1 少年と少女
――少女を庇い、少年は立ちはだかる。
血が口から吐き出され、肉は体から削がれ落ちる。
何度も何度も体を裂かれて、骨を砕かれた。
その破れた腹から臓器を撒き散らしてそれでも。
黒髪の少年は立っている。
しぶとく立ちはだかる少年に、炎竜は翼をはためかせ突撃を仕掛ける。
少年は手を前に突き出し、炎竜の頭を抱え込む。
「がァッ……ぐ、ぅぅぅぅぅぅぅうぅうううううううッッッ!!!!!!!」
ガガガガガッ!! という轟音を立てて足元の土が盛り上がる。
炎竜の角は肉の殺げた腹部へ突き刺さり、肋骨をズタズタに砕いた。
だが、それでも――両腕の力は緩めず、少女の前で食い止めた。
少年に護られている白髪の少女は腰が抜けたままに呆然とその光景を見つめる。
炎竜が唸りを上げて勢いを増すが、少年はそれでも受け止める。その返り血が少女の頬に張り付く。
少年は血にまみれた顔の端に、自虐的でいて満足感を湛えた――複雑な笑みを浮かべている。
止められたままの炎竜は焦れったい、とでも言うかの様に翼をもう一度羽ばたかせ、貫く力を強めた。
「やらせるかよッ……!!」
少年はすかさず、拳のもげた右腕で炎竜の眼を殴る。
『グ……オォォォォォオオォォオオ!!!!!!!』
凄惨な絶叫と共に炎竜は後ろへ飛び下がる。――その瞬間。
撒き散らされた血肉、砕け漂う骨粉が少年へと還る。
目にも止まらない速度で、肉体は回復して行く。
貫かれた臓器や腹、手足も引き締められた筋肉に包まれ、吹き飛んでいた筈の拳すら戻っている。
――ふと、少女は頬を触る。そこにはもう返り血は無く、砂埃が残るだけだった。
無傷の少年はその体を特に確かる事もせず――それどころか小さく舌打ちして――辺りを見回す。
そして目に付いた、至って平凡な鉄剣を目指し走り出す。
だが走り出した直後、少年は右へ身体を投げ出す。転ぶ前の場所に炎竜の鉤爪が振り下ろされている。
間一髪で回避した少年はまた走ろうとするが――炎竜が嘲笑う。
すかさず尻尾を地面に這わせた一閃が少年の左足を切断していた。
少年が避けたと言う確信を持っていた所為で、回避するのがほんの一瞬遅れたのだ。
「っ……クソッ!!!」
それでも足と手を使い諦めずに、がむしゃらに走り続ける。
炎竜はまどろっこしい、と言う様に首を振り、ブレスの準備を始めた。
「……掴んだッ!!!!」
『ゴグゥ……!!!!』
少年の手が鉄剣を掴んだのと、炎息の準備が完了するのは同時。
「届けぇぇぇぇぇぇぇぇぇえぇぇぇえぇぇええ!!!!!」
『ゴガァ゛ァ゛ァ゛ッ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ッ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!』
剣と業炎が交差する。
少年の放った剣が運よく炎竜の腕、鱗の隙間に刺さり、そこから雀の涙ほどの血が滲む。
だが炎竜の業炎も少年を捕らえていた。少年の勝ち誇った笑みと炎竜へと伸ばした手を炭へと変える。
炎竜は少年を特に気にもせずくるりと反転する。
目障りな蝿を潰し終わり自分の好物を食べる程度の何気ない仕草で、少女に一歩一歩近づく。
「……私、こんな、終わり方、なんだね……」
白髪の少女が小さく、涙を流し炎竜を見上げた。
炎竜がそれを見て愉快そうな、嗜虐的な笑みと共に手を伸ばした―――が。
「まだ終わってねぇぞ、下衆野郎…………!」
突如、炎竜の身体が地面に沈む。
『グゴォォオォォォ!!?』
炎竜の目に写った物は、明らかに不自然で理解が追いつかない。
少女もそれを見ると、驚き手を胸の前に当て、後ろに下がる。
不可解な事に炎竜の背中には、黒髪の少年の様な何かが乗っていた。
「上から見下ろして、簡単に奪う……!」
地面に沈んだ炎竜の背中へ、全力の殴打を何度も振り下ろす。
振り下ろすその度鱗が砕けて空へ舞う。暴れる炎竜の抵抗は少しずつ弱まる。
「弱者から、全部奪ってッ!!笑って居やがるッ!!! そういうのが一番、嫌いなんだよ!!!」
一発、背中から首へ飛び乗って、殴る。拳によって鱗と骨が砕け、ガンッッという重々しい砕ける鉄のような音を奏でた。
最早僅かに身体を動かすしか出来ぬ炎竜。少年は両拳を振り上げる。
「じゃあな、"自分に殺されろ"ッ……!!!!」
燃える様な鱗に包まれた少年の腕は、炎竜を無残に砕き殺した。
少年は竜を採取する。皮、骨、爪はナイフで鮮やかに解体して大きめの容器に、血液を小さい容器に次々に詰めて行く。
そうやって採取した一つ一つを慣れた仕草で脱ぎ捨てたコートへ仕舞っていく。背中、胸、腕、全身に収納がある。
「良し…。はぁ……大丈夫か?」
作業が終わった少年は、密かに、確かな諦めを抱きつつ少女へ手を差し出した。
「……うん。ありがとう!」
少女は優しく微笑みながら手を取って立ち上がり、嬉しそうに言った。
少年の身体が飛び跳ねるように反応し、固まった。その表情から僅かに、驚きと困惑が取れる。
「……? 私、変な事言ったかな?」
「あ…いや………怖く、ないのか?」
少女は目をつむり、頷く。
「うん。だって……」
目を開けた少女は静かに、それでいて優しく、少年の"翼"を撫でた。
「私を助けてくれた、でしょ?」
そして白髪の少女は、優しく微笑んだ。
そんな少女を呆然と眺める少年。
少年の身体は、炎竜の特徴を全身に表していた。
燃える様な色で熱を帯びた鱗が全身に生え揃い、空を貫かんとした赤黒い角は額から伸びている。
赤い翼、赤い尻尾、鋭い爪どれをとっても先程の炎竜と遜色無いが、人の形で顔も少年の顔の面影が強い。
少年は変わっていた。――竜と人間の力を一身に宿す、竜人に。
少年は姿の変わり方に怯えられ、何度助けても恐れ逃げられ続けていた。
それなのにこの少女は、何も気にせず感謝してくれた。
それが、その事実がこれ以上無いほどに嬉しくて、疑わしかった。
「……? またぼーっとしてるね。助けてくれたし、家で休む?」
「あ? あ……ああ……。」
少しビクビク怯えた少年が少女の手を恐る恐る握った。
微笑んだ少女は、そんな手をぎ少しこちなく、だが優しく握り返す。
――正義を目指す少年は、不思議な少女と出会う。
それは優しさに溢れていて。
あたたかくて、嬉しい物だった――