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お久しブリタニア
「ああ、なんてこと……。ああ、ネロ…………」
ネロの体を抱きながらおいおいと泣いている女の人を見ながら、レムは町長さんに尋ねます。
「ねえ、町長さん。あの女の人はだれ?」
「あれはネロのお母さんだよ……」
「ふうん……。どうして泣くの?」
「…………」
「おとななのに」
「……………………」
嫌な予感はあたっていました。レムの手をひいて走る町長さんは、急いでお屋敷へとやってきたのです。
レムの案内で広いお屋敷の廊下を進んで、寝室へと入った二人。そして、話を聞きつけてやってきたネロのお母さんがそこで見たのは……。
「…………………………」
ベッドに顔を埋めるようにして眠っていた、ネロの姿でした。
七年間休まず遊び続けて、生まれたときにだって夜泣きの止まなかったあの男の子が、寝息を立てて眠りについていたのです。
「どうして……どうして……ネロは……!」
「落ち着いて、奥さん……。何もネロが死んだっていう訳じゃ……」
「死んだようなものじゃない!!」
ネロのお母さんはそう叫ぶと、じろりとレムを見つめました。
「町長さん……。その子……あの、レムなんでしょう?」
「ええ……そうです。レムです。このお屋敷に住んでいる女の子だ」
「私知ってるんですよ!? 子供たちが噂していましたもの!! その子は生まれてから一度も目を覚ました事がない子だって!!」
「ええ、そうです。でもね、奥さん」
お黙りなさい!! やんわりと声をかけようとする町長さんを遮るように、ネロのお母さんは怒鳴り声をあげます。
「その子が目を覚ましたら、私の子供は……今まで眠った事もなかった私のネロは!! 死んだように眠ってしまったんですよ!! 町長さん!! あなただって分かっているはずだわ!! これが一体どういうことなのかくらいね!」
「それは……」
そう言われて、町長さんは急に言葉に詰まってしまいました。
そう、必死でレムを庇おうとする町長さんにも、レムを疑っているところがまるで無いとは言えないのです。
でも、そんなことはもちろんレムには理解できません。レムはただ、身を縮こめながら、町長さんの足下に隠れます。
「ねえ、町長さん……どういうこと……なの?」
「お黙りなさい、レム!!」
びくり。大きな声を出されて、レムの身体が小さく震えます。
「全部……あなたのせいじゃない……。あなたは悪魔の子供よ……。私からネロを奪ったんだわ……。私のネロが……お屋敷の幽霊にされてしまったのよ!!!」
「あの……私……」
「返してっ!!!! 私の子どもを返してよ!!! レムっ!!!!!」
「やめなさい奥さん!! 子どもに向かって!!」
「あああぁぁぁっ……ネロ……!どうして……」
「奥さん……とにかく一度家に帰りましょう……。あとで私がネロを抱いてきますから……。レム、君はここでネロを見張っていておくれ」
町長さんは、お母さんの肩を支えながら、弱々しく言いました。
「町長さん……私は……」
「分かってる。レムのせいじゃあないさ。ネロのお母さんも……その、今はちょっと頭が真っ白になってしまっているだけだよ。本当に君の事を責めている訳じゃない……。大丈夫だよレム」
「…………わかった」
うつむきながら、レムはやっとその一言を口にしました。そんなレムの目は……。潤んで、少し赤くなっていました。
町長さんはレムのそんな表情に少しだけ驚きましたが……とにかくと、泣きじゃくるネロのお母さんを部屋の外へ連れ出したのでした。
◆
ネロのお母さんの到着する、ほんの少しの前のことです。町長さんとレムの二人はお屋敷にやってきていました。
「なんということだ……」
町長さんがそう呟くのは……。
「三回目ね。町長さん」
レムが言うには、三回目だそうです。
町長さんはこの時ばかりは、さっきからまるで、他人事のように振る舞っているレムを恨めしそうに見つめざるを得ないのでした。
「レム……いいかい?」
町長さんが身を屈めてレムの目を見つめます。
「…………」
「……?」
そこまでしておいて、町長さんは言葉に詰まってしまいました。
今、こんな事になっているのには、レムが関係ないとは誰にも言えないでしょう。でも、この純粋な瞳を持って首を傾げている……ただ幼いだけの少女が、一体何をしたというのか。何の罪を咎めればいいのか、町長さんには分かりませんでした。
「どうしたの? 町長さん?」
そうだ。レムを責めても仕方がないんだ……。
町長さんは、頭を抱えながらも、ゆっくりと立ち上がります。私は大人だ。大人だからこそ、時に都合のいいように人を責めてしまうんだ。
町長さんは反省するように自分に言い聞かせます。
「いや……なんでもない……。ごめんね、レム」
「??? なにが? なにが!?」
ぴょんぴょんと跳ねているレムを尻目に、町長さんはもう一度天蓋付きのベッドを見やります。
この世に産まれて、一度だって眠ったことのない少年の……まるで永遠を感じさせるような眠り。
この不思議なできごとに、レムが関わっていないとは恐らく言えないでしょう。でも、どうしてそう言い切れるのか。それもまた、町長さんには証明のしようがありません。
それなのに、とりあえず誰かのせいにしたくて、まだ小さな子どもを理不尽に責めても、何も解決にはならないのです。
「ねえ、町長さん。退屈だわ。そろそろ遊びに行きましょうよっ」
町長さんの服の裾を引っ張るレム。そう。この女の子は、一体何が大変だというのか、まるで知る余地もないのです。
レムは無責任なんじゃありません。だって、レムは自分がどういう風に見られているのかを知らないから。そしてなにより、レムは自分が何者かを知らないから。
レムは何も知らない女の子。だってそれは、誰もレムに与えてこなかったのだから。レムが知っているのは、瞼の閉じられた、暗闇の世界だけ。
そんな何も知らない子どもに、いきなり悪事を咎めたり、いきなり非難することが、どれだけ残酷なことか。そしてどれだけ、子どもを傷つけてしまうのか……。
それこそ、大人はその罪を見て見ぬフリをします。
◆
「ネロは嘘つきよ」
「ネロはずっと起きている男の子なんでしょう?」
「でも、私がネロと遊ぼうと思ったら、そうやって眠ったフリするんじゃない」
「それで、私は知らないおとなのひとに怒られるの。……ネロが眠ってるのがいけないんだって」
「ネロが私にイジワルして、眠ってるのが悪いのに……ネロは眠ってるから、誰にも怒られないのよ?」
「ネロ……。交代しましょ……? 私だって知らん顔したいわ……。ずるいわ……。ずるいわネロ……」
レムの丸い瞳からこぼれた雫は、ネロの赤みがかった頬に、一粒だけ静かに落ちていきました。
更新めちゃくちゃ遅れて申し訳ないです。
モチベーションを保ち続けられることも、努力ができることも、一つの才能なんだろうなと、私はそういう人たちを皮肉抜きで尊敬しています。