第二十八話 日常
「ステラ様、メイス会長からの手紙です」
「どうもありがとう」
商会から遣わされた男から手紙を受け取る。中を開ける前に珈琲を一口飲む。
「ふぅ。まぁまぁね」
『一息ついてないで、早く開けようじゃん』
「せっかちねぇ。慌てても中身は変わらないわよ」
ステラはくだらない会話を交しながら、中身を取り出す。今後の方針についてがそこには記されていた。
「なるほど。メイスなりに中々考えたみたい。自分で考えて行動できる人間は素敵よねぇ」
『俺っち、なんだか嫉妬するじゃん』
「ふふっ、貴方も素敵よ、クレバー」
『やったじゃん!』
クレバーの羽を優しく撫でてやると、至福の表情を浮かべている。もう一度書面へ目を通す。
大陸の情勢は酷く流動的であり、今街の支配圏を奪いにいくのは良策ではない。近々迫られるであろう難しい判断はグレッグスに行なわせ、いざとなったら責任を取らせると書かれている。
「いいんじゃないかしら。相談役としては問題ないと思うわ。会長に伝えて。頑張りなさいってね」
「はっ!」
下がるように命じると、使いの男はすぐに立ち去って行った。メイスとの上下関係については知っているらしく、一々何か言ってくる事はない。部下の教育が行き届いている。ステラは満足した。
「ねぇ、クレバー。今は平和なのかしら? それとも、嵐の前の静けさなのかしらね?」
『ウケケ、俺っちには分からないじゃん。でも、平和が一番じゃん?』
クレバーが嘴を叩いて嘲る。世界に平和などというものが訪れるわけがないと分かっているのだろう。人間というものは争わなくては生きていけないものらしい。戦いを通じて技術を向上させ暮らしをよりよくしていく。そしてそれにより産み出された財を狙って戦いが起きる。実に良く考えられた仕組みだ。
「ま、平和が一番よねぇ」
ステラとクレバーが笑みを浮かべていると、ティピカがいきなり居間に入り込んできた。
「鳥と邪悪な話をしている場合じゃありませんわ」
『じゃ、邪悪ってひどいじゃんティピカっち。俺っち、一応聖獣じゃん!』
「ふん。喋れるから聖獣だなんて私は認めませんわ。少しは世のため人のために働きなさい。……って、そんなことはどうでもいいんですの。ステラ、今日は走りにいかないんですの?」
「朝はひどい雨が降っていたでしょう。雨の中走るほど間抜けじゃないの」
「でも、もう止みましたわ」
「過ぎた時間は戻らないわ。今から運動に行ったら魔力の鍛錬の時間が減ってしまうもの。どちらを取るかといわれれば、魔力の鍛錬を私は選ぶわ」
「そんなことはいいから、運動に行きましょう。貴方と一緒に走りたいんですの」
「人の話を聞いていなかったのかしら。私は――」
「さっ、用意して行きましょう! 外の空気を吸いに参りますわ!」
誘いの言葉がいつの間にか宣言に変化している。面白いが実に我が儘な娘である。断ったら地団駄を踏みかねない。ステラは溜息を吐いた後、分かったと頷いた。多分ステラがはい、と言うまでこれは続くのだろう。面白いが魔力の鍛錬をするには喧しい。
「それじゃあ着替えてくるから。ちょっとだけ待っていなさい」
「感謝いたしますわ。実は、貴方とゆっくりお話したかったんですの」
「それはいいけれど、何故わざわざ運動中なの。話ならここでもできるわ」
「雨上がりの独特な匂いが好きなんですの。暗い雲が薄れていく光景も。それを眺めにいくついでですわ!」
「貴方、素直で分かりやすい人間ね」
「よく言われますわ! でも、猪と呼ばれるのは大嫌いですの。覚えておいてくださいませ!」
猪娘。なるほど、実に納得できてしまった。金の尻尾が二つついた猪突猛進娘。ヴァレルはさぞ苦労したことだろう。これが常に付けねらっていたのだから。よくこの街まで無事にこれたものである。腕は確かだし、この勢いなら災難があちらから道を開けたのかもしれない。
歩くのに慣れて来たステラは、運動を強めに行なうようになっている。負荷を強めれば疲労は増すが、肉体はその分強化される。コースは以前ライアと釣りをした小川まで。軽めに走り続け、河原で小休止。帰りは体力の続く限り走り続ける。時間にして一時間か。大した運動量ではないかもしれないが、歩くだけで息を切らせていた頃から比べれば十分な進歩といえる。
今回はティピカとの並走だ。ティピカは軽鎧に二つの剣を持った戦闘態勢。一応護衛も兼ねてくれている。この格好で走っているのに、全く苦しそうではない。余裕と言わんばかりに鼻歌交じりに走り続け、時には剣を抜き放つ動作もいれて勝手に訓練を行なっている。しかも、ステラに今までの旅についての感想を延々と投げつけてくる。それは興味深い内容であったが、あまりステラの頭には入っていない。いつもより疲労する。気がつかない間に、ペースが速まっているのだ。これでは帰りの体力がもたなくなる。
ステラが速度を緩めようとすると、ティピカがそうはさせじと背後に回りこんだ。
「ちょっと、ペースが、速すぎるわ」
「まだまだ甘いですわ。限界と感じる一歩先を目指すようにしなさいと、私は教わりましたわ!」
「私は、教わって、いない」
「これから頑張ればいいのですわ! さ、あともう少しですわよ!」
別に気にせず歩いても良かったのだが、なんとなく悔しい気もする。合理的ではない考え方だ。ステラは歯を食い縛り、最後の力を振り絞った。これで帰りは悲惨なことは確定だ。しかも魔術の鍛錬にも影響が出る。だが、たまにはそういうのもいいだろう。
「お見事でしたわ。見かけによらず根性がありますのね。途中で泣くと思ってましたのに。私、感心いたしましたわ!」
「……それは、どうも、ありがとう」
河原で仰向けになり、ステラは体全体で呼吸を整える。ティピカは汗を拭い、腰につけていた木筒から水を飲んでいる。こちらに渡されたので、乱暴に口に含む。温くて不味いが、水分を肉体が欲していたので文句は言わない。
「ステラは、まだ子供なのに本当にしっかりしていますわ。私、毎日感心していますのよ」
「そうかしら」
「まだ十歳なのに、しっかりと皆をまとめていますもの。それは、本当に凄いことですわ」
「主なのだから当然でしょう」
「いいえ、貴方だからできるのですわ。私が言うのだから間違いありませんわ! 貴方は本当によくやっていますわ!」
意味が分からなかったが、かなり褒められているらしい。ステラはとりあえず受け取っておいた。
「それはありがとう。で、私になにか聞きたい事があったのではなくて?」
「もちろんありますわ。あの剣の腕を磨く事にしか興味がない兄が、なんで貴方のような子供に従っているのか。気になって眠れませんの。世界七不思議の一つですわね」
いきなり二つ突っ込みたいところが現れた。
まず、眠れていないというのは嘘である。鼾をかきながらグーグー快眠している。煩いのでいずれ食堂の方で寝かせるつもりだ。今は護衛代わりに置いているが。
そして世界七不思議とは何なのか。残りの六つを聞いてみたいが、陽が暮れてしまうかもしれない。どうするか考えた結果、深く聞くのはやめて話を進めることにした。
「そんなに知りたいの?」
「是非知りたいですわ。あの男の弱みを握れるかもしれませんし」
復讐の機会を狙っているらしいが、残念ながら期待は空振りに終わる。
「多分、これのせいね。彼、興味津々みたいだし」
ステラは指を鳴らし、上空にいたクレバーから魔水晶を受け取る。彼は外出時にはステラの安全を見張っている。護衛としてヴァレルがいる場合でもだ。何が起ころうと、クレバーは決して裏切らない。
「――それは!?」
「これは私の魔水晶。あらあら、どうしたの。顔が怖くなったわよ、ティピカ」
「禍々しい気配が凝り固まって、いや、負の瘴気が恐ろしいほどに凝縮されている」
「お気に召さなかったかしら?」
「まさか、ディマが言っていた星玉? 何故そんなものがこの世界に残っているんですの! だって、星玉はあの人が」
ティピカが僅かに後ずさる。中々勘が良い。猪というだけではないようだ。
「貴方のお兄さんは、これが気になって仕方ないのよ。だから、側で見張る事にしたみたい」
「……そうでしたの」
「最終的にどうしたいのかは知らないけれどねぇ。ふふっ、それを知るのも楽しみじゃない」
ステラは笑った。ヴァレルが最終的にどう判断するのかは実に興味深い。この魔水晶は絶対に破壊出来ない。試させてやってもよい。
「……貴方は、それを手放す気はないんですわよね?」
「全くないわ。これは私の記憶であり分身でもある」
「でも、それは人が持っていて良いものではありませんわ。いえ、存在すら許されない。それは、分かっていますの?」
「誰が何を言おうともこれは私のもの。私たちが延々と血を流し作り上げた欠片の一つ。でも安心して? 私が死ぬときにはこれを消滅させてあげる。ふふっ、それが人間としての責任というやつでしょうし」
「…………」
「別に信じなくても構わないけれどね」
「信じますわ。なら、私も兄と一緒にそれを監視しますわ。貴方が死ぬまできっちり見張って差し上げます!」
「舞い上がっているところ悪いけれど、私はあと50年生きるつもりよ。残念だけど、先に死ぬのは貴方よ」
何故ステラが先に死ぬこと前提なのか、非常に理解に苦しむ。
「私は100まで生きますから何も問題ありませんわ!」
腰に手を当てて宣言するティピカ。中々愉快な頭をしているらしい。なんだかよくわからないが、当分はステラの側にはいるつもりのようだ。ならば護衛として扱ってやれば良い。頭はあれだが、腕は確かだ。彼女がいればヴァレルもいきなり手を出してくることはあるまい。
「ところで、貴方はこの水晶に似ている物を知っているの?」
「少しですけれど。弟から聞いたことがありますわ」
「弟?」
「ディマと言いますのよ。星教会所属で、今は入り婿で夫婦仲良く領地を治めておりますわ。チビの癖に、口が達者で生意気なんですのよ。本当、姉より先に結婚するなんて生意気ですわ!」
ティピカが金切り声をあげる。先ほどの警戒感は完全になくなったようだ。馬鹿なのか切り替えが早いのか、判断に迷う。多分前者の可能性が高い。
それにしても、弟が星教会に属しているとは初耳だった。やはり話をするのは面白い。色々な情報が入ってくる。他にも色々なことを知っていそうだ。ティピカの性格にさえ耐え切れればの話だが。
「はぁ。なんだか疲れたわ」
「ところでステラ。話は変わるんですけれど。私の二つの剣、全然赤くならないのですけれど。これはどういうことなんですの! 約束が違いますわ」
本当に一気に話が変わった。しかも大事なことは忘れているらしい。
「どうしてもというなら、今赤くしてあげてもいいけど。あのとき言ったと思うけれど、定着していないからすぐに元に戻るわ。状態を固定化させるには時間がかかると念を押したはずでしょう」
「そういえばそうでしたわね。なら我慢いたしますわ。……ところで、その水晶の力を使っているという事は、もしかして、この剣は魔剣になってしまうのではなくて?」
今更ながら当然のことに気付くティピカ。
「それはそうでしょうねぇ。というか、ヴァレルの大剣だって魔剣じゃない。弱き者が持てば狂ってもおかしくないほどのねぇ」
「――え」
「知らないで欲しがってたの? 本当に面白いわね、貴方」
聞いていませんわ、と叫ぶティピカ。ステラは愉快そうに口元を歪めた後、もう一度横になって空を見上げた。雨雲は風に流され、空はいよいよ快晴だ。太陽の光が痛いほど照りつける。結構外に出ているつもりだが、ステラの白い肌は全く焼ける気配がない。死体のような顔色という不本意な呼び名を返上するには、まだまだ時間が必要そうである。




