もらった札束 (ショートショート51)
深夜。
冷たい缶コーヒーが飲みたくなり、オレはアパートを出て、道路の向かいにある自販機に向かった。
そして道路を渡り終えたときだった。
音もなく、一台の車が自販機の前に止まる。それはSF映画からでも飛び出してきたかのような流線形の車で、かなりの高級車であろうと思われた。
運転手が降りて後部座席のドアを引き開けると、その車に似つかわしくない老人が姿を見せた。スーツ姿でステッキを手にしている。
続いてもう一人、若い男が後部座席から降りようとした。だがそれを、老人は手で押しとどめ、男になにかしら言った。
だいじょうぶだ……。
オレにはそのように聞こえた。
オレと老人はほぼ同時に、そして並ぶように自販機の前に立った。
ステッキを小脇にはさんだ老人は、スーツの内ポケットに手を突っ込み、財布を取り出すのに手間どっている。それを見てお先に失礼と、オレが硬貨投入口に手をやったところ、そこへ老人の手が紙幣投入口に伸びてきた。
二人のタイミングがビッタリ重なった。
顔を見合わせ、たがいに苦笑いをする。
「どうぞ」
オレは老人に順番をゆずった。
「ではお先に」
老人が紙幣を入れようとするが、投入口はなぜかそれをがんとして拒んだ。
見れば一万円札である。
子供でも知っていることなのに……オレはそう思い教えてやった。
「使えるの、千円札までなんですよ」
「そうか、こいつは使えんのだな」
老人は車を振り返ると、後部座席に向かって手招きをした。
するとすぐさま、先ほどの若い男が車から降りてやってきた。手に黒いアタッシュケースを下げている。
「この札は使えんそうだ。これより少額の紙幣はあるかね?」
「いいえ。使うことがめったにありませんので」
男がかしこまって頭を下げる。
「こまったな」
老人の顔に、なんとも残念な表情が浮かぶ。どうやら小銭を持ち合わせていないようだ。
「あのー、一本ぐらいならおごりますよ。どれでも好きなのを選んでください」
オレは五百円硬貨を投入口に入れた。
「すまんな」
「えんりょせず、どうぞ」
「それではありがたく」
老人は並んだ見本を目で追っていたが、ホットの緑茶のボタンを押した。
缶の落ちる音を待って、オレはいつも飲むアイスコーヒーのボタンを押した。それから下皿に落ちた二本の缶を取り出し、緑茶を老人に渡した。
「ほんとうにすまんな。たいそうなことをしていただいて」
老人は申しわけなさそうに言ってから、背後に立つ男に小さく目くばせをした。
男がかがみ込み、すぐさまアタッシュケースを開けた。それからなにやらしていたが、取り出したものを老人に手渡した。
「よければ受け取ってもらえんかな」
老人が封筒をオレの目の前にさし出した。
「なんです? これ……」
「心ばかりのおれいだよ」
「おれいだなんて、たかがお茶一本で」
オレは首を横に振ってみせた。
「それではわたしの気がすまん。ぜひ受け取ってほしい」
老人はなかば強引に、封筒をオレの手に押しつけてきた。
封筒をつかんだその感触から、中身がお札であろうことは容易に察しがついた。それも一万円札で百枚ほどあろうと思われた。
「これって、もしかしたらお金じゃ? それもかなりの……」
「いや、たいした額じゃないよ」
「でも、いただくわけには」
そう言いかけたところで、
「では、失礼」
老人は背を向けると男を従え、早々と車に乗りこんでしまった。
車が走り去っていく。
オレの手に札束の入った封筒が残った。
――おれいか……。
別に悪いことをして手に入れたわけではない。もうけものだと思い、オレはそれをありがたくいただくことにした。
今、目の前に札束で一千万円ある。
だけどちっともうれしくない。
すべて十万円札なのだから……。