第12話 まだまだ見どころいっぱい! (2) ルーブル美術館で丸一日(5)
ルーブル美術館の西洋絵画のあるエリアをほっつき歩いていると、ジェリコーの「エプソンの競馬」に出くわしました。
コレ、ちょくちょく軽くディスられてるアレや.......。
今回の文章でご紹介する絵は下記のnote記事の後半です。
「エプソンの競馬」も真ん中らへんに掲載しております。
https://note.com/eagle9052/n/n5c793eac2c45
ジェリコー自身は名のある画家です。
ルーブルには、このエリアとは別の場所、モナリザそばにフランス人画家の巨大絵画を集めた部屋があります。
ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」とかですね。
それれと並んでジェリコーの「メデューズ号の筏」「戦場から去る負傷した胸甲騎兵士官」なども展示されています。
前者は座礁した船から救命用の筏に乗り込んだものの、急ごしらえの小さなものに149人以上が乗り込み、救助されたときには15人しか生存者がいなかったという現実の事件を題材にしたものです。
死体とか、絶望した人の表情とかの描写が迫力です。
一方。
このエリアにある「エプソンの競馬」は上記の2作に比べれば普通の大きさです。
そして馬が好きだったというジェリコーも楽しんで描いたんだろうなーと思われます。
それがどうしてディスられるはめになったのか。
ジェリコーは馬の疾走感を描きたかったのでしょう。
ほら、速く走る様子を「飛ぶように」って、文章でも表現しますやん?
ジェリコーの絵の馬も、前脚、後脚をビョーンと伸ばして宙を飛んでいるかのようです。
ところが。
この後になって「写真術」が、しかも高速で対象を捉えるカメラが登場します。
で。はっきりわかったんです。どんなに速く走ろうと、馬の脚がジェリコーの絵のようになることはない、と。
(馬は走っている間、いずれかの足は地面についている)。
鷲生は西洋美術史の知識をゴンブリッチ氏の名著『美術の歩み』から得ています。
ゴンブリッチ氏はさすが英国紳士、作中に登場する絵のよいところを必ず褒めます。けなすということはありません。
ジェリコーの馬の絵も、別にけなしているわけではないんですが……。
しかし、ジェリコーの絵の評価とは別に、西洋美術史において「写真」が登場したことで、事実を写すという機能では絵画は写真に劣ってしまうことが露わになった例として、このジェリコーの「エプソンの競馬」が挙げられてしまっているのです。
「馬は本当はこんな走り方をしない」と、この点においてミソをつけてしまった不幸な作品ではあります。
さて。
お次の画家はコロー。
「モルトフォンテーヌの思い出」
どうってことない地味な風景画に見えますが……。
鷲生が予習した本の中で多くの本が、この絵を取り上げほめたたえているのです。
そして、頻出するのが「銀灰色の靄」。
うーん。銀灰色ですか.......小説に使えそうなステキ表現ですね。
美術の本って、目に映る絵画を文字で説明してくださるので、うまく生かせば創作に役立ちそうだと思います。
例えば、暴風に荒れ狂う海ならターナーの風景画がありますから、その辺を解説している美術書を読めば使えそうな言語表現が見つかるかもしれません。
(最初の絵をどうやって見つけてくるかは、AIに「暴風の絵を探して」と聞くとかすると適当なのを教えてくれるかも、です)。
コローは、肖像画「真珠の女」「青い服の婦人」も評価高いです。
鷲生も、後者の青色を「いいなあ!」と思います。
靄じゃないけど周囲がやはり銀灰色っぽくて、その中に調和しつつもはっきりとした青がある佇まいが趣深い作品だと感じますね。
さーて。
お次は日本でも有名なアングル。
「ヴァルパンソンの浴女」「トルコ風呂」が同じ部屋にありました。
今回のパリ観光、ルーブルで確かに「グランド・オダリスク」を見た記憶はあるんですが(周囲にアングルはこの絵一枚だったかと……。モナリザに近い当たりじゃなかったかな.......)
「浴女」のシンプルな構図、柔らかな色調から、女性の裸のマルマルとした感じやすべすべしてそうな質感が伝わってきます。
この背中の絵が晩年の「トルコ風呂」にも出てきます。
この「トルコ風呂」。
裸の女性がこれでもか!と詰まった作品です。
よほど描きたかったのね、と。
もちろんここまで突き抜けてればエロじゃなくて芸術ですともw
(wiki「トルコ風呂」の項目では、やはりエロ絵として、注文主から受取拒否されたり、むしろエロ絵だからと引き取られたり、ルーブルに所蔵するにも紆余曲折を経ていたりしていますw)
このアングルのお弟子さんがシャセリオー。
ルーブルには『エステルの化粧』があります。
wikiによれば、こんな文章がありました。
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2003年から2014年までルーヴル美術館の絵画部門のディレクターを務めたヴァンサン・ポマレッド(フランス語版)は本作品を「ルーヴル美術館で最も有名な絵画の1つ」と評している
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そこまで有名とは鷲生も存じませんでしたし、ルーブルでもこの絵見てる人いませんでしたよ?
そう、このエッセイで何度も書いてますが、モナリザ以外の絵画の展示スペースってガラスキなんですよ。
鷲生もこの絵を予習してなかったら通り過ぎてたとは思いますが。
目を止めてみると、専門家が褒めるだけあって「いい絵」だと思います……(言われないと分からないのは鷲生の鑑識眼が未熟だからですw)。
色鮮やかで、宝飾品も煌びやかで(単眼鏡で確認しました)、顔立ちや体つきが現代にもいそうな感じで親しみやすさもあります。
アングル、シャセリオーの頃になると、オルセー美術館とルーブル美術館の両方に作品があります。
オルセー美術館の方も5階の印象派以外は人が少なく、アングルの「泉」はともかく、シャセリオーの「テピダリウム」の前も人がいなくて、鷲生もじっくり見られました。
ルーブルの「エステルの化粧」とオルセーの「テピダリウム」のどちらを見ても、現代の感覚でもありそう&理想的な女性のヌードが鷲生には好ましく感じます。
ルーベンスとかの女性のヌードは、その時代の価値観なんでしょうけど、あまりに豊饒すぎる気がしますし、一度当エッセイでとりあげた、日本の一時期の彫刻なんかのヌードは貧相ですが、シャセリオーのヌードはほどよく細身で、しかし出るとこは出て豊満で、表情も活き活きしていると感じます。
また、アングル・シャセリオーの絵がオルセーにあるように。
オルセーに飾られていると認識されがちなモネやドガ、ルノワールの作品もルーブルにあります。
この部屋、ほんと人がいなくて。鷲生はいい加減疲れていたので、中央のベンチに座ったまま単眼鏡で見渡してましたよw
note記事の最後は、ヴァニタス画と呼ばれる部類の絵です。
ヴァニタスとは、ウィキの項目によると。
「ヴァニタスとは「人生の空しさの寓意」を表す静物画であり、豊かさなどを意味するさまざまな静物の中に、人間の死すべき定めの隠喩である頭蓋骨や、あるいは時計やパイプや腐ってゆく果物などを置き、観る者に対して虚栄のはかなさを喚起する意図をもっていた。」
鷲生が写真を撮ってきたのは、
「チェス盤のある静物」。
確か、アート業界を舞台にした漫画「ギャラリーフェイク」で「ヴァニタス画」の例として登場してたような記憶が……。
また、この絵の前では比較的小さな子供を対象に先生がレクチャーしてました。
そうそう、最後にこのエリアの係員さんの思い出を。
広い館内を、入り口で手に入れた地図を片手にウロウロしているわけですが。
道しるべとなるのが部屋の番号。
その部屋の番号は壁の上の方、天井近くにあるので、「ここはどこ?」と思うと顔を上げてキョロキョロと番号を探すことになります。
あるお部屋でそうしていたら「ココ!」と声がかかりました。
「ココ」とは日本語で”here”を指す語ですが、この部屋にいるのは椅子に腰かけたフランス人の職員さんだけ。
彼女はまた口にします「ココ」と。
鷲生がオランダに住んでた25年くらい前なら日本人観光客も珍しくなかったでしょうけれども。
あれから円安が進み、中国そのほかのアジア諸国が力をつけ、アジア人観光客の私を見たからといって日本語で話しかけられるとは考えづらく……なので、キョトンとしてしまいました。
すると、わざわざ椅子から立ち上がって、私の前を通って上を指さして「ココ」と。
その指の先には部屋番号。
やはり、鷲生に向かって日本語で「ココ」と部屋番号を教えてくださったのです。
そういえば。
いないだろうと思っていた割に日本人観光客もいましたし、ひところに比べてハードルがぐんと上がったとはいえ、ヨーロッパに行くならフランスという人気が高く、まだなんとかルーブル美術館でもアジア人を見たら「日本人かも」と思ってもらえているのでしょうか。
もちろん、「メルシー!」とお礼を言いましたよ。
おかげさまでルーブルの上階の西洋絵画部門についてしっかりと見て回ることができました。
次回は、まー日本人があまり行かなさそうな、ルーブルの端っこに行ってきたお話です(思わぬ有名展示品とも邂逅しました)。




