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第二話です。サブタイトルは特に候補がなかったのでそのまま。
「レム……。れ、レムゥーー!! いるのぉ!?」
ネロは塀をよじ登って、その上によろよろと立ち上がります。そして、広いお屋敷に向かって恐る恐る声をかけました。
すっかり剥げ落ちて、レンガの剥き出しのカベ。あたり一面に張られたクモの巣。ぽんぽんといくつにも並んだ背高のっぽの煙突に至るまで、全てが古ぼけていて、とてもおそろしくみえました。そんな夜中のお屋敷は幼いネロにとっては、本当の幽霊屋敷も同然だったのです。
「ぼくはネロだよ!! レム、今日はぼくの誕生日なのさ!」
庭に生えた年寄りな木の幹にしがみついて、ネロはまた声をかけます。それでもやっぱり、お屋敷の部屋はしん、と静まり返っていました。
ネロは窓を覗き込もうと、木の上をぐんぐんのぼっていきます。
「しめた! 窓は開いてるぞ!」
ネロは目を輝かせると、窓まで伸びたたくましい木の枝を伝って、お屋敷の窓に足をかけました。そのままネロはさっと部屋に飛び込みます。
ネロが入った部屋は、なにやらとても広い部屋でした。
両手を目一杯広げてもぐるぐる走り回れるぞ。ネロはどきどきと考えながら、部屋を見渡します。
火の灯ってない大きなシャンデリア。ホコリの被った、ひげの長い誰かの肖像画。天蓋付きの豪華なベッド。そのどれもが、ネロも見たことがないものでした。
そして、眠りを知らないネロにとって、一際目をひいたのはやっぱり、見たこともないそのベットでした。
ネロは窓のさんに靴を脱いで置くと、部屋の真ん中にひたひたと歩み寄りました。
「よなかにおうちの中を走ってはいけません」
歌うように呟いたら、ネロはひらひらとぶら下がる布をつつき、その大きすぎるベッドを物珍しそうに見つめます。
そのときです。
こんもりと膨らみのできていた毛布が、ほんの少し動いたように見えました。
ネロははっとして、その膨らみを注意深く見つめます。確かに毛布は動いていました。規則正しく、ゆっくりと上下に。
「レム!!」
ばさっ!
すぐにネロは柔らかな毛布を引っ張りました。毛布がめくりあげられ、そこから現れたのは……。
「レム! きみがレムなんだね!! 起きてよ! ぼくと遊ぼう!!」
幼い少女の、安らかな寝顔でした。肌は透き通ってしまいそうなくらい白くて、乱れていながらも、小川が流れるように美しい黒髪は、お腹の辺りまでめくれている毛布の、さらに奥にまで伸びています。
「ぼくはネロ!! 今日は6つの誕生日なんだ! だから今から、パーティーをやろうと思ったんだ!」
ゆさゆさとレムを揺するネロ。レムは寝苦しげな様子さえなく、寝心地が良さそうなその表情をぴくりとも変えません。
「ねえ、レムもなの? ぼく、夜はひとりぼっちなんだ……。レムも、いつもひとりぼっちなんだろう? なのに、レムも眠るほうが大切なの?」
ネロとレムは同じなのかもしれません。
ネロは眠ることもできないから、夜の町をいつも歩き回っています。もちろん、たったひとりで。
レムだって同じです。
ただ、レムはいつだって眠っています。一日中ひとりぼっちなのです。
レムが眠るので、ネロはひとりぼっち。
レムは眠るから、ずっとひとりぼっち。
みんなは、ひとりがいいから眠るのでしょうか。
気がつけば、ネロはレムを揺さぶるのをやめて、ただレムの顔を覗き込んでいました。
「あ……」
その寝顔に朝日がかかるまで。ずぅっとでした。
「もう朝なんだ……。レム、ぼく朝ごはん食べないといけないよ……。そういえば、レムは朝ごはんを食べないの?」
ネロはそっと毛布を直しながら、静かにたずねました。
ネロは眠りを知りません。
まっくろの町にまっしろな光が昇るまで、ひとり駆け回るネロには、もちろん休む方法なんてありません。
だから、ネロはいつまでも遊び続けるのでしょう。遊び続けられるのでしょう。
レムは眠りしか知らない少女。ごはんを食べる方法なんてないのです。
だから、レムはいつまでも眠り続けているのかもしれません。眠り続けるしかないのです。
「レム、ぼく……明日も来るからね! また遊ぼうね!!」
ネロは靴を持って窓から木に飛び移ると、レムの部屋に向かって無邪気に手を振っていました。
幼いネロにはネロという眠らない自分、そしてレムという起きられない少女に疑問などもつことはないでしょう。今も。きっと、これからも。
でも、それもネロがネロ。そして、レムがレムとして生きていられる理由なのかもしれません……。
◆
それからのネロときたら、学校にでも通うかのようにレムの家を訪れました。それこそ、雨の日も、雪の日も、槍が降ろうともといった具合で……。
それでも、レムがその目を覚ますことはありませんでした。ネロという少年の無垢な心……いや、ネロという男の子の事さえ知ることはないのです。
「レム、起きてる?」
ネロはレムに会うと、決まってこの言葉をかけました。ネロは毎晩毎晩、レムが起きていることをいつだって真面目に信じているのです。もちろん、そんな思いもレムには届きません。
昼間にやってきたことだってありました。
もしかして、一日中寝ているなんていうのは、町長さんのウソかもしれない。レムも面白がって寝たフリをしているのかもしれない、なんて。でも、そうやって最初張り切ってお屋敷に向かうネロも、帰り道にはがっくりと肩を落しているのでした。
ネロは眠りを知らない。知ろうとも思わない。眠りにつくとは、ネロにとっては勉強を強いられると同じようなもの……。
レムという子は、ネロにとってはこの世の何よりも理解できない少女なのです。
「ねえ、レム。寝るのって……もしかして、面白い?」
ある晩、ネロはレムにつぶやきました。月が丸く輝いて、とても明るい夜でした。
「夜はみんな眠るんだよ。それが普通なんだってさ。みんな言ってる。……でも、昼にまで眠ってるのは、レムだけなんだよ?」
ベッドにもたれかかっていたネロは、片膝をついてレムの寝顔に顔を近づけます。
「ねえ、レム……。ぼく、今日は新しい遊びを思いついたんだ。もしかしたら、これならレムとも一緒に遊べるかもしれない」
幼いネロが、何を考えて、何をしようと思ったのかは分かりません。
分かるのはひとつだけ。ベッドを覗き込むようにしてしゃがみこんだネロが、その一言を最後に……結局そのまま、ぴくりとも動かなくなってしまったことだけなのでした。
ネロはレムと正反対。いつまでも起きているネロがいつまでも眠っているレムの気持ちを理解するなんてこと、普通はある訳ないのです。
でも、もしも。
ネロがレムの事を大切な友達だと思うような事があったら。
ネロは、眠りを知りたいと思うかもしれません。レムの大切なことを、知りたいと思うのかもしれません。
やがて朝日が昇り、窓から差すあたたかい光が二人の顔をなでます。
窓の前の大木に小鳥がとまり始めた頃、そのさえずりに応えるかのように、ようやく朝日に重なる影の一つがむくりと動きました。
まずは、ぼんやりとした表情で、広い部屋の中をゆっくりと見回します。
そして、やがて自分の足元に、ベッドにもたれかかるようにして寝息を立てる「少年」を見つけたのでした。
「…………あなた……だれ?」
レムの、産声でした。
行間空けがくどかったかもしれません。
連載掛け持ちという事もあり、こちらのほうは更新が遅れるかもしれません。
でも、頑張って書いていこうと思います。