第十六話 契約
「ようこそピーベリー闘技場へ。本日は、観戦でしょうか? 生憎、開催まではまだ時間がございますので、宜しければ当闘技場自慢の酒場でショーをお楽しみください」
入場すると同時に、闘技場受付の男に笑顔で挨拶される。殺し合いは常に行なっているという訳ではなく、決められた時間があるらしい。賭けの対象になるのだから、それも当然である。
「違うわ。奴隷市場の人に、使える護衛を雇いたいといったら、ここで探すのも良いって言われてね。それでやってきたの」
「左様でございましたか! ではこちらへどうぞ。詳しくご案内させていただきますよ。ところで、お連れはこちらの方のみで?」
「ええ。お金の心配ならいらないわ。私の店はストック商会に一応は属しているし、身元も確かよ。確認させてもいいわ」
「ああ、それなら問題ありません。いやはや、あまりにもお若いので少々驚いてしまいました。こんなにしっかりとしていらっしゃるとは、ご両親もさぞかしお喜びでしょう。さぁ、こちらへ」
男に案内され、小奇麗な応接室へと通される。造りの豪華な円卓に、すわり心地の良さそうな椅子。部屋は価値の高そうな芸術品が飾られている。若い女がジュースと菓子を並べていく。ステラは遠慮なく座り、ベックは背後に立たせておく。クレバーは遠慮なく菓子を嘴で摘んでいる。
「それで、本日は護衛をお探しということで。当闘技場に所属している腕利きの剣闘士を紹介させていただきます。なお、契約が無事に決まった場合、剣闘士の紹介手数料及び、契約解除料を私どもへお支払い頂くこととなります。剣闘士に支払う契約金や報酬とは異なります。この点は、ご了承いただけますでしょうか」
闘技場は剣闘士と契約し、給金を支払っている。それを引き抜くわけだから、手数料を支払うのに文句はない。相応の能力があればだが。これでベックもどきでも紹介されたりしたら癇癪を起こしてやろう。子供に許される特権らしいから。
「問題ないわ」
「ありがとうございます。それでは、こちらの名簿をご覧ください。年齢、性別、出身地、戦歴、戦い方、使用武器、現在闘技場が支払っている契約料などが記されております。もっと詳しい情報が必要でしたら、お尋ねいただければ知る限りのことをお話できます。その後、実際に剣闘士を紹介し、双方に異存がなければ契約という形になります」
「双方?」
「ええ。借金を肩代わりしてやった者には拒否権はないのですが、自ら望んでこちらに登録している者も多くおります。その者達は鍛錬、修行、金稼ぎのために好きでここにいますので、出て行くことを拒否する場合もございます。そのときは申し訳ありませんが、何卒ご容赦ください」
戦うことに生きる意味を見出した者たちだ。そういう人間もいるのは知っている。ステラの場合は、身体が貧弱なのでそういう生き方はできないだろう。連戦が効くような肉体ではない。
(一度くらい、試合をしてみても面白そうだけど。まぁ、色々と面倒なことになるかしらね)
ステラはとりあえず諦めた。
「契約解除料にえらく差があるみたいだけど。これは戦闘能力の差かしら」
「そう考えていただいて問題ありません。強さと容姿、戦い方が派手な者ほど人気が出てくるものです。簡単にいなくなってもらうと当方も困ってしまいますので、少々上乗せさせていただいております」
「まぁ、当然よねぇ」
ペラペラと名簿をめくっていく。勝ち数が多いほど、契約解除料も高騰している。負け犬ほど安い。四肢が欠損している者もやはり安い。女性剣闘士もいるようで、こちらは良い料金となっている。
「女もいるのね」
「ええ。ですが、彼女たちは奴隷ではありませんので、そういう対象として雇うには難色を示すかと……。と、いやはや、貴方には関係のない話でしたね」
「そうね。私が探しているのは、強くて言葉を理解できる人間よ。性的欲求の発散なんてどうでもいいのよ」
嘲笑を浮かべてやるが、特に気を悪くした様子はない。
「ははは、これは失礼。いやはや、お若いのに本当にしっかりしていらっしゃる。その人を見下すような怜悧な視線、実にこの街に相応しい。将来が本当に楽しみですねぇ」
何故か嬉しそうな男。こちらは全く褒められているような気がしない。無視をして、使えそうなのがいないかしっかりと目を通していく。
「勝ち数は参考になるのかしら」
「相手にもよりますが、踏んできた場数の証明ですからね。古参ほど当然ながら腕も立ちますよ」
「そう。最低でも、ここにいるベック十人分くらいの力を持つ人間が欲しいの。ちょっと抜き出してくれないかしら?」
ベックが何か言いたそうな顔をしている。反論があるならばしても構わないが、当然戦わせて証明させる。それが分かっているから何も言わないのだ。いつもこれくらい察しがよければ助かるのだが。
「そうですねぇ。こちらのロスタムなんてのはどうでしょう。リベリカ大陸からやってきたんですが、帝国軍を脱走してきた変り種です。中々腕も立ちます。後は、こっちのキルスなんてのも。曲刀を使った変幻自在の戦法でいつも闘技場を盛り上げてますよ。あー、後は生来喋れないのですが、ダヌシュなんてのもいました。こいつはとにかく馬鹿力で、破壊力には目を見張るものがございます。頭が少々アレなのですが」
ダヌシュとやらは相当の腕でなければいらない。馬鹿はこれ以上必要ない。
「いいわ。その三人に会わせて頂戴。まずは見てみるとしましょう」
「では選手控え室へご案内いたします。少々むさくるしいですが……」
「私は全く気にしないわ。さっさと行きましょう」
結構な広さの選手控え室へと案内される。小汚い円卓がたくさん並んでおり、剣闘士たちが試合前に休息を取っている。側には訓練場もあるようで、試合前の準備に精を出している者もいる。ステラが入ると同時に、視線が一瞬こちらへ向くが、直ぐに向き直る。上客が見物に来るのは特に珍しいことではないようだ。
(流石に、そこそこやりそうな人間が多いわね。どれもこれもメイスの寄越してきた人間より使えそう)
「……見当たらないな。あの馬鹿野郎共はどこ行きがやったんだか。おい、キルス、ロスタム、ダヌシュはどこだ? 飯は終わってるはずだろう」
近くの警備に男が尋ねる。逃げ出さないようにか、それとも喧嘩などを止めるためかは知らないが完全武装だ。
「ちょっと街の鍛冶屋にいって、修理に出した剣を取ってくると言ってましたが。直ぐに戻ってくると思います」
「そうか。誠に申し訳ありませんお嬢様。間もなく戻ってくると思いますので、もうしばらくお待ちを。よろしければ、先ほどの部屋で――」
「……よう。えらい可愛いお客様じゃないか。どこかの貴族様のお嬢様か?」
「ヴァレルか。大事なお客様なんだ、失礼な言葉は慎め」
ヴァレルと呼ばれた男が近づいてくる。刈り上げられた金の短髪、赤い鉢巻。背丈は大きく、かなりのパワーがありそうだ。背中には真紅の大剣、鎧も重厚でかなりの迫力がある。この大剣で叩き潰されたら、ステラは一瞬で肉塊に変わりそうである。
「いいじゃないか。腕を売り込むのは俺の勝手のはずだ。なぁ、お嬢様。キルスやらロスタムなんてのを雇うのは止めて、俺にしてみないか? 来たばかりで戦歴は短いが、まだ不敗だ。勿論、腕に不足はないつもりでいる。かなりお勧めだと思うが」
「おい! お前はこの前勧誘を断ったばかりだろうが! オーソン一家、ストック商会の2回続けてだ! 俺がどれだけ断るのに苦労させられたと思ってやがる。それをなんで今さら!」
「俺は借金を抱えて来た訳でも、剣奴として売られてきた訳でもない。続けるも止めるも自由なはずだ。そういう契約だろう?」
「それはそうだが、俺の顔ってもんがあるだろう! 組織を蹴ってお嬢様に雇われたなんて知られたら……」
「はははは! そんなものは知らん! 俺はこのお嬢さんに雇ってもらいたくなったのさ。で、どうだ?」
大声で笑った後、こちらを見下ろすヴァレル。確かに、腕は立つのだろう。ベックごとき一撃で粉砕しそうだ。だが、問題は信用できるかどうか。ステラを見て、わざわざ雇ってもらいたいなど、怪しいにも程があるが。
「そうねぇ。私に雇ってもらいたい理由を聞かせてくれたら、考えてあげるわ。正直に話してみなさい」
下からヴァレルを見上げてやる。
「なぁに、こんな場所に来て物怖じしないその態度を気に入ったのさ。お前みたいな度胸のある小娘を俺は見た事がない。別に永遠に一緒にいるって訳でもないんだ。切っ掛けなんて、それで十分だろう?」
「なるほどねぇ。じゃあ、他の勧誘を断った理由は?」
「群れるのが気に入らなかったからだ。それだけだな」
「まぁ、妥当な理由ね」
ステラは腕組みをしたまま、ヴァレルを品定めする。不遜な表情は変わらない。何か目的を隠しているのは確かだろう。敵意がないことから、危害を加えてくるつもりはないと思うが、何かを探るような視線は強く感じる。とはいえ、ステラとヴァレルが会ったのはこれが初めてだ。怨恨が発生している可能性は限りなく低い。グレン雑貨店の引き篭もり娘が、こんな剣闘士に恨まれる理由はない。組織の利害関係ならば、こんな回りくどいことをしないだろう。直接襲撃に来るはずだ。力を誇示することに繋がるのだから。
クレバーに視線を向けると、羽を軽くあげ、好きにしろと合図してくる。
さてどうするか。ここで断るのは簡単だが、そうするとこの男が何故自分に近づいてきたかは二度と分からなくなる。それはもったいない。後悔する可能性が高い。マリー、ライア、ベック、そしてヴァレル。彼らを所有するぐらいの稼ぎは出ている。ルロイからの金は、そんなに安い物ではない。渋りだすようなら他に移るまで。それだけだ。
「――条件が一つあるわ。貴方が私のものになるなら、雇ってあげる」
「ははは、それは愛の告白か? まだ若いのに、中々大胆だな」
「愛や恋を語るにはまだ早いのは自覚しているわ」
「その顔で言われてもな。不遜な態度と言葉遣いは大人顔負けだが」
「褒めてくれてありがとう。単純な話よ。契約の間は貴方は私の所有物であるということ。それに納得できるなら、雇ってあげるわ」
「お嬢様の所有物になることで、俺の行動は縛られるのか?」
ヴァレルが確認を行なってくる。どういう扱いになるのかということだろう。役目さえ果たせば特に細かく言う事はない。現に、マリーやライアの行動を縛っているつもりもない。最も大事なことは、彼女達の現在の所有者がステラであるということだ。それはステラの収集欲求を満たしてくれる。自分のものが増えていくというのは中々面白いものだ。ただし、増えればいいというものではない。気に入らなければ駄目だ。好き嫌いなどという我が儘が許されるのは人間の特権である。
「基本的に束縛はしない。私の所有物は皆自由に暮らしているわ。あまりに無能な場合は躾を行なうけれど」
「まぁ問題ないだろう。契約とはそういうものだ。そういえば、金は足りるのか? ないのなら俺が解除料を支払ってもいいぞ。ここで結構稼がせてもらったからな」
この前の試合で、確か破竹の10連勝とか言っていた。かなり使えるということの証左のはず。腕前は十分に期待できそうだ。
「ふふっ、冗談でしょう。所有物になる人間に払ってもらうなんて。恥をかかせないでちょうだい」
見栄、面子。実にどうでも良いことであるが、人間はこれに強いこだわりをもつ。人間としての人生を楽しむのであれば、ステラもある程度は気にするべきだろう。
「それはすまなかったな」
「気にしないでいいわ。私と貴方の仲でしょう?」
ステラが笑うと、ヴァレルも大声で笑う。周囲の剣闘士たちの視線が集まる。
「……話が勝手に進んじまいやがった。もう知らん。あー、こいつで宜しいですか?」
「いいわ。それじゃ、早速お金の話に移りましょうか」
「では、応接室に戻りましょう。ここはむさい上に、少々喧しいですからな。ヴァレル、お前もついてこい。ったく、本当に仕方ねぇ。来たとき同様、勝手な男だ」
「はははっ。面倒をかけるな親父。まぁ、結構稼いだだろうからそれで勘弁してくれ」
「ちっ、言ってやがれ!」
舌打ちする男の肩を叩き、ヴァレルは先を歩いていく。その際、横目でこちらに視線を送ってきたことに気がついた。いや、彼が視線を向けたのは、ステラの懐。外套の内ポケットにいれている魔水晶か。
「なるほどねぇ。うっすらと動機が読めてきたかしら」
『ウケケ。やっぱりやめとくじゃん? あれ、結構やりそうじゃん』
「そこまで強いのかしら? 見ただけで判断できるほど私の目は肥えていないのよねぇ」
『役立たずが何人いても勝てないぐらいかな? ベック百人いても確実に叩き潰されるじゃん。俺っちも本気ださないといけないじゃん』
「珍しくべた褒めね。珍しい」
『それだけ警戒してるってことじゃん。ま、俺っちがしっかり見張ってるから心配無用。ご主人は安心して我が儘に生きるといいじゃん』
背中の真紅の大剣がはっきりと目に入る。中々、いや、かなりの逸品だ。人間が作ったようには思えない出来栄え。
「……あの大剣といい、中々面白い人間ねぇ。こういう人間を沢山あつめていけば、死ぬまで退屈しないで済みそうね。生きる活力が更に湧いてきたわ」
ステラが思わず舌なめずりすると、クレバーが囀る。
『ご主人、退屈が死ぬ程嫌いだもんな!』
「ええ。退屈、停滞、永遠とかいう言葉は大嫌いよ。虫唾が走るわ。そう、死んだほうがマシなくらいにねぇ」
左肩を差し出し、そこにクレバーを載せてやる。そして、首元を優しくくすぐってやると、至福の表情を浮かべる。
『ああ、俺っちの居場所はやっぱりここしかないじゃん!』
「ふふっ、本当に仕方のない鳥ね」




