5 掌の形と想う心
5 掌の形と想う心
彼女と少し話をした後、二人で村へ向かう事にした。
横で泣き跡を残した顔で手を握り、着いて来てくれてる彼女。
この出会って大して経って居ない彼女の優しい微笑みは、俺にとって本当に大事な事になっていて。
だから、俺は彼女に一つだけ、何が何でもさせたい事がある。
俺は俺なりに覚悟を決めて少女と村へ、向かう。
――辿り着いた、村門。
「何の用だ、そんなのを連れて……汚らわしい、去れ。」
槍を手に持つ門番が蔑む様な目で少女を見て、それから少年に向き直る。
「本当に……胸糞悪いな……何だと思ってんだ。」
少年が少女を手で下がる様に遮る。
そして。
「つべこべ、言わずに、通せぇ!!」
一、二、三歩踏み込んで真っ直ぐ伸ばされた右拳は、門番の鼻頭を捕らえた。
「っぐぉへぇっ!! 鼻、鼻がぁぁぁあ!!!」
「おい、ヘストレ…チィッ! 敵襲!!! 敵襲だ!!!!」
無様な悲鳴を上げ、地面を跳ね転がる門番に、片側の門番が警告と共に槍を突く。
少年は残酷な笑顔を浮かべながら避ける事も無く、腹で受け止める。
尋常じゃない量の血が流れだしたが、それでも尚前に進む。
門番の手に、内臓や肉を簡単に貫く感覚と骨にぶつかる異物感が伝わっただろう。震え上がった。
少年は静かに、門番の目と鼻の先で、吐き出す様に囁く。
「………応援を呼んで、槍を刺して、それでもう終わりか……?」
「ひ、ひぃ……! に、人間じゃねぇ…何なんだお前は!」
門番は槍を離し、地面にへたり込んで泣き喚く。
難なく槍を引き抜いた少年は、柄の方を下にして怯えた門番の腹甲を全力で殴打する。
鉄と鉄とがぶつかり合う、強烈な衝撃音が辺りに響いた。
少年は槍を捨て、僅かに意識がある門番に少年は強く言い放つ。
「人間、人間なんだよ……!てめぇらが決め付けてるだけで、俺等は人間なんだよ……!!」
少女は少し目を見開いて驚いていたが、すぐに気を引き締め、少年と共に歩く。
小さな門を抜けると小さな村とは思えない程の兵量が並んでいた。
村を囲う様に巨大盾兵が三人、後方に長い鉄槍を持つ二人、陣形を保ちながら疾走する剣士五人。
予想以上の迎撃に服の裾を握り、少し不安げに少年を見つめる少女。
それでも少年は特に動じず、羽織ったコートの内側から針の付いた何かの容器を取り出して少女に言う。
「下がってて、信じてくれ。」
少女は静かに頷く。
そして、禍やかに光る赤黒い血液で満ちた……注射器を、太ももに強く深く、突き刺した。
――兵士が少年に斬りかかったその瞬間、竜が羽ばたいた様な暴風が辺りを駆け巡る。
前方の三人が暴風に煽られて哀れに跳ね、吹き飛ぶ。
筋骨隆々な剛翼が、大きく羽ばたかされる。
その腕は肉を抉る為だと言わんばかりの形をした炎爪。
額から天を貫かんとばかりに聳える角。
紛れも無く炎竜と戦った時に現した、竜人の姿だった。
「う、うおおぉおぉおぉぉおぉぉぉぉぉぉぉおおおお!!!」
少年のその姿を見ても村の為に走り来る勇敢な兵士。
それを視認すると空を低く回転して飛び、向かい来る剣士の腹部に尻尾をぶつける。
当てた反動で足を付くのと同時、地面を蹴り飛びもう一人を蹴り飛ばす。
蹴り飛ばした反動と翼を利用し、少女の前に片手と足の三本で着地する。
「すぅ……ッ村長を!!出しやがれ……このド畜生共がぁぁあ!!!!」
大きく息を吸って放った怒号は炎竜の咆哮に負けぬ強さで響き渡る。
それに怯え、盾が少し退いた瞬間を見逃さず盾兵に襲い掛かる。
すると鉄の大盾はただ大きいだけの紙だ、と言わんばかりに灼熱の爪の貫通を許した。
「ば、化け物だ……!こんなの普通じゃ……」
盾兵が言い終わらぬ内に盾ごと放り捨てる。残りの二人は盾を捨てて逃げ出す。
槍兵はもはや放心状態で少年を見上げる。
「こんな……こんな、事が……」
その言葉も最後まで聞く事も無く、尻尾を横に一閃した。
「……どの家だ?」
彼女にこんな村の事を訪ねるのは一瞬気が引けた。
しかし手当たり次第家を壊す訳にもいかないので尋ねるしかない。
「ん、あの家だと思う。」
彼女が学び舎の横にくっつく様にして作られた家を指差す。
意外にも、特に気取った風では無く寧ろ子供達をいつも見守っているかの様な外観。
逆にそれが彼女の扱いがどれほど理不尽な物だったかありありと分かり、俺の不快感を煽る。
門番だったんだろう鎧を着た兵は既に槍を地面に置き、降参するように両手を挙げていた。
その顔には、悔しさと情けなさが浮かんでいるのが、はっきりと分かる。
「……どっちが悪なんだか。」
そして掛けられた鍵ごと、力強く扉を開いた。
中は一つの机と奥に扉。窓から光が差すがどこか雰囲気が重い。
倒れた観葉植物、辺りに散る紙類、乱れた絨毯。
椅子の後ろに掛けてある絵画が傾いている。
先程の騒動で荒れたのが一目で分かった。
「……そこの人だよ。」
彼女は部屋の端、頭を抱える初老の男を、少し冷たい目で見下して言う。
その声に反応した男が顔を上げ、彼女を憎悪の目線で睨む。
「お前、が……」
呟き、初老の男――村長がふらり、と死体の様に起き上がる。
生気を感じさせない、けれども憎しみの炎を一身に宿しているような錯覚さえ覚える。
その口から壮絶な呪いが爛れ落ちた。
「お前が、お前がぁあ!!! この村に居なければこんな事にはならなかったんだよぉ!! 気味の悪い人もどき風情が、俺等の目の前に現われるからこんな…こんな事が起こる!! 呪われてるんだよ、移るんだよ、滲むんだよ、染みるんだよぉ!!!!さっさとここから出て行け…ハッ!! 何だその男は…人間の見てくれすら保っていないじゃねぇか!! 呪われたゴミが同じゴミを呼び合うってかぁ!? 気持ち悪いんだよ、さっさと消えやがれ薄汚い人類族もどき共ぉぉぉぉおおお!!!!!」
堪えようと自然と握った拳から、血が滴り落ちるのを自分で感じた。
――あぁ、この目を、この声を知っている。何度も浴びせられた事がある。
そろそろ我慢の限界が来るな、と自覚した瞬間……美しい白髪が視界の端を掠めた。
「な、何だ! 人間に楯突くのか行き場の無いゴミの分際でぇ……!!! あ、あぁ…来るな、来るなくるなくる
――直後、疾走する少女の小さい拳が村長の顔に減り込んだ。
彼女の小さい拳と体からは想像も出来ない衝撃に、地面へ座り込む。
村長はそれから何歩か後ずさり、壁に背中をぶつけた。
「……ゴミなんかじゃない。人もどきなんかじゃ、そんなんじゃ……ないよ……!!!!」
村長は、殴られた頬を撫でる事もせず、彼女を見上げた。
「昔から……考えてたんだ。私、は…私の、心は……あなた達と、どう違うの?
人が人である理由って、心じゃないの……!?」
村長はその言葉がまだ、認められないと言う様に、ゆっくり首を振る。
そしてただ、小さく言葉を洩らす。
「どうも、こうも……お前が、別種なのが、人間じゃないのが、全て、悪い……そう、人間じゃ……人間じゃない……」
人間じゃないという言葉に俺の体がまた熱くなるのが分かる。
すると彼女がさっきよりも強く、哀しい口調で村長の顔を見据えて言う。
「……じゃあ、本当は私が木々達と話す事も無い、普通の人間だったら、どうなの?
私の為にここまでしてくれた彼だって、普通の人間だったらどうなの……!?
それでも違うって、人間じゃないって言える?違う所はそこだけじゃないか!
あなた達にとって、この違いは……凄く、大きい事かも知れない、けど……それでも!!」
「私達だって、あなた達と同じ心を持って何かを、心を、考えるんだよ……?人間として、人間で、ありたい…人間だと、思うんだよ…?」
村長はもう喋らない。ただ、放心して彼女を見つめる。
今までの仕打ちの数々がどういう意味を持つのか、段々分かって来たんだろうか。
いたいけな少女一人に凄惨な暴力を振るっていただけだった。
違う者を受け入れられなかったその器の小ささ。
そして、そんな者達ばかりな村を作ってしまった自分への情けなさを。
それを、少しでもこの男は分かってくれたんだろうか。
彼女はしゃがんで村長と目を合わせた。
「……同じ、でしょ。少し、皆と違う事が出来るだけで何も違わないんだ…私は、独りにされても、そう思ったんだ。私達と貴方達は、同じな筈なんだよ。
それなら……それならもう、別種も何も関係無い…でしょ?」
そして優しく微笑み、村長の顔に手を当てる。
手が触れた瞬間に、村長の目から涙が零れる。
きっと彼女の微笑みを初めて見たんだろう。
村長の顔が少しずつ崩れ、本当にすまない、と繰り返し彼女に泣き縋った。
――その頭を撫でる彼女の手は、優しさに満ち溢れた人間の手だった。
「……とりあえず外の連中は殺してないからな?」
それを誤解されたままだと何か、何か色々嫌だ。
すると少し曇っていた少女の顔がぱぁっと晴れる。…まぁあれじゃ心配されても仕方ない…。
「あぁいや、顔の形が変わった奴くらいなら居るだろうけど大丈夫だと思うぞ」
「うん……ありがとう。気を遣ってくれて。想いをぶつける場所を、作ってくれて……。」
俺が見てきた中で何より…優しく、優しく笑う。
「いや…別に。問題ない。」
…本当に何て事は無かった。彼女の中でのわだかまりが解ければそれで、良かった。
彼女の為になれたなら、本当に良かったと心から思う。
――ふと、考えて自分の手を見つめる。その手は猛々しさに満ちた竜の様な手だった。
「悪かった。」
雲の無い夕焼けの中、村長が頭を下げる。村人達もそれに続く。
彼女を見てみると、反応に困った様に顔だけこっちに向けて何か凄い複雑そうな顔をしている。
「あー……ん、謝ってくれるのは良いんだ、けどね……うぅん……」
そう言葉を漏らして、村長に向き直る。
……ここに来る前に、彼女が言ってたからな。
『私も村には、嫌な思い出ばっかりなんだけどね。……故郷に、したい。』
それで俺は村長と彼女を、ちゃんと話し合わせたいと思ったんだ。
俺は、俺自身はこいつ等をむちゃくちゃにしたい位に怒りを覚えたが。
彼女は……本当に、優しすぎるんだよ。
「んー…えっと……あ、じゃあ、また彼と来ても良い?」
突然、腕を絡められて思わず思考が停止する。
「勿論だ。今更村に一人や二人の来客、何の問題も無い。」
村長はそんな彼女を見て、ニヤニヤと意地悪く笑いながら言う。
その少し嫌味めいた笑みは不快じゃなくて、本来の顔、という印象が浮かんだ。
嫌いな面構えでは、無い。
その言葉を聞いて彼女は指を折りながら、明るく顔を綻ばせて言う。
「うん! じゃあ帰ってきたらいっぱい色んな楽しかった事、嫌だった事、嬉しかった事、哀しかった事、全部話しに来るから! ……絶対にね!!」
そして、俺の方を向いて言葉を続ける。
「これで色んな思い出いっぱい作らないといけなくなったよ……フフ、よろしくね……!!」
多分、声色から察するにやさしく微笑んでるんだと思う。
きっと白髪を楽しそうに揺らして、幾らか幼い顔を綻ばせて。
そんな風に微笑まれているのを直視したら、無駄に体が熱くなって顔を合わせられないだろう。
だから、「まかせろ」と言う代わりに頷く事しか出来なかった。
「……じゃあ、是非また来い……来てくれ。気長に待ってるぞ。」
そう言って村長や、村人達は手を振って送り出してくれた。
その中にはずっと家に篭もっていたんであろう子供や、女性達も居て、何となく悪い気はしない。
「皆! じゃあ、またね!!」「…じゃ、また。」
そして、振り返ることもせず、村門を少し微笑みながら、旅立った。