第三十三話 対峙
深い霧の中をステラは進んでいく。どこか懐かしさを覚える光景だ。
先に進んでも何もないし、何も変わらない。白い霧の中で、全ての結末を知ったとき、かつての自分は絶望を知った。停滞は永遠に続き、束縛と退屈は自分を殺す毒となる。それでも終わる事はない。
何度も何度も何度も何度も繰り返し再生される。自分たち二人は墓守であり、墓が存在し続ける限り、それを守り続けなければならない。忠実な下僕たる聖獣たちに見捨てられてもだ。孤独に苛まれ精神が悲鳴を上げてもそれは止まらない。助けを求めても誰も助けてはくれない。神はいないのだから。
だから自分はもう一人の墓守と袂を分かち、その鎖を強引に断ち切った。自分に魂があるということに全てのチップを賭けて。最後まで自分に協力してくれたのはクレバーだけだった。理由は一つ。誕生した時が同じだったから。ただそれだけの腐れ縁。
『もしかして、思い出しちゃったじゃん?』
「さぁてね。お節介な鳥が消してくれたんじゃなかったのかしら」
『流石の俺っちも、欠片すら残さず消去するのは無理じゃん。精神が壊れちゃうじゃん』
「まだ壊れてなかったことに驚きよ」
『霧に包まれたあの静謐の塔。いや、墓か。まだ相も変わらず任務に忠実にやっているのかな?』
「……興味ないわ。別れはしっかりと済ませたもの。あれ以上言うべきことはないし、やるべきことはない」
『二人とも、最後まで頑固だったじゃん』
「それは貴方もでしょう、クレバー」
ステラが笑いかけると、クレバーも応じて嘴を鳴らす。恐らく、きっと最後の時までこの関係は続くのだろう。ステラの寿命がつきたとき、彼の本当の生は始まる。誰にも束縛されない自由な生き方ができるようになる。それは、もしかしたら今日なのかもしれない。
「――何者か!」
「そこで止まれッ! 止まるんだ!」
帝国軍の警戒網に引っ掛かったようだ。ピーベリーを出てから一時間以上は歩いただろうか。魔力はまだ尽きていない。交渉には十分すぎる時間が残っている。日頃の訓練の賜物だ。
ステラは両膝をつき頭を一度下げ、嘆願するように述べた。
「私はピーベリーの使者です。降伏を受け入れていただく為、嘆願に参りました。どうか帝国の将軍様にお取次ぎくださいませ」
「……子供が使者だと?」
「罠かもしれん。こいつら、怪しげなまやかしを使うからな。装束もそれらしい格好だから、決して油断するな」
「ならば存分にご検分ください。その後は、どうかお取次ぎを」
「黙っていろ! どうするかは我々が判断する!」
ステラの体が乱暴に蹴り付けられる。帝国兵が槍を突きつけながら、ステラの体をまさぐる。当然凶器などもっていない。ポーチも調べられたが、水晶だけしか入っていない。当然問い詰められる。
「なんだ、これは?」
「お守りでございます。私は天候や星空を見て、吉兆を占う修行をしておりますので」
「……天文官の見習いか」
「凶器などは持っていないようだな」
「……とりあえず、密偵の類ではないようだが」
ステラから手を離した帝国兵がどうしたものかと首を捻る。同僚と小声で話し始める。
「元帥に報告した方が良いだろうか」
「それはそうだろう。勝手に始末したら命令違反だ。やるにしても、場を用意してから処刑しないと意味がない。反抗する者への見せしめなんだからな」
「よし、それじゃあ俺がつれていく。来い! 妙な真似をしたら、即座にその首を叩き落とすからな!」
「はい、承知しております」
「それと、陣中をお前に見させる訳にはいかない。邪教徒どもは何をしでかすか分からんからな。目隠しをさせてもらう」
「ご自由に」
ステラの目元が布で覆われ、後ろできつく縛られる。上空を旋回するクレバーから怒気が感じられるが、降りてくる気配はない。
乱暴に肩を掴まれると、引き摺られるようにして連行される。痛いし苦しくて堪らない。世界が暗闇で閉ざされている。両親の死に顔が浮かんでくる。吐き気がする。魔力が暴走しそうだ。だが堪える。今そうなれば全てが水の泡。無意味になってしまう。
15分程度歩かされ、途中で馬に乗せかえられ、更に10分。引き摺り下ろされた後、強引に跪かされる。目隠しが外されると、白い世界が目に入る。霧は順調に発生中のようだった。
ステラの背後には抜き身の剣を持った帝国兵が二人。目の前には、重厚な黒鎧を身につけた若い男が木椅子に腰掛け、その隣には敵意をむき出しにした女将校がいた。
「ようこそと言うべきなのかな? 私は、帝国軍元帥にして、遠征軍司令官を務めるファリド・アラインだ」
「ピーベリーからの使者、ステラ・ノードゥスと申します」
「乱暴な扱いをしたことをまず謝罪しておこう。だが、君が刺客や密偵とも限らないので許してもらいたい。実際に子供の刺客を送り込んできたことがあってね」
「全員ぶっ殺してやったけどな! 餓鬼に頼らなきゃならないなんて、情けねぇ連中だぜ!」
女将校が歯を見せて笑う。
「君の街の領主はそういった策謀に長けているようだ。彼が態度を露わにした後、幾度も送られて辟易していたんだよ」
一見すると、赤毛の優男だ。だが全く隙がない。たとえば、ステラが暗器の類を持って襲い掛かったとしても、即座に斬り捨てられるだろう。それほどの武力の持ち主。隣の女などは狂犬そのものだ。今にも歯を剥きだして襲い掛かってきそうである。
「申し訳ありません。お詫びしようがございません」
「何、もう終わったことだ。それで、今日は何のようかな? 私も忙しい身でね。この霧が晴れたらすぐに総攻撃が始まる。そのための準備をしなければならないんだよ」
ピーベリー殲滅を示唆するファリド。いや、もはや確定事項であると言っている。許す気などさらさらないのだろう。グレッグスの馬鹿は星教会に媚を売る為に、敵司令官を暗殺しようと企んだようだ。だが裏目。暗殺は失敗し、更に敗戦した。そんな真似をした後で、降伏の使者など送れば、それは殺されて当たり前だ。保身を企むだけならともかく、跡を濁していくとは本当に迷惑な男である。
「お言葉ですが、ピーベリーには戦う意志も力もございません。残るは力なき民ばかり。どうか、降伏をお聞き届けくださいませ」
「力なき民も多少はいるかもしれないが、ほとんどは救う価値のない屑ばかりだと聞いている。そうだったな、宣教師セボール」
ファリドが手で合図すると、兵達の背後から見覚えのある坊主頭の男が現れた。ピーベリーを訪れていた密偵セボールだ。
「はい。まともな住民はあそこには残っておりませぬ。麻薬が横行し、賭博や私闘にうつつを抜かす愚か者ばかり。皆殺しにする必要はありませんが、街は一度灰燼とするのが最善かと。一度焼き尽くさねば、清浄化することは難しいでしょう」
「セボール様。なぜそのようなことを? 神の慈悲をお教えいただけるのではなかったのですか?」
「ステラ。その演技ぶりは実に素晴らしいが、もう遅いのだ。ピーベリーは滅ぼすと決まった。皇帝陛下は裏切りをお許しにはならない。グレッグスは我らに通じる振りをしながら星教会に寝返った。見せしめのために、街は徹底的に破壊する」
「と、いうことらしい。ステラ、その年齢で君は実に勇敢だ。たった一人で敵陣に乗り込み、住民達の命乞いを行なった。その勇気に免じて、一日だけ時間を与えよう。その間に、君の言う“力なき民”とやらを逃がしてあげると良い」
「兄貴ッ! それじゃ甘すぎるだろ。さっさと乗り込んで全員撫で斬りにしちまおうぜ!」
「労働力となる者を皆殺しにしてどうするんだ。得意満面で虐殺を行なった後、お前の食料は誰が作るんだ?」
「……あ、そうだった。確かに奴隷は必要だよな! 屑どもをとっ捕まえて死ぬまで働かせてやるぜ!」
ファリドが咎めると、女将校は照れくさそうに笑った。そしてステラを嘲るように見下してきた。
「では、どうしても降伏は認めず、攻撃は行われるのでしょうか」
「その通りだ。こうならないように、何度も調略を行なったんだけどね。恨むならば、我らの力を侮ったグレッグスを恨むと良い。どうやら、既に逃げ出した後のようだけどね」
ファリドが笑うと、帝国兵達が声を荒らげながら嘲笑する。グレッグスの逃走はすでにお見通し、中の実情も筒抜けということらしい。これでは篭城戦どころの話ではない。投石機も必要ないかもしれない。合図があれば、勝手に炎が街を包み込みそうだ。どれだけの密偵がもぐりこんでいるかさっぱり分からない。
ステラは白い空を見上げて、大きな溜息を吐いて立ち上がった。背後の帝国兵が鋭く警告してくるが、もう気にしない。
「全く、グレッグスの間抜けが余計なことをしてくれたから、面倒なことになったわ。領主として全責任をとって死んでくれれば良かったのに。いや、先手を打って殺しておけばよかったのかしら」
「貴様、元帥閣下に失礼だろう! 跪け!!」
「嫌よ。元帥といっても同じ人間でしょう。処刑台の上に立っているのは、お前達も同じ。そして交渉は決裂寸前。だったら、もう跪く必要なんてないでしょう」
「貴様、何を戯けたことを!! 死にたいのか!」
「――なるほど、それが君の本性か。実に面白いな。だが、処刑台にいるというのは一体どういうことかな?」
剣で斬り付けようとした帝国兵をファリドが視線で制止し、ステラに語りかけてくる。目は警戒の色が増している。嫌な気配を感じているのか。
「流石は偉大なるファリド閣下。他の雑魚とは違うわねぇ」
「君もただの命知らずの子供ではないようだ。どうやら、警戒すべき相手のようだね」
「ねぇ、何かおかしいとは思わない? 会戦で勝利して、いざ街を攻撃しようとしたら都合よく霧が出てくるなんて。あまりにもできすぎているでしょう。ふふっ、本当におかしいわよねぇ」
「……君は、これが人工的なものとでもいいたいのかな?」
「さぁてね。ただ、私が知っているのは、貴方が降伏の受け入れを拒否した瞬間、この霧が変化するということだけ」
「どう変化するのかな? 我々は脅しになど屈しないが、参考の為に聞いておこうか」
「呪われた黒い霧に変化するの。黒い霧は肺を通って全身に回り、脳、臓腑、肉体、骨、血液のすべてを腐らせる。人間も動物も植物も全て死ぬ。ここは誰も住めない死の大地に変化するでしょうね。想像するだけで震えちゃいそう」
ステラはポーチから魔水晶を取り出し、発光させる。おどろおどろしい光が白い霧を照らし出す。霧の中で紫色の光が反射しあい、幻想的で不気味な光景を作り出す。
「お得意のまやかしか。どういう技術を使っているかは分からないが、不思議なものだね」
「ええ、全てがまやかしよ。この霧も光も。でも、私の言ったことは本当」
「なるほど。実に恐ろしい話だ。多分本当のことなんだろう。君が嘘をついているようには私には思えない」
ファリドが鷹揚と笑う。
「あ、兄貴! こんな餓鬼の言葉を信じるのか!?」
「レベッカ、少し黙っていろ。今は交渉中だぞ」
「――ううっ」
「だが、君の言葉を信じて降伏を受け入れたとしたら、私は弱腰を笑われる事になるだろう。更には陛下の期待を裏切ることになる。帝国軍元帥としては、とても承服できないということも理解できるかな?」
「普通ならそうでしょう。でも、私は年端もいかぬ子供。貴方が子供の嘆願を聞き届け、寛大な慈悲を見せたということにすればよい。帝国軍は悪逆非道の征服軍ではないという証明にもなる。そういう物語も作れるんじゃないかしら」
「ははは、それは中々面白いね」
「日和見を決め込んだ挙句、星教会に味方したことに関しては、全ての罪をグレッグスに擦り付ければ良い。ピーベリー住民には関係のないことよ」
「随分と都合が良い話だけど、良くある話でもあるか。それにしても、本当に頭が回るね。君が大人になったら、我が軍の参謀として迎えたいところだよ」
「それは光栄ね」
「真剣に考えておいてくれると嬉しい。これからの帝国は、優秀な人材が幾らいても足りなくなるからね。いつでも歓迎するよ」
ファリドが上機嫌に笑う。後一歩だろうか。
「それと、もう一つ素敵な物語を作れるわ。貴方が号令を掛けた後、霧が晴れたとしたら? 例えば、剣を抜き放ったと同時に太陽の光が差し込むの。それはとても偉大な伝説を作る事にならないかしら」
「はは、それも面白い話だね。いやいや、君は本当に興味深い。こんな場所じゃなかったら、もっと楽しかったんだろうね」
「お褒め頂き、ありがとうございます。ファリド閣下」
「それじゃあ、私もお返しに一つ話をしよう。君が恐ろしいまやかしを使うとして、発動するのには何か切っ掛けが必要なんじゃないのかな? 今まで相手をしたまやかし使いは、そうだったからね」
「……さぁ、どうでしょうか」
「その首が胴体から離れても、君の決死の策とやらは実行できるのかな?」
ファリドが笑う。隣の女将校は、何人の血を吸ってきたであろう長い槍を握っている。これがファリドの愛槍か。
黒霧に変化させるには溜めと発動が必要だ。溜めは終わっている。だが発動には僅かに隙ができる。どちらにせよステラは死ぬ。
「…………」
「私の本気の一閃と、君の切り札、どちらが早いか。その勇敢かつ不遜な態度が見せ掛けかどうか。なんだか試してみたくなってもくるな」
「…………」
魔水晶を前に翳し、強く握り締める。ファリドは笑みを浮かべている。覚悟を決める。僅かにでも動く気配を見せたら、即座に発動する。
1分か、或いは2分か。帝国兵達も沈黙を続けている、誰も笑う者はいない。唾を飲み込む音がする。
「…………」
「…………」
「本気の脅しにも屈しないか」
「…………」
「――君の覚悟は良く分かった。降伏の申し出を受け入れよう」
「あ、兄貴!?」
「言葉だけでは信じられない。今ここで契約書を交しましょう。ピーベリー住民の生命と財産の安堵。ただしグレッグスとその一味は除くわ」
「はは、しっかりしているね。いいよ。帝国元帥の名で署名する。君にも署名してもらうが、構わないな?」
「ええ。問題ないわ」
帝国元帥ファリド・アラインと、ピーベリーの雑貨店の娘ステラ・ノードゥスの間で契約書が交換される。冗談のような光景に、セボールは呆然としている。だが、ステラがにらみ付けると、ヒッと叫んで視線を背ける。
「それで、霧はすぐに晴れるのかな?」
「ええ、もうまやかしは解いた。これから一時間後に霧は晴れる。それまでに名演説を考えておけばいいんじゃないかしら。立派な伝説に残る様なものをね。世界は英雄を求めているらしいし、きっと歓迎されるでしょう」
「私が約束を破り、攻めこむとは考えないのかい?」
「嘘つきは嫌いよ」
ステラがかぶりを振ると、ファリドが愉快そうに笑う。
「それは奇遇だね。実は僕もなんだ。だからグレッグスのことは許せなかったのさ。君との約束は絶対に守るよ」
ファリドの一人称が僕に変わっている。こちらが素なのか。どちらでも良い事だ。この若さで元帥にまで登りつめたのだから、相当な能力の持ち主なのだろう。
「なんだか、君は僕の知り合いに似ているね。……ところで、顔色が悪いみたいだけど、大丈夫かい?」
「ええ、大丈夫。元々、あまり身体が丈夫じゃないから」
ステラの視界が歪む。魔水晶が落ちそうになったので、慌てて掴みポーチへとしまう。その拍子に、地面の上へとくずおれてしまった。
ファリドの慌てたような声が聞こえてくる。まだ気絶するには早い。まだ見届けていない。約束が果たされるのを見届けていない。人間は嘘をつく。ここまで頑張ったのに、それが無駄になってしまう。無駄は嫌いだ。
(なんで、ここまできて。全部上手くいったのに、理不尽すぎる)
ステラは自嘲する様に口元を歪めた。そうだった。世界は理不尽だった。だからその中で生きる人間たちに自分は憧れた。憧れて憧れて、命を懸けてでもそれになりたいと思った。ステラは小さく息を吸い込んだ後、そのまま目を閉じた。




