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恋愛じゃないやつ

幸せの定義

 青い空に、二羽の鷹が飛んでいる。風に合わせ翼を自由に操るその二羽は、同じ親から生まれた兄弟鷹だ。

 二羽の容姿はよく似ている。

しかし、兄鷹のアーサーはスピードを上げ、風を切る飛び方を好み、弟鷹のハリスは、ゆっくりと風を感じる飛び方を好んだ。

 ハリスはどんどん上へ上へと登っていく兄の姿を見ながら、どうしてこうも違うのだろうと考えていた。


 アーサーは、獲物を取るのが巧かった。飛ぶスピードが速く、賢いためである。また、それに加え、度胸も据わっているため、自分より大きな鳥にも引けを取らなかった。

空の世界では「鷹のアーサー」を知らないものはほとんどいない。

 そんなアーサーの唯一の汚点と言われているのが「弟の存在」だ。

 ハリスはアーサーと異なり、闘いを好まない。縄張り争いが始まりそうになれば、進んで譲ってしまうような鷹だった。

本来ならば獲物となる小動物さえも恐れ、まともな狩りもほとんどできない。

そのため、ハリスは木の実や小さな虫ばかりを食べていた。

それでも、同じ体格のアーサーに比べ、食が細いハリスは自分で捕ったそれらと、アーサーが時々分けてくれる小動物の肉さえあれば、満足できるのである。

 そんなハリスも空の世界では有名だった。

「弱虫ハリス」として。


 空高く飛んでいるアーサーは、太陽の光を受け、輝いているように見えた。そんな兄の姿を見て、ハリスは一つため息を漏らす。

 格好よく、強く、そして、皆から慕われているアーサーが羨ましくて仕方なかった。


「あ、鷹が一羽、飛んでいるよ」

「『弱虫ハリス』だよ」

 どんどん見えなくなるアーサーの姿を追っていたハリスは、急に数羽の黒い鳥に囲まれる。

カラスの群れだ。

 ハリスは左右にピッタリくっついてくるその黒い羽根を見て、気付かれないようにため息を漏らす。

「本当だ」

「アーサーの弟の弱虫ハリスだ」

「どうして、こんな弱虫がアーサーの弟なんだろうね?」

 カラスたちは口々にハリスをからかい始めた。

口だけではなく、嘴でつついてくるものもいる。

 鷹とカラス。

一対一で見るならば、強いのは鷹である。

それでもハリスをからかうことができるのは、一対複数だからか。はたまた、相手が「弱虫ハリス」だからか。


「何か言ったら、どうだい?悔しくはないのかい?」

 群れから少し離れた所にいた一羽が、ハリスに問う。しかし、ハリスはその声に応えず、下を向いていた。

 その一羽は、呆れた表情を浮かべ、また群れから離れていった。

そのカラスに従い、他のカラスたちも次々とハリスから離れていく。

「じゃあね、『弱虫ハリス』」

「『アーサーの汚点』」

 そう言い残して。


 カラスの群れが飛び去った後、ハリスは再び顔を空に向けた。

 もうすでに、アーサーの姿は、どこにも見えない。

 今の光景を見られなかったことに、安堵の息を漏らし、ハリスは再び空中散歩の続きを楽しんだ。



「やぁ、ハリス。元気かい?」

 空中散歩を終え、森の中の大木で翼を休めていたハリスのもとに、一羽の雀が飛んできた。

 大きな鷹と小さな雀、本来ならばありえない組み合わせのこの二羽は親友である。

「やぁ、マーティン。元気だよ。君も元気かい?」

「ああ。元気だよ。だけど、君を探していたから、ちょっと疲れたかな。隣で休んでもいいだろう?」

「もちろんだよ。…でも、僕を探していたってどうして?」

ハリスの隣に止まり、嘴で翼を整えているマーティンに尋ねる。

「君が落ち込んでいるんじゃないかって思ってね」

「…?」

「カラスのアホどもが話してたんだ。『弱虫ハリスは何も言い返せなかったな。やっぱり、アーサーの弟にはふさわしくない』って」

「…そう」

「また、からかわれたんだろう?」

「…うん、まぁね」

「気にすることはないさ。あいつらがバカなだけだよ」

 マーティンの言葉にハリスは静かに首を横に振る。

「彼らは、正しいよ。僕は『弱虫ハリス』。兄さんの汚点さ」

「何を言ってるんだよ。汚点であるわけないだろう?だって、君はとっても、やさしいもの。君は鷹なのに、雀の僕とも、仲良くしてくれる、そうだろう?」

 ハリスは、マーティンの言葉に微苦笑を浮かべた。

ハリスは思う。

雀であるマーティンと「いてあげる」のではなく、ハリスの方がマーティンと一緒に「いてもらっている」のだと。

 獲物もまともに捕れず、アーサーがいなければおそらく生きてはいけないハリスに友だちはいなかった。

カラスたちのように、皆がハリスをからかう。

そんな「弱虫ハリス」と一緒にいるというだけで、空の世界での評価は下がってしまうだろう。それでも一緒に笑ってくれるマーティンのやさしさをハリスはいつも感じていた。

「マーティンの方がやさしいよ。それに、兄さんだって僕なんかよりずっとやさしい」

「そりゃ、アーサーが誰にでも親切にしてくれるってことは否定しないよ。けど、ハリスにはハリスのいい所があるだろう?それで十分じゃないか」

 やさしさは時に、行動を規制する。だからこそ、やさしさは時に邪魔になる。

 けれど、それでもアーサーは他の鳥の目から見ても、やさしかった。

闘いを好み、「一番」を目指すアーサーは、容赦なく相手を傷つける。

しかし、自分より弱いと判断したものには、危害を加えないのだ。

また、あまりに一方的な闘いや弱いものいじめが目の前で行われていれば、それを進んで止めに入ることもある。

腹を空かせているものには、獲物を分け与えていた。

その背後に、空の世界で「一番」となる、という思惑が全くないわけではないが、それでも、アーサーが「やさしい」ことは、疑いようのない事実だった。

マーティンもカラスの群れに襲われた時、アーサーに助けてもらった経験がある。


「…僕にいい所なんてないよ。あるのは、兄さんの弟っていう称号だけさ」

 ハリスは自嘲的に笑う。

「どうしてそんなことを言うの?僕は、ハリスのいい所をいっぱい知っているよ。僕はハリスと一緒にいて幸せだよ?…だって、君はおいしい木の実の見つけるのが上手いし、それを見つけたら、独り占めせずに教えてくれる。君は、誰かが困っていたら、それがたとえ君をからかうカラスでも、君は手を貸す。それに、君の隣にいると、温かい気持ちになれる。…勝負事ばかりのこの世界で、いつ死ぬかもしれない恐怖が付きまとう自然の中で、君といれば、ホッとできるんだ。僕は、それが君のいい所だと思うよ」

「…でも、それは全て、兄さんだって持っているだろう?」

「どうして、アーサーと比べる必要があるんだい?」

マーティンは止まり木から離れ、ハリスの目の前に行った。翼を小刻みに動かし、ハリスと目を合わせる。

 ハリスは、マーティンを前にして、「小さいな」と思った。

けれど、それでも勝てない気がした。

 そしてまっすぐ見つめてくる瞳から視線を逸らす。

「…もう、いいよ。そうやっていつまでも、自分が世界で一番不幸みたいな顔していればいいだろう?自分のいい所を認めずに、誰かのものばかり欲しがっている君なんか知らないよ。今の君は、僕の大好きなハリスじゃない」

 マーティンは怒鳴りながら、ハリスに背を向け飛び去っていく。

ハリスは小さなマーティンの背中がさらに小さくなっていくのを黙って見ていた。


 風が吹いた。

木の葉が揺れ、太陽の光を反射させる。

 マーティンが消えていった空が、キラキラ輝いて見えた。

 ハリスは瞳を閉じ、耳を澄せる。

 虫の鳴き声。動物たちの話し声。

聞こえてくる音が遠くに感じた。

この広い世界にひとりだけ取り残されたような感覚を覚える。

「兄さんだったら、こんな風になることはないのにな」

 思わず口から出たのは、またしてもアーサーと自分とを比べる言葉。

「強いアーサー」「弱虫ハリス」いつもそうやって並べられてきたのだから無理ないことなのかもしれないが。


 ハリスは少しでも、アーサーのようになりたかった。いや、ならなければいけないと思っていた。

「アーサーはすごい」という噂を聞く度、「アーサーのようになりたい」という声を聞く度、「アーサーのような存在」になることこそが幸せになるために必要なことだと言われているような気がしていた。

だから、強くならなくてはいけないと思っていた。

認められなくてはいけないと考えていた。



 ハリスは、急に背筋を伸ばした。翼を拡げ、下を見る。

耳を澄まし、獲物を探した。

「カサッ」

かすかな音がハリスの耳に入る。ハリスは音のした方に、身体を向けた。

 一匹の小さな野ネズミが歩いている。まだ、子どもであろうそのネズミは、五センチほどの大きさだ。

 これなら怖くない、と自分に言い聞かせるよう、呟く。

一度深く息を吐き出し、翼で身を空に押し出した。

 そのまま、急降下する。

 しかし、慣れていない狩りは、獲物にすぐに気付かれる。

急降下の際、翼が木の葉に触れ、音を立ててしまった。

 ネズミは、空に浮かぶ敵の姿を確認する。

小さなネズミのスピードは速くはない。しかし、小回りが利いた。

そして、相手はハリス。

 ハリスはスピードを上げ、獲物を追うことに不慣れだった。

木と木の間を巧く抜けられない。

 木に集中しすぎてしまったため、ネズミの姿を見失った。

 ハリスは一度止まり、空中で気配を探る。

 風が西から吹いた。

 その風が匂いを一緒に運んでくる。

 ハリスは、身体の向きを変えず、目だけを動かした。

 小さなネズミが怯えながら、ハリスが過ぎ去るのを祈っている。

距離は近い。

子どものネズミであるため、上手な逃げ方を知らなかったようだ。

 ハリスがネズミの存在に気が付いていることを、ネズミは気付いていない。

このまま、身体の向きを変え、飛んでいけば、ネズミは捕まえられる。

それが、ハリスでも、所詮は鷹とネズミ。勝負は見えていた。

けれど、ハリスは動けなかった。

ネズミの小さな瞳を見てしまったから。

 もし、今、空腹だったならば、何も考えずにネズミに喰らいつけていたのかもしれない。

でも、今のハリスにはできなかった。

 ハリスはネズミに気付かぬ振りをして、その場を後にする。



森を抜け、小高い丘に行った。

 そこには二メートルほどの大きな岩がある。ハリスは翼を休め、その岩の上に止まった。

そこからは、先ほどまでいた森を見降ろすことができる。

 もちろん、空を飛ぶことのできるハリスは、いつでも森も、この世界をも見降ろすことができるのだが、ハリスはその岩から見える景色を気に入っていた。

 空の上から見るだけでは小さすぎて味気ない森や木、草、花が色づいて見える。

その適度な距離が好きだった。

 ハリスは、耳を澄まし、森を注視する。

 ハリスの目に、二匹の小動物の姿が映った。ネズミのようである。

「よかった」

先ほどのネズミなのかもしれないと思い、ハリスは小さくそう漏らす。

 ハリスが「何もしなかった」ことで、親ネズミと再会できているのならいい、と考えたのだ。


「でも、これじゃ、ダメなんだよね…」

 きっと、今のことを話せば、マーティンは「やさしい」と言ってくれるだろう。

しかし、ハリスは思うのだ。「やさしくなんか、ないんだ」と。

 空腹ならば、捕まえていた。ネズミは食べなくても、虫は食す。

「何も傷つけない」ことなど、できないのだ。

 中途半端なやさしさは、時に非情である。

「昨日はよくて、今日はだめ」

「君はよくて、彼はだめ」

 ハリスのやさしさは所詮、「偽善」なのだ。自分が満足するためだけのやさしさであり、自分が傷つかないためだけの予防線。



 ハリスは空を仰ぎ見る。青い空に黒い点がいくつか浮かんでいた。その一つがハリスのもとに近づいてくる。

大きさはハリスと同じくらいだ。

 ハリスはとっさに逃げようと翼を拡げる。

 しかし、注視すれば、見知った顔。

 自分にそっくりなそれを見て、ハリスは目を細めた。

 太陽をバックに降りてくるアーサーの姿は、腹が立つほど、格好良かった。


「隣、いいか?」

 首を傾げるアーサーは、捕えたばかりのネズミを持っていた。ハリスが追っていたネズミより、一回り大きい。

「別に、いいよ」

 許可を得たアーサーは、隣に並ぶと、ネズミを喰らい始めた。

 ハリスは実のところ、今は、アーサーと一緒にいたくなかった。

アーサーへの嫉妬でいっぱいになっている心が、何を言うかわからなかったから。

 ネズミを食べるスペースを求めていただけなのだろうから、自分が飛び去っても問題はないだろう、とハリスは思う。

しかし、なぜか動けなかった。

 アーサーが、何か言いたげな顔をしているように見えたから。

「おい、食べるか?」

 嘴を血で染めたまま問う。

 ただの肉の塊と化したそれは、二口、三口残されていた。

ハリスは黙って首を横に振る。

アーサーはそれを見ると、また、その肉を頬張った。

 食べ終わると、翼で器用に嘴の血を拭う。

ハリスが血が好きでないことを知っているから。

「ハリス」

「…何?」

「腹が減っていないなら、なぜさっきネズミを追った?」

 ハリスは目を丸くして、森に向けていた視線をアーサーに向ける。

「見てたの?」

「見えただけだ」

「…格好悪かったでしょう?兄さんだったら、簡単に捕まえられるのにね」

「別に、俺とお前を比べる必要はない。ただ、珍しいと思っただけだ。…なんで、急に狩りなんて始めた?」

「……理由なんてないよ。強いものが上に立って、弱いものが虐げられるなんて、ここでは当たり前のことじゃないか」

「無意味な殺生はしない。それが自然の摂理だ。…それに、無意味な殺生を一番嫌っているのはお前だろう、ハリス」

「兄さんに何がわかるの?…僕の何が分わかるんだ!いつも、兄さんと比べられて、兄さんの汚点だって言われて…。僕だって強くなりたい。僕だって……」

 声を荒げたハリスとは反対の穏やかな声でアーサーは言った。

「ハリス、お前は俺じゃない。俺になる必要はない。俺の幸せを求める必要もない。お前と俺の幸せは違うだろう?」

「強くなって、一番になって、皆の上に立つこと、それが幸せでしょう?」

「お前は、そうなりたいのか?」

 その問いに、ハリスは、短い沈黙の後、小さく応える。

「……なりたいよ」

「じゃあ、俺と闘うか?」

「え?」

「強くなりたいんだろう?それはつまり、俺を倒したいという意味だ」

「…できないよ」

「なぜだ?」

「兄さんに敵うわけないもん」

 そう言ってハリスは俯いた。しかし、アーサーが、翼を使い、ハリスの顔を上に向ける。

その目をしっかり見て言った。

「強くなりたいなら、逃げるな。傷つくことも、傷つけることも恐れるな」

「…」

「ハリス、お前は、本当に強くなりたいのか?俺には、お前がそう言わなければいけないと思っているように感じるんだが」

「だって…皆が、兄さんは強いって言う。兄さんみたいになりたいって言う。…兄さんは、幸せの象徴なんだ。兄さんみたいになって、幸せを手に入れたいって思って何がいけないの?」

 ハリスは、目を逸らさなかった。まっすぐアーサーの黒い目を見つめた。けれど、そこに映る自分は何がすごく、悲しそうだった。

「ハリス、『幸せ』を決めるのはお前だ。皆じゃないし、俺じゃない」

「…」

「それに、俺は幸せの象徴なんかじゃない」

「そんなこと…ないよ」

「俺の生き方を幸せだっていう奴は確かにいる。でもな、俺の生き方を不幸だって言う奴もいるんだ」

「え?」

 ハリスは驚いた。アーサーになることこそが、幸せだと思っていた。そのアーサーが、不幸と言われることがあるなんて。

「俺は、誰よりも強くなりたい。強さを突き詰めていることが好きだ。…だから、もし、その過程で死んだとしても、それでもいいと思っている。闘って死んだら、哀れな奴だと笑うものもいるだろう。でも、俺にとっては、平穏で長い人生よりも、スリルのある短い人生の方が『幸せ』なんだ。…でも、お前はそうじゃないだろう?」

 ハリスは、少しだけ考え、ゆっくりと頷いた。

「僕は、ゆっくりと時間を刻んでいきたい。マーティンと今みたいに、他愛もないことをいっぱい話して、いっぱい笑って。それから、恋もして、家族を持って、自分の子どもが大きくなっていくのを見届けたい。…そんなゆっくりして、温かい時間を過ごしたい。たぶん、それが僕の『幸せ』」

 ハリスの言葉に、アーサーは頷いた。

「ハリス、誰かの幸せを押し付けられる必要なんてないんだ。確かにお前は、俺より弱い。狩りだって巧くない。でも、お前が考える幸せに、それはどんな意味をもたらしてくれる?お前が考える幸せには、お前のやさしさや素直さがあれば、それでいいんじゃないのか?」

「…でもね、兄さん。…僕のやさしさ、「やさしさ」なんかじゃないんだ。…偽善なんだ。だって、僕は何も食べないことはできないし、たぶん、一番に僕を優先してしまう」

 ハリスは、翼で自分の嘴に触れた。

 自分の命を生かすために、様々な命を奪ってきた嘴。

生きるために仕方のなかったことなのかもしれない。

でも、それなら、それを悔やむ自分がいることが、堪らなく嫌だった。

 どうにもできないのに、どうにかしたいと考え、結局は矛盾した行動を取る自分こそ、一番残酷な気がした。

「なぁ、ハリス。誰かを傷つけないことなんて、できるのかな?」

 心の葛藤と闘うハリスに、アーサーはやさしく問う。

「…どういうこと?」

「何も食べないで生きることのできる生き物なんていない。俺たちは、色々な命を犠牲にして生きているんだ。…でもな、ハリス。誰かを傷つけないために、自己犠牲するのは、もしかしたら、簡単なことかもしれないけれど、お前が誰も傷つけないために、何も食べずに死んだとしたら、俺は傷つく」

「…兄さん」

「お前は、誰かを傷つけることの痛みを知っている。だから、無意味な殺生はしない。そして、傷つけてしまったことを悔やむことができる。…それは、立派なやさしさじゃないのか?」

「…」

「残酷なことかもしれないけど、誰も、何も傷つけることなく生きることなんかできないんだ。誰かを傷つけないために死ぬことさえ、誰かを傷つける。強いものが上に立ち、弱いものが虐げられるなんて、そんな簡単なことじゃない。…難しくて、わからなくて…でもそれが生きるということだ。たとえお前が何も傷つけなかったとしても、お前が傷ついていれば、俺が傷つく」

ハリスは、静かに頭を縦に振った。

「俺は、その難しさから逃げた。俺が求めているのは、『やさしさ』じゃなくて、『強さ』だから。それはとても単純で、とても無責任なことなんだと思う。けれどな、それが俺の求めている生き方なんだ。でも、お前は、俺とは違って、ちゃんと真正面から受け入れようとしている。そんな生き方を求めようとしている。…それは、とても強いことで、きっと、それはとてもやさしいことなんだと思う」

「うん」

「ハリス。やさしさも幸せの定義も、生き方も、お前が決めていいんだ。誰が何と言おうと、お前はお前らしい幸せを求めればいいんだ。そこに、他の奴の評価なんて関係ない。…お前が決めるんだ」

「うん。…あのね、兄さん」

「なんだ?」

「ありがとう」

「…」

「…僕ね、ずっと苦しかったんだ。兄さんと比べられて、でもどうしても兄さんみたいになれなくて」

「そうか。…ごめんな」

 頭を下げるアーサーに、ハリスは大きく首を振った。

「兄さんの生き方を僕はできない。だって僕は、『強いアーサー』じゃなくて、『弱虫ハリス』だから」

「そうだな。ま、俺は、弱虫なんかじゃないって思ってるけどな」

 アーサーは微笑を浮かべる。その笑みはやさしい。

 そんなアーサーの言葉にハリスは、「ありがとう、でも」と続けた。

「でもね、僕はやっぱり、弱虫だったと思うんだ。周りの目が気になって、僕が見えていなかった。…だからね、僕はやっぱり、強くなろうと思う。兄さんとは違う意味の『強い』だけど」

「ああ。お前なら、なれるさ。強く」

「うん」

「強い奴はな、いい友が集まってくるんだ。だから、お前は大丈夫だよ」

 ハリスは、アーサーの言葉に首を傾げた。そんなハリスに少し笑い、アーサーが言葉を続ける。

「お前とよくいる雀がな、俺の所に来て言うんだ。『この空で一番強いのかもしれないけど、弟が悩んでいることにも気付かないなんて、ダメな兄貴だ』って。強さを求めているなら、本当の強さの意味を、お前に教えてやれって怒られたよ」

「…マーティン」

「でもさ、あの雀、威勢はいいのに、身体は震えてた。一羽の雀が一羽の鷹を叱りつけるなんて、普通、ありえないからな。あいつにすれば、怖かっただろうよ。…ハリス、いい友を持ったな」

「うん」

 ハリスは強く頷く。

その姿にアーサーは再び笑みを浮かべた。

「じゃあ、俺はもう行くな」

 そう言って翼を拡げたアーサーに「兄さん」と呼びかけ、止める。

アーサーが、振り返り、ハリスに顔を向けた。

「兄さんはさ、強さが幸せだろう?」

「ああ」

「兄さんの幸せにケチを付けるつもりなんてないけどさ、僕は兄さんと少しでも一緒にいたいから、兄さんに少しでも長生きをしてほしい。…それが僕の幸せ」

「…」

「兄さんはさ、マーティンの一言で僕の所に来てくれるくらい、僕の幸せを考えてくれているだろう?ってことはさ、兄さんの幸せの中に、僕の幸せも含まれていると思うんだ。だからさ、…無茶はしないでね」

 アーサーは、ハリスの言葉に一瞬驚き、そして微苦笑を浮かべた。

「さっきまで、泣きそうな面してた奴が、言うようになったな」

「言った筈だよ?強くなるって」

 そう胸を張るハリスの頭を、アーサーは、嘴を使って数回撫でた。

そして、翼を拡げ、空に舞う。

ハリスの顔を見ずに告げた。

「手が焼ける弟の頼みを聞いてやるのも、悪くないかもしれないな」

 そして、振り返ることなく飛び去って行った。

 急スピードで小さくなっていくアーサーの姿をハリスはじっと見つめていた。

太陽の輝きに溶け込むように、見えなくなる姿はアーサーらしい。


「僕も、行こう。…まずは、マーティンに『ごめん』と『ありがとう』を言わなくちゃ」

 ハリスも翼を拡げ、岩の上から飛び去る。

アーサーとは違うゆっくりとしたスピードで、空に溶け込んでいった。

 頬に当たる風が、気持ちよく、ハリスは「幸せ」だと思った。


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