表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

第2話  ヒロイン様の正気度(SAN値)チェック

 学園の廊下を歩けば、周囲の生徒たちがサッと道を開けます。 それは私が公爵令嬢だからではなく、私の周囲だけ「空気がねっとりと重く、たまに硫黄と深海の腐敗臭が混じったような異臭がする」からでしょう。


 失礼ね。これでも毎晩、魂の洗浄(次元の狭間での殺菌消毒)は欠かしていませんのに。


「あら、エカテリーナ様。ごきげんよう」


 甲高い声と共に現れたのは、この物語の「ヒロイン」こと、男爵令嬢のマリア様でした。彼女の背後には、私の婚約者である王子・アルフレッド殿下が、それはもうデレデレした顔で控えています。


(ああ、美味しそうな『無知な幸福面』ですわね。一口で飲み干してしまいたい……)


 いけないいけない。契約、契約ですわ。私は扇子で口元を隠し、淑やかに微笑みました。


「ごきげんよう、マリア様。殿下もお健やかそうで何よりですわ」


「ふん、相変わらず不気味な女だ。エカテリーナ、マリアから聞いたぞ。お前、彼女の教科書をドロドロの液体で汚したそうだな?」


 殿下が忌々しげに私を睨みます。 ドロドロの液体? 心当たりがありすぎますわ。昨晩、あまりの空腹に耐えかねて指先から溢れ出した『宇宙の原形質』が、時空を越えて彼女の私物に付着してしまったのかもしれません。


「身に覚えがございませんわ。ですが、もし汚れてしまいましたのなら、私のメイドに掃除させましょうか? 彼女、隙間の汚れを吸い取るのは得意(物理)ですのよ」


「……っ! そうやっていつも煙に巻く! マリア、あんな奴のことは気にするな。今に見ていろ」


 殿下がマリアを連れて去ろうとしたその時。 マリア様がすれ違いざま、私にだけ聞こえる声で囁きました。


「ねえ、知ってるわよ。あなた、本当は中身なんて空っぽなんでしょ? 悪役令嬢なんて、ヒロインの私の引き立て役に過ぎないんだから!」


 ……まあ。 彼女、「中身が空っぽ(ボイド)」だなんて。 私の本体が、無限の虚無そのものであることを、直感的に理解していらっしゃるのかしら? 意外と素質があるのかもしれませんわね。


 その日の午後。マリア様の「嫌がらせ」はエスカレートしました。 私が食堂で席につこうとした瞬間、彼女が魔法で椅子を引いたのです。


(あら。ここで尻餅をつけば、衝撃で『人間の皮』のお尻の部分が弾けて、無数の目が露出してしまいますわ……!)


 それは契約違反クビに直結します。 私はとっさに、物理法則を数ミリ秒だけ無視しました。


 ストン、と。 私は椅子がないはずの空間に、そのまま「座り」ました。空気の椅子ですわ。


「えっ……!? なんで座って……浮いてるの!?」


 マリア様が目を見開きます。 私は優雅に紅茶(色はどす黒いですが、ただのアッサムですわよ)を啜りながら、彼女をじっと見つめました。


「マリア様。あまり私を凝視しない方がよろしいですわよ。私の瞳の奥には、今、三億年後の滅亡した太陽系が映し出されていますの。視神経が焼き切れてしまいますわ」


「な、なによそれ! 意味わかんない! ほら、これでも食らえ!」


 マリア様は逆上し、私に向けて「浄化の光」の初級魔法を放ちました。 聖なる光。邪悪なものを払う力。 それは、邪神である私にとって……最高に心地よい「マッサージ」でした。


「ああ……っ、そこですわ、もっと強く……。左の触手、いえ、背中のあたりが凝っていましたの」


「な、ななな……なんなのよこの女ぁ!」


 光を浴びながら、うっとりと悶える私を見て、マリア様の精神が限界を迎えたようです。 彼女には見えたのでしょう。 光に照らされた私の影が、公爵令嬢の形を保てなくなり、壁一面に広がる巨大な多頭の怪物として蠢いている様が。


「ヒッ……ひっ、あ……ああ……」


 マリア様の瞳から光が消えました。 彼女はガクガクと膝を震わせ、その場に崩れ落ちると、よだれを垂らしながら虚空を指差しました。


「あば……あばばばば。おめめがいっぱい……あばばばばば!」


「あら、マリア様? 楽しそうに歌い始めて、どうなさいましたの?」


 騒ぎを聞きつけてやってきたアルフレッド殿下が、廃人化したマリアを見て絶叫します。


「エカテリーナ! お前、マリアに何をした!」


「何も。ただ、彼女の魔法がとても気持ちよかったとお礼を言おうとしただけですわ。……ふふ、殿下。卒業パーティーが待ち遠しいですわね。その時、皆様にもこの『心地よさ』をお裾分けして差し上げますわ」


 私は、まだ「あばばばば」と愉快な声を上げているマリア様を見下ろしました。 一足先に、彼女だけ契約(保護)の対象外にしてあげたくなりましたが、我慢ですわ。 すべては、三日後の「婚約破棄」のために。


「ミミ、あの方を保健室へ。ついでに彼女の脳内に、ルルイエの地質学の基礎知識を流し込んでおいてちょうだい。暇つぶしになるでしょうから」


「かしこまりました。テケリ・リ、ですわ」


 私は、震える殿下を無視して、優雅に学園を後にしました。 いあ! いあ! ですわ。 卒業パーティーまで、あと二日。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ