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第四話 落涙

 ――夕方、グレン雑貨店。

 店内に入り込むと同時に、ステラは冷や汗をダラダラ流しながら椅子にもたれかかる。背中を滴り落ちる雫が非常に不快だ。商品の手拭を取って、直ぐに身体を拭く。


「予想以上に体力がない。このままじゃ、30になる前に死んじゃうかも」

『ウケケ、それは悲しいけど朗報じゃん! そしたら俺は自由じゃん! 自由万歳!』

「そのときは貴方も道連れよ、一緒に無に還りましょう」

『人間になったんだからもう少し言い方を勉強しようじゃん』

「一緒のお墓に入りましょう」

『もちろんじゃん!』


 ただ街中を歩き、少し会話をしただけなのにこの疲労感。明日から早速体力をつけようとステラは決意した。そして、鳥相手に会話していることに目を丸くしているマリー、ライアに向き直る。水差しで喉を潤した後で。入っていた水が温くて不味い。


「ふー。ようやく落ち着いたわぁ。貴方達も勝手にくつろいでいいから」

「…………」


 無言で戸惑いを見せるライアたち。


「ここが今日から貴方たちの住処になるグレン雑貨店よ。早速だけど、店番兼家事全般はマリー、店番兼私の話し相手はライア、力仕事全般と雑用と肉壁はベックね。作業分担は以上。生活するのに必要なものは今日のうちにリストにまとめておきなさい。明日お金を渡すので、各自勝手に用意するように。今日は食事をしたら勝手に寝なさい。はい、伝達終わり」


 言いたいことは言ったとばかりに手を打ち鳴らす。ステラはだるそうに立ち上がり、水浴びをするために水瓶のもとへと向かおうとする。それにしてもいちいち水を汲むのは実に面倒だ。面倒といっても、ステラはほとんどこの作業をしたことがない。この身体で往復などしたらそのまま倒れて帰宅できなくなる。過去に実証済みのようだ。

 すると、ライアが立ち上がり、店内に響き渡るほどの怒鳴り声を上げる。


「ちょ、ちょっと待ってよ! いきなり訳わかんねーよ! 大体、誰がお前の奴隷になるなんて言ったんだ!」

「貴方は奴隷市場で売られていたじゃない。面白そうだから私は買った。だから貴方は私の物。嫌でも従ってもらうわ」

「お前、ふざけんなよ!」


 ライアが激昂して掴み掛ってきたので、素早く魔水晶を掲げようとする。が、その前にクレバーが飛び掛り、ライアを制圧してしまった。オウムを一回り大きくした体格、そして、人間ごとき容易く引き裂く鉤爪と嘴を持ち、その羽は鋼をも切り裂く刃を作り出す。聖獣の名は伊達ではないのだ。

 ――記憶だとそうなっている。多分そうなんだと思うが、イマイチ自信がない。


『ご主人に手を出したら、バラバラに引き裂くじゃん。後たった50年なんだ。思う存分生きてもらいたいじゃん』

「い、痛い、痛いって! や、やめて」

『さっきの勢いはどうしたじゃん? そうだ、目玉を一つ抉ってやろうか? 二つあるんだ、問題ないだろう?』


 口調が変わったクレバーが嘴をギチギチと鳴らしながら脅す。ステラは手を叩き、そこまでにしろと合図を送る。


「せっかく買ったのに、いきなり傷物にするのはやめなさい。お金の無駄になってしまうわ。後、言葉遣いが怖いわよ?」

『……ウケケ、分かったじゃん。ちょっとからかっただけじゃん。ごめんな、ライアっち! ウケケッ!!』


 分かってなさそうな口ぶりで、ライアを解放する。ライアは息を切らしながら、這い蹲って距離を取る。


「な、なんなんだよ! この鳥、おかしいぞ!」

『つれないじゃん、ライアっち』

「やめろって、く、くるなよ! くるなって!」


 ライアをからかうようにクレバーが周囲を旋回する。話が進まないのでステラは声をかける。


「ここは汚いけれど、あそこよりはマシだと思うわ。ちゃんと食事も出すし、休みもあげる。しかも、給金もあげるわ。至れりつくせりでしょう」


 労働には対価を支払う。所有物の意欲を引き出せるなら問題はない。大事なのは彼らが自分のために働くという事だ。


「…………給金」

「きっちり働いて、お金を溜めていきなさい。そうしたら、10年後くらいには解放してあげるわ。そのときに、お金がないとすぐに檻の中に逆戻りでしょう。こんなに寛大な主人に恵まれて、貴方は幸せねぇ」


 ライアとて自分の状況は分かっていることだろう。行くも残るも任せれば良い。永遠に束縛される苦しみは良く分かる。所有物にもそれぐらいの情けはかけてあげるつもりだ。


「本当に、いつか、私、いや、俺を解放してくれるのか? お金もくれるのか?」

「そうよ、女なのに男のふりをしていたライアちゃん? あそこでばれなくて本当に良かったわねぇ」

「なッ!!」

「私の目はごまかせないわよ。ふふっ、本当に面白いわね貴方」

「う、うるさいな!」

「どんな過去を持っているのかしら。楽しみにしてるわよ?」


 ステラがからかうと、顔を赤くするライア。乞食のような格好からは想像できないが、ステラはその正体を見抜いていた。だから買った。なんだか面白そうだから。それだけである。

 あそこでバレなかったのは、女としての特徴が出ていなかったこと、そして身なりがひどく汚れていた事だ。運も良かったのだろう。商人達も、売れそうな商品には金を掛けて整えるが、売れそうもないものはそのまま檻の中へ突っ込んで餌を与えるだけ。それでも売れなければ、より苛酷な場所へ連れて行かれるか、処理されるか。


「あのーステラ様。俺も、もしかして解放してもらえるんですかね? その、一生懸命頑張れば」


 そっと手をあげてくるベック。彼は別枠だ。ステラは鼻で笑うと、宣告する。


「ふふっ、する訳ないでしょう。貴方は特別よ、ベック。自分が何をしたかその頭で考えて見なさい」

「そ、それは」


 ステラを脅迫し、奴隷として売り飛ばそうとした。記憶を取り戻していなければ、何かを始める前に終わっていた。情けを掛ける気はさらさらない。嫌だというなら、それなりの対応をするだけ。


「でも、貴方がどうしてもというなら、解放してあげないこともないわ。ね、してほしい?」

「それって……」

「してほしいの?」


 ステラは魔水晶を取り出す。ベックの顔が青褪める。


「い、いえ滅相もない! なんでもありませんでした!」


 ステラの念押しに、ベックは慌てて首を横に振った。嘘はつかない。ステラの元からは確かに解放してやる。ついでに、その肉体からもだ。所有物をどう扱おうが勝手である。この男は、一度自分を害そうとしているのだから尚更だ。


(でも、本気で嫌がっているようにも思えないのよね。……そういう人間もいるというのは知っているけれど)


 なんとなくだがベックはひどい扱いを受けることに、満足感を得ている様子がちらほら窺える。そうでなければ、逃げていてもおかしくはない。ごろつきとして偉そうにしていたのは、そういう性分の裏返しの可能性もある。虐げられて喜んでしまう部類。難儀な人種である。


「ところでマリー、貴方は問題ないかしら。さっきから黙っているみたいだけれど」

「え、ええ。でも、どうして貴方のような子供が奴隷なんて……。それに、失礼だけど、このお店もそんなに裕福そうには見えないわ。私達を置くほどの余裕はあるの?」


 店内を見渡すマリー。陳列棚は空きが多く、残っているものには埃が掛かっている。雑貨屋などと謳っているのが恥ずかしいほどである。父は、店の売り上げて挽回しようとしていたのではなく、親友の誘いに乗ってリスクの高い交易に手を出して、見事に失敗した。この店は最後の最後に残った財産だったということだ。夢を追ったなどといえば聞こえは良いが、分不相応なことをした罰である。

 哀れなのは父に従うだけだった母だ。ステラの身体が弱いのは母譲り。気性も大人しく、苦労を一身に抱えた結果、最後はステラの首に縄をかけた。ステラが生き残ったのは、母の力がそれだけ弱まっていたおかげだ。実に僥倖である。


「ふふっ。確かに今日の朝までは借金地獄だったわねぇ。貴方、中々鋭いわ」


 ステラが褒めてやると、マリーはさらに怪訝な顔をする。


「ということは、貴方も?」

「本当にどういうことだよ。貴族の馬鹿が変装しているかと思ったのに。ただの街娘が奴隷を買えるなんておかしいよ」

「この歳まで、貴族とは程遠い生活だったわねぇ。借金が金貨百枚もあったから。素敵な額でしょう」

「き、金貨百枚!? そんな借金地獄の家の小娘が、なんであんなに金もって、俺たちを買えるんだ! 第一、この男、ストック商会の下っ端だろ。前に見かけたことがあるんだ。大人しくいう事を聞くような連中じゃない。弱いもの虐めが好きな屑ばかりじゃないか!」

『ライアっち鋭いじゃん。ベックはその通りの人間じゃん』

「……もうどうにでもなれってんだよ」


 クレバーがベックの頭に乗っかる。糞をしないのは彼の優しさだろう。


「一つずつ答えていくわ。借金は取引でチャラ。ベックは確かにストック商会の手下。でも、今は私のベックよ。今朝、私の家に借金を取り立てに来たのが運命の分かれ道。今では彼は私の所有物。無論、貴方たちもね」

「わ、私はまだ認めたわけじゃない!」

「認めようが認めまいが、貴方達は私の物。私はお金を出し、貴方をあそこから連れ出したのだから。嫌なら、檻に戻る? 売れなければ最期はどうなるか、良く考えた方がいいと思うけれど。まさに運命の分かれ道」


 それほどここも悪くないと思うが、あくまでステラの視点からだ。最後まですべてに抗い、死を選ぶ道もある。苦しくても己を貫けたのならそれはそれで立派なのかもしれない。まだまだやることが腐るほどあるステラには理解出来ないが。


「くそっ」

「十分幸運だと思うのだけどねぇ。……ああ、ちょっと、ごめんなさい」


 喋りすぎたので、ステラは水を飲む。少し熱っぽい。体力不足が深刻だ。栄養を取らなくてはならない。紙袋から黒パンを取り出し、早速齧り始める。歯応え十分だ。顎が疲れる。


「その、食事でしたら今から準備を。ただ、まだここには慣れていないので、少し時間をください」


 マリーが動こうとするのを、手だけで制止する。今日はきっと受け付けないので、必要ない。


「悪いけれど、今日はいいわ。パンを買ってきたから。明日から宜しくお願いね」

「は、はい。分かりました」

「ちなみに朝食は軽めで。珈琲も淹れて置いて。先にそのお金は渡しておくわ」

「ステラ様、本当にいいんですか? こいつら、そのまま逃げるかもしれませんぜ」


 自分のことを棚にあげて余計なことを言うベック。一番逃げそうなのはこの男だ。だが脅迫してあるし、更にクレバーが目を光らせている。ストック商会に戻ったところで、再びここに派遣されてくるだろう。ルロイとはそういう指示をだしているのだ。この男の帰る場所は、ここしかない。


「構わないわ。商会から結構な額を預かっているからね。そこから適当に渡してあげて。後は店の金庫にでもいれておきなさい。収支は店の帳簿につけるように。私が定期的にチェックをいれるから」

「は、はい」

「ベック、無駄遣いは駄目よ。貴方が一番危なそうなのよね」

「し、しません! しませんって!」

「どうして焦っているの? ちょっとぐらいはいいかなぁとか思っていたのかしら? 私は世間知らずの小娘だから、使い込みなんてバレる訳がないと」

「ひっ、とんでもありません!」


 僅かに考えていたようだ。ベックだから仕方がない。

 例の治療薬はベックが運び、その代わりに金を受け取ってくる。時折監視を行なえば問題はない。店の金を持ち逃げした場合は、罰を与えるだけのこと。商会が逃がすとは思えないし、その前にクレバーの目から逃れられるとは思えない。


「だからちょっと待って。なんでストック商会の下っ端が、お前みたいな小娘のいうことを大人しく聞いてるんだ? 意味が分からないよ」


 ライアがベックを睨みつける。ベックはおどおどして返答しない。ごろつきとしての矜持は完全に折れてしまっている。今はただの飼い犬だ。


「私がルロイ、ストック商会と取引することになったからよ。さっきも言ったじゃない」

「ストック商会と? ど、どうやって!」

「貴方にそれを教える必要があるのかしら。とても面倒くさいわ。そのうち分かることでしょうし」


 買ってきた黒パンを齧る。外は硬いが中はパサパサして口に纏わりつく。安いだけのことはある。


「なぁ、教えてくれよ。そうすりゃ、俺だって何か手伝えるかもしれないだろ。一杯お金を稼げば、俺が解放されるのも早くなるし」

「ふふっ、やる気があることはいいことだけど。生憎私にしか出来ないから無理よ。貴方は明日から店番と、私の話に付き合えばいいのよ。休憩している間は手持ち無沙汰だからね。会話をして、貴方達の人生をもっと色々と知りたいの。考え方や経験を知れば視野が広くなるでしょう」


 温い水でパンを無理矢理流し込む。溢れてくる吐き気を堪える。胃も弱いらしい。よく生きてこれたものだ。いや、だからこそ両親は心中を選んだのか。一人残したところでどうにもならない。


「……あの」

「何かしら。ああ、貴方たちも勝手に食べていいわ。言うのが遅れてたけれど。足りなければ、店から取りなさい。ろくなのはないでしょうけどね」

「ありがとうございます」


 マリーは感謝した後、質問があると切り出してきた。


「……あの、貴方のご両親はどちらに? よければ、ちゃんとご挨拶を」

「いないわ」

「それは、どこかへ出かけていらっしゃるのかしら。それとも別の場所に?」

「別の場所というのは中々趣き深い表現ね」

「あー、じゃあ俺も挨拶をしないと。へへっ、挨拶は人付き合いの基本だしな」


 ライアが立ち上がり、服の乱れを整える。とはいっても汚いので大して変わりはない。


「感心する考え方だけど、今行くのは止めた方がいいわ」

「それってどういうこと? 寝てるとか?」

「今朝死んだわ。二人して首を括ってね」

「――えっ?」


 口をぽかんと開けたまま硬直するマリーとライア。


「奥の寝室よ。糞尿を撒き散らして、舌をだらんと垂らして死んでたわ。滑稽な姿だった。ベックがしっかり片付けたけど、まだ臭いがついてるから封鎖したの。臭いし、何より痕がひどくてね」

「あの……」


 遠慮がちなマリーの声。


「私も道連れにされかけたけど運よく生き残れた。……ああ、本当に色々あった一日だった。体力の消耗が激しいわけよねぇ」


 ベックに命じて、両親の死体があった部屋は完全に封鎖した。木板と釘を何十にも打ち付けて、二度と開かれることがないように。最後に見た部屋の中は、血痕以外は綺麗に片付いていた。だが、臭いが微かに残っている気がする。梁から縄が垂れ下がっている幻影が見える気がする。母が自分に手をかける光景が鮮明に思い出される気がする。その顔はどんなだったか。笑っていたか、泣いていたか、景色が歪んでいまいち思い出せない。

 実害はないので別になんとも思わないが、あそこにいくとひどく気分が落ち込むのだ。足が重くなり、頭が痛くなる。非常に目障りだから封鎖した。実に理に適っている。生活領域は狭くなるが、それは仕方がない。外に拡張していくことも考えていけば良いだけだ。幸い資金はある。何も問題ない。


「……辛いことを聞いて、本当にごめんなさい」

「……あ、ああ。俺も謝る。詳しい事情はよく分からないけど、色々言って、その、ごめん」


 マリー、ライアがこちらを暫く凝視した後、謝罪してきた。驚くべき事にライアまで。まだ付き合いは数時間だが、この少女は気が強い。反骨精神の固まりだ。それが大人しく謝罪してくるというのは実に驚愕である。人間は実に不思議である。


『ご主人』

「なにかしら」

『これを使うのがいいじゃん?』


 クレバーがカラフルな色彩のハンカチを渡してきた。滲んだ色彩は混ざり合い、ぐちゃぐちゃになって形容しがたい色となっている。


「ああ、そういうことか」


 なるほど、と理解する。差し出されたハンカチで目元を拭う。何度も何度も拭う。先ほどから食事が不味い理由も分かった。味覚と嗅覚が、邪魔されているからだ。いわゆる、涙によって。感情が制御できないときに溢れてくるらしいもの。

 自分の感情は別に高ぶってはいないのに、それが収まる気配はない。全く持って理解出来ないが、これが人間なのだろう。


「――人間って不思議ね。別に全然悲しくないのに、涙がでるのだから。ああ、どうして止まらないのかしら?」

『それが人間じゃん』

「そう。なら、良かったわ」


 ステラは泣きながら笑った。

 

ちょっとだけ更新加速。

でももう無理しないです。連日どころか半日更新とか絶対無理じゃん。

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