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 まるで廃虚と見まがう建物だった。バブルをやり過ごし、その後のあらたな再開発ラッシュからも取り残された数少ないビルなのだろう、真夜中なのと手入れが悪いせいで心霊スポットのような感じであった。しかし、郵便ポストにはネームカードがほぼ全部入っている。ほとんどが、会社である。おおかた闇金融か、何かのダミー会社なのだろう。ビル自体が組の所有物なら、内臓は腐っていると考えて差し支えなかった。

 村沢は階段を静かに上がり、T&L企画のプレートが気のない調子で貼付けられているドアの前に立った。誰もいないと踏んで来たが、ドアの窓はうっすらと明るい。音は洩れてこないが、人の気配があった。

 ゆっくりとドアノブを回す。 

 鍵はかかっていなかった。音をたてずにドアを開けた時、暗い部屋に白く輝く巨大な液晶画面が目に飛び込んできた。

 映っているのは、大きくのけぞる那美の顔。苦悶の表情を浮かべている。村沢は思わず息を呑んで目を凝らした。

 いわゆる絡みのシーンで、無個性な部屋に女の裸体が左右にうごめいていた。女の腕は、男の肩を突き離そうとしたり、そうかと思えばいとおしげに背中をなで回すようなそぶりをみせるなどして、せわしげに生き物のように動いていた。

 次のカットでは、女の身体全体がはっきりと写し出される。豊満だが引き締まった、強烈な存在感を持つ肉体。

 村沢は、違和感を感じた。身体が違う。つまり、那美の身体ではない。


 「合成したのか」


 モニターの前に座っていた酒井が振り向いた。とくに驚いた様子もなく村沢を見上げ、あんたか、とつぶやいた。

 

 「ああ。けど、どうもうまくねえ」


 酒井は顔をしかめた。ひどく顔色の悪い男である。


 「女優の動きは悪くねえんだ。おれが細かく指示して撮ったやつだからな。ただ、この顔と合わねえ。達者過ぎんだな」


 そう言うと、再び村沢を見つめた。


 「この女ののけぞり顔は最高だ、そう思わねえか」


 酒井は村沢を試すように見つめた。

 村沢は表情も変えず、無言で立っていたが、内心では動揺していた。

 大ガード下を出たところで男に車の中へ放り込まれ、のけぞった那美の顔を見た時、あの時の表情にひどく惹かれるものがあったのは確かだ。

 この世の悲しみ、いや哀しみと言った方がいいのか、そういうものを一身に集めたような、それでいて一瞬にして苦悩が陶酔に変わるような危うい官能を漂わせた表情。そんな顔を、村沢はあの時初めて見たように思うのだ。


 「やっぱ、あんたもそう思うか」


 酒井は勝手に納得すると、モニターに向きなおり、目を光らせた。


 「この女優の身体はいい。だけど、心まで痛めつけられて堕ちていくって感じが出ねえんだな」


 「なんだって心を痛めつける必要がある?」

 

 村沢の内部に、怒りが少しずつわき起こってきた。


 「そうしなきゃ、いい絵が撮れねえんだよ」


 「そういうのが、いい絵だとは思えんがな。ただの変態だろ。それで金を稼ぐなんざ最低のクズのやることだ。」


 酒井は、わかっちゃいないという風に、首を振った。


 「道徳で割り切るもんじゃねえんだよ、このての話はよ」


 そう言うと、酒井は再び村沢の顔を凝視した。目に異様な光が宿り始めている。


 「いいか、女なんてのはしょせんクソ袋だって昔から言うだろ。綺麗な包み紙を引っぺがしてさんざ痛めつけてやった日にゃあ、どの女も中身さらけだして汚ねえだけだ。けどよ、一番綺麗なのは、やられてずだぼろになる瞬間と、その後にあきらめた時の顔だ。それも、どんな女でもいいってわけじゃねえ。何か……特別な空気を持った女じゃなきゃだめなんだよ。おれは、そんな女の顔を見つけた。遠藤さんにやられてるあのテープは素人に撮らせたクソみたいなもんだったが、おれならもっといい絵を撮れる。あの女がどん底まで堕ちていくのを見極めんだよ。女ってもんの本質をリアルに突き付けてやれらあ。これは壮大な実験的芸術になるはずさ」


 酒井の長広舌に、村沢は心底うんざりしていた。何か勘違いをしているとしか思えない歪んだ稚拙な理論に、胸の悪くなる思いだった。那美もとんでもない馬鹿野郎に見込まれたものだ。


 「お前の言うことは破綻している。女の本質なんて誰がわかる?わかったつもりでいるなら、とんでもねえおめでたい野郎だ。」

  

 唇の端だけで笑った村沢に、酒井のこめかみがひくついた。


 「てめえ……」


 


 ドアが蹴り開けられると同時に、黒い身体が飛び込み、消音銃の鋭い音が突き刺さった。

 三発。酒井は胸と腹に弾を受けてのけぞり、倒れた。おびただしい血が流れ、鉄分を含んだ生臭い匂いが涌き始めるなか、カンナは村沢をみとめた。首を後ろに倒して促す。


 「那美……」


 村沢に向き合った那美の目はたちまち潤い、唇がわななき始めた。






 

  

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