二話 少年の生活事情
時間は、二日ほど前に遡る。
昼休み。俺は、机をくっつけて和気あいあいとお弁当タイムに興じている教室を極力見ないようにして、窓の外を頬杖をついて眺めていた。
「おーい、大和さーん?」
ぐぎゅるるるぅ....
なにやら二種類ほど幻聴が聞こえた気がするなぁ...。二番目のは決して俺の腹の音などではない。
あ、あの雲からあげに似てるなぁ...。
「やーまーとー。ねーえー。」
ぐぐぐるるぅ...
また幻聴が聞こえるなぁ。あれか、頭に栄養がいってないからか。二番目のは決して俺の腹の音などではない。マジで。
お、あの雲オムレツに似てるなぁ...。
「なぁー!!ナデシコさ」
「その名を口にするなああああ!!!」
さっきからうるさいメガネ野郎が『名前を呼んではいけないあの人』の名前を言おうとしたので、右手を奴の口に叩きつけ、頬を押し潰す勢いで力を込める。
まあ、俺の名前なんだけども。
「いひゃいいひゃい!はにゃひてふへ!」
「何言ってんのかわかんねぇよ。はっきりしゃべれはっきり」
口を塞いでいる張本人である俺が言えたことではないが。
「.....!!」
急に静かになったなーと思ったら、メガネの顔は青を通り越して蒼白になり、涙目で俺の腕をバンバンと叩いていた。さして痛くもないが、そろそろ窒息死しそうなので離してやることにする。この年で殺人犯にはなりたくない。
「...っぶはぁ!!げほっげはっ」
手を離した瞬間、思いきり息を吸い込んで思いきり咳き込んだ。一瞬、手のひらに息がかかって僅かに湿る。...気持ち悪いぃい!!
ズボンにごしごしとこすり付け、何すんだよもう息すんなよという目をそいつに向ける。
メガネはぜふーしゅこー、と粗い息をしながら俺の指が食い込んでいた辺りを熱心にさすっていた。よく見ると少し、というかくっきりと赤い跡がついている。相当痛かったらしい。
...ついカッとなってやった、反省も後悔もしていない。
咳の発作と痛みが収まったのか、メガネははあ、とひとつ息を吐いた後、恨みがましい視線をこちらに向けて来た。顔立ちが整っているので迫力はあるかもしれないが、五つ赤丸をつけた顔で睨まれても全然怖くない。
「何で大和、そんな顔でそんな名前なのにこんな強いんだよ...。俺のほうがでかいはずなのに...」
「名前は関係ねぇだろが!」
名前についてはしっかり反論したからおいといて、今のはちょっといらっときた。
確かにこのメガネーーこと神楽坂悟は、俺よりでかい。別に俺が小さい訳じゃなく、神楽坂の身長が高いだけというのがさらにいらつくポイントである。高身長といってもひょろいわけではなく、ほどよく筋肉がついて引き締まっており、その上イケメン。加え、さらさらした短髪とメガネ。校則にひっかからない程度に着崩した制服。
実に女子にモテそうなタイプである。外見のみ見れば、の話しだが。
対して俺は、身長は170ちょっとくらい。髪はところどころぴょんぴょんはねたクセ毛で、てっぺんにはアホ毛が鎮座している。外見は、「可愛い」だの「小動物っぽい」だの「...え、男?」だのよく言われる。さすがにひどくねぇか、最後の奴...。大体それ言う奴って、ごーんと石で殴られでもしたような顔してるもんだから余計傷つくんだよ...。
話がそれた。
とにかくまあ、あれだ。...こいつの顔が気に入らん。
「まてまてまて!!なぜお前の手はまた俺の顔に伸びてきているんだ!?」
「神楽坂くんの顔の形変えたいなって思って...ダメ?」
「頬赤らめて上目遣いすんな逆に怖えよ!」
...ちっ。
演技が通じなかったことにさらに腹が立ったので、椅子から腰を浮かせ、割りと本気で神楽坂の顔を狙いにいく。
教室は広いんだから逃げりゃいいのに変なプライドからかそれをしないので、俺の手はあっさりと神楽坂の顔を捕らえーーる直前。
「くっ...。女顔のくせに!フルネーム大和ナデシコのくせに...!」
神楽坂が爆弾を投下した。
...はっ!人生15年目、今更名前という最大のコンプレックスを刺激されたところで何ともなーー。
.........悔しいがこうかはばつぐんだ!
なでしこはめのまえがまっくらになった...。
と同時に掘り返される大量のトラウマ。それはもう「あれ、温泉掘り当てちゃった?」的な感じでぼこぼこ出てくる。
「黙れイケメンの皮をかぶった中二病め!!お前に俺の苦しみがわかるか!?病院で名前よばれて返事をすれば周囲がざわめき、自己紹介すれば女と間違われ...」
「あー確かに。大和ってただでさえ男か女かわからんような顔してるし、名前がナデシコとくれば確実に女認定され」
「うるせえええええ!!!」
「ぼがぐっ!!!」
条件反射で繰り出した右ストレートパンチが奴のみぞおちにクリーンヒットした。
一番弱いところをついてくるとは卑怯な!
自分のことを棚に上げ、うずくまって呻いている神楽坂を横目にそんなことを考える俺。
ちなみに、まわりの生徒たちは床で転がっている神楽坂を気にもせず談笑している。ドンマイ。
「や...やめろよ大和、友達じゃないか...ぐふっ」
神楽坂がしぼりだした言葉に、思わずピクリと反応した。
友達。
友情とか愛とかほど定義があいまいな言葉は、ほかにないだろう。
どこまでが知り合いで、どこまでが友達なのか。それは、その人の価値観に左右される。
では、俺と神楽坂は友達か否か。
神楽坂とはなんだかんだ言いながら高校に上がってからずっとつるんでいるし、俺の体質のことを知っても気味悪がったりせず、ふつうに接してくれた。いい奴だ、とは思う。友達と呼んでも、別に違和感はないだろう。
「...だがしかし!!」
椅子を蹴飛ばして立ち上がり、未だ床でうずくまっている神楽坂に向かって見下しのポーズをとる。そして、目を丸くしている神楽坂の鼻先にビシィッと音がしそうな勢いで人差し指をつきつける。
「お前は俺の大切なものを奪った!俺はそれを、絶対に許さねぇ!!!」