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以前、石井隆監督へのオマージュとして、「天使のはらわた」シリーズのファンフィクションを別サイトで書いた事がありました。続編を、というありがたい声に乗っかって書いたのがこれですが、独立した読み物として読んで頂けるようにしてあります。ジャンルをあえて冒険にしたのは…歌舞伎町では毎日が冒険だと思ったからです。
「その時の気分は、まるで本当に啓示を受けたみたいだった。」
と彼女は男爵に言った。
「殺してかまわないんだ。大馬鹿どもは殺したってかまわないんだと分かったんだよ。それにお金が欲しかったし、働く気にはなれなかったから」
J‐P・マンシェット「殺戮の天使」
「ここは女の街よ。」
カンナは、那美に笑いかけた。
殺風景な事務所には、デスクとノートパソコン、簡素なソファセットがあるきりだった。
窓からは、歌舞伎町の雑居ビルのネオンがわずらわしいくらいに入りこんでくる。
「おかけなさいな。」
ぼんやりと突っ立っている那美に、カンナは再び微笑んだ。美しいが、どこか容赦のない微笑。
那美は、我にかえったようにカンナを見た。
「なぜ…」
口の中で呟いた。
「なぜ、私達を助けたの?あなたは誰? 彼はどうなるの?」
那美の青白い顔に、うっすらと血の気が射してきた。カンナは、わずかに唇の端を歪めたまま黙っていた。
「答えて下さい!」
興奮しかかった那美を、別にもて余す風でもなく、カンナは話し始めた。
「まず、村沢さんだけど、命に別条はないと思うわ。弾は貫通していたし、救急車のやって来たタイミングからしても大丈夫でしょう。
それに、元警官よ。
事件との関わりは隠蔽されるわ。証拠もない。
村沢さんが撃った拳銃は、あたしが回収しておいたもの。裁判になっても、執行猶予がつくでしょうね。」
那美は、わずかに落ち着きを取り戻したようだった。しかし、まだ警戒心を解いていない。 挑みかかるように、カンナを見つめる。
「あなたは誰?」
「善意の第三者…では通らないわね。あたしは、この街で商売をしている者よ。」
「拳銃の密売、ですか。」
「いいえ、それは厳密には別の部門になるわ。」
「じゃあ、あなたの仕事は何なのですか。」
「とても高度に管理されたシステムを持った会員制売春組織の運営責任者。
もちろん、ボスは別にいるわ。」
「私達を助けた理由を、教えて下さい。」
カンナはしばし、考えをまとめるように、宙を睨むと、おもむろに口を開いた。
「うちのボスは、村沢さんの調査能力を買っていた。いずれ専属にさせたがっていたわ。だから、あたし達は村沢さんの身辺には、常にアンテナを張っていた。そこに引っ掛かったのが、あなたよ。
村沢さんが親しくしている女性がいる。調べるのは当然よね。
あたし達の業界でも、情報は大事だわ、とくに人間関係に関する情報は、どんな些細なものでも拾って検討すべきなの。」
「私の事を調べたんですか、そうですね。」
「あなた自身は、かたぎのごく普通の女性だった。
でも、ご主人がトラブルを抱えていたわよね。だから村沢さんとの接点は、そのあたりかな、と思った。
そしたら、ご主人が殺されたでしょう。」
カンナは、真っ直ぐに那美の目を見つめた。
霊力を持った巫女のような不思議な目が、那美の身体を射抜く。
那美の舌が、口の中の天井に張り付いた。
「あなたが殺したんでしょう。」
カンナは、事もなげに言うと、タバコをくわえ、火を点けた。
「あなたがそこまで追い込まれていったプロセスは、大体想像がつくわ。」
何かを避けるように顔をそむける那美に、カンナは言葉を続けた。
「あたし達は村沢さんの弱みをつかんだと思った。
だから、あなた達の事を追跡していた。
そして、あなたは今ここにいる。」
那美が深いためいきをついた。
「村沢さんをあなた達の組織の一員にするつもりですか。」
「いいえ。」
カンナは言い切った。
「それは望んでいないわ。要するに、村沢さんが恩義を感じて、うちのボスのために色々な調査を引き受けてくれればいいの。」
「彼は…」
「いづれあなたを見つけだすでしょうね。それとも、あなたこれから警察へ行って自首する?」
那美は唇を噛んだ。
「あたし達ならあなたを守る事が出来る。まあ、村沢さんが来るまでは働いてもらうけど。」
「私に売春しろと?」
カンナはあはははと笑った。
「そんな事をさせたら、村沢さんは刺し違えてでもあたしを殺すでしょうね。
今、ここはあたしと運転手兼ボディガードが一人。何かと忙しくて大変なのよ。あなた、アシスタントマネージャーをやってみない?」
カンナは、にっこり笑った。茶目っ気を含んだ表情は魅力的だったが、那美は先行きの見えない展開に、返事も出来ず、ただカンナの顔を見つめるばかりだった。