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最終話 そして深淵(ルルイエ)だけが残った

 三日が経過しました。  かつて「王国」と呼ばれていた場所には、今や地図にも歴史にも存在しない、冒涜的な光景が広がっています。


 王都の豪華な石造りの建物はすべて、粘り気のある半透明の樹脂のような物質に変質し、非ユークリッド幾何学に基づいた「ありえない角度」で空へとそびえ立っています。街を流れていた美しい運河は、今や虹色の油膜が浮く深い沼となり、そこでは元・住民たちがエラ呼吸を楽しみながら、幸せそうに水飛沫を上げています。


「あら、皆様。今日も元気に『テケリ・リ』していらっしゃいますわね」


 私は、もはや「人間の皮」を被ることすらやめ、本体の一部を無理やり人型に固めた姿で、かつての王宮のバルコニー(に見える巨大なキノコのような突起)に立っていました。私の足元では、元・第二王子のアルフレッド殿下が、頭から三本の触手を生やした状態で、甲斐甲斐しく私の靴(のような粘液の塊)を磨いています。


「いあ、いあ……ですわ、エカテリーナ様。今日の……沼の温度、最高です……」


 殿下の知性は、今やプランクトンと大差ないレベルまで磨き上げられていました。ですが、見てください。あの穏やかな表情。位継承権や派閥争いに明け暮れていた頃の、刺々しい雰囲気は微塵もありません。これが、私なりの「慈悲」というものですわ。


「エカテリーナ……。私、次の転生では、もっと……もっと大きい『目玉』になりたいな……」


 隣では、マリア様が地面を這いずりながら呟いています。彼女は自分の脳の半分を異次元の知的生命体と共有したことで、この世の真理(すべては無意味であること)を悟ったようです。


「ふふ、向上心があるのは良いことですわよ、マリア様。……さて、ミミ。そろそろお時間かしら?」


 影から這い出してきた侍女のミミが、次元の隙間から大きなスマートフォン(に見える、脈動する石板)を取り出しました。


「はい、お嬢様。ブラック上司……失礼、『すべてを統べる虚無の御方』より、帰還命令でございます。隣の銀河で、知的生命体が『核分裂』を使ってお互いを叩き合うという、これまた香ばしいバグ(論理的破綻)を起こしたそうで。お掃除の準備をとのことです」


「……ああ、忙しい。本当に、邪神というのも楽ではありませんわね」


 私は最後にもう一度、ルルイエと化した王国を見渡しました。文明を収穫し、発狂という名の平穏を与えた後の、この静寂。この「冒涜的な美しさ」があるから、お仕事はやめられませんの。


 私は指先で空間をピリピリと引き裂き、異次元へのゲートを開きました。 「皆様、ごきげんよう。……ああ、そうそう。ひとつ言い忘れていましたわ」


 私は、沼で泳いでいた元・貴族たちや、白目を剥いて笑っている元・国王陛下に向けて、優雅にカーテシーを決めました。


「私への『いあ! いあ! ですわ!』の唱和、三百年は休まず続けるように。もし声が止まったら……次は、この星ごと『胃袋』に流し込みに来ますから。よろしくて?」


 王都全体から、割れんばかりの歓喜の叫びが上がりました。


「「「「「いあ! いあ! ですわーーーーーーー!!!!!」」」」」


 よし。教育は完璧ですわね。私は満足して、ゲートの向こう側――冷たく、暗く、そして愛おしい無限の虚無ボイドへと足を踏み入れました。


 背後で、王国が次元の歪みに飲み込まれ、現実の世界から完全に消失する音が聞こえます。  明日には、近隣諸国の調査団がここを訪れるでしょう。そして彼らもまた、地面に残された「名状しがたき足跡」を見た瞬間に、新しい合唱団の一員になるのです。


 星々が正しい位置に戻るまで。あるいは、次の「婚約破棄」がどこかの世界で起きるまで。


 それでは、皆様。また、どこかの深淵でお会いしましょうね。


 いあ! いあ! ですわ。


(完)

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