第五話 鍛錬開始
疲れ果てていつの間にか寝てしまったステラは、次の日、最悪の気分で目覚めた。マリーが用意してくれたスープとパンを無理矢理かきこみ、重い身体を引き摺りながら散歩にでかける。護衛にはクレバーを伴って。なぜかライアもついてきた。相変わらず汚い格好なので、お金を渡して服を揃えろと命令しておく。クレバーは風にのって上空を飛びまわっている。
「……えっと、本当にいいの? こんなに貰っちゃって」
「いいのよ。貴方の容姿はそのまま店の評判に関わるから。ちゃんと買いにいくように。……それより、どうして私についてきたのかしら。何か話したいことでもあるの?」
逃げる事の不利益を散々説いてやったので、もうそのつもりはないだろう。これで逃げるようなら、救いようのない愚か者なのでいらないと見切りをつけるつもりでいた。割り切るのも大事なことである。マリーは歳相応に落ち着きがあるから心配はない。ベックは完全に心配はいらない。むしろ逃げてくれたら、探す楽しみができそうである。
老人のように腰を曲げ、息を切らしながら邪悪な笑みを浮かべていると、ライアが小石を弄びながら声をかけてくる。
「いや、なんで死ぬ程調子が悪そうなのに、わざわざ外にでるのかなって思って。……ちょっと気になったから」
「体力をつけないといけないからね」
「でも、無理をしたら意味ないんじゃ。倒れちゃうよ」
「多少無理をしてでもやるのよ。今までの分を取り返さないと。大きな見返りを求めるには多少のリスクは呑むしかない」
何事も始めが肝心である。現在の体調は非常によろしくないが、継続しなければ意味がない。
「そこまでして鍛えるのはなんで?」
「質問が多いわねぇ。……それは60まで生きるためよ。健康な人間の寿命は、大体60前後、運がよければそれ以上ね。折角の人生なんだから、長く生きないともったいないでしょう」
「……本当に、変な奴だなぁ。まだ俺より年下なのに。達観してるというかなんというか。普通じゃないよ」
ライアが怪訝そうに腕組みをしている。
「普通なんて知らないわ。大体、主に対してそんな口を聞く貴方の方がどうかしてるわ」
特に不快ではないので、ライアについてはそのままにしてある。面白さを消すのは得策ではない。ベックが同じことをしたら折檻である。
(……それにしても、消耗する。昨日の疲労が抜けていないのかしら)
「――はぁ、はぁ」
「…………」
「ぜぇ、ぜぇ」
「ほ、本当に体力ないんだな。なんというか、ちょっとやばそうなぐらいに」
「い、一歩一歩、力強く歩いていかないと。食事を改善して骨を強化し、運動して筋肉をつける。……ああ、猛烈に吐きそう」
「だ、大丈夫か?」
ライアが背中を擦ってくれる。冷たい掌が心地よい。なるほど、共同生活の利点を発見してしまった。触れあいがあると、気分が穏やかになる気がする。
「感謝するわ。さて、今日はこのぐらいにして帰りましょう。私のことはいいから、貴方は服を買ってきなさい」
「え、もう帰るのか?」
「30分も歩けば十分よ。往復で1時間。既に筋肉が悲鳴を上げているわ」
補助用の杖を買うことも考慮にいれておき、ステラはライアと別れて帰路につく。まだ朝だというのに人の流れは多い。今いるのは闘技場などがある中区だ。ストック商会があるのは西区。西区の寂れた区画、ロールベリー通りにグレン雑貨店はある。
大きく深呼吸して空気を取り入れた後、背筋を伸ばしてステラは歩き始めた。
『ご主人、格好は立派だけど、顔がやばいじゃん? 蒼白で本当に死人みたいじゃん』
「貴方の素敵な声を聞いていると本当に倒れそうだから、ちょっと離れてくれる? 耳元でうるさいのよ」
『ウケケ、じゃあ俺っちが背中を押してあげるじゃん! ていっ!』
クレバーが背中から突っ込んできたので、ステラは前に軽快にすっころんでしまった。ごろごろと転がる。顔から服まで泥だらけ。髪もひどいことになっている。骨は折れていない。それほどの勢いではなかったが、ステラに受け止めるだけの力がなかっただけ。
周囲の通行人が哀れむような、嘲笑するかのように過ぎ去っていく。手を貸してくれるような殊勝な人間はこの街には当然いない。別に手を貸して欲しいなどと思ってもいないが。だが、報いは与えなければならない。
「……この糞野郎が」
『あ、あの』
「いい度胸してるじゃない。……その身を持って報いを受けなさい」
『プギー!!』
真顔で魔水晶を取り出したステラを見て、クレバーは悲鳴を上げて上空へと逃げ出した。護衛の役目を放棄するつもりはないらしく、旋回し続けているが、降りてくる様子はない。当然ながら、後できっちりと躾なければならない。
「……本当に、難儀ね」
――まだ、家まで戻るという重労働が残っている。
上着と白い服を土と汗まみれにして、ステラはなんとか帰宅した。先に帰っていたらしいライアは、こざっぱりした格好になっている。動きやすい服ばかりを選んだようで、小生意気な少年にしか見えない。そういう風にわざと装っているのだろうが。
「いくらなんでも遅すぎだろ! って、お、おい、一体どうしたらそんなに汚れられるんだ? 物盗りにでもあったのかよ?」
「鳥野郎のせいでちょっとね。骨が折れたりしないでよかったわ。その代わりにこの様だけども」
「あらあら大変! 今すぐお湯を用意します!」
「どうもありがとう。ご機嫌な鳥野郎はどこかしら。私より先に入ってきたでしょう」
「あ、ああ、クレバー? ちょっと用事があるって直ぐに出て行ったけど」
「あっそう。帰ってきたら強めの躾が必要ね」
料理が用意されているテーブル。ステラは服を脱ぎ去った後、下着姿で椅子に腰掛けた。今は女しかいないから問題ない。ベックは水汲みとストック商会への顔出しだ。早速あの治療薬を届けさせている。ちょっと消耗するだけで金が手に入るのだから中々旨い商売だ。
「これで汚れを落としてください」
「ありがとう、マリー」
まだ二日目だというのに、実に手馴れている。中々良い買い物をした。一々指示を出し、教え込むのは非常に手間がかかって面倒くさい。それが実になれば達成感もあるのかもしれないが、徒労に終わったときの絶望感を考えると恐ろしい。その相手がベックだったりしたら、思わず頭を砕きたくなってしまうだろう。それでは癇癪を起こした子供と同じ。自重しなければなるまい。
そんなことを考えながら暖かいタオルで顔を拭き、ゆっくりと身体を拭く。腕がぎちぎちと悲鳴を上げ、背中を拭くのにさえ難儀させられる。
「はぁ。ほら、手伝ってやるから座りなよ」
すると、見てられないとばかりに、ライアがやってきて世話をしてくれる。櫛までもってきてだ。彼女の動きは非常に手際がよく、こういうことに慣れているようだった。ちょっとだけ見直した。自分の物が有能だと嬉しくなる。
「気が利くわね」
「そんな様を見てれば、誰だって手を貸すよ」
「そうかしらねぇ」
(マリー、ライア、直感で選んだけれど、中々の掘り出し物かしら。幸先が良いと、なんだか嬉しいわ)
「慣れてるわね。褒めてあげる」
ステラが素直な感想を述べると、ライアは「偉そうに」と小声を漏らした後、呆れたように呟いた。ちょっとだけ減点である。小言や悪口は聞こえていないところでするべきである。
「……お前がどんくさすぎるんだよ。ったく、女なら身だしなみくらいしっかりしろよ」
「貴方に言われたくないわ。昨日までの姿を鏡で見たことがあるのかしら」
「あれはわざとだよ。どっかの変態に買われるなんて冗談じゃないからな。……でもお前がまともといっている訳じゃないぞ。勘違いするなよな!」
「貴方、本当に失礼ねぇ」
ステラは軽く反論しながら、用意されたサラダに手をつける。正直食欲は全くないが、食べなければ力はつかない。目玉焼き、パン、焼き魚と実にボリューム満点で見ただけで胃がムカムカしてくる。だが、食べないのはマリーに失礼である。彼女は全力を尽くして仕事を行なった。ならば、主としてもしっかりそれに応えなくてはならない。
大きく息を吸い込んでフォーク片手に処分していく。はっきりいって苦行である。だが食べる。苦しい。早く食べる。
「……もっとゆっくり食べた方が」
「しっかり噛んではいるから問題ないわ」
「朝食でこんなに必死な顔してる奴、初めて見た」
「……私は見世物じゃないのよ。貴方たちもさっさと食べなさい。今日は、新商品を考えたから、その作成を手伝ってもらうわ」
「新商品? えーっと、言っちゃなんだけど、この店、売り物になりそうなのはあんまりないよな。お金があるならちゃんとした物を仕入れたほうがいいと思うけど」
ライアが同情するような視線を送ってくる。そんなことは百も承知だ。だから、新商品を考えた。労力は限界まで押さえ、利益は最大限まで伸ばす。これが商売の基本である。そう勉強したので間違いない。
食事を終え、用意された着替えに袖を通す。お腹は膨れていないが、満腹感は凄まじい。これ以上口に含んだら本当に死ぬ。
銀髪を弄りながら、切り揃えられた前髪をかき上げる。直ぐにもとの髪型にもどる。短いのは楽で宜しい。完全に無意味な行動だが、これは人間の癖というやつらしい。無意識というのは実に面白い。適当に放り投げてあった魔水晶を取る。
「ところでベックはどうしたの。ずっと見当たらないけれど。商会へ品物を届けるだけなのにどれだけ時間がかかっているのかしら」
「あ、ミルクと油が切れそうだったので、一緒に買出しもお願いしました。そろそろ戻ってくるかと思いますよ」
「そう。なら問題ないわ。雑用があったらどんどん使いなさい。それ以外は店の警備をするように言ってあるから」
油は生活必需品だ。料理にも必要だし、夜はランタンがなければ何も見えない。できれば防犯対策として、店の中は常に明かりをつけておきたいところだ。ストック商会の縄張り内ではあるが、盗人にそんなことは関係ない。
「……あのさ」
「何かしら」
「色々と訊きたい事が山ほどあるんだけど。マリーさんも気になってると思うし」
余りよろしくないが、今後の説明を省くためにも今答えるべきか。
「私への質問は簡潔にね。自分のことを説明するのは時間がもったいないから。私になんの利益も見込めないし面白くない。何しろ私には後50年しか――」
言葉を遮り、ライアが詰め寄ってくる。
「あー、分かってるって! あのさ、一番の疑問なんだけど。なんであの鳥、喋れるんだ? しかもやけに強いし。あれ、ただの鳥じゃないんだよな?」
「最後まで残った聖獣の中の一匹。あれは、私についてくることに決めた。だから、私はあれを使うことにした。語尾が頭が悪そうなのは良く覚えていない。昔は違った気もするけれど」
「せ、聖獣? 何それ」
「守るために産み出されたものたち」
「それは、お前を守るってこと?」
「クレバーはそうね。まぁ、深く考える事はないわ。鳥が喋ったって別にいいじゃない。命令は大抵聞くし、護衛にも使える。たまに馬鹿なことをやらかすけれど。だから、今回も首絞めで許してあげるつもり」
「そ、そうなんだ。よく分からないけど、まぁそれはいいや。後はさ――」
「まだあるの?」
ステラは露骨に嫌そうな顔をした。
「お前、確か、10歳だよな?」
「そうよ。生まれてから10年も経過しているわね。泣きそうよ」
「あー、うん。私は12歳なんだけど」
「あっそう」
「ああ、そうなんだけどさ。なんというか、10歳にしてはその」
奴隷商人から聞いていたので、特に驚きはない。一応、記憶すべき情報なので覚えてはいる。ちなみにマリーは40歳、ベックは20歳だ。
「質問は終わりね」
どうやら話は終わったらしいので、ステラは立ち上がろうとする。が、ライアによって軽く右肩を押さえつけられる。痛みはないが振り払うのが億劫だ。
「いやいや、まだ話は終わってないんだけど」
「私は忙しいの」
「だって、まだまだ気になることが一杯あるんだよ。その水晶の正体とか!」
「また今度ね。さて、さっきも言ったけどこれから手伝ってもらうわよ。マリー、貴方もちょっと手を貸して」
食器を片付け始めていたマリーにも声を掛ける。
「は、はい。どうすればいいんでしょう」
「な、何をしろっていうんだ?」
「だから、新商品の作成よ」
ステラは湧き上がる眠気を堪えながらライアの額をつんと突き、立ち上がった。
展開は意図的にゆっくりと。戦記だとペースが速いので、どんな感じで書けるかなぁという実験。色々試して勉強です。