2 神聖樹の中で
繋がれた手を引きゆっくり歩く少女の案内で寒村の奥、森林へ連れて来られた。
森林を進み進み奥深く。周りの木々と色味が異なる巨大な木。
その根が階段を形作り、蔦が扉を模し、円盤の様な光甲虫が二、三匹天井に張り付く。
中には簡素な作りの寝台、二段の物に木の脚で高さを足した本棚、机に椅子。
本棚の上には奇妙な木の筒が二つ程並んでいた。
机の向こうには少女の姿。更に奥の壁、窓の様に開いた穴の前は白い花が一輪咲いている。
少女が椅子を引き、「座っていいよ」と一言。
「あんまり気の利いた部屋じゃなくて、ごめんね……」
机の向かい側の少女が少し申し訳無さそうに俯く。
綺麗な白髪が肩から机に流れる。
「いや…別に」
上手く感情を表現できない。この姿のまま人と話すのは初めてだからだろうか。
――俺の翼や角、尾は元に戻っては居ない。
今までの経験で、持続時間は寝るまで続くのを俺は知っていた。
「…その体。格好良いままなんだね。」
少女が顔を上げ、小さく微笑みを浮かべて言う。
その仕草からは悪意も、探るような雰囲気も感じない。
本当に怖くないのか。
「…まぁ、寝れば人に戻れる。」
奥の本棚を眺めながらそっけなく言う。
「そっか。戻る…じゃあ、人なんだ?」
「一応な。」
「そっか…。」
少し頬を赤らめて微笑む少女。
「…ああ、竜人と思ってたのか。」
「うん…ごめんね?」
竜人。天龍族の中でも一際少なく、またこの上なく強い族種。
確かに竜人の魔感なら姿を変える魔装具なんかを使えても良いかも知れない。竜に変化した今なら、魔力は有り余っているだろう。
だが魔法を使う為の魔感がさっぱり無い。魔法ってのは本当に理不尽だ・・・
とかどうでもいい事に思考を巡らせていると、少女が黙ってじっと俺を見つめてる事に気づく。
「…何だ?」
自然と睨み、鋭く冷ややかな声が出る。
「えっいやっ、うん…な、なんでも、ないよ…」
驚いた様に肩を少し震わせ、笑みを引きつらせる。
少し声音が強すぎたか。この少女じゃなくても多分怯えさせる。
悪い事をしたな、とほんの少しだけ罪悪感。
しかし少女はそのまま言葉を続ける様な雰囲気があり、少し言葉を待つ。
「…ん…あ、えっと。…ううん、本当になんでもないよ。」
そして少女は自分の気を紛らわす様に机の脇に掛かった木筒を取る。
「はい。普通で申し訳無いけど水だよ。…少し喉渇いてない?」
気遣いが少しだけ滲む優しい微笑み。
無言で頷き、少女から貰う。
ふと気になり、筒を覗いてみると、加工したものでは無く絡み合う木だけで出来ている事が分かった。
「面白いでしょ? この木がこの筒に水をくれるんだ…優しい木だよ。」
口を付け一気に飲み干す。すると少女が楽しそうに微笑む。
「…木が水を…じゃあ何か、貴重だったりしたのか?」
「ううん。私は貴方の前に飲んだから問題ないよ。」
飲み終えた俺を見て微笑んだ少女が、筒を両手で受け取る。
…じゃあ、それって先にお前が口付けてたって事、だよな。
顔を逸らし頭を少し掻く。
少女が不思議そうに首をかしげ、俺に問いかける。
「…どうしたの?」
「いや別に。…あぁ……ん、…美味しかった。」
「っ…! そっか。なら、良かった…!」
白い髪を楽しげに揺らし、彼女は花が咲いたような笑みを浮かべる。
そんな姿を直視できず、木の根で出来た床を見つめる。
「あ…そうだ。今日泊まる場所はどうするの?」
「…あんまり長居する気は無い。」
「そう…良かったらここに泊まってね?私は床で寝るよ。」
彼女は少しはにかみながら言う。
「っ…! いや良い。それなら外で寝る。」
さすがにそれは、何か悪いと思う。――というか、それよりも。
「つぅか、もう俺に構うな。俺に関わったらどうせ嫌われるんだ。やめとけ。」
俺に優しくしたってきっと良いことなんて無い。
嫌われ者と親しい者は嫌われ者。
大きく異なる者は受け入れない。
部外者に排他的であり、部外者の味方になる奴が居れば簡単にそれを捨てる。
集団はそういう物だと、知っている。
何より、…そんなので優しい、彼女が嫌われるのは嫌だ。
この短時間でもそんな気持ちが湧き出る位には、気遣いを受け取っていた。
「えっ…私、は…そんな事…」
面食らった彼女は少し戸惑い、その後少し物悲しく、けれども強い微笑みに変わる。
「私は、嫌わないよ? あなたに助けて貰った。命を懸けて命を守ってくれた。」
「その翼だってその角だってその尻尾だって私を庇ってくれた。
そんな、そんなに格好良い私の恩人を、あなたを嫌いになる理由って一つでも、ある?
…私が、あなたを嫌いになんてなる訳無い。」
熱の篭もった言葉、最後の確信と優しさが込められた言葉。
今までの雰囲気と大きく変わり、強くはっきりと沢山の想いをぶつけてくる。
それに誤解だ、と言い返せなかった。
きっと無意識に彼女が嫌われたら次は俺が彼女に嫌われる、とも思っていたのかもしれない。
何より彼女が取り違えて言い放ったその言葉は、俺の心を軽くするには十分だった程、本当に、嬉しい言葉。
「私はあなたに恩返ししたい。こう見えても私は今、あなたに凄く、凄く感謝をしている。
……本当に、なんでもしてあげたい位に。」
腰を下ろして少し寂しそうな顔で彼女はそう呟いた。
「…そうか。」
わかった、とか信じる、とか気の利いた事を言えるほど器用じゃない。
「いや、ええと、良いんだよ? 元はと言えば、きっと…ん……。」
少し考えた様に一人で言い、木筒を片手に立ち上がる。
本棚の上に木筒を置く音。
顔を合わせるのが苦手だ。
だから気晴らしに机の向こうの窓を見る。
炎竜退治から時間が経ったんだな、もう夕暮れだ。
太陽に雲がかかり、それが絵画染みた色彩に照らされていた。
その前には赤く燃やされる空と火を切り取る濃い木陰、そこに優しい白い花が重なる。
紅い空から黒い木が白い花を、護るかの様な風景。
少し遠い窓から見た景色は、まるでさっきの―と、思った時。
「…大丈夫。大丈夫だよ。」
不意に後ろから優しく腕を回してきて、抱きしめられる。
言葉も出ず、固まった。
「予想だけど、ね。きっと今まで優しくされなかったんだね。この体も多分怖がられたんだね。
もしかしたらこうされてるのも、初めてかも知れない、嫌かも知れないけど…色んな事に少しずつ慣れて欲しい。
私は、誰が何と言おうと信じるよ。嫌いになったり、しないよ。」
優しい声は耳を伝い体に染みた。僅かな時間でも、俺を見ていてくれたと思える初めての言葉に思わず振り向いて肩の腕をどかしてしまった。
信頼を信じきれなくて、受け入れられない。
「あ、ご、ごめん…な、馴れ馴れし過ぎた。うん、ごめん。」
そう言って二、三歩下がって紅潮した頬を隠す様、頭を抱える。
後悔も混じったようなその言動は、俺も後悔させた。
自分に嫌気が差す。
だから、あくまで自分の為だ、と言い聞かせて。
「俺は!……別に、嫌じゃ、ねぇ…から。」
また無意識に、睨むような目つきになってしまう。
声音は冷たく、鋭くなる。
びっくりする程思い通りにならない物だ。この、まだ直らない体の所為だ。絶対。
でも彼女は、水に打たれた様に顔を上げる。
俺を見上げた彼女の、潤んだ目を見据えて言う。
「俺は、初めてだった。怯えられなかった、のも。感謝、された…のも。……だから、嬉しくない事は…無い。」
面倒くさい奴だと自分でも思う。
それでも。
俯いた彼女がまたゆっくり近づいて来て、俺の爪を、手を、取る。
俺の手の甲に涙が一滴、二滴と零れた。
「私もそう感じてくれて、嬉しい…!!」
…無駄に恥ずかしいから掴まれた手を優しく払う。
彼女はそんな俺を少し笑って、涙を拭った。
結局その夜はこの部屋に泊まる事にした。
彼女は微笑みながら、床で寝るからと言って聞かない。
だが俺もこの体でベッドを壊す気は無いので二人で床に寝る事にした。
すこし窮屈だったが、彼女が度々見つめてくるのを感じ寝づらい。
ただそれも悪くは無いんだな、と思ってる俺が居た。かもしれない。