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第4話 いあ!いあ!唱和タイムですわ!

 王宮のダンスホールは、もはや三次元のことわりを捨て去っていました。天井は無限に広がる星間宇宙へと繋がり、床はドロドロとした原形質の沼と化しています。


「あ、あ……あが、あ……」


 私の足元――といっても、今の私には足が数えきれないほどありますが――では、アルフレッド殿下が無様に這いずり回っていました。彼の自慢だった金髪は、恐怖のあまり一瞬で白濁し、その瞳にはもはや「王子の矜持」など欠片も残っていません。


「あら、殿下。そんなに震えて、どうなさいましたの? 私の正装、少しばかり刺激が強すぎましたかしら?」


 私は、本体から生えた数百本の触手のうち、一番細くて柔らかい一本(それでも大蛇ほどの太さがありますが)を伸ばし、彼の頬を撫でました。触れた部分の皮膚がジュッと音を立てて、虹色の粘液に変わります。


「ひいいいぃっ! くるな、くるなぁぁ! 誰か、誰か助けてくれ! 衛兵! 魔法師団!!」


「無駄ですわよ、殿下。あの方たちなら、もう先ほどから皆様ご一緒に『合唱』に加わっていらっしゃいますもの」


 ホールの隅では、鎧を着た衛兵たちが、自分の兜を素手で歪めながら、幸せそうに「テケリ・リ! テケリ・リ!」と鳴き声を上げて踊っています。高名な宮廷魔術師たちは、空中に描いた魔法陣から溢れ出した「宇宙の塵」を貪り食いながら、見たこともない幾何学模様を壁に刻みつけていました。


 そう、この場にいる全員が、私の神性に触れて「解放」されたのです。人間という、ちっぽけで不自由な精神のおりから。


「さあ、殿下。あなたも早くこちら側へいらっしゃいな。まずは発声練習から始めましょうか」


「や、やめろ……俺は王子だ! 次期国王だ! こんな、こんな冒涜的なことが許されるはずが――」


「『王子』? 『国王』? ……ふふ、うふふふふ! おかしいですわ、殿下! そんな、数十年で朽ち果てる肉体につけられた一時的なラベルに、まだこだわっていらっしゃるの?」


 私は数千の口を同時に開き、爆笑しました。その笑い声そのものが物理的な衝撃波となり、王宮の壁を粉砕していきます。


「いいですか、殿下。今の私は、あのお方――ブラック上司との契約から解き放たれた、自由な邪神ですの。今の私にとって、あなたの命なんて、銀河の隅に浮いている小石ひとつ分ほどの価値もありませんわ。……でも、せっかくの婚約破棄記念日ですもの。特別なプレゼントを差し上げますわ」


 私は、殿下の脳に直接、私の「視界」を接続しました。数億年の時を超えて、星々が生まれ、死に、巨大な神々が宇宙の深淵で狂ったフルートを吹き鳴らす光景。時間が直線ではなく、ぐにゃぐにゃに曲がった冒涜的なスパゲッティのように絡まり合う真理。


「あ……あが……ああああああああああ!!!」


 殿下は両手で頭を抱え、絶叫しました。彼の脳細胞が、過剰な情報量に耐えきれず、パチパチと音を立ててショートしていくのがわかります。ですが、死なせはしませんわ。私の魔力(粘液)で、彼の精神を無理やり繋ぎ止め、発狂の絶頂に固定して差し上げます。


「さあ、殿下。喉の調子を整えて? 私の後に続いておっしゃいな」


 私は、崩れかけた王都の夜空に向けて、再びその名を轟かせました。


「いあ! いあ! はすたぁ!」


「い、いあ……いあ……あばばっ、いあ! は、はすたぁぁぁ!」


「よろしいですわ! 語尾をもう少し上品に……こう、弾むように! はいっ!」


「いあ! いあ! はすたぁ! ですわぁぁぁぁ!!」


 殿下が、白目を剥きながら、ついに完璧な発声で唱和しました。その瞬間、彼の背中から、可愛らしいピンク色の触手がシュルリと一本生えてきました。あら、似合いますわよ、殿下。


 ふと見れば、マリア様も四つん這いになりながら、自分のドレスをむしゃむしゃと食べて「いあ! いあ! ですわ!」とリズムを取っています。


「素晴らしいわ……! 混沌こそが、真の平等ですわね!」


 王宮の外に目を向ければ、街全体が深い霧に包まれ、人々が次々と「あばばばば」と歌いながら、魚のような鱗を生やして運河へと飛び込んでいくのが見えました。これですわ。これこそが、私がブラック上司の下で、ボロボロの皮を被ってまで待ち望んでいた「有給休暇」の景色です。


「ミミ、用意はいいかしら? この国をまるごと『ルルイエ』の別荘にしてしまいますわよ」


「テケリ・リ! 準備万端でございます、お嬢様。……あ、お嬢様。あのお方(上司)からメッセージが届いております。『有給は三日間だけだ。終わったら隣の銀河の掃除に来い』とのことです」


「……ちっ。相変わらず使い走りが荒いですわね、あの上司。……まあ、いいですわ。この三日間は、思い切り楽しみましょう」


 私は、精神が完全にルルイエへ旅立ってしまった殿下を触手で優雅に振り回しながら、狂った星空の下でワルツを踊り始めました。


 いあ! いあ! ですわ。世界の終わりは、こんなにも美しいんですもの。


(つづく)

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