3 踏み込む一歩
3 踏み込む一歩
「……おはよう。」
目を開けると、逆さまになった彼女の微笑みがすぐ近くに。
枕は無かった筈なのに後頭部に柔らかい感触。
窓から差し込む光が朝だと教えている。小鳥も歌う。ただしその窓の前に彼女の微笑みがある…
状況を理解し思わず横に転がる。その先で頭をぶつけた。
「な……何?、何だ?」
傍から見ても分かるだろうって位に慌てる。
こんな事をされるのは初めてだ。そりゃ慌てるだろ。
「……?あぁ、体……戻ってるのかなって確かめたくてね。」
そう言い、静かに立ち上がる彼女。
ふと、コートの上に掛けられた布を見る。
……本当に色々してくれたんだな。
「まぁ……感謝して無くは無い。」
また面倒くさい言葉が口から出る。寝起きだから頭がちゃんと働いてないんだな。
「……ふふ、そういう所は可愛いね。はいこれ、朝食。」
優しく微笑んだ彼女からふわりと投げられた白林檎を受け取る。
そして、彼女が小さい口で少しずつ噛み付いている様を見て皮ごと一口、噛んだ。
――瞬間。
頭に宇宙が広がった様な錯覚と共に目の前の色が反転する。
「不味いッ!!!! これ毒か!? ……食用か?」
意識が一瞬消し去られる程の味。思わず地面に落としてしまった。
「い、いや、この木が毎朝くれるんだよ。う、うーん……そんなに美味しくないかな?」
叫び声に驚いた彼女は淡々と教えてくれるが、最後は自分の味覚を疑い、一口齧る。
それでも首をかしげてまた二、三度噛み付く。
は、はは……まぁ、捨てるのも悪いから何とか食べる。その度目の前が点滅するような不味さ。
自然に口から諦めとヤケクソな笑いが洩れる。
既に食べ終えた彼女がこっちを悪戯しているかの様な笑みで眺めてくる。
「……予想以上に感情豊かな人……なんだね。」
少し嬉しそうに呟く、が。それはこれが不味過ぎるからだろ。
「こんなもん食えば誰でも感情出してくれると思うぞ……」
そう言い齧り、天を仰ぐ。
ははは、これが不味く無いかそうかそうか、よっぽど不味い物しか…
そう考えた直後、ある事に気づく。気付いてもどうしようもない事に。
それを振り払う様に残りを一口で食べる。
「はい、水。ちなみに本棚の上に置いておくと水を入れてくれてるんだよ。」
ロクに話も聞かず受け取り、飲み干す。
「っ…はぁ……水、助かった。」
自然と目の端に涙が溜まる。本当に死ぬかと思った。
「うん。こっちこそ、ごめんね。あの林檎がそんなに美味しくないとは思ってなかった……。」
申し訳なさそうに謝りはするが、その目は楽しそうに輝いている。
そしてほんの少しの仕返しに少しだけ気になっていた事を一つ、尋ねる。
「……なぁ、本棚って何が入ってるんだ?」
「……あー。えーっと……」
彼女は微妙な苦笑いを浮かべる。
「……読みたい、かな?」
まだ出会って間もないが……彼女にしては珍しい反応だ。尚更興味が沸いた。黙って頷く。
そして真っ白な表紙の本を一冊持ってくると適当にページを広げて渡してくる。
受け取り、読んで見るとなにやら彼女の手書きの様だ。
『
八月十二日 雪
今日は昨日と同じ今日だ。雪が降っている。
いつも通り特にこれと言ってやる事は無いから、雪だるまをいっぱい作った。
村の人はいつも通り来なかった。
雪だと起きる時凄く寒い。ほんとに。林檎も冷たかった。
外に出ても村まではまともに歩けそうも無い。
だから今日は村に通わなくて済んだ。運が良いのかな
雪が降ると何かと不便。でも雪は大好きだ。
なんて言ったって遊んでくれる。降ってる所もすごく綺麗で儚いから。
これ書いてたら最近人と話せてないって気付いた。
人間の友達が出来た時ってどんな気持ちだろ
どうせできない
辛くなったからやめる。おやすみ。』
「……日記?」
去年のだとするとかなり前の物だ。
「……面白く、なかったでしょ? ……残りの本も全部、日記。」
自信なさげに目を伏せ、言う。
これは面白い面白くないというのは何かが正しくないな。
少なくとも読んでてつまらなくは、無いんだが。
パラパラとめくってみても一日一日書き漏らさず付けている事が分かる。
ただ、少しずつ読んでいて気になる事が、幾つかあった。
段々と、色々な気持ちが膨らむ。
「いや、別に…昨日も書いたのか?」
「あ、うん。朝に書いたから貴方の事は、書いてないけどね。」
「まぁ、なんだ…今度、見せろ。」
「っ…! うん!」
彼女が驚いた様に胸に手を当て、綺麗に笑う。
それを見た瞬間一体この笑顔は、彼女は俺にとって何なんだ、と自分が自分に問いたい程、胸が高鳴った。
俺だけじゃすぐ答えを出せそうに無い。
だから。
「なぁ。」
彼女の目を見据える。
もしかしたらまた、睨むような目になっているかもしれない。
急に声を掛けられた彼女は、驚いた様に言葉を待つ。
「……お前の色んな事、訊いても、良いか?」
声が勝手に震えて、どうしようもない。
初めて『人』に対して知りたい、と思った。
日記を読んで、何故か胸が痛くなった。
きっとさっきの俺から俺への問いかけの答えも目の前の少女を知る事から始まるんだ。
でも知ると言う事は色んな事が伴うのを知っている。
それは時に知ろうとした相手が離れていく事も。
今まで色んな事を知ろうとして離れられたことはよくあった。別にその時その時、そこまで恐怖では無かった。
――だが、今回だけは…何故か、とてつもなく怖い。
だから、声も体も震えが止まらないんだ。
彼女はいつもと少し違う、不安な表情が混じった微笑みだった。
もしかしたら、彼女も。
「……良いよ。でも、でもね。私も貴方を知りたい。だから…私も訊かせて。」
少し苦しそうでつっかえつっけな言葉で、上目遣いで伺う様に言う。
俺は静かに、それに頷く。
きっと俺は、彼女にとってまだ知らない奴なんだ。
――俺にとって彼女が『知らない人』である様に。