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7 星空と針の輝度


 7 星空と針の輝度


走り続けていた彼女の足が止まる。


 そして、肩を大きく上下に揺らしたまま、膝に手を付いた。

 顔は俯いたままで、彼女が今、どんな表情かは分からない。


「…大丈夫か。」


 彼女の様子は、明らかにおかしい。

 サラと別れてからずっと、休もうともせず走り続けていた。

 何より、彼女の体は丈夫ではないのだろう。酷く苦しそうに肩で息をする。 


「んっ…はぁ…っ…ふぅ…は……」


 答える体力が無いのか、気力が無いのか、それとも何も言いたくないのか、彼女からは荒い呼吸が返って来るだけ。


 彼女の育ての親……サナ。出会って間もない俺でもハッキリと分かる程、本当に優しい人だった。

 竜の姿を模した俺を見て怖がりも、不気味がりもせずに……本当に自分の子の、友人に接するように。

 そして今、彼女の優しさ。それは多分サナが親だったから得た物でもあったんだろうな。

 ……そんな母親と別れなくてはならない。それは酷く残酷な事だと思う。


 彼女にとっての旅は、優しい母親を差し引いても楽しみを抱ける程の物、なのか…。



 とりあえず近くの木の根に腰掛けて、彼女が隣に来れる様に間を空けて待つ。


 彼女は――何度も胸ををしゃくり上げ、声を押し殺ながら息を整える。

 それでも少しすると、俺の隣に座ってくれた。

 ゆっくり時間を過ごしていると、大分楽になったのか三角座りで俯いたままの彼女はぽつりと呟く。


「…ごめん。気を遣わせてるね…。」

「いや別に。…俺が疲れただけだ。」


 嘘を付いた。全く疲れてなんか居ない。今からでも竜一匹くらいなら屠れる。…疲れてるのは彼女だ。

 気を遣った、と言うのも違う。…彼女が俺に気を遣ってくれるから、最低限の事をしただけに過ぎない。


 …すると彼女は顔を少し上げ、少し小悪魔的に笑う。


「んふふ、息も切らして無いし、休む前に大丈夫って声をかけてくれる位…疲れてるんだね!」

「……あぁ。それ位疲れてんだよ。」


 鋭い。拗ねた様な言葉が口を勝手に突いて出ると、彼女がまた楽しそうに笑った。

 彼女には嘘を吐けそうに無い。悪い意味でも、良い意味でも。


「あははっ…! 貴方は優しい人だね。サナも、優しかったんだよ…ほんと、優しかったなぁ…」


 彼女はそう言うと、空を見上げる。

 星と青い月明かりを受けた彼女の顔は、酷く寂しく、哀しく映る。


そんな表情は見ているだけで――耐え難い程、胸が痛くなる。


「…進むぞ。」

 立ち上がって、膝を抱えるその手を優しく引き、少し強く握った。


「あ……」


 俺の大きな竜の手。彼女の小さな手。滑稽な程全てが違う掌。

 彼女はゆっくりと、俺の手を借りて立ち上がる。

 握った手に重ねられた彼女の手や指は細く小過ぎて、つかみ難い。

 だが華奢なその手も細工のように細い指も、彼女の指だ。それに触れられてる実感は妙に暖かい気持ちにさせる。


 ふと、ある事を思いついた。



「……俺も離さない様に…しっかり抱くけど、お前もしっかり捕まれ。」

「へ…? 何が?」


 彼女の背中と膝裏に手を持って生き抱きかかえる。…絵本等によく出てくる抱き方だ。

 お互い、顔が物凄い速度で赤くなる…が、彼女は鱗に包まれた首をしっかりと抱く。


 ――そして、竜と鳥人達の領域である、天空へ飛んだ。


「っ…!?ひっ、やぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!!」


 彼女が絶叫しながらしがみ付く。俺は背中の翼、尻尾を使って体勢と高度を維持するのに手一杯だが。

 とりあえず半狂乱の彼女に少して、声をかけてやる。


「落ち着け。絶対離さないから。…怖くない、落ちないから……ちょっと見渡してみろ。」

「…うん。」


 そして彼女は空から地面を見渡す。

 彼女が安定したので、俺も見回す。

 


 綺麗だ。


 頭上には青い月が輝いて星が彩る。地上からでは黒く見える空も、その実濃い藍色でベールの様な色彩だ。

 地上を見下ろしてみる。つい先日護った村……家々の灯りは淡く優しい黄色で、黒い人影がまばらに。

 遠くに目をやると、小さな、されど強い光が幾つも輝く。……あれがまず一つ目に目指す街、エルピスだ。

 空から見下ろした地上は、綺麗な光に溢れている。森の開けた場所に野営の焚き火、街まで続く道に点々と浮かぶ光、影になった木々に跳ね返り、輪郭をはっきり映す柔らかい輝き。

 空は、全てを見渡せる。



――すると、楽しそうに口を緩める彼女の目から、涙が零れ落ちた。


「私…不安だったんだね…」


「…何がだ?」

「えっと、えへへ……貴方と二人だけで、旅をすること…この世界に綺麗な事ってあるのかなって。」

「……まぁ実際、汚い事の方が多い。」


誤魔化した様に彼女は笑って、寂しそうな表情を浮かべて腕の力を強める。


「でも!」

 彼女が笑う。

 涙を拭い、涙を拭った手で俺の顔に手を当て、微笑む。



「でも…綺麗な事は、あるでしょ?」

「…あぁ……そう、だな。」



 俺も少し、微笑んだ。


 彼女は手を離して、また風景を見つめる。

 そしてゆっくり、ゆっくりと高度を下げて地面に足を付けた。



「…帰るぞ。本当に疲れた。」

「うん!…ありがとう。」


 はにかんだその笑顔に暖かい気持ちが沸き上がる。


「…もう神聖樹までそんなに距離は無い。帰って寝るぞ。」

「そうだね…でも少し帰ってから話したい事も、あるんだ。」


 自然と、手を握られた。照れくさいが俺も握り返した。

 それに彼女は小さく頷いて、俺のすぐ横を楽しそうに歩く。


 町に行ったらまず何をさせてやろうかな。どんな事が喜ぶか。

 ――ふと目だけで盗み見ると、幸せそうに目を細めて微笑む彼女。……俺も少しだけ、笑った。


‐‐‐


「帰って来たー!!!」


 彼女はぐーっと気持ち良さそうに背中を反らし、両手で伸びをする。

 俺もほっと一息付ける。長く居た訳じゃないんだが、この神聖樹の空気はやっぱり心地良い。

 胡坐を掻き、暇つぶしがてら自分の尻尾を指で弄ってると、上から木筒が差し出された。

 逆さまに後ろを向くと、優しい笑顔を湛えながら屈み手を伸ばしている。す、すぐ目の前に主張し過ぎ無い胸…


「どう?喉渇いてるかな…?」

「あ…あぁ。助かる。」


 …木筒を受け取り、口を付ける。水はやっぱり限りなく澄んだ味だ。

 神聖樹と森林種、本当に良い関係なんだろうな。


 ――ふと、視界の端で彼女がゴソゴソと忙しなく動いてるのが目に付いた。


「…何やってるんだ」


 すると彼女は振り返り、困った様に笑う。


「ほら、明日からしばらく町へ向けて歩くでしょ?日記も書かないとだし……色々持って行くのどうしようかなって。」


 そして腰から下げるのが丁度良い位の、少しボロな茶色の鞄にぎゅうぎゅう押し込む。

 中々立派な…素竜辺りの皮製だが、あの調子じゃあんまり持ちそうにない。

 旅の仕度か…俺はこのコートに全部…あ。


 良い事を思いついた。


「……要らない布とか、何か貸せ。」

「へ?…要らない布…要らない布?あ、夏布ならあるかな。」


 夏場の掛け布団…まぁ、あのお下がりよりは良いのが作れるか。

 彼女に手渡された、かなり大きいが、厚さはそれほど無い夏布を受け取る。


「でも何をするの…ほへ?」


 俺は無言で、使い込んだ針と大量の糸を懐から取り出す。



 似合わないんだろうが、裁縫は結構楽しい。

 頭で図を考えて、爪を使い布を裂く。強くする所は三つに重ねて、アクセントと補強に自前の竜や熊の素材を縫い合わせる。

 余剰を取って針を潜らせ、縫い合わせ、糸の色も縫う布一つ一つで換え合わせる。

 段々完成が近づくにつれ、頭で考えていた物と多少違いが出てくる。そこで経験で得た技術を使って改善…

 ……ふと、今まで自分で着ているこのコートを何着も作ってきた甲斐があると、初めて思った。



 一見すると茶、黒、白の細箱みたいな形で、その実収納に重点を置いた大振りな鞄。

 ちゃんと肩掛け紐を収納出来るようにもしてあるから手に取ってみるまで鞄って感じはしないか?

 そこで振り向くと彼女は…楽しそうに拍手してくれている。少し大げさだが、嬉しくない訳が無い。



 …ふむ、布はまだ結構余ってんだな。素材も結構。時間も…空の月を見るにまだかなりある。

 そして、二個目に取り掛かる。

 布を細かく、それでいて大胆に分ける。針は糸を連れて軽快に布を泳ぐ。

 …すると、彼女が熱心に見ているのに気付いた。少し意識して手際良く見せようとする。…竜の手じゃなかったら親指はボロボロだ。ちくしょう。

 ただ今回ははさっきの物よりも細かく、また便利な素材も惜しみなく多用した。

 その結果、自分でも中々納得できる位の品質。

 ふと、服を買わずに布を買って、彼女の服を作ってあげるのも良いかも知れないと思う。

 まぁ彼女に後で訊いてみるか。


 裁縫道具をしまい、大鞄と同じ配色の腰掛鞄が完成した。


 そして白い夏布と熊皮で出来た、大きい鞄を手に取る。

 しゅる、と肩掛け紐を伸ばして彼女の肩に合わせて、肩へ下げさせる。


「ほら、こっちには日記とか、宿に預けてられる荷物を入れろ。」

「わぁ…くれるの?良いの!?」


 紐を両手で握って、俺を見つめる。俺は自作のコートで十分なんだ。


「俺は困ってない。…あと、こっちは持ち歩く物入れとけ。」


 眩しい程の彼女の笑顔から顔を逸らして、二個目の鞄を持ち上げる。

 腰巻のベルトは夏布の裏に、貴重で柔らかく強度もあるケセランパサランの羽毛を何枚も重ねてある。

 ……前のボタンを外して中の収納を一つ一つ説明する。我ながら良い出来だと思う。


 彼女は爛々と目を輝かせて、腰に巻く。


「うん…!嬉しい、凄く嬉しい!ありがと…ありがとう…!」


 二つの鞄を抱き、顔を埋めながら上目遣いで俺を見る。


「いや、まぁ…これ位、ならな。服も作れる。…ほら、もう寝るぞ。明日には出るんだから。」


 この裁縫は生きて行く上で必要なだけだったが…やってて良かった。

 今日も一緒に床に寝る。明日は彼女が起きたらまた出発の準備だ、早めに寝てもバチは当たらない。



 だが…寝ようと布団を敷き、隣に寝る彼女が不安そうに、それでもしっかりとした瞳で俺を見つめる。


「…あ、えっと…うぅん…一つ、聞きたかった事、聞いても良い?」

「…何だ。」



 目の前の彼女は、言葉を続ける。



「えっと…貴方の、名前。…貴方って呼ぶより名前で呼びたいな、って…」


一呼吸置かれる。




「貴方の名前を、教えて。」






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