4 雨の過ぎ去りし後
とりあえず椅子に居直り、彼女と俺は机を挟み向かい合う。
何から言えば良いか分からないで少女を見つめる。
すると彼女もじっとこちらを見つめてくる。
そのまま五秒程見つめ合い、同時に目を逸らす。
あぁ……これじゃ話が始まらない。
頬を若干紅くして横を向く彼女に半ば無理やり質問をする。
「あ、えー……こう、この神聖樹は何だ?」
少女が我に返ったように俺に顔を向ける。
ここに入ってきた時から考えていた事だ。
光甲虫を寄せる蜜、入り口に蔦や、根で階段を形作るのはまだ、たまに見る。
だが……恐らくこの木が生み出したであろう家具。しかもその木筒に毎晩水を入れ林檎を分け与える。
そこまで友好的な神聖樹は見た事も聞いた事も無い。
すると彼女は少し言葉に詰まったが、覚悟を決めたように、強い表情に変わる。
「……私は、自然そのもの…木や、草達と会話が出来る。私みたいなのを、森林種って言うんだ。
見た目の違いはほとんど無いんだけど……ううん、だからかな。話してると結構気味悪がられてしまう。
あ、エルフや動物達の、森林族とは違うよ?まぁ、私は結構エルフ達とは仲は良いけど……間違えてあげないでね。」
彼女が森林種…意表を突いた答えに面食らう。
その存在は本で知っていた。だが――森と話せる、理解の森林種はとっくの昔に絶種したと言われていた。
よく考えれば外見に余程目立つ特徴がある訳でもないので、居てもおかしくは無い。
――目の前の少女が森林種、いや別種だとすら予想していなかった。
ただ……それを聞いて森や花達に語りかける姿は何故か容易に想像できた。
浮かべた時に湧き出た感情は嫌悪感などではなく、寧ろ暖かい、安心するような気持ち。
「ん……それでこの木とはもう長い事仲良しなんだ。……優しい木、なんだよ?」
その最後の言葉で昨日聞いた言葉を思い出した。
あの水の、澄み切った透明な味が思い出される。
だが彼女の告白の中の一つが、やけに心につっかえた。
それは昨日から感じている事にまた、重なる。
「……色々、分かった。俺は別種とか……あんま気にしない。うん。次はお前だ。」
少し顔を逸らす。何かに安心して何故か……頬が緩んだ。
特に意識した覚えは無かったが、顔が勝手にそうさせたんだろう。
「うん!次は、私だね。」
そんな俺を見て彼女は安心したように微笑んで、答える。
だが一回、咳払いをして、真剣な表情になる。
「私は……貴方がなんで私を、助けてくれたか。それが……知りたい」
それは思っても居なかった質問。
守った理由、を頭で探した瞬間、すぐ言葉が口を突いて出た。
「俺は、正義の味方…何か、そんなのに憧れてるから、だな。」
大真面目で、確信して、言う。
俺の答えに面食らった様で彼女は目を瞬かせる。
「『目の前の弱きを助け強きを挫く。いつだって、弱き者の希望。それが正義の味方だ』
俺はある奴にそう言われ、助けて貰った。それを絶対忘れないんだ。ずっと。
…それでまぁ、目の前で竜が村を襲ってたからいつも通り、体が動いてた。」
彼女は、一瞬きょとん、とした後、いつもより楽しそうな微笑みを浮かべた。
「ふふっ……素敵な言葉だね、本当に。」
「まぁそれ言いながら助けてくれたのはろくでなしだったんだがな。」
事実、アイツはもう、うん。本当にクソ野郎だった。
ただあの時の言葉だけはあの瞬間に、心に刻み付けた。
彼女は更に楽しそうに笑い、また言う。
「あははっ! そっか……きっと今の貴方を支えるのは、その人とその言葉なんだろう、ね……!」
アイツはそうでも無い気がするが、言葉はその通りだな、と少し微笑む。
彼女は今までで一番楽しそうな笑いを浮かべる。
ふと、彼女は優しくて、綺麗な女の子だなと思う。
だが――思い上がりかも知れないが――俺が来るまで、今みたいに楽しく笑えていたのだろうか。
厳密には笑えていたかも知れない。……自然達とだけは。
彼女が知らない味。読んだ彼女の日記。彼女の言葉や、あの答えに含まれた暗情。
どうしても、その全てを知りたくなった。
俺は相手を知らないと、きっと、もっと深く関わり合えないと思ったから。
「……なぁ。凄ぇ嫌な質問するぞ。」
こんな事を言うなら訊かなければ良い。自分が自分に呆れる。
それでも、知りたいと思う。彼女ともっと関わって居たい。
「うん……良いよ。大丈夫」
彼女は目を瞑り、静かに微笑む。
自分が考えすぎて口を開け無くなる前に、言葉にする。
「今までの事。…村との関係の事、教えてくれ。」
目を開けた彼女は小さく頷く。
「……かなり長くなるよ?それと、嫌な話。」
「ああ、問題ない。」
「うん……分かった。じゃあ、話すよ。フフ、飽きずに聞いてね?」
悪戯そうに小さく笑うが、それは少し虚勢を張っている様にも、見えた。
「…まぁ、殆ど自業自得なんだ。私と普通の人とじゃ人種が違うし、ね……」
「私は赤ん坊の頃に村の前に捨てられたんだって。『拾ってください』って、犬みたいに。
正直その頃の事はよく分から無い。記憶があんまり無いんだ……さっきのは村の人に教えてもらった事。本当かは分からない。」
「まぁちゃんと学び舎とかは行ってたんだけど…一番記憶に残ってる事は、みんなに蹴られ、殴られた事かな。
私が草木と…話してたの、を…子供達に見られて。その子の親達に告げ口されて、大変なことになった。」
彼女が静かに俯いて、強く腕を抱き抱えた。
思い出した記憶から自分を護ろうとする、痛々しい仕草。
見ているだけでその、過去と今味わっている辛さが伝わった。
「家が変わって、ご飯も出なくなっちゃって、寝る所も無くて…。服は一着貰えたけど、ボロボロだった。
だから森に逃げたんだ。でもすぐこの樹に辿り着いたんじゃなくて、随分遠くに行ったりもしたよ。エルフ達ともその時に出会ったんだ。人間達はよく嫌うけど、雰囲気が怖いだけで優しかったよ。」
一瞬、彼女の声色が明るくなったが、すぐに俯いた。
「でもそこは何かのキャンプで……離れないといけなくなって。別れる事になった。泣いてくれたエルフも居たよ。
そして村にもう一回戻った。とりあえず、そこしか無かったから。
相変わらず冷たかったよ。追放して殺したと思ってたのに、大きくなって帰ってきた私は気味悪かったんだろうね。」
彼女は村の事を思い出したのか、自虐的にはは、と嗤う。
そんな笑いは彼女に全然似合わない。でも……知りたかった。
自分の中で色々な葛藤が胸の内で暴れる。彼女は続ける。
「……まぁでも、帰って来た時一番辛かったのは村の人が私を嫌いな理由を、覚えてなかった事だったよ。
一回始まればもうきっかけだって…何でも良かったんだ。――もう、意味も、無くて……。
村長が筆頭に嫌がらせを続けてた。早く出て行けって。もう私と暮らしてくれる家は無かったけどね。」
「でも私を育ててくれたお母さ…姉さんだけが、村を出ないといけない私にいっぱいの白本といっぱいのインクと高い、良いペンを三本もくれた。それしか私はあげられないんだ、ごめんって……泣きながらね……。
今思うと、あのお姉さんだけが私の味方だったのかも、ね。
まぁ、何はともあれ本を持って、木々達に少しずつ教えて貰って、この神聖樹に辿り着いたんだよ。」
一呼吸空く。
「大分長くなっちゃったね。……ごめん。」
彼女はまだ、顔を上げない。
俺はどうしようもなく、言い表せない気持ちで、立ち上がった。
知ろうとしたのは俺なのに、苦しくても教えてくれたのは彼女なのに――
――そして。
「……行くぞ!」
出来る限り優しい声になるように言って、彼女の手を握る。
柔らかい肌の感触、優しい体温が体に伝わる。
彼女は握られた手を、見上げた。
先程から落ちた雫が神聖樹の床を何度も小さく鳴らしていた。
どれ程流した所で、彼女の目からは涙が止まらない。
「どこにとか聞くなよ。礼儀を教えてやるんだよ。畜生共にな。
それにお前には……俺でも、俺なんかでも教えられる位良い事はある!。
美味い飯、面白い物語、綺麗な服、楽しい奴等!
どれを取ってもお前はきっとまだそれ程知らないだろ!?
だから…だから! 行くぞ!! 俺と……一緒に!!!」
大きな声で、それでも脅さないように言う。
俺の喉が久しく思い通りに、空気を震わす。
彼女の手を、ぎゅっと強く握る。
彼女はもうただ何も言えずに、涙を拭いもう一回俺の顔を見上げて。
「うん……!! いっしょに、いく……いかせて!!!」
大きく、大きく頷いた。
――涙が拭われたその目から、もう涙が零れる事は無かった。