第十四話 教育
ステラは朝食を取った後、中区の奴隷市場へと再び出向くことにした。
店番はマリーに任せて、ライアを話し相手として連れていこうとしたのだが。
「……奴隷市場? あんな場所に何をしにいくんだよ。あそこは大嫌いだから行きたくない」
お断りされてしまった。
「店を守らせるための人間を買いにいくのよ。参考に、貴方の意見も聞こうと思って。私だけだと、また面白いだけの人間を買ってしまいそうでしょう?」
「……人間を買うなんて簡単に言うなよ。人間は牛や馬じゃないんだ。それぐらい分かるだろう?」
露骨に嫌な顔をするライア。ステラはそういう考え方もあるかと顎に手をやり、言葉を変えた。
「なら訂正するわ。人の言葉を理解する商品を買いにいくの。貴方の意見が聞きたいから――」
「全然変わってない! 人間を買うってその考えが嫌なんだよ。あーやだやだ、虫唾が走る!」
ライアが机を叩く。この街の人間にしては珍しく正義感が強いようだ。いや、この世界のと言っても良いか。とはいえ、『私は許せない』だけで終わってしまうので、彼ら奴隷の人生が変わることはない。許せないのなら行動に移すべきだ。恐らく報われることはないが。
「なるほどねぇ。それは、実際に自分が売られていたという経験からかしら?」
「それもあるけど。……とにかく、俺は行かないからな。あんな腐った場所、絶対に行かないッ!」
そう言うと、ステラの言葉を待たずに店へと逃げていってしまった。実に理不尽だが子供なので仕方がない。下手に教育してあの活発さがなくなっては楽しみが減ってしまう。ここはこちらが諦めるとしよう。人間諦めが肝心というらしい。メイスがくれた格言集に書いてあった。都合の良い言葉が多いような気もしたが。ステラが好きな言葉は一石二鳥だ。
「本当にごめんなさい、ステラさん。ライアちゃんも悪気があって言っているのではないと思うの。……ただ、あそこは本当に酷い場所だったから」
「全く気にしていないわ。ライアはあれでいいのよ」
マリーが弁解するように頭を下げてくる。クレバーがからかうようにステラの周りを飛び回る。赤い羽が散乱して実に鬱陶しい。
『ウケケ! ご主人、お友達に嫌われちゃったじゃん!』
「なぜ楽しそうなのかしらね』
『悲しい? ねぇ、悲しいじゃん?』
調子にのって顔を接近させてきたので、首を掴んで強めに放り投げる。壁にぶつかったクレバーは潰れた蛙のような声を上げた。
「とにかく、私はあの場所に用事があるの。だから、役立たずと調子乗りの2匹を連れて行く事にしましょう」
『ご、ごほっ。俺っちの名前はクレバーじゃん。超悲しいじゃん』
「や、役立たずって俺ですか!?」
夢中で食事を取っていたベックが、素っ頓狂な声をあげる。ドブさらいの後なので腹が減っているようだ。
「役に立たないくせに、消費する食料は一番多いのね。流石はベックね」
事実を指摘してやると、さらに咽こむベック。クレバーは愉快そうに囀っている。
誇張なしの役立たずだが、盾としては一応一回使える。維持する経費を考えると確実に割に合っていない。考えると段々苛々してきた。なぜこいつを所有し続けているのか。さっさと始末するか3秒考えた後、もう少し様子を見ることにする。能力はともかく記念すべき最初の所有物だ。そこは拘ってもいいだろう。人間らしく。
「さっさと支度しなさい」
「は、はい! もう少しお待ちを!」
食事を慌てて掻き込むベック。米が散乱し、実に汚らしい。床に落ちたものをマリーがあらあらといいながら片付けていく。役立たずが有能な人間の仕事を増やしている光景である。世の中の理不尽がここに表れている。――と、ステラはある事実に思いつき愕然とした。
「……なんで貴方を待たなければいけないのかしら。馬鹿馬鹿しい。貴重な人生の内、三分と三秒も無駄にしてしまったわ」
ステラはとんがり帽子を被ると、さっさと出発した。後ろから聞こえてくる頭の悪そうな声を無視して。
血相を変えて追いかけてきたベックと合流し、目的地へと進む。ステラの足は当然遅いので、ベックも歩調を合わせてくる。だが、どうにもニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべている。反省の色が既にないのはどういうことだろうか。仕方なく訳を尋ねてみることにする。時間の無駄にならないことを願いつつだ。
「ねぇ、なんでさっきからそんなにご機嫌なのかしら。昨日、私から罰を受けたことがそんなに嬉しいの?」
「違いますって! 昨日はつい調子にのってしまって。本当にすみませんでした!」
「謝罪は十分に聞いたわ。ご機嫌な理由を聞いているのよ」
「へへっ、いやぁ、最初は糞みたいな扱いで頭に来てたんですがね。最近は、そうじゃなかったことに気付きまして。なにせ、ストック商会の下っ端連中が、俺に挨拶するようになってきたんですよ。ですから俺も心を入れ替えて働こうと思います!」
一日で立ち直っている。精神的に打たれ強いのだろうか。彼の特性なのだろうが、苛々が増してきた。
「……あっそう」
「それもこれも、全部ステラ様のおかげですよ。なにせ、商会三番手のメイス様に目を掛けられているじゃないすか。今じゃメイス様お気に入りの小さな魔女って、ちょっとした噂になってるんですぜ。となると、必然的にその一番の手下である俺の価値も上がるってわけで。本当についてますぜ!」
一番最初の所有物というだけで、能力、今までの働きぶりを考えると確実に最下位だ。
「あっそう。ちょっと、私に顔を近づけなさい。さぁ、遠慮はいらないから」
ステラはベックを見上げて軽く手招きする。
「え? へへ、まさか、褒美にキスでもしてくれるんですか? こんな往来でそれはまずいんじゃ――」
馬鹿なことを言いながら、へらへらと頬を近づけてくる。ステラは魔水晶を懐から取り出し、それで思いっきり横っ面をぶんなぐってやった。これしきで壊れるようなものではない。物理的に破壊できるものではない。油断しきった頬に完全に入った。手ごたえ抜群の会心の一撃だ。
「――ふげっ!!」
悲鳴を上げて体勢を崩すベック。鼻から血が流れ出している。腰を折り曲げて蹲っているので、その尻を思いっきり蹴飛ばしてやる。威力はないが勢いは十分だ。ベックは顔面から地面へと飛び込んでいった。
「ぐえっ」
『お見事じゃん!』
「はぁ、はぁ。余計な体力を使ってしまったかしら」
『でもスカッとしたじゃん? いわゆる等価交換じゃん!』
本当にそうかは怪しいところだが、そう思い込む事にする。
「役立たずが偉そうにしていると不愉快になるのはどうしてかしら。思わず、暴力を振るってしまったわ。荒ぶる感情が上手く制御できなかった」
『ウケケ、人間だから当然じゃん。もっと懲らしめたほうがいいじゃん!』
「そうかしら。それじゃあ、いよいよ潰しておこうかしらね。子孫を残す必要もないでしょうから」
足を上げて、試しに地面を勢い良く踏みつける。予想したほどの音はならなかった。体重が足りない。とはいえ潰すぐらいはできそうだ。
「ご、ご勘弁を! もう言いません! 決して図に乗りません! で、ですから去勢だけは!!」
「黙りなさい。クレバーから全部聞いたのよ。昨日の件以外にもね。貴方、私があげたお小遣いで随分豪遊していたらしいじゃない。しかも女をはべらせて、『俺のお蔭であの店はもっているようなもんだ』なんて言ってたんですって? 中々、言うようになったわねぇ」
どうもたせているのか、詳しく聞いてみたいとちょっと思ったが、確実に後悔しそうなので止めておく。
「は、反省してます! ほ、本当です!」
「私の所にきてから何回反省したのか、言ってみなさい」
「…………え?」
「何回反省したの? 心に刻んでいるならばすぐに答えられるでしょう」
「え、えーと」
ベックの額に脂汗が浮かぶ。覚えている訳がない。その場をしのぐために繰り返される嘘だからだ。
「ふふっ、うふふふ。反省したことをすぐに忘却して、また同じ過ちを繰り返すのね」
「こ、今度こそ、絶対に忘れません!」
土下座するベック。ステラに対しての反抗心は圧し折ったと思ったが、図に乗る性分は変わっていなかったようだ。人間の本質は簡単には変わらない。勉強になった。ベックを持っていて良かったと思った初の瞬間だ。この男はまだまだ色々と気付かせてくれそうだ。その度にステラのストレスが溜まるであろうことが難点だが。
周囲の目が集まってきた。こんな子供相手に、いかにも悪党面したごろつきが土下座して許しを請う光景は普通ではない。ステラは溜息を吐き、立ち上がるように命令する。
「立ちなさい。貴方に対しては、時折頭を叩く必要があるみたいね。放置しておくと勝手に飛び出るから、きつく打ち付けないと。時間はもったいないけど、主としての責任があるから受け入れるわ」
『ウケケ! 役立たずな杭じゃん!』
「それでも私の所有物だからね。面倒だけど、もう暫くは我慢する」
「本当にすいません! 昔から酒が入ると、つい、その」
酒のせいにしているが、それだけではないだろう。自分が認められた気がして、つけあがっていたに違いない。そして、それを咎められると、何かに責任をなすりつける。おそらく、自分がこうなったのも全て世の中が悪いと思っているはずだ。
なぜ分かるかというと、ステラの父も似たような思考をしていたからだ。その記憶は鮮明に残っている。ごろつきの類ではなかったが、ステラによく手をあげた。それを止めようとした母も殴られた。
「行きましょうか。また時間を無駄にしてしまったから」
ステラが歩き出すと、ベックも慌ててついてくる。そして、勝手に喋り始めた。
「俺って奴は、すぐ図に乗っちまうんです。昔から、後先考えずに、馬鹿ばっかりやってきたんで。少しは腕っぷしに自信があったから、こっちの方で稼ごうと思ったんですが、結局這い上がることもできなくて」
「そう。中々興味深い話ね」
「それで、博打や酒に嵌ってるうちに、食う物どころか寝る場所にも困るようになって」
「似たような連中で集まって、弱者相手に暴力、恐喝、強盗で金を稼いでいたのね。金のためなら人も殺したのかしら」
「……ここじゃ、いや、この街だけじゃなくて、他も似たようなもんで。弱い奴は、強い奴に骨までしゃぶられるんです。だから、俺たちはしゃぶる側に回ろうと思って、商会に入りました。先のことなんて知らねぇ。その日が楽しけりゃいいやって」
「なるほどねぇ。自然界の掟である弱肉強食、本当に素敵な論理よねぇ。貴方達の思考と行動原理の一端が分かってとても満足したわ」
ベックは鼻血を拭うと、そのまま黙り込んでしまった。彼に対して特に思うことはない。同情もしなければ、批難する気もない。いずれにせよ、今はステラの所有物である。役に立たなければ折檻するだけのこと。きっちり躾は行なう。
だが、ベックのような人間はこれ以上はいらないだろう。このタイプの人間は群れると、無意味な自信をもつ傾向がある。先の酒盛りの一件もそうだ。万が一にも、ステラの所有物を傷つけられては困る。よって、今後の方針としては、ベック以下の人間は基本的に不要ということにしておく。新ベックラインの制定だ。
『ご主人、しかめっ面になってるぜ! もっと笑ったほうが素敵じゃん』
「そう? なら、これでどうかしら」
口の端を少しあげてみる。クレバーがあちゃーと羽で顔を覆った。ベックはひいっと叫ぶ。
『白い顔色と魔女の装束でその危険な笑顔は超やばいじゃん! 俺っち、本当に呪い殺されるかと思ったじゃん』
「ひどいことを言うわね。……そんなにひどかった?」
『例えるなら、深い怨念篭る呪い人形みたいな? 恐ろしい負のオーラが見えたじゃん。聖獣の俺っちが鳥肌が立ったくらい。鳥だけに』
両羽を広げて、『どうだ』と言う得意気な顔をしている。
「……なぜかしら。今、ひどく不快な感情を抱いたわ」
『じゃあこの役立たずの杭を叩いて、せいせいするといいじゃん。今かなづちと去勢用の鋏持ってくるじゃん!』
「そ、そんな! 待ってくれって!」
『えー、代わりは腐るほどいるじゃん! ここはスパッといっとこう! スパッと!』
クレバーがベックの処分を提案してくる。不要なものという認識は一切揺るがないようだ。だが、ステラは首を横に振った。
「今は却下するわ。だって、これは私のものでしょう? こういう類の人間が死ぬまでにどれだけ成長するか。その試金石とすることにしましょう」
砂漠に水を撒くような気もしないこともないが。とはいえ、食料さえ与えておけばとりあえずは手間はかからない。ならば急いで処分することもない。余計なことをして損害を被るリスクは甘受しよう。
『ちょっと寛大すぎるじゃん』
「ありがとうございます! こ、これからもっと頑張ります! 本当です!」
「言葉じゃなく、行動で示しなさい。今までは手を抜いていたと言っているようなものよ。分かったわね、ベック」
「――は、はい!」
あまりにひどい失態を見せたら存在を否定してやろう。ベックの調教方針はこれでいくことに、ステラは決めた。この男は、鞭だけだと喜んでしまう可能性がある。実に面倒な性的嗜好の持ち主である。現に、先ほどのはしゃぎっぷりは完全になりをひそめ、子犬のような従順さを示している。
「悲しい性の持ち主ね」
『覚醒してしまったのはご主人のせいじゃん。ところで、本当に成長なんてすると思ってるじゃん?』
「さぁね。いずれにせよ、参考になるから一応持っておくことにするわ」
『前より、心に余裕ができたじゃん』
「そうかしらねぇ?」
とぼけておく。頭の悪い屑の思考と行動を理解するために持つだけだ。この街はそういった類が溢れているので、もっと知る必要がある。それに、万が一の肉壁にはもってこいである。
成長の可能性については、世界が完全に平和になるのと同じくらいは期待して良いだろう。
悪の組織のボスと失敗を繰り返す部下のイメージ。




