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褒めて育てる  

作者: 森本 義久
掲載日:2013/09/22

私はこれまで 美容師を30年して来ました (理容師の資格も技術も持っています)


25歳の時に 自分のお店を持ち、 若かったからか お客様の層も 1番多い世代が20〜30歳くらいの独身の女性 そして次に 中学生 高校生 そのお母さん世代でした。


私も 結婚してまだ間もなくて お客様の恋愛や 結婚の話をよく聞いていました。


そして年月と共に お客様の出産や 赤ちゃんの話 子育て 学校 不登校 いじめ 離婚など  その女の人が、友達や旦那さん 自分のお母さんにも言えない話などを たくさん聞いていました。


そして 私が男なのと 理容師も出きる事で そんな女性が 自分の婚約者や 旦那さん 赤ちゃん 子供 そして その女性のお母さん 旦那のお母さんも お客様として連れてくるようになりました。 


旦那さんや お母さんからも その女性には言えない話や ぐちも たくさん聞きました。


そう 私の店 ガレージ 1/2  は  27年の間に、 夫婦 夫婦の兄弟姉妹 両方のおばあちゃんお爺ちゃん お子様達 と 親戚 家族みんなで ご来店されるお客様が 多かったようです。


変な話 その家の人より その家の事が分かる と言う感じです。


だから お客様の恋愛の始まりから 結婚 初めての妊娠 出産 0歳の頃の赤ちゃん その後の成長などが 客観的によく分かりました。


例えばその子供(女の子)が 中学校になって不登校になる 家に帰って来なくなった どうやらアパートを借りてる男の子が居て 同じような子達が そこに泊まり込んでいるようだ。


そんな話を 近所のおばあちゃんや その子の友達などが 髪をしながら何気に話します



そうなると そんな子は ガレージには髪を切りに来なくなります。


そして その子のお母さんが来店した時に 

「00ちゃんが 家に帰ってきた時に 髪切りに連れておいでよ」と 何気なく言う。


その子がお店に来ると こちらから聞かなくても いろいろ話してくれます。

それは この子を赤ちゃんの時から知ってるのと 私に どんな愚痴を話しても 親にも誰にも話さなと知ってるからです。


こんな子にかぎって 本当にいい子なのです。  心がきれいすぎて 優しすぎて みんなのように うまく思春期を だきょう 出来なかったり  ただただ怒る親に やっと「馬鹿 死ね」とか 反抗した事に対して  親に 自分が言った言葉で どれだけ親が傷ついたか を 死にたい程 反省しているのです。



ガレージ1/2には  保育園の先生 小学校 中学校の先生も多く来ます。


子供の為になると思えば 家庭の不和も 学校外での子供達のトラブルも 個人名で 先生にも話します


例えば 不登校になりかけの 00ちゃんの学校の先生が来たら

「00ちゃんは 夏休み明け 男の子に 「00 顔ブツブツで気持ち悪い」 と言われたのが恥ずかしくて 学校に行けなくなったんです 

00ちゃんは 小さい頃からアトピーで 親はあちこちの病院連れて行って 今はかなり良くなってるはずなんです」  とか


これは 職員室でいくら会議しても 先生方が知らない情報です。

もちろん その子に じかに聞くような デエリカシーのない先生には 言いません。


そんな私の 30年間の経験から この文を書いています   


私自身 子育てが終わってみて 恩師でありもう1人の母である 酒井美奈子先生や 多くの学校の先生方 お客様達から学んだ 子育ての27年間 

振り返ってみれば 偶然なのだが 我が家の子育てが 当てはまる事が多々あったのに驚いています。


そしてこの「褒めて育てる」は 私の娘達 里菜と伶美が いつか妊娠した時に読んでほしいと この文を書いてます。









1、    褒めて育てる  



1987、07、21 東大病院で女の子が産まれた。


翌朝 高知県宿毛市和田の森本家の電話が鳴った


「昨日午後11時30分に 3050gの女の子が産まれました 母子ともに元気です  おめでとうございます」    「ありがとうございます」


唐突の電話は 用件だけ述べて 唐突に切れた


産まれたか・・・・・


電話を置いて 顔を上げると キッチンではお袋の顔が その横の裏口には

弁当の袋を持って現場に出かけようとしてる 親父の顔が 


「ああ 昨日 女の子が産まれたって 親子とも元気って」


「そうか」と言って 親父はドアから出ていった。

お袋はもう 顔を流しに向けて 洗い物をしている


「じゃ  俺も行くから」


親父も お袋も あまりに 嬉し過ぎて 恥ずかしいのだ



車庫の車に乗って わずか5分の自分の美容室に向かった。



「産まれたか・・・良かった・・・・」






2、



   35歳くらいのお客様のカットをしていた


お客様のお子様が2人と 姉妹かだれかの子供も預かっているのだろうか

3歳くらいから小学校4年生までの男の子が4人 待ち合い室でドタバタ騒いでいた。


するとお客様は  「こら〜〜騒いだらいかんぞ〜〜漫画読みよれ〜〜」

いきなり大声で叫んだ。   すると シン っと 大人しくなった。


しかし1分もしないうち  おれの〜〜  ぼくの〜〜  と

今度は 待ち合いに置いてある漫画の取り合いがはじまったようだ。


すると  ワ〜〜〜 と小さい子が泣き出すと ドンバタドンバタと

喧嘩が始まったようだ。

小さな子がホールに泣きながら  ママ〜〜 と入ってくると それを追いかけて 後の3人の男の子達が 叩いたり 飛び蹴りのようは事をしながら来た。

2人の小さい男の子が大泣きしだすと  お客様は 「こら〜〜やめろっていいよるろ〜〜」  と立ち上がって お兄ちゃん組の男の子2人の頭を 思いっきり ゴン  ゴン  と叩いた。


驚いたのはその後だ 叩かれた男の子は うずくまりながら 頭を抱えて

ヘヘヘとでも言うように 笑っているのだ。


鬼のような顔のお母さんに 思いっきり頭をグーで叩かれたのに 照れ笑いのような はにかんだような笑みを浮かべて 座り込んでいるのだ。


お母さんは 分かったか!  とでも言うように 傲然とセット椅子に戻った。



仕事に戻ってからも その事を考えた。




!  そうか あの男の子達は 小さい頃からお母さんに叩かれ続け 小学校の3〜4年生になると 大人が力を入れて叩いたくらいでは もう泣く程の事ではないんだ  !   


! じゃ中学生になったら 棒で叩くのだろうか?  それも慣れて へらへら笑っているのだろうか?


考えると  恐ろしくなった。







 





3、      1978、7月末  




 産まれた赤ちゃんに会いに東京へ行った。


実家の部屋で 布団を敷いて 広美の横で寝ている 小さな赤ちゃんは 本当に可愛い女の子だ。


広美もまだ まるまるしてて 切迫流産 切迫早産を乗り越えてきたわりには 元気そうだ。


二人の横に座って 広美と赤ちゃんを見ながら 何時間も過ごした。

父親になった実感は分からないものの これが俺の子供だ これが俺の子供だ と心の中で想いながら とても穏やかな 幸せとはこれなんだ と思いながら

なんだかこれまで 経験した事の無い ほんわりした時間がここちよい。




あっ!そうだ


『広美 この子は褒めて育てるぞ』  「うん」


『怒らなくていい 叱らなくて良い ただ褒めて 褒めて ほめて育てるぞ』 と言った。





4、   酒井美奈子先生の教え




古い話で 自分が保育園の時の 当時の園長先生。


お客様に子育ての話を聞いたり またそのお子様達を見ていると、酒井先生の言っていた 『0歳児教育 』と言うものが、本当の話だと、大人になってみて よくわかった。


それは 今では  『胎教』と言って 赤ちゃんは お腹の中から しかも妊娠数ヶ月という時から 母親の声や 奇麗な音楽や 母親の感情などを すでに理解しはじめていると。


酒井先生が『0歳児教育』といいはじめたのは よくは分からないが 少なくとも50年前(1963)には それを他の保母達に話していた。


それは 『0歳(今では胎児から)から 1番身近かな 母親の全てを覚える。


そしてそれの とても大切な事は 『胎児から1歳までに覚えた事が その子の一生の 人格 を作る』  と言う事。

そしてその人格は 1歳以降 決して 『直したり 変える事が 出来ない』と言う事。


次に  『胎児から3歳までに覚えた事が その子の一生の 性格 を作る』

と言う事。


そしてその 性格  も 決して 『直したり 変えたり 出来ない』

と言う事。



そして 不思議な事に 子供が3歳まで覚えていた いろいろな記憶が いつの間にか 消えてしまっていること。




それは その子供が これから生きていく為の とても大切な記憶だから

脳の奥深くに 脳の金庫のような所に しまい込まれること。


こうして 4歳くらいになると それぞれの子供の個性が 誰の目にも明らかになるのだ。








5、    里菜ちゃん



待望の赤ちゃんは 高知の田舎に帰ると芸能人並みの人気で 新おじいちゃんおばあちゃんはもちろん 親戚のおばさんや 近所のおばさんたちが 毎日見にきた。


和室の畳の上に敷いた布団で 31日間は寝て過ごすはずの広美は 朝から途切れず来るおばさん達のおかげで 昼寝をする暇もなく しかも 来たおばさんは 里菜を見るのに 1人が1時間も2時間も座るものだから 時間とともに人数が増える。


首が据わるころになると おばさんが来て 「ちょっと ぞうりのばあちゃん達に見せてくる」と言っては 里菜を抱いて行く。

母乳の時間だからと迎えに行くと 「@@おばちゃんが連れて行った」

@@おばちゃんところに行くと 「##おばちゃんが連れて行った」と みんなが里菜を抱きたくて 探すのに苦労する程だった。


お祝いのプレゼントも 赤ちゃん服のブランドなど 全く知らない私も 広美がフリフリが好きなせいか フリフリのついた可愛い服ばかりで 高そうな箱が山積みになっていて ミキハウス と書いてある。  この宿毛市によくこんな沢山の赤ちゃん服があったもんだと 心配になるくらい。



里菜の目は 覗き込む ニコニコした子供の笑顔 お姉さん おばさんの笑顔 しわくちゃのおばあさん達の笑顔ばかり 布団で寝る暇がない程 みんなに抱かれて過ごした0歳だったと思う。








1歳半を過ぎた頃 食事のテーブルについてた私に  「パパ 食べて」と里菜が 水の入ったコップを置いた。

よく見ると 水の中に肌色のものが入っている 魚肉ソーセージのぶつ切りだった。

広美と目を合わせると 広美も笑っている。

「里菜ちゃんが作ったの?」  「うん」

食べた 「美味しい〜〜 里菜ちゃんの料理は世界一美味しい」

里菜ちゃんは喜んだ。


それから毎食 里菜ちゃんの“水ソーセージ” が出た。

「里菜ちゃんが作った料理は ほんとうに美味しい」 と褒め続ける。

広美が「もう止めたら」  いいから買ってこい と 魚肉シーセージを切らさないように買っておいた。

“水ソーセージ”は 一月以上続いた。


次が たまごかけご飯  生卵を上手に割れるようになった里菜は

お茶碗にご飯を半分ほどよそった上に 生卵をかけて「パパ どーぞ」

『里菜ちゃん ありがとう』  それもそのまま美味しい美味しいと

『里菜ちゃんは 料理の天才だ』  里菜は大喜び。

おかげさまで このたまごかけご飯は 朝食だけだったので助かった。


そんな里菜は 保育園の頃から クッキーを焼いたり ケーキを作ったりと 料理好きな女の子になりました。


3歳の時に 小さいがよく切れる包丁をプレゼントすると リンゴやなしをむくのに 手を切りそうなのに ギリギリで切らない。

剥き終わると みんなで盛大な拍手 「里菜ちゃん おめでと〜〜〜」


小学3年生になると 私が釣ってきた60cmほどのハマチを 1匹そのまま冷蔵庫に入れておくと  夜には “にぎり寿司” が大皿に 奇麗に並んでいます。

鯛 でも アジでも 釣って冷蔵庫に入れておくと 学校から帰った里菜が にぎり寿司にしてくれます。



医大生になってからも ABC料理教室でまだ料理を習ていた。










6、   伶美ちゃん


伶美の話を書かないと 大変なので 本題とは少し外れるかもしれませんが


伶美ちゃんは 1991、12、06  里菜と3歳違いで産まれた。

伶美は ”世界は伶美中心に回っている”   ”伶美は 世界1幸せな子供だ”

と 育てました。


今でも深層心理の中で そう思っている節があると思う。

伶美の周囲の友達が知れば 「ああ なるほどね そう考えたら 伶美がもっと理解出来る」  と 納得するかも。



里菜と同じで 切迫早産 切迫流産を乗り越えて 広美が2人目の女の子を産んでくれました。

出てきた赤ちゃんは 以外にも里菜より100g大きい 3150g

3歳になった里菜と 一緒に見ました。

里菜はそのまま 世話好きなお姉さんになった。



家に帰って 和室にお布団を敷いて 広美と赤ちゃんは横になりました。

そうです  少しすると それを知ったおばさん達が どやどやと見に来ます。

里菜の時は 森本家の初めての赤ちゃん それなりに遠慮もあったが  次女ともなると 裏口から 縁側から 慣れたもんで 家のどこからでも どんどん上がって来て 赤ちゃんを取り囲みます。


産後31日間は 赤ちゃんと寝たまま過ごし トイレとお風呂以外は 食事もお布団まで運んで来てもらって食べると言う 江戸以来の風習の信者の広美も さすがに前回で懲りたようで起きてきた。 






0歳の時から 伶美はユニークな赤ちゃんで  生後3〜4ヶ月で ビーバーのような歯が2本生えた そして 広美のおっぱいをかんで 母乳が出なくなった。


そこが伶美のわがままなとこ 自分で噛んで それまで出てた母乳を 出なくしたくせに  ミルクは嫌 母乳しか飲まないと言い張る。

広美も泣きながら 伶美に噛まれながら なんとか絞り出す。


離乳食の頃になって やっと他の栄養が取れると喜んだが さすが伶美 食べない。  唯一喜んで食べるのが ゆで卵の白身 これも後で考えると 親の間違いだった。


伶美赤ちゃんは やっと丸くなったと思ったら 風邪をひくと あっと言う間に

萎れた猿の赤ちゃんのようになって 伶美に食べさせる事に とても考えさせられました。  だからなおさら みんなに抱かれてたのかもしれません。 


0歳児の伶美は 里菜以上におばあちゃん達に可愛がられ ほとんど草履作りの作業場(60歳から80歳くらいのおばあちゃんが 20〜30人くらい わら草履を作っている 作業場)で  誰かに抱かれて過ごした。

そして 今でも 伶美は おばあちゃんたちの 可愛いアイドルだ。



伶美の事では あの3歳児教育 「3歳までに その子の性格が形作られる  そしてそれまでの記憶は 脳の奥にしまい込まれる」

と言う事が 本当だと確信した。


宿毛市から中村市に行く国道沿いに 黄色い喫茶店がある。

伶美が2歳の時 1度だけそこに入った。

それからは たまにそこを通る度に 「前 ここ はいったね〜〜」

と 伶美は毎回 言うようになった。


そして3歳を過ぎた頃 あれ? 黄色い喫茶店通りすぎたのに 伶美は言わなくなった と気づいた。





帰りもそこを通る時 「れみ この喫茶店入ったね」と言ったら

『知らない 入ってない』と

試しに 前に伶美がよく言ってた事を いろいろ聞いてみると かなりの記憶が消えていたのだ。


もちろん 今必要な 保育園や友達の事 この前遊びに行った事などは 普通に覚えている。 しかし 3歳までに旅行したことなども 記憶から消えていた。


それは 脳が記憶の整理をしたのだ。

記憶の淘汰 黄色い喫茶店の事など 全く必要のない事は消したのだろう。

しかし 3歳までに覚えた 生きる為に必要な記憶は 脳の奥深くに仕舞われたのだ。


伶美を見て 3歳までの子育てが とても大事だと言う事が 理解できた。





7、    挨拶と返事


父親として 子供達に 唯一 躾たのが 挨拶と返事


朝起きたら “おはようございます”  水を汲んでもらっても “ありがとうございます” 


これが我が家のルールです。


「れみ〜」   『・・・』  「返事は!!!」  『はい!』


家庭内で 小さい頃から 返事が小さかったり 聞こえなかったりしたら 「返事は!」  と  「返事したもん」は 我が家では通用しません。

相手に聞こえない返事は していないのと同じです。


そんな家庭内での教えは 言わなくても 外で 自然と大きな声で しっかり挨拶をしています。


そして 挨拶と返事さえ出来れば 大人になって スーパーやドラッグストアーなどに勤めるようになっても 同僚や先輩 上司からも可愛がられて 一生食べる事に困りません。





それと わが家のルールで  「ごめんなさい」  と言えば “どんな事でも許す”  と言うのがあります。


子供達が ふざけて お皿を何枚も割っても 「ごめんなさい」 と言えば許されます。   誰も何も言わない。

どんなに大事な持ち物でも どんなに高価な花瓶を壊しても 「ごめんなさい」さえ言えれば それで終わり。


このルールは便利でした。  なぜなら 叱りそうになる親に歯止めがかかるからです。   それはまた 叱る以上に 子供は 反省しました。





1家族に テレビは1台


パパの居る居間にしか テレビはありません。

また その部屋しか クーラーや暖房はつけません。


自然と 家族みんなが 寝るまでその部屋に居ます。



余談ですが 里菜が4歳くらいまで テレビは映りませんでした。

地域の共同アンテナに入会するのに 5万くらいかかるので 必要ないので入りませんでした。

実家で “おかあさんと一緒”を録画して たまにそれを見せていたようです。


やっとテレビが映るようになると 肝心のテレビが壊れ 仕方なく実家にあった10型のテレビを見ていると それも壊れ   キャンプ用のワゴンに積んでいたテレビを居間につけて 家族4人で見ていました。


それが iPhone2つ分くらいの画面で その後 地域にケーブルテレビが出来て(田舎では最新)それを パソコンや電話 テレビに付けてもらう時に iPhone2つ分の画面が さすがに恥ずかしいので やっと人並みのテレビを買ったのは 里菜がもう 小学校2年生くらいでした。






寝る時間が大切


いつも9時には寝ます。

小さい時には もっと早くから寝ますが 4歳くらいからは 何があっても9時には 家族みんなで就寝です。


8時半には寝る準備が始まって パジャマを着て お布団に入って ママが絵本を読んで ジャスト9時には真っ暗 音も無し 家族4人就寝です。


それは子供達が それぞれに小学校6年生まで 続きました。

もちろん 寝る前の絵本読みも  です。


毎日9時に寝ると 朝は早く目覚めます。

そして 目覚めとともに お腹が空きます。

朝5時に 2階から降りてきながら 「おはようございます  ママ お腹空いた」  と 子供達は起きてきます。


テーブルに 座ると同時に 朝食が始まります。




朝食を食べて2時間 学校へ行きます。

元気です   力 みなぎっています。


小学校6年生の終わりまで 毎日同じ繰り返しです。




もっと言えば 中学校からは 寝ないで勉強しても ひたすら運動しても 平気です。 


何故なら それまでに 心も身体も 準備が出来上がっているからです。

いくらでも 無理がききます。






 初めての失敗は 出来るだけ早いうちに 親が側にいる時に経験させる

 



若い頃の 私の経験上 ” 初めての事は ほとんど失敗する 2回目から 少し上手くなって 失敗は少ない ”   と 。


2人の娘に 親が居る時 親が責任取れる時に やりたい事の 初めての失敗を 出来るだけ多く経験させよう   と 。


例えば 里菜が3歳の時に 里菜の手に合う 本物の包丁をプレゼントした。

もちろん 伶美が3歳の時も 同じ包丁をプレゼントした。


里菜がりんごを剥く 刃の先は里菜の左手の指だ りんごから刃がすべったら 確実に左手の指を切る  もしかして 指が落ちるかも 


それでも親は我慢して見ている 失敗するまで すごく辛いことです。


以外にも 指も切らず 下手ながら りんごは奇麗にむけている。

拍手  パチパチパチパチ 「里菜ちゃん上手!」『里菜ちゃんすごい!』


里菜が皿に小分けする  みんなでたべる

「里菜ちゃんのむいたりんごはすごい美味しい」「里菜は料理上手だ〜」

意味も無く 褒める 笑う 


これでりんごむきはクリアー  多分もう 小さな怪我はしても 大怪我はしない。







2泊3日の旅行に行く 高知の田舎にはない 高いホテルだ。

レストランで食事をする  田舎娘2人は 意外にも周りに合わせておしとやかだ。



馬に乗る  奮発して1番高いコースだ  山を越えて走ったりするらしい。

引率者が来て「このコースは 乗馬クラブの子供達がやるコースですけど 大丈夫ですか?」  『はい ここじゃないのですが 他の乗馬クラブで毎年やってますから』「わかりました  では 行ってきます 2時間ほどで戻ります」


本当は 阿蘇山で じいさんが綱をもった馬に 毎年乗ってるってだけ。


里菜はとにかく馬が好きで 3歳の頃 馬欲しい 馬欲しい って言ってたら

親父が覚悟を決めて 「義久 里菜の為に 馬飼うから 義久のお客さんで 牧場やってる人居るって言ってたろ  聞いてこい」 『親父 馬飼うの?』 「うん」


さっそく聞いたところ 「今ちょうど ポニーが3頭居るけど 噛むよ・・」 『いや 子供が乗る馬なんだけど・・・・』 「乗る馬は 居ない・・・」  


「親父 ポニー居るけど  噛むって」   『噛むのはダメだな・・・」


で 話が終わった。

決してこんな田舎でも 馬を趣味で飼ってる人は居ません。

親父の里菜への愛情は 凄いと思いました。


キャンプ  これは出遅れた

年2回 スキーや 夏の九州のホテルで過ごす 我が家の1番のイベントが


11月頃  友人達が話しているのを聞いていると「@@のキャンプ場は良かった 子供達も大喜び 景色も最高」  とか  「##は温泉も付いてて 嫁さんも娘も大喜び  焚き火もOKだから 夜 焚き火しながらのビールは最高」  とか


そんなに子供達が喜ぶのか〜  と 早速アウトドア雑誌 ガルビィ と ビーパルを買って読んだ。


確かに 家の娘達に経験させてない事が たくさんあって 喜びそうだ。

しかし 江戸っ子の広美は 「自然は この窓からの景色で十分」 などど言う昔の都会っこだ。   絶対にテントでは寝ない 「地面じゃ寝れない ホテルじゃないと」  などど言う事 確実だ。


キャンピングカーを見るが 値段が高いし 大きすぎて この四国 九州では取り回しが大変そうだ。

そこで見つけたのが 発売したての マツダのボンゴフレンディ  雑誌ガルビィも それを買って改造をし始めている。


早速 四万十市のマツダに電話して パンフレットを送ってもらった。

広美に  「この車 2階もあって 親子4人寝れるんだよ」『 嫌 』

「4WDで スキーも楽だし テレビもビデオも付けるから 寝ながら行けるよ」

『絶対 嫌』   あきらめた・・


次の土日は ”ボンゴフレンディ 新車発表会” 

そう あきらめたのは車ではなく 広美の説得・・・



美容室は土日が忙しいが 日曜日の午後 ここで1時間程 私が居なくても スタッフだけで出来る時間が出来た。

「ちょっと 出てくる」  と 買って4年程の 広美のスターレットに乗って 展示会に行った。


マツダに着いてすぐ 名刺を渡して「担当者をすぐに決めてください」

テーブルについて「4WDの方を買うから 始めから出来るだけ値引きした値段出して」と

『このくらいでどうでしょう?』  「はい 良いです 下取りはあのスターレット 書いてね  オプションは 中はフロントカーテン バックドアカーテン

後 運転席 助手席網戸に バックドア網戸 バックドアテント 今はこれだけ  また考えて追加するけど これで いくらになるか計算してください  時間がないので」

『網戸って どうするんです?』  ???「キャンプに行く車を買いに来たから」  『ああ そうでしたか』


おいおい  何を売ってるのか 分かってるのかね〜


その場で契約して 現金一括と言うことで 出来るだけ早く納車と言う事で 仕事に戻った。


このワゴン車が思った以上に大成功 子供達も大喜び。

広美達が寝る 運転席から後ろは Wベッド用のマットを敷き 普通にベッド

2階は 薄めのシングルのマットで快適。


オートキャンプ場に行くにも 親子3人 ごろごろしながら(これは交通違反 後で知りました)ディズニー映画を見ながら知らないうちに到着。


ボンゴフレンディの ディーゼル車の燃料代の安さと オートキャンプ場の 値段の安さに驚き !

いつもの旅行では 親子4人で1泊5〜7万 2〜3泊の旅行で20万〜30万かかって 年2回してました。


キャンプとは言っても 食事は地元で人気の 美味しい料理やさんや レストランで食べて 良い温泉があればすぐに入り  夕食後に オートキャンプ場に着いて 車を2階建てにして いつでも寝られるようにしたり 

タープを張ったり ランタンを灯して テーブル椅子を置いて 子供達はキャンプ場を走り回り 疲れたら椅子に座って 学校や友達の話をしたり 自然の中で ゆっくりした時間を過ごします。


広美は 旅行の間は何もしません  食事をしたり 温泉にはいったり トイレに行ったり 組み立てた椅子に座って 本を読む くらいが 広美の仕事です。



キャンプ編が 長くなりましたが もう1つ 忘れられない思い出が


家から40分 車で山に入ったところに  ”笹平キャンプ場”があって そこは 昼間は親子連れや 孫を連れたおじいさんとか 小さい子供でも安全な川で 売店もあって やはり昼間数時間だけ 地元のおばちゃんがいるが キャンプ代数百円を払うだけで 夜は数組か たまに私たちだけの日もあります。


笹平キャンプ場は 河原が広いので 直火もOK あちこちに焚き火の後があり 余った薪も落ちてます。

里菜も伶美も この夏初めてここで焚き火をしたのが とても楽しかったので

毎週定休日には 朝から来て遊んで 泊まって翌日 ここから仕事に出ています。


その日は山に入ると 焚き火に丁度いい木の枝が たくさん落ちてます。

里菜と伶美と3人で 昼間のうちに何度も運んで 里菜と伶美が 何週間か前に

石を組んで作った かまどの側に積み上げた。


その夜 今夜は この広い谷間の河原に キャンプするのは我が家だけ そして夜は真っ暗だ。


ランタンの灯りで食事をし 早速 里菜 伶美の大好きな火を熾す。


(この夏まで 里菜と伶美が ライターや マッチで 火をつけた事が 無かった事を言われて 驚いた )


里菜と伶美は 山に隠してあった ”シュッシュシュの棒” (2〜3mくらいの 細い木で作ってたげた棒 これを焚き火の中に刺して シュシュと前後に動かすと 火の粉が舞い上がって それが楽しいらしい)  を持って来て待機している。


火が2〜3mになったところで 2人とも喜んで シュシュシュ とやりだした。

周りは 電気も灯りも無い漆黒のの闇だが 古代の人々と同じように 自分たちの周りだけは オレンジ色の幸せな灯りに包まれている。


里菜と伶美の顔は真っ赤だ 2人とも火の周りを回りながら シュシュシュ

火の粉がたくさん 暗い空に舞い上がって とても奇麗だ。


その時ふと 今日は薪がたくさんある事を思いだした。

「里菜 伶美 もっと燃やすぞ」と 3人でどんどん焚き火の中に放り込んだ。

火は 5m  7m  10m と どんどん大きくなる

里菜と伶美は大喜びで また シュシュシュをはじめた。


火の粉の飛ぶ量が はんぱじゃない

”山火事” が頭に浮かぶ しかし もう覚悟は決めた 責任は取れる と

(ほんとうに よくないことだけど)


#ここでの 責任 とは いろいろありますが 省かせてもらいます



数十分後 10m以上の火も収まって 何も知らない子供達は 疲れきって石の隙間で寝てしまった。

焚き火から 丁度いい暖かさの距離の 丁度いい小石のくぼみを見つけて それぞれに寝ている。


小学校5年生の里菜 2年生の伶美 逞しく 野生児になったな〜と 

どこでも寝れる 落とした食べ物も ふーふーして食べる

キャンプをして良かったと 河原で眠る 子供達の真っ赤な顔をみながら 思う。





8   お客様の家庭の話で 我が家でもやれば良かったけど もう遅い・・・


と 言う事を思い出し 少し書いてみます。



感動したのは 中学校の先生夫婦です。

お店のオープンの時から お母さんはお客様としていらしていただいてて その後 同じく教師の旦那様も来るようになって10年経った頃に 2人のお子様の

高校生と中学1年生の男の子2人男の子が来るようになった。


2人の男の子を 初めて担当して驚いたのは その素直な心

しかも スポーツも好きで リーダーシップもあって 真面目で 頭の良いのが見た目でも分かる事。

私も初めて言いました「家は娘2人いるから どちらでも嫁さんにあげるよ」 「はい」  って・・・・

ほんとに2人とも 素直で正義感があって 珍しいいい子なのです


そんな子供達のお母さんと いろいろと世間話をする中で これだなと思ったのが


“子供の前で お互いの悪口を言わない” “夫婦喧嘩は 子供達が寝静まった夜 外で行う”


凄いでしょ?   驚きました。


子供達に 何気に聞いたら 「お父さんとお母さんは 喧嘩した事が無い」 と

“お互い 愛し合っているから 喧嘩しないのはあたりまえだ”  と 思っている。  この子達が結婚しても 決して相手の悪口は言わないでしょう。

そして 喧嘩もしないから 離婚もしない。

いい連鎖を 先生夫婦は教育したな  と 尊敬しました。


ちなみに 奥さんが言うには 「冬の寒い日とか 子供達が寝て 布団から出るのが寒いから もういいか・・・」で 外での夫婦喧嘩を 止める事も多い とのこと

夫婦喧嘩も よくよく考えると ほんとにくだらない理由かも。


この子供達のその後 兄は中学校の先生 弟は関西方面で医師をしています。



子供に見せる DVD


3歳までは 出来れば必要ないのですが


ディズニーアニメ映画は 夢があって家族みんなが好きでした。

これだけは 買っても良いかな? と 日本語吹き替え版の発売を待って 買っていました。


これが 後で考えて失敗

『英語版』でも 子供は同じように夢中で見たはず。


是非 3歳から DVDを買ってあげる時は 『英語版』にしてください。

宮崎駿の貴方の1番好きなアニメ ディズニーアニメ映画で 貴方が1番好きなアニメ  1つで良いです。

同じDVDを 何度も 何年も見ても 子供は飽きません。





学校や塾 子供の勉強には 親は口出さない



親は 子供に愛情と 行動を見せなければいけない


赤ちゃんは これから生きて行く為に 必死で見ています。

1番見ているのがお母さんです 


胎児から1歳までで その子供の一生の人格が形成されます。

その人格の5〜7割は 1歳までのお母さんの 愛情と行動です。

2〜3割は やはり父親の愛情と行動です。  その他は 身近なおばあちゃんや おじいちゃん の愛情です。



3歳 6歳 10歳と 親は愛情と行動で 子供に教えなければいけません。

子供はちゃんと観察して 親の真似をします。


よく 躾だと言って 怒鳴ったり 叩いたり それは躾ではありません。

それも子供は真似をします。 体力と収入が逆転した時に 貴方は思い知るでしょう。


それよりも 親自身が おはようと挨拶する 自分の食器をシンクに運ぶ 食べたら歯を磨く テレビを消して本を読む  一言も子供に“しなさい”と言う必要も無く 子供は 当たり前の事だと 真似をします。


もう少し言うと 子供達と散歩に出ます。  

隣の奥さんに会えば挨拶します いつも奇麗に咲いている バラの花を褒めます。


ゴミが落ちています 拾います ゴミは家まで持ち帰って捨てます。


お地蔵さんが居ます 座って祈ります。  神社があります 鳥居の前でお礼をしてから通ります。  高い山が見えます 今の幸せを山にも感謝し 頭を下げます。  

日本には 八百万もの神様が居ます  どこもかしこも 神様だらけです。  人が見て居なくても どこからでも神様は見ています。


子供達に 何も言葉で教えなくていいのです。

子供達が なんで? と 聞いて来たら その理由を教えてください。



勉強は 教えるプロが教えます。  それは その子の先生です。


貴方が 先生を職業としていても 貴方は親であって その子の先生ではありません。

親は 親の役目を しっかりやるだけで 精一杯なはずです。




親はよく 「宿題はしたか?」 とか  「ゲームばかりしてないで 勉強しなさい」 とか言うようです。

親は 勉強や宿題の心配は いっさいしなくていいです。


だから 「早く学校に行きなさい 遅れるわよ」 「宿題したか」 「勉強しなさい」  は 言わない方がいいです。

それは 学校の先生が言う言葉です。


それより家庭です。


小さい頃から 9時前には寝かせていましたか?  

今からでもいい 9時前には寝かせるようにしましょう。


子供は 朝 5時頃には起きていますか?

毎日 夜9時に寝ていれば 朝5時には お腹が空いて 起きてくるはずです。


朝食は用意出来ていますか?

出来れば 起きてすぐに 食べられるように用意してください。


これが出来ていれば 学校は遅れません。

朝食後1時間以上経っているので 学校に走って行く体力も十分 1時間目の授業も 脳にすらすら入ります。


学校から帰って 少し遊んだらすぐに夕食です。

夕食後 お風呂に入り 宿題をしたらもう8時半です。  朝5時に起きたから眠いです。    9時には寝ます。


子供が 夜9時に寝る事が 次の日のスタートです。

決して “朝 起きてから 1日のスタート”  ではありません。


出来れば小学校卒業までは  夜 9時に寝る  が 1日のスタートです。

親も 子供達と一緒に9時には寝ます。 土日も同じです。

お父さんが 毎日9時に寝るのは なかなか大変です。

親も 「勉強しろ」 とか言う暇もありません。










 『褒めて育てる』   は 以上でほぼ書き尽くしたが まだ 時間が許されているようなので もう少し 余談を書きたいと思う。



 宮崎駿の  『風 たちぬ』   生きねば・・・ 良かったですね。


「永遠のゼロ」 人生最後の映画として 自分の最後の光景を見た気がしました。

練習なしの1発勝負 笑顔で「じゃあね」と 行くつもりです。



2013は 各地で 沢山の人々が亡くなっている

自然災害があるのはどうしようもないが それでも生きのこらねばならない。

ましてや これからの人生を生きる子供達は 



「産まれてから小学校卒業までは 夜9時には寝なくてはいけない」



睡眠 食事 愛情等が 正しい脳の発達に 良い事が沢山あるのは分かってもらえたと思います。

確かに そんな真面目でいい子は 小学校での 通知表の成績は良い。

しかし それが 勉強が出来て 良い大学に入れて 立派な人間になれる  とは思わない方がいい。


小学校の成績は それほど難しくもないし あまり当てにもならない

少し頑張る子供なら誰でも出来る。

そんな事より 1番大切なのは 心です。

心を育てるのは 何度も書きますが 学校ではなく 親や家庭 地域のおばあちゃんたちです。



この前 テレビで さんまの ”ほんまでっか!”  で おぎままが 言っていました


「子供の頃は 塾や習い事よりも 親と一緒に遊ぶ方が大事だ」と


『そうだったのか・・』 と思ったのが



私は 美容師なので 休みが火曜日のみ 子供が保育園に行くようになって 日曜日休みでも 仕事で一緒に遊ぶ事が出来ません

そこで園長先生に 私の子供だけ 火曜日も休みにしてもらうように言ったら 

「それは良い事ですよ」と言ってくれました。


小学校に行くようになって困ったのは 雑貨屋さんも何店かオープンして 仕事が忙しい時期が 春休み冬休みにかかるので 旅行に連れて行けない事でした


夏の休みは 毎年九州に行っていたのだが 冬は 里菜と伶美が大好きな雪を 雪国で思いっきり体験させたいと思っていたが 仕事上休みが 子供の冬休み中にはなかなか取れない事でした


1週間くらい 学校休んでもいいか・・・と思い

どうせ 休ませるなら と 高知県から 日本一の豪雪地帯 新潟の越後湯沢に連れて行った 

里菜(1年生)も 伶美(3歳)も はじめての雪国に大喜び 

スキーもすぐに滑れるようになった


越後湯沢のスキー場で気がついたのが 日本中が平日なのに やたら子供連れの親達が多いのだ

不思議に思ってお母さんに聞いてみると 東京から来た人達で ”親子のスキーは 課外授業として 学校は欠席にならない”  と言うのだ


これは良い事を聞いたと それからは 毎年のスキーは 先生に言って 子供の休みも気にしないで遊びに行ってました

でも 里菜が6年生の時に 「今度からは 子供の休みに合わせて 旅行に行くようにしてください」  と言われ やはり・・・と 少し反省した


旅行から帰るとすぐに 次の旅行の計画を立てて その準備をします

家族で「早く夏にならないかね〜〜」 「早く冬に・・」と みんなが楽しみです

そう 常に 今日より先に 楽しみがあるようにしたかったようです(私が)



そこで唯一 私が子供達に勉強をさせたのが 「他の人が 勉強している時に 休んで遊びに行くのだから 遊びに行く前に 教科書を全て読む事 覚えなくて良いから 音楽の教科書も読むだけでいいから全て読む」

と言う約束


私が勉強の事を言ったのは この旅行で休むこととの引き換えに 教科書を全て読む と それだけだと思う

「宿題やったか?」とか 「勉強しろ」とかは 1度も言った事はない



伶美はよく 「1時間勉強してくる」と言って 2階へ行くが 5分もすると「終わった〜〜」と 降りて来る

そしてたま〜に 30分経っても降りて来ない時に そっと2階に行ってみると 屋根に干した布団の上でよく寝ていた


ほんと 伶美の勉強する姿を 小学校の間 1度も見てないと思う


反対に 長女の里菜は 料理やお菓子作り 本や漫画も好きで 勉強も落ち着いてコツコツこなしていたようだ


そんな姉妹が 地元の高知県立宿毛中学校に進学してはじめて そこそこ 勉強が出来ると言う事に気がついたくらいだ


中学校からの進路は 里菜も伶美も 本人の思うように任せた

それからは 勉強の事も 進路の事も 1度も聞いた事も 言った事もない。


ただ 「なにか本当に困ったら ママではなくて パパに言うように  パパが全て責任持って解決するから」とだけ言った。



中学生は大変な時期 子供と大人との境で 勉強も進路も 友達も恋愛も 部活や先輩後輩など いろんな事が 短期間に怒濤のように経験させられる時期です


新しい学校や社会に 日々想い悩んでいる時に 日常生活の中で 親に ごちゃごちゃ言われたら 誰でも腹が立ちます


子供が中学生くらいになったら これまで育ててきた 自分と子供を信じて 全てを子供に任せましょう


子供が本当に困って 相談するまで 親も必死の覚悟で 見守りましょう

黙って 子供に全て任せるのは ほんとうに勇気のいることです


そしてもし 悪い結果が出たとしても 子供の責任は親の責任 親は全てをかけて 我が子の責任をとりましょう


責任とは 貴方の子供が 相手に損害を与えたら それ以上の金額を 親が支払う

もし相手の腕を無くしたら 親の貴方の腕を切り落として 謝りに行く

もし相手を死なせたら 貴方が死んでお詫びする。


そうすれば子供は 大きく反省し 2度と同じ過ちはしないでしょう。




2014 1 25


里菜は研修医として 大学病院で働いている。

子供の頃と変わらず おっとりとした性格で みんなに可愛がられているようだ。


伶美はもうすぐ5年生が終わる

伶美も子供の頃と 性格は変わりなく 必死になって医師になろうとしてる姿が 先生や患者さんに受けているようだ。



2人とも そのままの性格で 人生歩んで欲しいと願う。


里菜も伶美も 自分自身に 自信が溢れていて うらやましい事に 自分を変える必要など これっぽちも考えてないようだ。




きっと それで良いと思う。




これで 親父に渡されたバトンは 2人に渡しました。




 

















 









里菜も伶美も 小さい頃の夢どうり 医師になりました。


思えば 森本家に待望の 赤ちゃんが産まれた事に 私や両親はもちろん 親戚や地域のおばさん おばあちゃんたちまで大喜び。

里菜ちゃんの0歳は 子供から年寄りの肌の温もりと 目には きれいな笑顔からシワシワの笑顔 たくさんたくさんの笑顔しか目に映らなかったはず。


里菜から3年後に産まれた伶美ちゃんは 輪をかけた甘えん坊で それがまた おばあちゃんたちが 可愛くて可愛くて。

地面に降りた事のない猿のように 3歳を過ぎてもなお いつも誰かに抱っこされています。

家でも 小学校に上がるまで 食事はパパの膝の上で食べていました。


2人の姉妹は 伶美が産まれた時から仲良しで 2人は周りの人達の愛情をたっぷり受けて 普通に育ちます。


唯一 私が怒ってでも教えたのが ”あいさつと返事” 


これだけは 声が小さいだけでも 返事は! と それだけは きちんと教えました。


広美は 子供を怒ったり 叱ったりした事が 1度もありません。

私も無いと思っていたのですが 子供達からは 短気で怖いと・・・・不思議です。


若い頃の 私の経験上 ” 初めての事は失敗する 2回目から 少し上手くなって 失敗はしない ”   と 。


2人の娘に 親が居る時 親が責任取れる時に やりたい事の 初めての失敗を 出来るだけ多く経験させよう   と 。


例えば 里菜が3歳の時に 里菜の手に合う 本物の包丁をプレゼントした。

もちろん 伶美が3歳の時も 同じ包丁をプレゼントした。


里菜がりんごを剥く 刃の先は里菜の左手の指だ りんごから刃がすべったら 確実に左手の指を切る  もしかして 指が落ちるかも 


それでも親は我慢して見ている 失敗するまで すごく辛いことです。


以外にも 指も切らず 下手ながら りんごは奇麗にむけている。

拍手  パチパチパチパチ 「里菜ちゃん上手!」『里菜ちゃんすごい!』


里菜が皿に小分けする  みんなでたべる

「里菜ちゃんのむいたりんごはすごい美味しい」「里菜は天才だ」

意味も無く 褒める 笑う 


これでりんごむきはクリアー  多分もう 大怪我はしない。









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