにその中で最も人気が高いのが彼女だ。


 ぱっちりと大きな目と目が合う。

 彼女は二重のまぶたで瞬きして、椅子から立ち上がった。


「こんばんは、『賢者』様」


 おっとりと微笑んだ美女が挨拶を返してくる。

 明かりに浮かぶ透き通るように白い肌。

 シックながらもシンプルなドレスに身を包んでいても、一目でわかるグラマラスな体つき。

 たおやかな仕草は異性だけじゃなく、同性の視線まで集めてしまう程。


 この『黄金の盃』で一番人気の歌姫。

 彼女がステージに立つ時間になると店内だけでは入りきらず、外にまで客が押し掛けてくる程の人気ぶりだ。

 それは見た目の美しさだけの人気ではない事を意味している。

 姿が見えなくても歌だけでも聞きたいという人がかなりいるのだから。


 そんな彼女が青く長い髪を揺らしながら近づいてきて、微かな香水の香りが届く距離でにっこりと笑った。

 耳元に唇を寄せて、溶けて消えてしまいそうな声で囁く。


「それとも、今日は『顔無し』さん?」


 かちりと頭の奥で音が鳴る。


 途端に様々なものが切り替わった。

 思考が、感覚が、所作が、賢者のそれから闇の住人のそれ――日常から、非日常へと裏返る。


「――ああ、そうだ」


 短く答えた『俺』が彼女の体を押し返すと、抵抗する事なく彼女も後ろに下がった。

 日常の象徴をはぎ取り、気配を周辺に溶け込ませる。それは最早、呼吸をするのと変わらない感覚だ。


「でも、今日は予定になかったわよね?」


 そんな俺の変化に動じず、ふわりと微笑みながら首を傾げる。

 さらりと流れる髪と、それを背中に戻す仕草が美しいと言っていたのは、先程の冒険者の少年だったか。

 今の俺には関係ない情報だな。


「そうだ。情報が欲しい」


 金貨を三枚、指に挟んで示す。


 彼女には『歌姫』の顔の他に別の顔を持つ。

 ここのような酒場や料亭で客や店員から情報を仕入れ、売り捌くという情報屋の顔だ。

 王都でも有数の歌姫の呼ばれるステージは多く、平民であっても上級区の店から呼ばれるほどに広い。

 それだけ彼女の情報は精度が高く、多岐にわたっている。


「じゃあ、これは個人的なお仕事なのね」


 彼女とは別の仕事でも協力関係にある。

 だから、定期的に彼女とは接触を取っているし、その時の情報料は別の人物から出るので、俺が支払う事もない。

 予定外の俺の持ち込みの依頼。

 それで色々と察してくれたようだ。説明が省けてありがたい。


「それで、『顔無し』さんのほしい情報は何かしら?」

「ヨーシャーク商会」


 その名前を出すと、彼女が眉をひそめた。

 どうやらヨーシャーク商会に思うところがあるらしい。

 俺は金貨を引っ込めた。


「あら」

「確かにこれは俺個人の依頼だったが、本業と便乗になるなら別だろう」


 残念そうに金貨をしまったポケットを見つめてくるが、首を振る。

 これまでの経験から考えると、今の彼女の反応はヨーシャーク商会が本業と関わっている時のものだ。

 きっと、次の接触の際に情報を渡す予定だったのだろう。

 なら、俺が情報料を支払う理由はない。予定が前倒しになっただけなのだから。


 それはわかっていたようで、彼女も執着しなかった。ゆらりゆらりと揺れるような足取りで椅子に戻っていった。

 こちらを見上げてくる顔つきはいつもの微笑み。

 そして、仕事を始める。


「ヨーシャーク商会は元々小さな材木商で、樵と大工の仲卸をしていたのだけど、この数年で王都の材木業界を牛耳る程に成長したわ。最初は同業者を買収して傘下に置くところから。そうして、王都に入る材木を一手に管理下に置いたのね。そうなれば後は簡単。卸す木材の値上げ、良材の出し渋り、いくらでも締め上げられるもの。そうやって他業種にじわじわと手を広げていったのよ。今では木工、家具、燃料、建築、およそ木材が関係するジャンルならヨーシャーク商会の名前が出てくる程にね。元々、王都の材木は大森林で賄われていたでしょう? そこに根を張るヨーシャーク商会の影響は想像以上に大きいの。それだけに増長も甚だしいわけで、商会長のヨーシャークはサド趣味が悪化して、支配した商会の妻子を脅して凌辱したりとか、拷問したりとか……」


 おしゃべりめ。いらない情報までペラペラと。

 それにしてもスラスラ並べられていく情報はひとつも淀みがない。確かに前から調べていたのがわかる。

 だが、そのほとんどはミネットさんから聞いた話を裏付けただけだ。

 俺の知りたい話はそこじゃない。


 手のひらを突き出して長い語りを止め、質問を変える。


「急成長の理由は……いや、誰が支援者だ?」


 小さな材木商が急成長するなんてありえない。

 なにかの偶然や幸運で元手や商材を手に入れる事はあるかもしれない。

 だが、それを生かす伝手コネだけは、何者かが手配しなければ手に入らないのだ。

 まして強引なやり方を取りながらいまだに潰されていないという事実も合わされば、間違いなく強大な権力者が後ろについている。


「ごめんなさい。それがわからないのよ」

「わからない?」


 思わず聞き返す。

 彼女の情報屋としての腕は知っている。

 今までわからない事など一度もなかった。

 役人の不正、貴族の越権行為から騎士の不倫まで、徹底的に調べ上げていた。少なくとも全くわからないという事は皆無だ。


 情報の出し渋りじゃないだろうなと目を向けても、彼女は静かに見つめ返してくるだけ。

 その目にやや険が籠るのに気付いて、今の疑いが礼を失したものだと自省する。

 仕事に手抜きはしないし、誠実に向き合うのが俺たちの唯一の誇りだ。


「……それはあいつでもか?」

「ええ」


 俺たちに仕事を回している『あいつ』でも特定できなかったと言う。

 そうなれば、候補は限られてくる。


「まさか、賢者か?」


 賢者。


 この王国に認められた六人だけの賢者。

 国王を除けば、いや、建前ではなく実際のところを考えれば国王を含めてさえも、王国で最大の権力を持つ者たち。

 建国時、周辺諸国の侵略から王国を守った英雄たちの末裔。


「ええ。私も真っ先に思い浮かんだわ」


 なるほど。

 どんな無法を働いても許されるわけだ。

 この王国において賢者は人気も、権力も圧倒的で、国王その人であっても軽々しく口出しできない。


 だが、そうか。

 賢者。どの賢者か知らないが、あいつらが関わっているのか。

 俺の驚きに『歌姫』が笑う。


「同じ『賢者』様として、あなたはどう思うのかしら?」

「別に、何も」

「ふふ。嘘がヘタね。無表情に見えて、空気で丸わかりよ。賢者が許せないのね」


 当たり前だ。

 あの偽物たちめ。あいつらは許さない。

 本物の賢者は一人だけなんだ。


「ただ、今のところは断定できないわ」


 俺の内心を見透かしたように『歌姫』が釘を刺してくる。


「賢者以外となると候補は少ないけど、他の可能性もまだ捨てきれないでしょう?」


 胸を指先でつついてくるのを払って、睨みつける。

 思い込みで進めるのが危険な事ぐらいわかっている。

 ごめんなさいね、と逃げる『歌姫』だが、小さく舌を出してこちらをからかう様子はそのままだ。

 彼女の遊びに付き合う趣味も、時間もない。


 相手が賢者ではなかったとしてもヨーシャークが外道には違いない。

 なら、やる事は変わらないのだ。


「あいつからの指示は?」

「『ヨーシャーク商会はいらないから消しちゃって』だそうよ」


 ヨーシャーク商会は、か。


「黒幕は?」

「そちらはダメ。尻尾を掴めないうちは絶対に手を出すなって、厳命」


 わかり切った事を聞いてしまった。

 動揺を見透かされるぞ。

 切り替えろ。


「いいのか? 今のヨーシャーク商会の影響力は大きいのだろう」

「いいのよ。元々、強引なやり方で従えていただけだから、暴君がいなくなればすぐに元の形に戻れるわ。最近は黒幕とも接触できていないみたいだし、元から捨て駒だったのでしょうね。なにせ、あいつらはエルフに手を出したわ」


 黒幕に切られたからエルフに手を出したのか、エルフに手を出したから黒幕に切られたのかもわからないけどね、と『歌姫』が続けるのを聞きながら思い出す。


 エルフ。

 昼間に見たエルフの兄妹。

 賢者の名前にばかり意識が向いていたが、最初のきっかけが忘れてしまっていた。


「エルフ」

「そう。エルフの隠れ里と王家の連絡員よ。秘密の、ね」


 エルフの隠れ里の連絡員。

 ミネットさんが言っていた珍しいエルフの一家はその人たちか。

 大森林に隠れ住むエルフと連絡を取る外交ルートがあるとは知らなかったが、考えてみれば不思議な話ではない。

 王都近郊の大森林。そこに住まうエルフたちだ。

 国家として繋ぎを持たない方がおかしい。


「ヨーシャーク商会の連中も知らなかったのでしょうけどね。エルフは大森林に詳しいから、利用してやろうと思ったのかしら。連絡員の仕事で近づいていた夫妻を罠にはめようとして、失敗して死なせたの。まあ、表向きは事故として処理されたようだけど」


 そうか。

 あの兄妹の親は既にいないのか。

 兄妹の境遇から想像はできていたが、残念だ。


「それで今度は子供たちか」

「ええ。帰ってこない両親を心配して探しに来たところを、言葉巧みに『保護』したそうよ」


 聞いてあきれる。

 俺が見たエルフに兄妹は保護されているようにはとても見えなかった。

 つまり、森の案内役として連れまわされている、と。

 あんな幼い子供たちから親を奪うだけでなく、無理を強いるとは、腐っている。


 まして、相手は連絡員。

 エルフの里からすればそんな人物が王国で音信不通になったのだから、調査が始まるのは時間の問題だろう。

 そうなれば、夫婦の死亡はすぐに知られる。不自然な『事故』だって詳しく調べられれば、人間の起こした不始末だと露見する。

 外交問題の火種だ。


 なるほど。だからこそ、人間の手で火種を消す必要がある、と。それも、なるべく早急に。

 だからこそ、あいつから依頼が来たのか。


「わかった。今夜だ」

「お願いね。後始末はいつも通りあの方が動いてくれるから。それと護衛に元Aランクの」


 知っているし、知る必要もない事だ。

 俺は俺のやるべき事を果たすだけ。


 そうして、俺は動き出した。






「……もう行っちゃったのね」


 話している途中でいつの間にか去っていた彼を見失い、溜め息をこぼす。

 そうしていると、廊下から騒がしい声が聞こえてきた。


「賢者様ー! あの根っこみたいなのなんなんっすかー!? カリカリしてて、シャキシャキしてて、コリって感じもあって、でもでも、他の野菜と混ざっても美味しかったっす! それでいて土臭いのは全然なかったりして……あれえ!?」

「こんばんは」


 冒険者の少女だった。

 この数年、よくこの店で見かけるし、Cランクに昇格したとか話していたっけ。

 将来有望な冒険者なのかもしれない。


 そんな彼女は不思議そうな顔でキョロキョロしていた。


「あ、あのー。ここに賢者様、いなかったっすか?」

「どうかしら?」


 微笑んではぐらかす。

 すると、彼女はますます困惑した様子で部屋を見て、廊下を見回して、首を傾げた。


「おかしいっすねー。確かに奥に入ったのは見たんすけど、他の部屋にはいなかったっすし……ここ、他に出口ないっすよね?」

「私は見ていないわね。すれ違ったんじゃないかしら?」

「え、ここって人が二人も並んだらいっぱいになるぐらい狭いっすよ?」


 納得いかないみたい。

 けど、全部を説明してあげる必要はない。少なくとも私は嘘をついていないのだし。情報屋は信頼が大切だもの。


 私は微笑みのまま立ち上がり、そっと彼女の肩に手を置いた。


「いいかしら? そろそろ、私のステージの時間なんだけど、聞いてもらえないのかしら?」

「あ、ごめんなさいっす! お姉さんの歌、楽しみっす!」

「こら! お前なあ、ここは勝手に入っちゃダメだろ!」


 相方の少年もやってきて、ペコペコと頭を下げながら少女を引きずっていく。

 その姿が楽しくてクスクスと笑ってしまった。


 しばらく笑い続けて、最後に大きく息を吐いて気持ちを落ち着かせる。

 そうしている間に、猫人のウェイトレスさんが出番を教えに来てくれた。


 さあ、今夜の舞台が待っている。

 心を込めて歌おう。


 愚か者たちに贈る鎮魂歌を。

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