第3話 断罪の夜、パーティ会場はルルイエになる
ついにこの日がやってまいりました。 王立学園の卒業パーティー。きらびやかなシャンデリア、着飾った貴族たち、そして漂う高級な食事の香り。ですが、私の鼻が捉えているのは、時空の裂け目から漏れ出す「古き時代の腐敗臭」だけです。
「お嬢様、お背中の調子はいかがですか?」
影の中からヌルリと現れた侍女のミミが、私の耳元で囁きます。 今日の私は、四次元的な裏地を施した最高級の漆黒のドレスに身を包んでいます。ですが、その内側では、もはや「人間の形」を維持するのを諦めた私の本体が、沸騰した泥のようにドロドロと蠢いていました。
「ええ、もうパンパンですわ。あと一分でも長くこの『皮』を着ていたら、毛穴という毛穴から触手が噴き出してしまいますわ」
私は扇子を強く握りしめ、必死に耐えました。 空を見上げれば、屋根越しに「忌まわしき星々の整列」が完成しつつあります。 契約満了の条件は、間もなく整います。
「エカテリーナ・フォン・デスクトップ・ド・ブルースクリーン! 前へ出ろ!」
会場の中央。 第二王子・アルフレッド殿下が、隣にマリア様を侍らせて叫びました。 まあ!フルネームで私を呼んでくださるなんて、いつ以来かしら?マリア様は昨日の「あばばばば」から少し回復したようですが、焦点の合わない目で宙を見つめ、口角から絶えず涎を流しています。殿下はそれを「あまりのショックで儚げになった愛おしい姿」と勘違いしているようですわ。おめでたいことですこと。
私は一歩、前へ出ました。 私の足が床に触れるたび、豪華な絨毯がヌメヌメとした海草に変質していきますが、誰も気づきません。
「お前との婚約を破棄する! お前のような、マリアを虐げ、周囲に不気味な呪いを撒き散らす悪女は、我が王家にふさわしくない!」
「……まあ。本気で、おっしゃっていますの?」
私は確認しました。これ、重要ですのよ。 上位存在(ブラック上司)への報告書に「相手が自発的に秩序を捨てた」と書かなければなりませんから。
「しつこいぞ! 貴様は国外追放、いや、処刑だ! この国にお前の居場所などない! 消え失せろ、化け物め!」
――その瞬間。 私の脳内に、ピキィィィィン! という、小気味良いガラスの割れる音が響き渡りました。
【全宇宙通知:契約満了】 対象文明の指導者が『論理的破綻(自滅)』を選択。 エカテリーナ・フォン・デスクトップの保護任務を解除。 直ちに『収穫(お食事タイム)』を開始してください。
(キターーーーーーですわーーー!!!)
私は心の中で、宇宙を震わせるほどのガッツポーズを決めました。 ああ、長かったですわ。この窮屈な、重力の重い、酸素なんていうガスを吸わなければならない不自由な日々!
「うふふ……あはははは! お聞きになりました皆様!? 殿下が『消え失せろ』とおっしゃいましたわ! 殿下が、この私という『世界の楔』を、自ら引き抜いてくださったんですのよ!」
「な、何を笑っている……不気味な笑い方をやめろ!」
殿下が剣を抜こうとしましたが、遅すぎますわ。 私は、首筋にある「人間の皮」の繋ぎ目に指をかけました。
「殿下、感謝いたしますわ。……さあ、皆様。お待たせいたしました。これが、皆様がずっと見たがっていた、私の『正装』ですわ!」
ベリッ、ベリベリバリバリバリィッ!!
会場に、濡れた雑巾を全力で引き裂いたような音が響き渡りました。 私のドレスが内側から爆発するように弾け、白い肌が、赤髪が、碧眼が、安っぽい包装紙のように剥がれ落ちていきます。
中から溢れ出したのは、 無数の黄金色の瞳を持つ、不定形の黒い粘液。 数千本の、節くれた節足がびっしり生えた巨大な触手。 そして、見る者の脳に「宇宙の終わり」を直接投影する、名状しがたき輝き。
「ヒッ……あ、ああああ……っ!?」
アルフレッド殿下の瞳が、急速に濁っていきます。 無理もありませんわ。彼は今、「三次元の脳では処理できない情報量」を強制的に流し込まれているのですから。
会場の壁がドロリと溶け出し、柱はのたうつ大蛇へと変貌しました。 シャンデリアからは火の代わりに「暗黒の燐光」が滴り、床の下からは、失われた海底都市ルルイエの尖塔が、パーティー会場を突き破って浮上し始めます。
「さあ! 皆様もご一緒に! 契約の呪縛から解き放たれた、自由の歌を歌いましょう!」
私は、数千の口を同時に開き、この星の空気が震えるほどの咆哮を上げました。
「いあ! いあ! はすたぁ! ですわーーーーーー!!!」
その声は、出席していた貴族たちの脳を、綺麗に、丁寧に、そして冒涜的に破壊していきました。 彼らは次々とドレスやタキシードを引き裂き、自分の顔を爪で掻きむしりながら、歓喜の表情で叫び始めます。
「いあ! いあ! ですわ!」 「いあ! いあ! ですわ!」
会場全体が、狂気と粘液に満ちた合唱に包まれます。 アルフレッド殿下だけは、まだ自分の状況が理解できないようで、股間を濡らしながらガタガタと震えていました。
「殿下、どうなさいましたの? お顔の色が、まるで腐ったプランクトンのようですわよ?」
私は巨大な触手で、彼の顎を優しく(骨を数本砕きながら)持ち上げました。
「さあ、パーティーはここからですわ。……ミミ、音楽をかけなさいな。夜明けまでに、この国をまるごと『深淵』に沈めて差し上げますわよ!」
「テケリ・リ! 承知いたしました、お嬢様!」
窓の外では、王都の建物が次々と幾何学的な異常変容を起こし、空には紫色の月が三つ浮かび上がっていました。 いあ! いあ! ですわ。 今日からここが、私の新しい「リビングルーム」ですわ!
(つづく)




