第八話 錬金術師
星屑の涙、発売当日の朝。ストック商会から、早速人員がぞろぞろとやってきた。どれもこれも人相が悪く、明らかにまともじゃないと分かるごろつきばかり。ベックのような連中がうじゃうじゃいるといえば実に分かりやすいだろう。一匹見かけたら百匹はいる。
「ったく、面倒くせぇなぁ!」
「おい、俺たちは忙しいんだからよ。なんだか知らねぇがはやくもってこいや!」
「会長の命令だから仕方なく来てやってんだぜ?」
文句を言いながら店内、或いは外にたむろしている人間たちに、星屑の涙で満たされた透明のグラスが手渡されていく。だが、マリーとライアが果汁を垂らした瞬間、顔色が変わる。
「な、なんだこりゃ!」
「すっげぇ、おいおい色が変わったぞ! これって、もしかして魔法の一種じゃねぇのか? 小娘の癖にすげーじゃねぇか!!」
「しかも良い匂いがするぜ。ついでにえらい冷てぇぞ! けけ、手が凍えやがるぜ!」
喧しいほどの歓声があがる。さっさと飲めというまでもなく、彼らは勝手に口をつけはじめた。彼らのグラスに入っているのは一般人向けのものだ。
「う、うめぇ!」
「くーっ!! こいつは喉に染みるぜぇ」
「貴族様でも飲めねぇんじゃねぇか? 流石はルロイ会長が見込んだだけはあるぜ! へへ、お代わりだ!」
馬鹿共が次々にお代わりを要求し始める。最初の一杯はサービスで無料だが、二杯目からは金を取る。最初は撒き餌のためである。不満を垂れながらも、渋々金を払っていく。ルロイの命令が行き届いているのだろう。いつものようにツケにしたり、踏み倒していくようなことはできない。
「ああ、うめぇ!! おいおい、ちょっと待てよ。これ酒をいれたらもっと美味くなるんじゃねぇか?」
「なぁ、やってみようぜ!」
「へへ、これをこうしてっと。おお、こいつは効くぜぇ! くーっ、やべぇぞ!」
「本当かよ? 俺にも酒をよこしやがれ!」
「てめぇ、俺の酒を取るんじゃねぇ!」
馬鹿が酒を勝手に入れ始め、ぐいぐい飲み始める。馬鹿丸出しである。
『ウケケ、ご主人、好評でよかったじゃん』
「馬鹿だからね。そのうち、強いのに手を出して、最後には極にはまるわよ。後は毎日銅貨500枚を貢ぎにくる奴隷の完成ってわけ。ね、素敵でしょう」
『完璧じゃん』
星屑の涙一杯銅貨50枚。これはエール一杯と同じ値段。かなり強気な設定だ。そして、星屑の涙の強めが銅貨100、極が500枚だ。
「でもさ、そんな金、こいつらがもっているのかなぁ」
「なければ稼いでくるでしょうよ。どんな手を使ってもねぇ。それに麻薬に嵌るよりは健康的でしょう。中毒になっても頭がおかしくなることはないわ。ふふっ、街が少しは綺麗になるかしら」
「……それはどうなんだろう」
『まぁ、幸せそうだからいいじゃん? お金ももうかるじゃん。皆ハッピーじゃん』
「それにしても、自分からお酒を入れはじめるなんてね。あれで依存力は更に倍。ふふっ、実に素晴らしいわね」
「そうなの?」
「酒精が回るのが相当早くなるはずよ。ご機嫌になれば財布の紐も緩むでしょうね」
試していないが、酒との相性は悪くないはず。だが、その副作用も倍以上になるのは確実だ。酒の依存症ならぬ、星屑の涙依存症。麻薬ではないので、幻覚や禁断症状などが現れることはない。悪酔いやら肝臓への悪影響などがあるかもしれないが、酒のせいにすれば問題なしだ。第一、馬鹿どもの健康など知ったことではない。
「酒、酒もってこい!」
「面倒くせぇ! 樽ごと星屑の涙持ってきやがれってんだ!」
寂れた店の前で、大いに騒いでいるため、通行人たちの注目が嫌でも集まる。多少まともな人間は近寄ってこないが、好奇心旺盛な者がごろつきどもを掻き分けて、店内に入り買っていく。そして、今までにない体験に再び驚きの声をあげる。
店の椅子に座りそれを眺めながら、ステラは満足そうに珈琲を飲んだ。豆は在庫処分のために、まだここにあったものを使っている。どうせ売れないが、捨てるのももったいない。味が抜けているが、それは我慢しよう。次は粉を多めにいれることにする。
「ああ、忙しい忙しい! こいつら、遠慮ってものを知らないのかよ!」
「ありがとうございました!」
ライアが商品を渡しにいき、マリーは会計を担当している。ベックは客からグラスの回収と洗い場担当。一番忙しい場所だ。
持ち帰りを希望するものには、雑貨屋に大量にある木筒を抱き合わせで買わせることにしている。
「うぎゃあああああああ!!」
無謀な馬鹿が極を一気飲みして、地面をのたうちまわっている。周囲が「毒か?」などと騒ぐが、涙を流しながらこいつは死ぬ程効くぜなどと強がっている。初日からこうなるとは思わなかった。ステラの予想を上回っている。
「さて、そろそろ馬鹿の見物も飽きたし、魔法の訓練でもしようかしら」
『ウケケ! 初日だってのに、もう飽きちゃったじゃん!? 流石ご主人じゃん』
「本当に飽きたのだから仕方がないじゃない。後はマリーがしっかりやるでしょう。彼女、どうも慣れてるみたいだし。ベックもどきを見ているのも飽きたわ」
マリーはテキパキと客をさばいている。こんなごろつき相手だから緊張してもおかしくないのだが、流石に奴隷に落ちただけあって根性が座っている。笑顔を作って、次々にさばく姿は一種の職人技だ。以前は、接客をやっていたこともあるのかもしれない。一方、ライアはひどい。引き攣った笑みを顔面に貼りつけ、なれない敬語を使いながら必死である。見ているのも面白いが、それも少しすると飽きたのでやっぱり引っ込むことにする。
――立ち上がろうとしたとき、ごろつきどもとは明らかに異なる容貌の客が入店してくる。
「いやあ、随分盛況じゃないですか。うちの者だけかと思ったんですがね」
ワイシャツ黒ベスト、丸眼鏡の優男が優しく声をかけてくる。護衛には厳つい人相をした傭兵をつれて。彼らは装備が整っているので、ごろつきとは一目で違うと区別できる。優男の方は愛想よく笑顔を作っているが、ただの見せ掛けだ。目が笑っていない。
「どなたかしら?」
「これはこれは挨拶が遅れましたね。はじめまして、ステラ嬢。私は、ルロイ・ストックの息子の、メイスと申します。ここら一帯を仕切っているストック商会で、副会長を務めている者です。以後、お見知りおきを」
「それはご丁寧にありがとう。私はステラ・ノードゥス。このグレン雑貨店の責任者よ。諸事情で一昨日からだけどねぇ」
「ははは、その件に関してはよく存じ上げておりますよ。いやはや、まさかうちの父を説得して借金帳消しにしてみせるとは。その歳で、実に末恐ろしいことです」
「お褒めに預かり光栄ね」
「くくっ、本当に10歳かと疑わしくなりますね。ただの小娘なら脅して例の治療薬の製造法を聞き出そうと思ったのですが。どうやら、そうはいかないようだ。いやはや、これはお手上げです」
メイスがわざとらしく両手を挙げてみせる。
「欲をかくのもほどほどが一番よ。かきすぎると、自らの首を締める事になる。私の父みたいにねぇ。危うく私もそうなるところだったの。怖いでしょう?」
「それは怖いお話です。貴方が言うと、なおさら説得力がありますねぇ」
「ふふ、そうでしょう?」
笑顔で視線を交す。中々面白い男が現れた。笑いながらこちらの隙を窺っている。ベックとは頭のできが違うらしい。こちらの様子を、心配そうに窺うマリーとライア。問題なしと手を軽くあげる。
「そういえば新商品の星屑の涙でしたか。これは素晴らしいものですね。うちの系列の酒場でも問題なく提供できそうです。もしよければ――」
「嬉しいけれど、まだ発売したばかりだからね。少し売れ行きの様子を見たいの。それに、この寂れた通りじゃ普通の雑貨なんてほとんど売れないもの。だから、在庫の木筒と抱き合わせで売りたいの。腐るほどあるからねぇ」
何故か大量に倉庫に眠っていた木筒。一体何に使うつもりだったのか。戦を見越して、軍需物資として売ろうとでもしていたのだろうか。父は死んでいるのでもう確かめようがない。
「それは残念です。ですが、うちの若い者がえらい気に入ったようで。これから贔屓にさせてもらうことでしょう。実は私もはまってしまいまして。この二人もですよ」
メイスと傭兵たちがニヤリと笑う。流石にメイスは本気ではないようだが、傭兵はどうもそうらしい。腕はともかく、頭はベックレベルである。
「それはどうもありがとう。本当に嬉しいわ。ところで、お忙しい副会長ともあろうお方が、わざわざ褒めにきてくれたの?」
「大事な取引先ですからね。新たな門出に足を運ぶのは当然ですよ」
「で、本当のところは?」
「くくっ、話が早くて助かります。実はですね、私は釘を刺しに来たのですよ。しかし、全くの無用だったようで」
メイスが作った笑みをやめ、真顔になる。
「例の治療薬のことね」
「ええ、その通りです。貴方が約束を破るとは思っておりません。ですが、父がどうしてもと聞かなかったもので。副会長である私をわざわざ寄越したということです」
「ふふっ、それは大変ね。小娘相手にわざわざ釘を刺しに来るなんて。心から同情するわ」
ステラが哀れむ視線を向けてやると、一瞬だが怒気のようなものが顔に表れる。直ぐに消えたが。
「何、それが私の仕事でもありますから。……言うまでもありませんが、あれは絶対にうちの商会以外には渡さないで頂きたい。いや、存在するという情報すら漏らさないでほしいのですよ。永遠に情報を抑えるのは無理ですが、上流階級に広めるまでの時間を稼ぎたいのでね」
「借金帳消しの件があるから、あれの独占は別に問題ないわ。貴方たちが誠意を見せてくれる限り、貴方達だけに卸してあげる。当たり前だけど、私に降りかかる火の粉は、出来る限りそちらが払いなさい。それぐらいは必要経費でしょう?」
やられるつもりはないが、この身体では万が一がありうる。余計なリスクは排除しておきたい。肉壁が一枚では不足がある。
ステラが机をトントンと叩くと、メイスが苦笑する。
「勿論ですとも。今日からうちの者を数名、店の周囲に配置させて夜通しで警護にあたらせますよ。貴方は、金の卵を産む鶏だ。絶対に傷つけさせたりはしません」
「大事に扱ってくれるのは嬉しいけれど、私を鳥と一緒にするなんて不愉快よ。まぁ、今回は褒め言葉として受け取っておくけれど」
「それはありがとうございます」
メイスがふーっと息を吐き、葉巻を取り出す。ステラは無言で首をふると、メイスは頭を軽く下げてからしまいこんだ。
「これはこれは、失礼を」
「その煙は身体に悪いからね。吸うなら外でよろしく。私は健康に気を遣っているから」
「大変素晴らしいことですね。それにしても、こんなに話が分かる方とは思いませんでしたよ。失礼ながら、私達に含むところがあると思っていましたのでね」
「ふふっ、ないとは言わないけれど、世の中騙される方が悪いのよ。欲をかいた挙句、私を道連れにしようとした人間に同情する気はあまりないわねぇ」
「なるほど。実に理に適っていますね。この商売、騙し騙されですから。間抜けな人間を見つけたら死ぬまで絞りつくします。貴方はこの街の掟を良く理解しているようだ」
メイスが厭らしく笑う。
「ただし、私は父とは違う。やられたら必ず報いを受けさせるわ。ルロイにしっかりとそう伝えておきなさい」
「てめぇ! 誰を呼び捨てにしてやがんだ!」
怒りだす傭兵を制止し、メイスが頷く。
「良く分かりました。……ふふ、貴方にだけはお話しておきましょうか。私は、いずれこの西区を完全に押さえるつもりです。父は多少我慢してでも現状を維持したいようですが、私の考えは少々違いましてね」
「へぇ、そうなの」
「ええ。我が商会の最大の障害は、西区最大勢力のパルプド組合。縄張りにちょっかいを出してくる実に目障りな連中でしてねぇ。溜め込んだ力と、あの治療薬によって集まるであろう金。いずれ一気に吐きだして叩き潰すつもりです」
「それは素敵なお話ね」
今までで一番面白い話だ。欲望と欲望がぶつかり合う。さぞかし多くの血が流れるのだろう。ここにいれば間近で見れるかもしれない。実に興味深い。
「ですから、他の組織の誘いには絶対に乗らないでくださいよ? 貴方が仰ったとおり、我々も必ず報いを与えます。裏切りには血の制裁を。それがこの街のやり方です」
「良く分かったわ。本当に素敵な流儀ねぇ」
ステラが笑いかけると、メイスも愛想を浮かべる。
「私もそう思いますよ。……ところで、この店の名前、これを機に変えたほうがよいのでは? 少々縁起の悪い店名でしょうし。そうですね、錬金術師ステラの店なんてどうです? グレンなんて名前よりはよっぽど良いと思いますがね」
一瞬、胸の奥に激しい感情が生じるが、なんとか堪える。ステラは笑みを維持しながら問い直す。
「私が錬金術師? 中々素敵な異名ね」
「父が貴方をそう呼んでいましたよ。水から金を作り出す奇跡の技術を持つと。それで、いかがです?」
「ふふっ、呼び名は気に入ったわ。でも、店の名前はこのままでいいわ。変える時間がもったいないもの。無駄はあまり好きじゃないわ」
「本当にしっかりしていらっしゃる。それでは錬金術師ステラさん、また会う日まで、ごきげんよう」
「さようなら、副会長メイスさん」
軽く握手をかわすと、メイスたちは店から立ち去っていった。店内のごろつきたちも数名ついていくが、酒を混ぜた馬鹿共は反応しない。酔いが回りすぎて意識を失っているようだ。
『ウケケ、中々面白いやりとりだったじゃん?』
「流石は副会長ねぇ。交渉術に関しては、ルロイよりやり手かもしれないわね。頭も良さそうだし、感情を抑えられるみたい。ただ、商会内での立場はどうなのかしらねぇ」
『それってどういうことじゃん?』
「そんなに偉い人が私のところにやってくるなんて。まるでベックと同じ扱いじゃない?」
第一印象は切れ者といった感じを受ける。だが、こんな小娘相手に遣いに出されるというのは、どういうことだろう。それなりの立場であるはずなのに。ステラに脅しをかけるのであればメイスでなくてもよいはず。これではルロイの小間使いである。
それに、メイスがルロイのことを話しているとき、わずかに敵愾心のようなものが浮かんでいた。どうやら現在の商会の方針に相当批判的なようである。
『なぁご主人。あんなのと絡んで大丈夫じゃん? あれも、ろくな人間じゃないじゃん』
「全く問題ないわ。むしろ願ってもないことよ。色々な人間を知るという目的にあうもの。しかもお金も手に入るわ」
『ウケケ、流石は錬金術師じゃん。ちょろっと魔力を篭めるだけで大儲けできそうじゃん』
言うほど楽ではないが、訓練のついでに行なうので問題ない。
「素敵な異名までもらっちゃったわね。明日からわざとらしい帽子でも被ろうかしら」
『いつか用意するといいじゃん。俺っち、楽しみにしてるじゃん』
ステラは期待していなさいと呟き、珈琲の入ったカップに口を付けた。温くなっていたが、まぁまぁ飲めた。とはいえ、不味い事に変わりはない。