隣の席の探偵君
「・・・・・・コフコフキ?」
上野宝子の通う、神童中学校3年C組の朝の教室は騒然としていた。
週の初めである月曜日の朝というものは、会社員や学生にとってはかなり憂鬱で、テンションはかなり低くなるものだ。
宝子もそれに漏れず、重い足取りで自分の教室まで辿り着いたのだが、扉を開けた途端そんな気分はどこかに飛んでいった。
「あれ、どうゆう意味?」
「先生が書いたの?」
「知らない。イタズラじゃない?」
教室の中には半数ほどの生徒がいたのだが、そのほとんどが前方の黒板の前に集まり、そこに書かれている文字を凝視していた。
《コフコフキ》
そこにチョークで大きく書かれた文字に、宝子は頭を捻る。
「おはよう、上野さん」
「あっ、おはよー。委員長」
彼女は、このクラスで学級委員を務める篠田春菜。
黒髪ストレートで黒縁メガネを掛けており、まさに優等生を絵に描いたような容姿をした彼女は、クラスの男子からも人気が高く、ミディアムショートの癖っ毛でソフトボール部の自分とは真逆のような人だ。
「ねぇ委員長、あれ何なの?」
自分の席にカバンを置きつつ質問を投げかける。
「さぁ? 私が朝一番に、この教室に来た時には、もう書かれていたわ」
「ふーん、そっか」
次々と教室に到着するクラスメイト達は、様々な反応をしていたが、そんな中、一際目を輝かせ文字を見つめている男の子を宝子は見逃さなかった。
「闇雲君、おはよ。 ・・・・・・なんか、嬉しそうだね」
「おはよー上野。テンション上がるだろ! こんな謎のメッセージが書かれていたらさ!」
この闇雲光太郎は、宝子の隣の席で、いつもはローテンションで小説を大人しく読んでる男の子だ。
身長は割と高く、癖っ毛の無造作ヘアに切れ長の目の相性は、バッチリで正しくイケメンなのだが、いつもはあまり人と話す事がなく、そのせいでクラスの女子達は近寄りづらいという感じだった。
宝子も隣の席なので挨拶くらいは交わすが、じっくり話したことはなかったので、こんなに生き生きしてる彼に正直ビックリしている。
「んんー? コフコフキ、コフコフキか。謎だな。・・・・・・アナグラムってわけじゃないか」
「アナグラム?」
「何? それ?」
隣で聞いていた委員長も気になったようで宝子と同じように首を捻っている。てゆうか、こうして並んだ二人を見ていると、理想的な美男美女のカップルのようで居心地が悪くなった。
「えっ? アナグラムも知らないのか? ったく、これだから今時の若者は————」
「同い年でしょ!」
宝子の素早いツッコミをスルーした闇雲は、ポケットから出したスマホで黒板の文字を撮影し始める。ちなみにウチの学校は、特別な許可があれば学校にスマホを持ち込んでもいい事になってはいるが、教室では使用禁止である。
そんな闇雲の行動を委員長は必死に止めていた・・・・・・さすがだ。
「はい、はい。やめるよ。あぁーそれでアナグラムっていうのは、単語または文章の中の文字を入れ替えて、全く別の意味にする事なんだ。推理小説の定番だぜ?」
「推理小説ねぇ・・・・・・」
そういえば、彼がいつも読んでいる小説のタイトルって『〜殺人事件』だとかが、多かったことを思い出した。
「つまり、コフコフキの文字を並び替える・・・コキコ・・・フコフ、フキ。確かに意味が繋がらなさそうね」
しばらく顎に手を当て考えていた委員長だったが、無理だったようだ。
「あぁ。他に何か別の解読法があるのかも————おっと、悪い」
ふらっと歩き出そうとした闇雲は、黒板前に集まっていた人集りの中の一人にぶつかってしまう。
「・・・・・・」
「んっ? ケン君か。大丈夫だったか?」
その人物は二年の終わり頃に、この神童中学校に転校して来た、橘ケン君だった。
彼も闇雲光太郎に引けを取らないイケメンであり、髪はサラサラで鼻が高く、女子達からは、まるで王子様のようだと言われている。しかもコチラは社交的で、クラスみんなと仲が良いというハイスペック人間だ。
「・・・・・・」
そんな彼は、謎のメッセージを見つめたまま何故か固まっていて、何の反応も示さない。
「どうしたの? 大丈夫?」
委員長が、優しくケン君の肩に触れると、やっとコチラの存在に気付いたようで、慌てて顔を向けてきた。
「え、えぇ。すみません、大丈夫ですよ。ちょっとボーっとしてしまって・・・・・・」
「ケン君がボーっとするなんて、珍しいね。ねっ、委員長」
「そうね。本当に大丈夫?」
「大丈夫ですよ、本当に。では僕は席に戻りますね————」
そう言うとケン君は、足早に教室後方の自分の席へと戻って行った。
「もう、闇雲君。気をつけてね」
「・・・・・・あぁ」
宝子の注意を聞いてるのか、よく分からない闇雲は、ケン君の方を見つめている。
しばらくすると、再びメッセージの方に顔を向けた彼は、突然黒板に近づいたり、離れたりを繰り返し始めた。
そんな行動を見た他の生徒が、不審な顔で闇雲を見始めたので慌てて宝子は止めに入る。
「ちょっ、ちょっと、いきなり何なの! みんな変に思ってるよ」
————うわっ、意外に筋肉が凄いんだ。
思わず掴んだ二の腕の逞しさに、ビックリしながらも堪能している宝子になど、まるで興味がないのか、ずっと黒板を見つめている闇雲だったが、少し間を置いて口を開いた。
「んん? 何か変だな・・・・・・」
「へっ?」
腕にばかり意識がいっていたので、突然の質問の意味が分からなかった。
「コフコフキの、最後から2文字目の〔フ〕だけど、やけに左下に向かう線が長くないか?」
じっくり見てみると確かに、左下に向かう線が少し長く、バランスが悪く思えたが、別に気になる程ではない。ふと宝子の隣にいつの間にか来ていた委員長も、気になったのか黒板の文字を真剣に眺めていた。
「・・・・・・不自然な形の文字・・・・・・カタカナ・・・・・・コフコフキ・・・・・・んんー」
両手を組んで、黒板にキスしそうなくらい顔を近付け、何かを調べている闇雲光太郎は、まるで探偵のようだなと宝子はふと感じた。
もしかして、推理小説をあんなに沢山読んでいるのも、そうゆうのに憧れてなのか。
すると突然、教室前方のドアがガラガラッと開く音が聞こえる。
「おーい、お前らー 朝のホームルームを始めるから席に着け————って、何だ何だ? 誰が書いたんだ? このイタズラ書きはー」
始業のチャイムとほぼ同時に教室に入って来た、3年C組担任の西村先生は、黒板の文字を見て呆れた声を出しながら黒板消しを手にした。
「あっ、先生! ちょっ————」
「何だ? 闇雲。早く自分の席に戻れー」
アッという間に、コフコフキという文字を消した西村先生は、他の生徒にも着席を促して、いつも通りのホームルームを始める。
宝子は、何となく気になり隣の闇雲の席を覗いて見ると、彼は机にノートを広げ、何かを書いていた。
————昼休み。給食が終わった、この時間は生徒にとって一番嬉しい時間であり、校庭でサッカーをする者や教室内で友達と喋る者、その隣で読書を楽しむ者など、生徒達は、それぞれの過ごし方をしている。そんな中、上野宝子は友達数人と一緒に屋上に来ていた。
神童中学校では、昼休みだけ屋上が解放され生徒の憩いの場となっている。
「————それにしても、朝のアレって何だったんだろうね」
五月半ばである、この時期の屋上は、心地よい風と太陽が宝子を包んでくれる。
落下防止のフェンスに寄りかかりながら、校庭でサッカーなどをしている男子を眺めていると、ふと朝の謎のメッセージを思い出していた。
「さぁねぇー ・・・・・・うぅ眠いー」
隣にいる同じソフトボール部の島田陽子は、隣で同じようにフェンスに寄り掛かりながら目をこすっている。
「陽子って、いつも教室に一番乗りしてるよね? 今朝、怪しい奴とか見なかったの?」
島田陽子の家は、学校からかなり遠い所にあり行き帰りは、親が車で送ってくれているのだが、両親の仕事の関係上、朝早くに家を出ることになってしまっている。なので陽子はかなりの確率で一番乗りしている。
「いやー、今日は道が渋滞してて少し遅くなってさ、一番じゃなかったんだよねー」
「あっ、そういえば委員長が一番乗りだったんだっけ」
じゃあ、委員長は何か見てないのかな? などと考えていると、陽子が突然、宝子に顔を近付けてきた。
「て言うかさー 犯人って、委員長なんじゃない?」
「へっ?」
突然言われた犯人の名前だったが、考えて見ると第一発見者は怪しいというのは、当たり前で、誰もいない教室なら、あのメッセージを余裕で書けるはずだ。
「————それは、無いと思うぞ」
「!」
突如、陽子とは逆側に闇雲光太郎が現れた。
気配を消されて近付かれるのって、こんなに怖いんだ。とビックリしてる宝子とは対照的に、島田陽子は頬を染めながら、べリーショートの髪を手で撫で付け整えている。
そうだ。この男の子は、女子に人気がある事を忘れていた。
「えぇー、闇雲君それってどうゆうことー?」
さっきまで、そんな可愛らしい声で喋ってなかっただろう。というツッコミは飲み込んで、宝子も闇雲の言葉を待つ。
「島田と委員長が到着した時間って、ほぼ変わらなかったんだろ? さっき事務員のおじさんに聞いてきたんだ」
「えっ?」
「事務員さん?」
事務員のおじさんは、校門開ける仕事があるために学校には誰よりも早く来ている人だ。
「おじさんは、外の清掃しながらも見ていたらしい。特に委員長とは挨拶も交わしていたから覚えていたんだって。ほとんど同着、一分くらいしか変わらないらしい・・・・・・そんな短い時間じゃ、黒板いっぱいの、あのメッセージは書けない」
こんな短い時間の間に、ここまで情報を集めてくる、その熱意に宝子は驚いていた。
「なるほどー、そういえば私が到着した時に委員長はまだカバンを持ったままだったー、闇雲君すごいねー 探偵みたいー えっへへー」
「・・・・・・あぁ、どうも」
————だから、その変に高い声はやめなさい。ほら、闇雲君も困ってるよ。
「ということで! 島田さん、上野を借りていくな!」
「えっ?」ガシッと腕を掴まれた宝子は闇雲に引きずられるように、屋上の出口に連れて行かれる。後ろを振り向くと陽子が悔しそうに頬を膨らませているので、あとで弁明しないといけなくなった————。
「悪いな。ちょっと聞きたいことがあったんだ」
屋上に続く階段の踊り場で闇雲は、やっと立ち止まった。
宝子は別にいいよ。と言いながら自分への質問の内容を促す。
「先週の金曜日、上野って一番遅くに学校を出たよな?」
「うん。私その日は部室のカギ当番の日だったから————それも事務のおじさんに聞いたの?」
部室のカギを管理してるのも事務員の人なので察しはついた。
「あぁ。それでさ帰る時に上野・・・・・・ケン君を見かけなかった?」
「ケン君? えーと・・・・・・あっ! 後ろ姿しか見えなかったけど、校門を出ていくケン君らしき人を見た気がする」
顔は見えなかったが、あのサラサラヘアーといつも履いている赤いスニーカーは、ケン君だと思った。まさか————。
「・・・・・・そうか。実はうちの担任の西村先生も、昇降口でケン君らしき人を見かけてたんだ。一人だけの証言だと怪しいけど、上野も見たって言うなら、真実味は上がるな」
闇雲は、顎に手を当て、ゆっくり階段を降り始める。
こんな中途半端なのは気持ち悪いので、宝子も慌てて闇雲の隣に並んだ。
「闇雲君。まさかあのメッセージは、ケン君が————」
「いや、それはまだ分からない」
真剣な表情のクラスメイトの男の子にドキッとしてしまった。まだ中学生なのに、随分大人っぽい表情をする。
しかし、なぜ何だろう・・・・・・?
「ねぇ、何でそんなに一生懸命事件を調べてるの?」
「はぁ? そんなの面白いからに決まってるじゃん!」
「はっ?」
さっきの大人の表情はどこに行ってしまったのかと思うほど目が輝いていて、まるで、おもちゃを与えられた子供のようだった。
「謎のメッセージが教室の黒板に書かれている! なんて中々体験できないじゃん! 推理小説好きだったら、この謎を自分で解きたいって、絶対ワクワクするだろ!」
そんなに素敵な笑顔を見せられたら、もう何も言えなかった。
「すごい熱意だね。あはは・・・・・・さっき一緒にいた陽子も、よく男子にはロマンチックな告白をされたい! って熱弁してるよ。屋上から大声で告白されたいとか、駅前の大型ビジョンに《好きだ陽子》って表示してもらいたい! って。闇雲君と同じくらいの熱さだったよ」
「へー、不思議な人もいるもんだな」
いやっ君も十分不思議だから! とは言えない宝子は、大人しく闇雲に付いていく。並んで歩く二人に対して、周りの女子達の視線の中に嫉妬のようなものが混ざってる気がするが、考えないようにした。
「んっ、あれ? ここ水道使えないのか・・・・・・」
屋上に通じる階段を降りた先にある廊下に設置された水道には《使用禁止》の紙が貼ってあった。
「あぁ、何か今月は水道管の工事でエリアを分けて土日を利用して工事をしてるんだって。先週はグラウンドの水道が使用禁止で、私達、運動部は地獄だったよ。ははは・・・・・・」
「ふーん」
聞いてきたわりにはリアクションは薄く、すぐに歩き出した————っと思ったら闇雲はいきなり立ち止まる。
「わっぷ!」
急に止まるので避けきれず、闇雲の背中におもいっきり突っ込んだ宝子は、情けない声を上げながら、後ろに倒れてしまった。
「悪いっ! 大丈夫か?」
慌てた様子で闇雲が手を差し出してきたのを見て、意外と紳士だ。など失礼な事を考えてしまう。
「ありがとう。大丈夫だよ! これでもソフト部なんで。ボールが当たった方がもっと痛いし」
「本当にごめんな」
宝子の手をギュッと握って起こしてくれた手がとても暖かく、宝子は自然と顔が赤くなってしまった。
「え、えーと! ところで、急に止まってどうしたの?」
顔の赤みがバレないか心配だったが、闇雲は、廊下の窓から外を見ているので気が付いていないようだ。
そんな窓からは、学校の中庭が見え、沢山の生徒が思い思いに過ごしている。
その中には委員長の篠田春菜と先ほど話題になった、橘ケン君がベンチに座って話している姿があった。
「へぇーあの噂は、本当だったんだ・・・・・・」
「噂?」
「うん。3年になってからの話だけど。委員長がケン君の事を好きって噂があって、クラスの女子達の間で話題になってたんだよ」
顎に手を当て、二人の姿を見つめながら闇雲はブツブツと何かを口にしていた。
「委員長が・・・・・・ケン君の事を・・・・・・か」
終業ベルが校内に鳴り響き、生徒達は帰宅の準備を始めていた。
上野宝子は、これから部活動があるため、帰宅部の子達とはここでお別れだ。
たまには練習をサボって、友達と遊びたい気持ちも湧き出てきたりするが、バレたら母親に物凄く怒られると分かっているので、何とか毎日耐えている。
「さて、そろそろ行こう」
と椅子から立ち上がり、同じソフト部の陽子を探すと、まだ自分の席で友達と話しているようだった。あんまり遅いと顧問の先生に怒られるので、陽子に声を掛けようとした時、隣の席からボソボソと小さな声が耳に届く。
「————ん? これは・・・・・・」
机の上にノートを広げ、スマホの画面を熱心に眺める闇雲光太郎がそこにはいた。
彼は、確か部活動には入ってないので、いつもならすぐ帰るはずなのに。
「どうしたの? 闇雲君」
「んっ? あぁ、上野か。いや、朝に撮影したメッセージを見てたら、また、おかしな箇所を見つけてさ」
「やっぱり事件の事を考えていたんだね。それで、おかしな箇所って?」
苦笑した宝子だったが、自分も事件の事は気になっているので聞いてみる事にする。
「この、1文字目のコの上下の横線の間、よく見ると薄く線が入っているんだよ。ちょうど、カタカナの〔ヨ〕になるような————」
そう言われて、闇雲の手元のスマホを見てみると、そこには拡大されたコの文字が画面いっぱいに表示されていた。
「へー、確かに〔ヨ〕に見えるね。となると《ヨフコフキ》になるって事だね————でも、どうゆう意味?」
「・・・・・・」
黙っている所を見ると、闇雲も分からないという事だろうと宝子は察した。
それはそうだ、あんな意味不明な文章を解読出来る人がいるなら、まさしく名探偵だろう。
「ちょっと! 宝子! 時間時間、やばいって、遅刻だよ!」
突然肩を叩かれ、振り向くとそこには島田陽子が真っ青な表情で立っていた。
「えっ? 嘘っ! もうそんな時間! いっ急ごう! 陽子っ!」
最悪だ、大遅刻だ。これは間違いなくペナルティーのマラソンだ、と自分の額から冷や汗が流れるのを感じる。
「ごめん! 闇雲君! また明日ね!」
涙目になりつつ宝子はカバンを手に取り、走り出した。
そんな嵐のように、宝子達が飛び出して行ったドアを見つめながら、闇雲光太郎は小さく笑っている。
「・・・・・・なるほどな」
夕暮れに染まる教室は、なぜか寂しい気分にさせる。
さっきまで生徒達が騒いで賑やかだったのに、今はたった一人の生徒が窓際に佇むだけだ。
ガラガラっと、前方の教室の扉が開くと、また一人そこへ入ってくる。その人物は扉をそっと閉めると教室の中央まで移動し、窓際の生徒と対面する形になった。
「悪いな、委員長。放課後に呼び出しちゃって」
窓際に立つ闇雲光太郎は、目の前の女子生徒に声を掛ける。
「いいわよ、別に・・・・・・それより話って何?」
篠田春菜は、メガネを掛け直しながら目の前の男子生徒を見つめた。
校舎内は、もうほとんど人はいないのか静寂に包まれていて、校庭で部活動に励む生徒の声が、やたらと大きく聞こえた。
一つ大きく深呼吸をして、闇雲光太郎は口を開いた。
「・・・・・・答え合わせ、してもいいかな?」
「答え合わせ?」
「あぁ。あの謎のメッセージの」
「へぇー。闇雲君は、あの《コフコフキ》の意味が分かったんだ。すごいわね。でも何で私と答え合わせなんてするの? もしかして、私がメッセージを書いた犯人と思ってるの? それは、ちが————」
「メッセージを書いたのは、橘ケン君だ」
その言葉に委員長は、びっくりしたような表情を闇雲に向けている。
「ケン君が金曜日の放課後、最後に校舎から出て行く姿を2人の人間が目撃している。おそらくその時に、あの黒板にメッセージを書いたんだ————ただ、ケン君は《コフコフキ》とは書いてはいないけどな」
闇雲は、ゆっくりと教室前方に移動して、黒板に大きくコフコフキという文字を書いた。
「————ケン君に聞いたの?」
「いいや、聞かなくても分かったよ」
手についた、チョークの粉を払いながら、闇雲は委員長の方に顔を向ける。
「俺は、最初からこの文字を見て、どうにも気になった事が二つあったんだ」
「気になった事?」
闇雲はメッセージの書かれた黒板を指でコンコンと叩く。
「まず一つ目は、最後から2番目のフの文字の、左下へと伸びる線が、少しだけ長くバランスが悪い事」
「そんなの、字が汚かっただけじゃない?」
「二つ目、コの文字に残された薄い線」
委員長の言葉を無視して、1文字目の〔コ〕を指差す。
「〔コ〕の文字の上下の横線の間に薄くだが、もう一本横線があるのを見つけたんだ、ちょうどカタカナの〔ヨ〕になるような・・・・・・」
一旦間を空けた闇雲は、再び委員長を見つめ直して口を開いた。
「この事から俺は、この謎のメッセージが〝誰かに修正をされた不完全なメッセージ〟だと気付いたんだ」
「不完全なメッセージ?」
闇雲は、再びチョークを手に取った。
「まず1文字目のコの上下の横線の間に一本線を足して〔ヨ〕に。2文字目のフには、左の出発点から下へ短い線を足す。それと天辺にもう一本短い線を足して〔ウ〕に。そして最後から2文字目のフには、右斜め下に向かって一本線を足して〔ス〕に・・・・・・この3文字を、こんな風に直すと————」
《ヨウコスキ》
黒板の文字を見た委員長は、動揺した様子で闇雲から視線を外し。さっきまで闇雲のいた窓際に移動していった。
「————随分ストレートな告白だよな。これって、うちのクラスの島田陽子に向けたメッセージだったんだよ」
「・・・・・・じゃあ、それが何でコフコフキなんて文章に・・・・・・なったのかしらね?」
「それは、君が書き換えたからだ。篠田春菜委員長」
ピンッと指を指された委員長は、闇雲に背を向け、ソフトボール部が練習をしている、校庭の方へ振り返る。
「何で私が犯人なの? 一番乗りだったから? でも、今日は月曜日で土日を挟んでるんだから、休日に学校に来た誰かの可能性だって————」
「それはないよ。土日は水道管の工事のせいで、学校には誰も入れなかったんだ。ケン君が書いて、君が教室に入るまでの間に、誰かが書き直すことは絶対に出来なかった」
「わ、私より早く来た、他のクラスの子の可能性だって————」
「残念だけど、事務員のおじさんの話だと、今日の朝一番に校門をくぐったのは、委員長、君だってさ」
「・・・・・・」
「・・・・・・本当なら、島田陽子がメッセージを最初に見るはずだった。彼女はいつも車で登校していて、教室に一番乗りっていう事は、みんなが知ってる事だし。もちろんケン君もそれが分かってて、あの告白文を書いた。でも、今日は運が悪く先に君が到着してしまった・・・・・・」
カキーンという音が響き、高く高く舞い上がった白いボールが、三階にいる闇雲にも見えた。
沈黙が続く教室内で委員長は相変わらず、外を見に目を向けている。
そんな彼女に後頭部を掻きながら、言葉を掛ける。
「————君は、橘ケン君の事が好きだった。だからメッセージを見た時には焦ったはずだ。でもすぐ後ろまで島田が迫っていたと分かっても、消す方が楽だよな? あえてあんな意味不明な文章を残した理由は何?」
答えてはもらえないかも、と口にした言葉は静かにこの空間に響き溶け込む。
「・・・・・・悔しかったの」
ようやく沈黙を破り、振り向いた委員長の頬には、大量の涙が流れ出していた。
「私がどれだけ想っても、ケン君は私を見てくれない。それどころかロマンチックな告白の仕方なんかを相談してくるの! 島田さんが、そうゆう大胆でロマンチックな告白が好きだからって————」
校舎内に残ってる誰かが気付くかもしれないのに、そんな事はもうどうでもいいというように、彼女は感情を爆発させる。
「今朝、あのメッセージを見た時、まずいと思ったわ。嫌だって。だから、ふざけた文章にして彼を困らせたかった。そうすればまた私に相談してきて、二人の時間を作れるって————そんな意味のない、幼稚なイタズラよ!」
痛々しく、荒々しく放たれたその言葉は、決して自分に対してでは無いと言う事を闇雲は何となく理解できた。
「・・・・・・」
「話は終わりよね・・・・・・私、帰るわ」
そうして委員長は教室から飛び出し、走り去ってしまう。
オレンジ色に染まる教室の中という黒板の文字だけが、白く輝いているようだった————。
「————陽子への告白文だったんだ、ケン君とんでもない事するね」
翌朝、神童中学校へ向かっていた宝子は、闇雲光太郎の姿を見かけて声を掛けた。
他の生徒達に、おかしな誤解をまた与えそうだったが、事件の事を聞きたかったのだ。
「それで、闇雲君は委員長の事、ケン君に話したの?」
「いや、話す気なんてないよ」
昨日のやる気に満ちた表情は嘘のように消え去り、ローテンションで無表情の顔で、隣を歩く彼の顔を宝子は覗き込んだ。
「俺は、自分の解答が当たってるか知りたかっただけだから。人の恋路はどうでもいいよ」
「あー、なるほど・・・・・・」
本当に、謎にしか興味ない事に若干動揺していると、いつの間にか二人は、学校の校門に続く並木道に到着していた。
両サイドに植えられている桜の木は、春には綺麗なピンク色に染まって、生徒達の目を楽しませていたが、今は緑色に侵食されている。
「————でも、よくケン君が書いたって分かったね。いくら金曜日、最後に校舎から出たからって、ケン君が書いたとは限らないのに」
「あぁー、それは最初からヒントがあったから」
「ヒント?」
「あのメッセージ、全部〝カタカナ〟だったろ?」
「・・・・・・あっ! そっか!」
「うん、ケン君は〝アメリカ人〟で、三ヶ月前に日本に来たばかり。話せはするけど、漢字を書くのは、まだ難しいって言ってたからさ————」
橘ケン君は、アメリカ人の両親から生まれた子供で、元々はアメリカに住んでいたのだが、父親の仕事の関係で日本に引っ越すことになり、昨年の三月に神童中学校に転校してきた。母親は昔から日本好きで、小さい頃からケン君も日本語を教えてもらっていた。しかし闇雲の言う通り話せはするが、まだ書くのは苦手という事で、今の彼のノートは、ほぼ平仮名とカタカナが埋め尽くしている。
「凄いなぁ、闇雲君は」
素直に思った事を口に出したのだが、彼は興味が無さそうな顔で欠伸などしていた。
本当に謎がないと、この人は————。
「何だ? これ・・・・・・」
「んっ?」
すると突然、校門の前で闇雲光太郎は足を止めた。
いきなりどうしたのかと校門のすぐ横を見ると、そこには季節外れの雪だるまが置いてあった・・・・・・。
————えっ? 今、五月なんだけど。
と、宝子が困惑していると。
「おぉ・・・・・・!」
闇雲光太郎の目が輝き出し、興奮のあまり肩まで震えていた。
「闇雲君? あの・・・・・・」
「上野! 新たな謎が発生だ!」
こうして今日も、隣の席の探偵君は、謎に挑む事になりそうです。