全ては突然に
昼下がりの繁華街に怪物が現れる。
巨大な熊のような見かけのその怪物は狂ったような咆哮を撒き散らし、目に映るすべてを壊そうと暴れ回る。
けど、人々は特別慌てることもなく、自分たちと怪物を隔てる薄黄色の障壁に群がって、まるでプロレスでも見るかのようにその光景を観戦していた。
「毎回毎回、どこから湧いて出てくるのでしょう?」
人々が呑気していられるのは怪物とともにリングにいる、一人の少女のおかげだろう。
自分より遥かに大きいその怪物の猛攻を踊るようにくぐり抜け、懐に入り込む。
「貫け、氷の槍」
危機を察した怪物が身をかわすよりも先に、少女の手から生えた氷の槍が怪物の胸に穴を開けた。傷口からは血ではなく黒い煙が吹き出し、その巨体はコンクリートに崩れ落ちる。
事の終わりを察した観衆は散り散りとなって、消えていった。
珍しくもない光景。
「見たかよ仙崎先輩のあの身のこなし! 休日に良いもん見れたな」
隣を歩く友人の声をぼんやりと聞いていた。
一月に数回、どこからとも無く怪物が現れて、地域担当の討伐隊がそれを討つ。ここ半世紀、ずっとそんな事を人類は繰り返している。
「おい、どうしたんだよ景井」
「景井」とは僕の名字である。景井 鐘政。ちょっと古めかしい感じがしないでもない。
「高崎、いっつも思うんだけどさ、あの怪物達は何をしに来てるんだろう?」
友人、高崎 勇二郎は僕の質問に少しだけ黙考する。
「何ってそりゃあお前……なんなんだ?」
返ってきたのは歯切れの悪い返答。そんなよくわからないモノと、人は半世紀も戦ってきているのだ。
冷たい秋の朝の感触が僕を眠りから覚ました。のっそりとベットから身を起こし、高校へ登校する準備を始める。
「あー、なんでこう、朝ってつらいんだろ……ん?」
枕元に置いてある携帯電話のディスプレイが一通、メールの受信を知らせている事に気付く。
「お爺ちゃんからか……」
ーーー今日中に、家に来てくれ。
「相変わらず簡潔なメールだなあ」
学校帰りに寄ろう。
「お前どうすんだよ」
登校して早々、高崎が主語の無い質問を投げかけてきた。
「どうするって何の事?」
「固有魔法だよ、お前魔法はからっきしだろ?」
この世の中には大きく分けて「基本魔法」と「固有魔法」の二つの魔法がある。
基本魔法は勉強すれば誰にでも使える魔法のことで、「火を生み出す」、「風を起こす」、「水を放つ」、「土を作り出す」、その四つ。当然程度に個人差はあるが、普通の人間なら鍋の湯を沸かしたり、桶に水を汲んだりは出来る。
固有魔法は文字通りその人に固有の魔法で、「空中飛行」、「遠くのものを動かす」と夢のあるものから「周りの空気をきれいにする」とか「手先が器用になる」という妙ちくりんなものまで様々である。ほとんどの人は生まれて十年ぐらいまでには自分の固有魔法を見出すと言われている。
「でも僕、自分の固有魔法がまだわかってないし……」
ちなみに僕は基本魔法もマトモに扱えない。
「そうは言っても、そろそろ固有魔法の授業が始まるだろ。何か使えないと卒業できなくなるぞ?」
そう、高校では近い性質の固有魔法を持つ人間をそれぞれに集めて、専門教育を施す事になっている。忌々しい事に、その授業にしっかり出て単位を修得しないと卒業できない仕組みになっているのだ
「そうはいってもなあ、先生達が何かしら対応してくれるんじゃない?」
「『じゃない?』って、人ごとみたいだな、お前……」
高崎は呆れ顔で言うが、出来ないものは出来ないのだ。
「魔法使えなくても生きていけるしさ。僕は土とかいじくってる方が楽しいし」
「まあ俺がどうこう言ってもしょうがないけどよ」
実際、僕は魔法とは縁のない暮らしを送るつもりだったのだ。
放課後、教室で先生に呼び止められた。
「お前、園芸部員だろ? 裏庭の花壇をどうにかしてくれ」
「どうにかって、何かあったんですが?」
「見りゃわかると思うが、草花は根っこから掘り返されてるし、土はそこら中に散乱してるしで見れたもんじゃなくなってるぞ」
先生の言ってた通り、裏庭の花壇はひどい有様だった。
「誰がこんな事を……」
学校の花壇の手入れは毎日欠かさずやっているし、昨日も花を植えたばかりだったのだ。
呆然としている僕の背中に声をかける人間がいた。
「困ったもんだね、せっかく植えた花が……」
「あ、周藤先輩」
来たの園芸部の二年生である周藤 百合香先輩だった。運動神経抜群のスポーツ少女の割には園芸部所属という、ちょっと変な人である。
「そりゃあ、私たちは好きでやってるだけだけどさ、ボランティアでやってくれてる人もいるのに、こんなにするのは酷いよ」
普段は明るい先輩も今回の件は堪えた様に見える。とはいえ、一年坊主の僕は先輩と付き合いが長い訳でもないので、その心情を察しきる事は出来なかった。
「……まあ、取りあえず掃除しましょう。他の部員にも声掛けときましたし、みんなくれば今日中に元通りになりますよ」
僕の言葉に周藤先輩は頷く。
「うん、そうだね」
結局、花壇の整備は日の沈みかける頃までかかった。
花壇の整備が終わり、教室に鞄を取りに戻る。無人の教室は夜を感じさせるほどに暗くなってきており、ぼんやりとした月明かりが窓から差し込んでいた。
「魔法か……」
今朝の高崎とのやり取りが唐突に浮かび上がった。
「でも、普通に生きてれば魔法なんて使わなくても暮らしていけるよなあ」
魔法と一緒に発展した科学技術のおかげもあり、僕は魔法が使えなくて何か不自由を感じた事など一度もなかった。使えたら便利かも、ぐらいの認識しかない。
そもそも、魔法って何のためにあるんだ? 当たり前に使われている魔法だが、実はその仕組みはあまりよく解っていない。研究は進んでいるが、魔法そのものよりも魔法を使うことに関する研究の方が圧倒的に多いのだ。
「そんなことを気にしてもしょうがないか」
祖父の家へ寄らなければいけないし、とっとと学校を出ようとしたその時。
———ぐがあ、ぐがあ
「なんだ!?」
妙なうめき声。辺りを見回してみるが特に変哲はない。
「気のせいなのか……?」
気にしても仕方がない、早く出よう。
——————全ては突然に起こる。生も死も、前兆も変調も。
「お爺ちゃん、いる?」
住宅街から少し離れた山の裾、古風な日本らしさ溢れる家が祖父の家である。
返事がないので庭に回ると、縁側に一人座る祖父の姿が見えた。
小さな池のみなもに満月が揺れる。もう日は沈み切り、月光だけがこの場を照らしていた。
僕は祖父の隣に座り、言葉を待っていた。
「なあ、鐘政よ。これから大切な話をする。具体的なことは何一つ話してやれないが、それでも大切な話だ」
「いきなり何を言って……」
僕が言い切るより先に、祖父は言葉を続けた。
「まずこれを渡しておく」
祖父が僕に手渡したのは、金色の古ぼけた鍵だった。
「倉庫に黒塗りの金庫がある、それの鍵だ。その中にお前に渡すべきものは入れておいた。後で確認してくれ」
祖父はタバコを一本焚いた。白い煙が揺れ上がっては夜空に消える。
「まず、あの突然現れる怪物達は決して敵じゃない。弱いって意味じゃねえぞ、敵か味方かって意味だ」
唐突な話ではあったが、僕は黙って聞くことにした。祖父は決して意味のない話をする人間ではない。
「そしてお前の固有魔法。俺の固有魔法でもあるんだが……、それが絶対必要になる時が来る。だから今、それも渡す」
祖父はタバコを放り、踏み消すと、僕の右手を取った。
「渡すって……!」
瞬間、繋いだ祖父の左手と僕の右手が青白く輝き始める。
何か、異様な力が全身を駆け巡る感覚。景色に光が満ち、空色に染まる。
「鐘政……、正しさなんてどこにもないが、真実はある。まやかしに囚われるな。お前だけの真実を見つけろ。俺は間もなく消えてなくなるが、お前なら必ずやり遂げられる。俺はそう信じよう・・・・・・」
「『消えてなくなる』って、何言ってんだよ!なあ!」
青白い光は消え、祖父は糸が切れたように倒れ臥した。
こうして僕の祖父、景井 源三は絶命した。