外伝3 ヴァレル
ステラに雇われたヴァレルは、その日の夜から早速任務についた。行なう事は店の夜間警備だ。その分、朝から昼にかけて睡眠を貰う約束となっている。支払われる金も悪くない。明かりは店先に吊るされたランタンの頼りない光のみ。月は雲に覆われてしまっている。とはいえ、ヴァレルにとっては十分だ。怪しい人間が近づけばなんとなく察知できる。この勘の良さでヴァレルは何度も命を救われてきている。師いわく、特性というやつらしい。良く分からないが、役に立つのだから文句もない。難儀で傍迷惑な特性を持っているのは、また別の人間だ。母の血を強く受け継いだ上に、師の苛烈な性格まで身につけてしまった。近づきたくない人間の1位である。
(全く、本当に迷惑な話だ。しかし、アイツはいつまで突っかかってくるつもりなんだ?)
ヴァレルは軽く首を鳴らすと、大剣を使っての素振りを始めた。雑念を振り払うように、一回一回、ゆっくりと動作を確認しながら振るっていく。
「……おい! てめぇ、真剣に警備やる気があるのか?」
「当然ある。さぼっている様に思われるのは心外だ」
「ぶんぶん振り回して遊んでっと、ステラ様に言いつけるぞ!」
ベックが舌打ちしながら文句を付けてくる。店の前で、椅子に座っているベック。畑仕事のやり過ぎで現在は腰を痛めた結果である。ペースを考えずに、ひたすら鍬を振るっていたそうだ。そして、作業完了時に伸びをした瞬間にやってしまったと。その報告を聞いている時のステラの視線は、凍てつくかの如く冷たいものであった。ベックは捨てられた子犬のように縮こまっていた。流石のヴァレルも思わず同情したほどだ。剣闘士や軍人ならば致命的なものになりかねないものだが、ステラが用意した怪しい塗り薬により、そのうち治るとのこと。塗った瞬間悲鳴をあげていたが、聞かない振りをしてやった。
そして、周囲の路地にはストック商会から派遣されている男達がそれぞれ配置についている。いるだけで、特に役に立っているようには思えない。どいつもこいつも眠気を堪えるのに必死である。
(ただの雑貨店の警備にしては大袈裟なことだ。だが、あのステラの特異性を考慮すると分からないでもないか。――あれは、普通の少女ではない)
「…………」
「おい、何無視してやがんだ。剣闘士だかなんだか知らねぇが、俺がステラ様の一番の部下なんだ。あんまでかい顔してっと、ぶち殺すぞ!」
態度はでかいが、痛そうに腰を抑えているのは実に情けなかった。
「夜中に騒ぐと、そのご主人様に怒られるんじゃないのか? だから俺も気を使って、素振りの勢いを殺しているんだが」
「――あ。や、やべぇ」
ベックが慌てて口を抑える。ふと店の窓を振り返ると、クレバーという名の鳥が、目を大きく見開いてベックをひたすら凝視している。敵意凄まじく、まるで化物のような印象すら覚えるほどだ。ベックは顔を青褪めさせると、目に涙を浮かべてクレバーに頭を下げている。
「……泣かなくてもいいだろう」
「……うるせぇ。あの鳥だけは本当にあぶねぇんだ。ステラ様が止めてくれなきゃ、俺の大事なモンはとっくにオサラバしてるぜ。マジでやべぇんだ」
「どうしてそうなったんだ?」
「いや、全部俺のせいなんだけどよ」
ベックが、新しく護衛を雇う事になった経緯を説明してくる。ステラは、商会から派遣されてきた警備を全く信用していないらしい。こそ泥侵入の一件で見切りをつけたようだ。故に、戦力としてヴァレルが雇われたと。
そこまで狙われる何かがあるのだろう。少女自身か、あるいは何かを持っているのか。あの水晶である可能性は高いが、効果についてはまだ不明だ。これは勘だが、アレは確実に良くないものだ。
それはそれとして、ベックにも一応尋ねてみる。口は軽そうなのであっさり分かる可能性もある。
「一つ聞きたいんだが、何故商会はそれほどステラに目を掛けているんだ? 確かに人気商品は扱っているようだが。それにしては警備が過剰だ」
グレン雑貨店の目玉商品、星屑の涙。一杯飲ませてもらったが、中々の美味であった。だが、なんとなく身体に悪そうだったので、それ以来は飲んでいない。ヴァレルは酒も付き合う程度だけである。もちろん煙草や麻薬などに手をだすわけがない。
「へへ、なんだ知らねぇのかよ」
「だから聞いているんだ。知っているなら聞かせてくれ」
もったいつけるベック。何故か顔は得意気で思わず頬を叩きたくなるが、可哀相なのでやめておく。
「仕方ねぇなぁ。実はな、ちょっとした物をステラ様が作っているからさ。本当にすげぇ物さ。今まで誰も作ったことがねぇくらいヤバイ。だがそれが何かは俺の口からは言えねぇ。後は自分で聞きやがれ」
「ああ、そうさせてもらうさ」
「へっ、そう簡単に教えて貰えるわけがねぇけどな。ま、俺くらい信頼を得ないとなぁ。難しいとは思うが精々頑張れや」
ベックは唾を吐くと、ヴァレルから距離を置いて、腰につけていた木筒を口につける。泡が弾ける音がする。中身は星屑の涙か。店の窓からは、クレバーが相変わらずこちらを窺っている。ベックだけではなく、ヴァレルにも警戒を怠らないつもりらしい。
(既に最強の護衛を持っているじゃないか。正体を知りたいと思っていたが、探るのが段々恐ろしくなってきたな)
ヴァレルは深い闇を断ち切るように、真紅の大剣を振り下ろした。
次の日、早速ヴァレルはステラに尋ねてみる事にした。こそこそ嗅ぎ回るようなことは面倒だからやりたくはない。
「私が商会から大事にされている理由?」
「ああ。守りが厳重すぎると思ってな。治安が悪いというのは理解できるが、それにしても人数が多い。問題がないのであれば、理由を聞かせて欲しい」
「理由は簡単よ。私が金の卵を産む鶏だから。ふふっ、これを見て」
ステラが透明な液体の入った小ビンを机に置く。
「なにかの薬か?」
「治療薬よ。私達の間では、例の治療薬という呼び方をしている。いけない薬を使った屑の頭と身体を治してくれる不思議な水」
いともあっさりステラは教えてくれた。横にいるベックが、「そ、そんなあっさり教えちまうんですか」と悲嘆にくれている。心から同情したくなる男である。
「それをお前は作れると?」
「その通り」
「……本当に麻薬の禁断症状を治せるのか?」
それはとてつもないことだ。世の中の苦痛から逃れようとして、麻薬に手を染める人間は多い。だが、麻薬は身体と脳を壊す。快楽の後に苦痛をもたらし、それから逃れる為に麻薬を使う。身体は確実に腐っていき、やがて死に至る。負の連環だ。特に、この街の南区はそんな堕ちた連中ばかりだ。だが、貧民層だけではないのが麻薬の恐ろしいところ。富裕層ですら快楽を追求しようとして自ら堕ちていく。ヴァレルからすれば、魔の薬と呼んでも過言ではない。さっさと根絶させるべきだと思うが、それをすると栽培農家が餓えて死ぬ。麻薬は人間の弱いところ目指して深く強く根を張っていく。最後にはすべてを絡めとり、決して逃れられなくなる。
「ええ、どんな廃人であろうとね。ただし、代償はもちろんあるわよ。使用を繰り返していくうちに、効きが弱くなる。更に、麻薬を欲する欲求が二倍、三倍、或いはそれ以上になると思う。多分、人間の三大欲求を超えるぐらいの強烈なものにね。ま、そのうち分かるでしょうけど」
実験してはいないが、恐らく予定通りの効果がでるはずだとステラは語った。
「それが副作用ということか」
「でも、最初に完治したときにきっぱり止めれば大丈夫。肉体、精神を正常にして以前の幸せを取り戻す事ができる。素晴らしい治療薬でしょう?」
「素晴らしいとは思う。が、そのまま使用をやめられる殊勝な人間ばかりとは思えないな」
「まぁ、半数以上が再び麻薬を使用するでしょうねぇ。とはいえ、過ちを繰り返す馬鹿のことまで面倒みるつもりもないし、義務もない。効かなくなった頃には思考もまともじゃないでしょうから。いずれにせよ私の知ったことじゃないわ」
ステラは愉快そうに笑った。中毒に苦しまなくて済むと分かれば、常用者は以前にも増して麻薬に染まる。人間は快楽に弱い。そして治療薬を使い、もたらされる苦しみから逃れようとする。それを理解した上で、この少女は笑っている。そして、「人間は本当に面白い」と歌うように呟いた。
「……何度も服用していると、完全に効かなくなるのか?」
「さぁ、試したことがないから分からないわね。多分、治療薬の量を増やせば効くでしょう。使用するいけない薬の量は増え、それに比例して必要な治療薬の量は際限なく増えていく。需要はひたすら増していく。ふふっ、治療薬なのに、いけない薬みたいよねぇ。お金がある間は、問題ないでしょうけど、なくなったときが楽しみねぇ」
やがて金は尽き、両方入手できなくなったときに待ち受けるのは、この世の地獄であろう。肉体、精神は限界まで苛まれ、恐らくその人間は発狂する。この少女は、魔女だとヴァレルは思った。人間の弱みを的確に衝いている。自分の薬が最終的に、どういう結末をもたらすか分かった上で製造しているのだ。別にそれを責めるつもりはない。皆生きるのに必死なのだから。だが、納得したくはない。
唯一の救いは、この治療薬という名の罠に手を出す人間は限られるであろうことか。この恐るべき罠にかかるのは、比較的金を持った裕福な層となる。貧しい者は、そもそも治療薬を買うほどの金がない。
「なるほど。だから、商会はお前を大事にするわけか。別の組織に決して奪われないようにと」
「そういうこと。その割には、私の警備はあまりにお粗末でしょう? だから使えそうな人間を私が直接雇う事にしたの。貴方は私の眼鏡に適ったということ」
「それは光栄な話だ。聞かせてくれて、ありがとう」
ヴァレルは深く頷くと、引き下がった。いずれにせよ、今のヴァレルはステラの下を離れるわけにはいかない。あの魔水晶とやらから目を離すことはできない。あれは、人の扱ってよい代物ではない。暴走する素振りを見せたら、刺し違えてでも阻止しなければならない。それが自分の使命となりそうだ。極めて厄介な物や人間にかかわりやすいというのが、アート家の宿命なのだろう。受け入れた上で、乗り越えてみせる。
雇われてから五日が経った夜中。いつもと様子がおかしいことにヴァレルは感づいていた。腰を擦っているベックや周囲の警備は気付いていないようだが。十人程度が、息を潜めてこちらを窺っている。恐らく、前方の建物の影からか。
クレバーは異変に気付いているらしく、店の中から目をギラギラと光らせている。自分の主には決して手を出させないという意図が見て取れる。
「……ベック」
「あんだよ。便所か?」
「違う。商会と敵対しているのは、パルプド組合だったか?」
「一応そうだな。でも、抗争にまではいってねぇ。やりあったら稼ぎより損害がでかくなるからよ。会長が止めてんのさ」
「だが、面子を重んじる商売だろう。あまりにも舐められたら、普通はどうする?」
「そりゃ、お前、挨拶代わりに叩き潰しに――」
瞬間、火の着いた何かがこちらへと数個投擲されてくる。火炎瓶か。店に到達する前に、2つほど即座に大剣で叩き落す。もう1つは店内からクレバーが飛び出てきて、嘴で破壊してしまった。恐るべき鳥だ。ぶちまけられた油に火が付き、丁度良い照明となった。
間髪入れず、怒声を上げながら敵がぞろぞろと突っ込んでくる。配置されていた警備たちは、全く対応できずに叩き伏せられていく。誰も来ないだろうと、油断していたから当然の結果だ。鉄の棒のようなもので、ひたすら叩き潰されている。剣ではないだけマシなのだろうが、死のうが半身不随になろうが構わないという勢い。あれは徹底的に痛めつけることを目的としたやり方だ。
「な、なんだってんだこいつら!」
「組合の襲撃だろうな。お前、何人相手にできる?」
「お、俺は――」
ベックが怯む。手にはダガーナイフが握られているが、足が震えてしまっている。腰の状態から見ても、戦闘は難しいか。
「戦える自信がないなら中に戻っていろ。俺一人で十分だ!」
襲い掛かってきた男を、大剣で薙ぎ払う。鉄棒で受け止めるが、勢いが死ぬことはない。鉄棒を圧し折り、男は凄まじい勢いですっ飛んでいく。刃の部分ではないので死んではいないだろう。別に殺さない理由もない。やられたらやり返すのは当たり前だ。
「てめぇ、ふざけやがって!」
「随分イキのいい兄ちゃんじゃねぇか。だが、あまり舐めた真似してっと、頭叩き潰すぞ?」
「大人しくしてりゃ別に誰も殺しはしねぇ。だが、この店の餓鬼は俺たち組合を舐めた。少し痛い目に遭ってもらう必要がある」
リーダー格らしい男が、前にでてくる。
「先に仕掛けたのはそっちと聞いているが?」
「そんなことはどうでもいいんだ。大事なのは、そのままにしておいたら俺たちの面子が――」
言いかけたところで、男の言葉が途切れる。クレバーが喉下を鋭利な嘴で横から掻き切ったのだ。いや、切ったなどという生易しいものではない。リーダー格の男の首は、胴体から完全に離れてしまっている。噴水のように噴出す血飛沫が、組合の構成員たちに降りかかる。
『ウケケッ! 屑どもは皆殺しじゃん! ヴァレルっち! 全員ぶち殺すじゃん!』
「やりすぎるなよ。店に血飛沫が掛かったら怒られるんじゃないか?」
『それって超怖いじゃん! 外に向かってぶち殺すじゃん!』
「行くぞッ!」
役に立つ相棒ができたおかげで、思ったより簡単に行きそうだ。クレバーはひたすら撹乱しながら隙をついて急所を抉り、ヴァレルは大剣で大暴れするだけで良い。10分もしないうちに、13人いた敵は全て戦闘不能となっていた。死体の数は4。ヴァレルは一応手加減したので、半殺し程度である。クレバーに任せておけば全て殺してしまいそうなので、さっさと潰してしまった。二度と歩けない人間もいると思うが。そこまでは知ったことではない。
「ゆ、許して。た、頼む、許してくれ!」
「ば、化物。なんなんだ、こ、この鳥」
『ベックは相変わらず役立たずじゃん。情けないじゃん』
「う、ううっ。お、俺も腰さえ完全だったら」
ダガーナイフを握り締めたまま立ち尽くしているベック。結局動く事はできなかったようだ。ある意味では正しい判断なのだが。ステラからの評価はまた下がるに違いない。
「おい、クレバー。ご主人様に報告するのか?」
『ご主人、寝起きが凄い悪いじゃん。明日の朝報告すればいいじゃん』
「それで、こいつらはどうする?」
『縛って、明日決めてもらおうじゃん。死体はドブ川でいいじゃん!』
「あ、後で、俺たちで運んでおきます」
『それじゃ、後はよろしくじゃん。俺っち眠いじゃん』
言うだけ言うと、クレバーは中へと引っ込んでいってしまった。その場に残されるヴァレルとベック。
「とりあえず、他の警備連中の手当てをしないとな。全く、手間のかかる」
「……あ、あんた、本当に強いんだな」
「腕に自信がなければ剣闘士などやっていない。それより――」
「ヴァレル、いや、ヴァレルの兄貴! お、俺に、鍛錬をつけてください! お願いします!」
土下座してくるベック。ヴァレルはどうやら面倒なことになりそうだと思いながらも、分かった分かったと答えてやった。こういう真剣な目をする人間は嫌いではない。いずれにせよ、まずは警備の手当て、そして死体の始末だ。
(しかし、こんなに殺してしまったのはまずかったんじゃないのか? ますますパルプド組合とやらが怒り狂いそうなものだが)
と、そこまで考えて馬鹿馬鹿しいと思い直した。あの少女はむしろそれを楽しむだろう。恐れを抱いて震える姿など、全く想像できなかった。




