1
1
「んー。こっちの畑の魔力量は十五、と。属性比率は火が五で、土が三かぁ。水と風はどっちも一なのはいいけど、ちょっと火が強すぎ? 肥料は同じ分量でまいたのに、あっちの方は逆に土が強すぎたよな。って事は……」
地面に刺した計測器の数字をメモに書き写していく。
庭――というには広すぎるから実験農場と呼ぶのが正しいのかな。
そこに作った畑の状態をひとつずつ確認していくのが僕の日課だ。
細かい検証は夜にでもするとして、とりあえず経過は悪くなさそうな感じで一安心。
んーっと体を伸ばすと、しばらくしゃがんでいたせいか、首や肩のあたりがパキパキと軽い音を立てるのが聞こえた。
うーん。運動したわけじゃないのに疲れるなあ。
農作業みたいな重労働よりも、いろんな数字を追いかけながら考え事する方が疲れるみたいだ。
ちょっと一休み。
雑草が生えた空き地に座って空を見上げる。
ゆっくりと流れていく白い雲。
春の日差しが温かい。
ちょっとだけ土の匂いが混じった風が優しい。
遠い町の喧騒が程よい感じに眠気を誘うなぁ。
お城から聞こえるお昼の鐘も今は子守唄みたいで……。
「よう、賢者のダンナ! 邪魔するぜー!」
「うわあ!」
大きな声にビクッとなる。
ちょっと寝ちゃってたらしい。
見回すと屋敷の方からドシドシとやってくる男の姿が見えた。
大きな男だ。
背が高くて、がっしりとした体つき。
まだ春だというのに夏服みたいな薄着を着ているから、男らしい胸板や二の腕がこれでもかっていうぐらい露出している。
短いぼさぼさの髪と無精ひげのせいでちょっと見た目が怖い。知らない子供が見たら泣いちゃいそう。
「あー……ジョゼフさん?」
「おいおい、ダンナ! どうせまた寝てたんだろ? 本当に寝起きわるいんだなあ。もうメシの時間だぜ? しっかり食わねえと倒れちまうぞ!」
大男――ジョゼフさんはやってくるなりバシバシと肩を叩いてくる。
痛い、痛い痛い。
ごつごつした手から逃げるように立ち上がると、ちょうど別の人の声が聞こえてきた。
「あんた! なに、賢者様に乱暴してんだい!」
「いってー! かあちゃん、ひでえぜ!?」
と、ベシンという音と悲鳴が続いた。
ジョゼフさんの大きな体に隠れて見えなかったけど、後ろにもう一人いたみたいだ。
のぞきこむとこちらも知っている顔だった。
ジョゼフさんと同じ年頃の女性で、ジョゼフさんとは違った意味でふくよかな体型だ。
いつも頭に巻いているタオルを手にしているけど、どうやらあれでジョゼフさんを引っ叩いたらしい。
とても痛そう。
薄着だしなあ。あれ、服の下は赤くなっているよ、きっと。
「酷いのはあんただよ! 賢者様はあんたと違って繊細なんだから、力任せに叩いたりしないの! 加減ってものを覚えなさい! うちらの恩人なんだから、怪我させたりしたらあんたでも承知しないよ!?」
「うぐぬぬぬ……」
彼女には頭の上がらないジョゼフさんはうなるばかりだ。
そろそろ話しかけてもいいかな。
「ミネットさん、僕は大丈夫ですからそれぐらいで」
「でも、賢者様。うちの人はすぐに調子に乗るからねえ。たまにはしっかりしつけておかないと……」
すごく自然に『しつける』って言ったなぁ。
叱られて大きな体を縮めこませているジョゼフさんはどこか大型の獣っぽい感じはするけど、旦那さんをペット扱いはいかがなものかと。
「まあまあ。ジョゼフさんが元気だと周りも明るくなりますから」
「おう、さすが賢者のダンナだぜ! わかってるじゃねえか!」
「あんたねえっ!」
再び肩をパンパンしようとしたジョゼフさんが一喝されて急停止。
僕は苦笑いを隠せないまま話を変える事にした。
「それで、今日は二人ともどうしたんですか?」
ここは僕の屋敷の裏庭の実験農場。
いや、裏庭って呼ぶのも変かな。ここって王都の城壁の外だし。
城壁に守られていないから、魔物が出たりもするし、盗賊が襲ってきてもおかしくはない場所だ。
まあ、兵隊さんたちが守っている城門のすぐ近くだし、街道だって見えるぐらい近い場所でもあるわけで、どっちも滅多にやってこないんだけどね。
逆に言えばそこそこの数がやってくるわけで、スラムの人だってここには住まない。
昼間ならジョゼフさんやミネットさんでもやってこれるけどね。
でも、なんの用事もない人は来ない場所だ。
「だから、メシだって! かあちゃんのメシはうめえぞ!」
ずいっとカゴを突き出してくるジョゼフさん。
巨体の彼が持っていると普通の大きさに見えるけど、ピクニックボックスぐらいの大きなカゴだ。
覗いてみるとパゲットサンドが並んでいた。
「あんたは大げさなんだから。普通よ、普通」
「いやいやいや、かあちゃんのメシはうまいって! 他の連中もうまいうまいってほめてたぜ! そうだよな、賢者のダンナ!」
「そうですね。僕も美味しいと思いますよ」
もう何度もご馳走になっているから知っている。ミネットさんの料理の腕はプロにも負けないぐらいだ。
今日のパゲットサンドは量も多いけど、種類も多い。ベーコンとレタスとトマトを挟んだもの。ハムとチーズ。チキンとサラダ。玉子と野菜。
彩りも鮮やかだし、香りも食欲を刺激してくる。
これ、手間もお金もかかっているんじゃないかな。
「オレはかあちゃんのメシが自慢なんだぜ!」
「まったく、あんたはもう……」
にっかりと笑うジョゼフさんにミネットさんは溜息をついているけど、悪い気はしていないみたいだ。
「僕もご馳走になっていいんですか?」
「いいに決まってるだろ、ダンナ!」
「そうだよ。遠慮なんかしないでおくれよね」
言いながら二人はサクサクとご飯の支度を始める。
とはいえ、準備なんて大したものじゃない。
屋敷と実験農場の間に置いたテーブルと椅子まで行って、ぬれたタオルをもらうだけだ。
さすがにもらってばかりは悪いから、僕は屋敷に戻って飲み物を用意する。といっても安物のワインだけど。
さっそく、いただく。
一番数の多いベーコンと野菜のパゲットサンド。
味付けは薄味だけど、ベーコンの濃い塩味とバランスが取れている。脂っぽさも野菜のみずみずしさのおかげで気にならないし、ちょっとだけ足された辛子もいい刺激だ。
パンも表面はカリッとしているのに中はふわふわでやわらかい。
そこそこ大きめのパゲットサンドだったけど、すぐに食べ終わってしまった。
ワインを少し口に入れて、次に取り掛かる。
玉子と野菜のサンドもいい。輪切りにされたゆで卵にレタスとキュウリというシンプルな具材をドレッシングが引き立てている。
野菜の持つ青臭さがドレッシングに消されているだけじゃない。噛むたびに出てくる甘みが酸味と絡んでいるんだ。
他のどれもがおいしい。
ミネットさんの料理は素材の味を生かしつつ、お互いが引き立て合うような感じだ。引き算と掛け算、って言えばいいのかな。
僕は全種類を食べてもう一周する頃にはボックスの中からパゲットサンドは消えてしまっていた。
あんなにあったのに。
ジョゼフさんも食べていたけど、僕もかなり食べてしまった。
グラスに残っていたワインを飲み干して、僕は大きく息をついた。
「本当においしかったです、ミネットさん。僕はあんまりうまく言えませんけど、本当においしいです」
「はははっ! そうだろ、そうだろう! うまく言わなくていいんだよ! かあちゃんのメシはうまい! それだけでいいんだって、ダンナ!」
これはジョゼフさんの言う通りだ。
おいしいものはおいしい。うん。真理だ。
「はいはい。ありがとうね。そんだけ食べてもらえると作ったうちも嬉しいね」
口では素っ気ない感じだけど、ミネットさんが上機嫌なのはすぐわかる。
人に料理をふるまうのが好きなんだろうなあ。
うんうんと僕が頷いていると、じぃっと見つめられているのに気付いた。
「まったくねえ。他人事みたいに言っているけどさ、うちらがおいしいごはんを食べていられるのは賢者様のおかげなんだよ」
「おう。かあちゃんの言う通りだな!」
「いや、僕は料理なんてできないんだけど……」
食材を洗う、斬る、焼く、ゆでるぐらい。
なんというか、食材に申し訳ない感じだ。当然、ミネットさんの料理とは比べるのも憚られる。
「それもいけねえよなあ! 賢者のダンナ、嫁さんとかもらわねえのか!? 紹介してもいいぜ!?」
「うちらの知り合いじゃ賢者様と釣り合わないのがねえ。けど、お手伝いさんぐらいは雇ってもいいかもしれないねえ? って、そうじゃなくてね」
二人が何を言いたいんだろうと首を傾げていると、ミネットさんが溜息をついた。
「うちの料理の腕なんて大した事ないよ。それでもこんなにおいしくなるっていうのは、食材がいいからさね」
「そうそう、それな! 賢者のダンナがここに来てくれるまでまともな食べ物なんて食えなかったもんよ!」
そういう事か。
確かに賢者がここに住むようになってから彼らの食糧事情は大幅に改善できた。
収穫量、栄養価、味の良しあし。どれをとっても以前よりずっとよくなっている。
「けど、それは皆が頑張ってくれたからですよ」
僕が協力したのは本当だけど、それは知識とか技術を教えただけ。
実際に畑を耕して、世話をして、収穫したのは農家の皆だ。
とてもじゃないけど、僕の功績だなんて言えない。
「いやいや、ダンナがいなかったら今の俺たちはいねえよ!」
「本当、何人が飢え死にか奴隷落ちしていたか、わかったもんじゃないよ」
そう言って二人はニコニコと笑っている。
功績を自慢するつもりはないけど、僕がやってきた事で彼らが笑っていられるというのはちょっと誇らしい。
そうやって僕が食後の時間をまったりしていると、向かいに座っていたジョゼフさんが身を乗り出してきた。
肘をついたテーブルがギシギシ言っている。
「そんで、賢者のダンナ。実はメシだけじゃねえんだ。相談に乗ってほしくてよ」
そうだと思った。
というか、この二人が僕の所に来る時は差し入れとセットで相談がある。
「ええ。もちろんいいですよ。今日はどうしました?」
「いつもすまねえ。助かるぜ」
大きな体でぺこりと頭を下げるジョゼフさん。
大雑把に見えて、こういうところはしっかりしているよなあ。
けど、このままだと話が進まないし、なにより親しい人に頭を下げさせてしまうのは気持ちがいいものじゃない。
「お互い様ですよ。僕もご馳走になっているし、実験を手伝ってもらっているんですから。それで相談っていうのは?」
「ほら、あんた」
察してくれたミネットさんが脇をつつくとやっと頭を上げてくれた。
「おう。前に賢者のダンナが教えてくれた薬草なんだけどよ。エリエルの所で育てていたのがうまくいってねえみたいなんだ」
「薬草っていうと……水粒草ですね」
水粒草はきれいな水源の近くでたまに採れる薬草で、根は熱冷ましの薬の、葉っぱはポーションの材料になるし、花から抽出した成分は化粧品に使えるという捨てるところのない植物だ。
これを安定して栽培できれば高く売れると思ったんだけど、ダメだったか。
「貯水池の近くに植えてもらったんですよね」
「そうなのよ。ちゃんと水粒草が採れる泉と同じような場所を選んだの。けど、種は芽吹かないし、苗を植えてもすぐに枯れちゃってね」
ミネットさんが詳しく教えてくれるけど、作業は指示通りにやってくれたみたいだ。
でも、ダメだった、と。
まあ、これも想定内だ。こんなやり方で簡単に栽培できるなら、とっくの昔に誰かがやっているはずだもんな。
できたらいいなあとは思っていたけど。
ともかく、ダメだったのだから次の方法を試してもらおう。
「じゃあ、薬草園に撒いてもらいたい物があるんですよ」
屋敷から用意していた袋を持ってきて、ジョゼフさんに渡した。
大人が両手で何とか抱え上げられるぐらいの大きさと重さだけど、ジョゼフさんは軽々と受け取った。
二人は中身を見て不思議そうに首をかしげている。体格も性格も全然違うけど、こういう仕草はそっくりな夫婦だ。
「賢者のダンナ。オレにゃあ、砂利に見えるんだけどよ……」
その通りだ。
袋の中身は細かい砂利――に見える。
でも、もちろんただの砂利じゃない。
「それはクズ魔石を細かく砕いたものなんです」
「クズ魔石? 魔石って言うと、あの魔石だよな?」
ジョゼフさんがキョトンとした顔をしている。
おっと、これは説明しなくては!
「ええ、説明しましょう! 僕が言っているのは、魔力の濃い場所とか、魔物の心臓から採れる魔力の結晶の、あの魔石の事です。魔石は形になった魔力というのが定説ですよね。肝心の結晶化の理由はいまいち判明していませんが、色んな属性を宿している事から、魔導具を動かすための動力源として使われています。他にも魔導具作成の触媒になったりしていますが、そちらは意外に知られていません。きっとギルドが利益を守るために秘匿しているんだと思います。だから、一般的には魔導具を動かすための石、なんて認識が強いですね。あるいは冒険者にとっての討伐証明……」
「あー、ダンナ! 待ってくれ! 大丈夫! わかってっから! 知ってるから!」
ジョゼフさんが両手を前に突き出して止めてくる。
ずいぶん慌てた様子で主張されてしまうと、説明し続けるわけにはいかない。知っている人に知っている事を教えるなんてよくないから。
……残念だ。
「んで、クズ魔石って?」
ジョゼフさんがそっと聞いてくる。
おっと、話がずれてしまってた。
「説明しますね! 魔石は使われすぎたり、砕けて小さくなった欠片だと空気に溶けて消えてしまうでしょう? だけど、たまに使い勝手の悪い半端な大きさになってしまう物が出るんですよ。それがクズ魔石って呼ばれて、本職には使い勝手の悪い代物でして、捨てるしかないんですけど、それでも魔石は魔石ですから魔力が宿っているんですよ」
「おう! おう! ああ、わかった。ちっちゃい魔石。そうなんだな! よし、勉強になったぜ!」
うんうん。わかってもらえて嬉しいなあ。
今回用意したのは魔導具ギルドで使われて残った小さな魔石の欠片だ。
魔導具の作成に使われて、残ったのはいいけど、次の作成には耐えられない大きさになってしまったのだとか。後は見習いが失敗して割ってしまったとか。そんな理由でギルドの裏に溜められていた。
ギルドの人に聞いたら、こういうのは森の中とかに捨てられてしまうそうで、タダで譲ってもらえたんだ。
ギルドからするとどうせ使えないゴミという扱いで、引き取ってもらえるなら捨てに行く手間が省けると喜んでいた。
「これは水と風の属性の物を混ぜた物です。たぶん、これで変わってくると思います」
最近の実験農園で試した結果、ポーションの材料として使われるような特殊な植物は、土壌の性質を似せてもうまく育たないとわかった。
どうも土地の魔力が関係しているっぽい。
だから、栽培するにはその辺りを整えないといけない。
自生している辺りの土地の魔力を測定して、魔石で再現してみたのがこのクズ魔石だ。
「薬草園に石なんて撒いていいのかい?」
折角用意した畑を石だらけにしてしまうのに抵抗感があるんだろう。
「はい。それぐらいの魔石の欠片ならすぐに土地に溶け込んで消えてしまいますから、後から石を取り除く必要もないんですよ」
僕はミネットさんに詳しく魔石を撒く分量を教える。
そうすれば、土地の属性が変化するのは実証済みだ。
問題はそれで薬草が育つかだけど、これまでの実験から考えれば勝算は高い。
「よっしゃ! 早速、エリエルの所に持って行こうぜ、かあちゃん!」
ミネットさんがメモを取り終わると、ジョゼフさんが勢いよく立ち上がった。袋を肩に担いで、今にも走り出しそうな勢いだ。
「あんた、そんなに急がなくても薬草は逃げないよ」
「けど、エリエルのとこはもうすぐ娘が嫁に行くんだぜ? 苦労させちまったからいい服着させてやりてえってよう……」
恐ろし気な顔が今にも泣きそうな雰囲気だ。
知らない人が見たら睨んでいると誤解されそうだけど、本当にエリエルさんのために何かしてあげたいって気持ちが僕にはわかる。
「いきなりお金になるかはわかりませんけど、一度でも栽培できれば薬師ギルドとか錬金術ギルドから資金援助とかしてもらえるはずですよ」
「だってよ、かあちゃん!」
「はいはい。わかったから、もう。じゃあ、賢者様。バタバタしてごめんなさいね。この人がこうなったら言う事きかないから……」
よっこいしょと立ち上がるミネットさん。
べしッとタオルでジョゼフさんの背中を優しくはたいて、遅れて歩き出そうとしてすぐに足を止めた。
「どうしました?」
「……嫌なもの見ちまったね」
本当に嫌そうに顔をしかめている。
ミネットさんが見ているのは……街道?
王都から北方に続く街道。
そこを数台の馬車が通り過ぎていくところだった。
先頭の馬車には幌に意匠が描かれている。年輪の刻まれた丸太と斧の絵だ。
周りを護衛と思わしき男たちが囲っている。盗賊対策なのだろうけど、どちらかと言えば護衛の方が盗賊と誤解されかねない雰囲気だった。
後ろに何台も続くのは大型の馬車と牛車。荷物は加工された木材が山積みにされている。
見るからに大きな丸太。あれは大きな建物の建材に使われるのだろうか。
「あれは……」
「ヨーシャーク商会さね」
知らない名前だ。
あまり商会なんて関わらないからなあ。
ミネットさんが続けて教えてくれる。
「最近、妙に羽振りのいい商会でね。元は小さな材木商だったはずなんだけど、この何年かで急に大きくなったのさね。なんでもかなり質のいい木材を手に入れて、貴族様に献上したとか言われるわね」
商売の事はわからないけど、木材の事なら少しはわかる。
木材の使い道はいくつかあるけど、大多数を占めているのが土木と建築だ。次に多いのが家具としてで、その次が燃料だろうか。
どんな使い方をするかによって求められる木材は変わってくる。
ただ、貴族に献上したという話から想像すると。
「いい家具職人を抱えているんですか?」
「そうね。ヨーシャーク商会は樵だけじゃなくてね、木の管理も加工も牛耳っているのさね。随分と強引に商店を吸収したから話題になっていたわね」
強引な吸収合併、か。
競合相手を飲み込んでしまえば、利益を独占できるのはわかる。
もちろん、そんなのは簡単にできない。力のある老舗の商会であっても強い抵抗を受けるだろう。
けど、ヨーシャーク商会にはそれができた。
さっき話が出た貴族が関係しているのかもしれない。
強い権力を持った貴族の後ろ盾があれば、無茶を押し通すことができる。
ただ、それは特別おかしな事じゃないよなあ。
厳しい言い方だけど、商売のひとつの形だ。趣味の合う合わないはあっても、ミネットさんが嫌悪する理由にはならない気がする。
「……けどね、うちが気に食わないのはあの子たちの事だよ」
ミネットさんの視線の先を追う。
馬車と荷車の間。そこをよろよろと歩いている二人の子供。
「あれは……エルフ!?」
離れていてもわかる。
金色の髪から伸びた特徴的な耳の形に、人間離れした美しい顔立ち。
あれはエルフ――の子供だ。見たところ男の子と女の子で、雰囲気が似ているから兄妹なのかもしれない。
「エルフを従えている? まさか、奴隷なわけないし……」
エルフは半人半精霊の存在だ。
人里離れた深い森の中で、森の管理をしながら、霊樹と呼ばれる特別な樹木を守っているという種族。
人より遥かに長命で、細身の体と、美しい容姿を持つ。
いつまでも若く、美しい男女、
それだけに奴隷として手に入れようとする非道な人間が出てきそうなものだけど、王国法で厳しく禁じられている。
エルフは仲間意識が強い。
それを奴隷になんかしようものなら、種族間戦争になりかねない。
この距離で見極めるのは難しいけど、首に奴隷の首輪もないからその心配はなさそうだけど……。
「どうしてエルフを?」
「エルフって森に、特に北の大森林に詳しいからね。それを利用して大きく育った古木の所まで案内させて、良材を取りまくっているのさね」
北の大森林。
王都の北側に広がる森林地帯の事だ。
多くの魔物が住みついているが、それ以上に多くの動植物が生きる資源庫でもある。
確か、エルフの隠れ里もこの中にあるんだっけ。
エルフ以上に森に精通した者はいないだろう。林業に携わる人間にとっては喉から手が出るほど欲しい人材に違いない。
だから、エルフがここにいるというのはわかった。
でも、そもそもエルフは基本的に排他的というか、独立意識が高いというか、他種族と距離を置きたがる性質を持っている。
「それが、どうしてヨーシャーク商会に協力を?」
「うちも詳しい事情は知らないね。ただ、王都の近くに住んでいる、珍しく人と関わるエルフがいるって話を聞いたことあるのね。きっと、そのエルフの子供だと思うんだけどね。親はどうしたのかしらねえ」
ミネットさんが溜息を吐く。
見るからにあの二人はまともな扱いを受けていない。
ただ、自分たちの意思でヨーシャーク商会についていっているのも事実だ。
事情を知らない僕たちが立ち入るのは難しい。
だから、ミネットさんは心配そうに見つめるだけなのだ。
材木商のヨーシャーク商会とエルフの兄妹、か。
「おーい、かあちゃん! どうしたんだよ、置いて行っちまうところだったぜ!」
ミネットさんが立ち止まった事に気付かずに、そのまま歩いていたジョゼフさんが慌てて戻ってきた。
ミネットさんはもう一度だけ小さく溜息を吐いて、それから笑顔を作った。
通り過ぎていった馬車から視線を切る。
「嫌な話を聞かせちまってごめんね。あの人が気付くと騒ぎになっちまいそうだからね、今のは忘れておくれよね」
人の良くて、直情径行のジョゼフさんが知ったら、エルフの子たちに声を掛けに行ってしまうだろう。
そうなるとヨーシャーク商会とトラブルになる。
貴族の後ろ盾を持つ商会に目をつけられれば大変だ。
「じゃあね、賢者様。また来るから、しっかりご飯食べて、夜更かししないで寝るんだよ」
「ははは、気をつけます」
「賢者のダンナは頭いいけど、生活力ねえからなあ!」
「あんたもうちがいないとダメじゃない!」
スパンと濡れタオルが振りぬかれて、ジョゼフさんがお尻を押さえた。
元気に去っていく二人を見送って、僕はもう一度城門の中に消えていく馬車の列を見る。
ちょうど、エルフの兄妹が入るところだった。
汚れた服。
傷だらけの手足。
疲れ切った表情。
よろめく妹を励ます兄。
「うーん。午後の研究は延期かぁ」
呟いて、僕は屋敷へと戻るのだった。