第6話 竜の夢(5)
シムクの丘は候都から馬で2時間程度の距離にある小高い丘で、ピクニック等でよく領民に利用されてきた丘だ。
この馬で2時間と言う距離は意外に曲者で、いくら身体強化をしているからと言って一瞬でたどり着ける距離じゃない。
勿論、自身を竜へ変える竜化の秘技を用いればその限りではないけど、竜化は竜から人に戻る時に膨大な魔力を消耗するから神との戦いを控えた今使える訳がない。
或いは他の竜族なら、竜のまま戦うと言う選択肢もあるだろうけど、私は竜状態で逆に弱くなる特殊な竜だ。
かと言って、馬上での戦い等殆ど経験がないから現状で馬を使うのは危険。
……無いものねだりをしても始まらない。
候都西門を抜けてさらに足を早める。
結局、2本の足で走るのが1番速いなんてね。
体感時間で10分程を走ったかと思う。
丘までの6割程を走破した所で前方に人影を見つけた。
…嫌な予感がする。人影が1人分なのだ、邪神を撃退出来たのならもっとたくさんの人が歩いてくるだろうし、交戦中であれば我が家の勇猛果敢な騎士達が敵前逃亡して来るとは思えない。
考えられる最悪の事態、部隊壊滅を報せる伝令のみがこちらに向かっている可能性がある。
あれは!
見覚えのある魔力の波動に気を焦らせつつも人影に駆け寄る。
「お母様!」
勘違いであって欲しかった私の思いは完全に裏切られ、こちらへ向かって歩いて来ていたのは私のお母様、セレスティア・ルートセイム侯爵夫人だった。
「…シアなのね。
いつも言い付けを破ってばかり、本当に困った娘ですね」
…ああ!
私に答えてくれる声も間違いなくお母様の声だった。
…人違いであって欲しかった。
…見間違いであって欲しかった。
…だって、だって、本当のお母様とは別人のようにその身に纏う力が弱々しいのだから!
「けれど、今日ばかりはそのじゃじゃ馬ぶりに感謝ですね。
お陰で最期を愛しい娘の腕の中で迎えられるのですし…」
「そのような冗談を言わないで下さい。お母様」
私の頬を撫でるお母様の手に自らの手を添える。やはり、お母様自身も御自分の状況を理解されていますか。
「…私の状態は分かっているのでしょう?
そして何故こうなったかも」
「そ、それは…」
……今のお母様は生きる為の根源となる力、言わば生命力とでも言うべきものがかなりの速さで失われている状況。
そしてその原因は…。
「…フフ、私だけ娘に最期を看取られたと知れば、あの世でアルフレオに妬まれそうよ…」
「やはり亡くなられたお父様を介して生命力が失われているのですね」
お父様とお母様は契約によって生命力を共有していた。だから、どちらかが死を迎えればもう片方も長くは生きられない。
「ええ。あの人は先に逝きました。
私もその場でこの身を切り裂こうかとも思いましたが、どうしても誰かに伝えなくてはならない事が出来ましたので」
「伝えなくてならない事ですか?」
「ええ。あの神の本質です」
…すごい。
神の本質とは神の在り方そのもの。
逆説的に神を討伐する為の足掛かりとなるものだ。
当然、そう易々と読み説けるものではない、それを戦いの最中で読み説くなんて…、ましてあの神は相対してまともな精神で生き延びた者がいない程の高位神格。
事前情報がまるでないはずなのに!
「よくお聞きなさい。
まず、大前提に間違いがあったのです」
「大前提にですか?」
「ええ。あれは邪神ではありません。
あれは正しくある神だと思います」
「あの神が邪神ではない、…ですか?」
「そう。私達があれに対した時、あの存在への恐怖が消え、是が非でも倒そうと言う思いに駆られました」
…それは確かにおかしい。
元々、お母様達はこちらへ向かってくるルディオンに対して時間稼ぎをする為に出撃なされたのですし。しかしそれは…。
「恐怖が消えたと言うのは『暴走』の魔術のようなものを受けたのではありませんか?」
「いいえ。私達の軍は普段通りの展開を行い、正常に機能していました」
「少しお待ちください!
恐怖心を失いながら通常の軍事行動を行えたのですか?」
似ている。先程のセルドック私兵団と。
「ええ。問題なく陣型行動をとれていましたし…。
私自身、あの人が討たれるまで何故か勝利を確信してしまっていたのです」
セルドック達が実は先にルディオンに接触していたとすれば、恐怖心を奪われ、この国への憂いを増幅されたとか。だからあんなにも無茶で計画性のない謀反をしながら、軍としてはまともに機能していたんじゃ?
「…軍神の祝福」
「シア?」
「お母様。
恐らくあの神は軍神の系譜をもつ神です。
恐怖や怯えを取り除き、憂いや警戒心を強めることで人々を戦いへと誘う神。
そう考えるとつじつまが合うと思いませんか?」
「…なるほど。
さすがは私の自慢の娘ね」
そう言って微笑んだお母様が急に体勢を崩す。咄嗟に支えるように腰へ手を伸ばす。
「お母様!」
「ごめんなさい。
どうやら、気が抜けてしまったみたい」
そう言って微笑まれるものの、どう見てもお母様は自力で立ち上がれずにいる。
「…お母様」
「ええ。
もう時間がないようです。
…シア、私達の事は忘れて幸せになりなさい。
間違っても神を相手に復讐なんて無茶を考えては駄目よ」
「それは…」
「やっぱり。
シア、バカな事はやめなさい。あなたにはまだアリスを幸せにする義務もあるのですよ」
言いよどむ私へ念を押してくるお母様へ頷く。多分、私はその願いを聞き届ける事が出来ず、お母様自身もそれを理解しているのでしょう。その笑顔に若干の寂しさが浮かんでいる。
「シア、後を頼みました…」
「お母様!」
「…よく顔を見せて、可愛い私のシア、こんなにも早くあなたを置いていく母を許し…て……」
「お母様、お母様! いやです、いやあぁぁ!」
どれ程揺すってもお母様はその優しい目を開けてくれない。
私達へ笑いかけてくれない。
ああ、あああぁぁ!