2 60年後
雪が溶け凍った小川が流れ始めた頃、人里離れた狩人小屋で子供が産声を上げた。
「姫様、おめでとうございます。コンガ国の御世継ぎが無事お生まれになりましたね」
「ばあや、姫様はよして。私はもう母親になったのよ」
「ですが、私めにとってはいつまでも姫様は姫様です。おお、丸まるとしたよい御子です。逞しくお育ちになることでしょう」
ばあやは私にここまで付いてきてくれたけれど、もう大変な年だ。こんな場所では体が辛いだろう。もう滅亡してしまった国の世継ぎなど誰も気にも掛けないだろうに。
コンガ国に政略結婚で12歳の時に嫁いで5年。その国は隣国に攻められて、戦争に破れて仕舞った。戦争に負ければ、王族は総て処刑される。私の夫だったコンガ王は48歳。その3番目の側室だった私は、処刑される順番がくるのををじっと待っていた。他の王子達は総て処刑され、王女達も同じ運命に落ちてしまった。ところが、処刑された王族達は次々と魔物に変わり、王都は混乱の渦に巻き込まれてしまった。そのすきに私は処刑場からコッソリと逃れてきたのだ。あの地獄の場所から命からがら逃げられたのは、ばあやや騎士のオーエンのお陰だった。
魔物に蹂躙された王都民や、敵国の兵士達も魔物に変わるものが出てきた。あの国はもうお仕舞いだろう。
人が魔物に変わってしまうなど、噂には聞いていたが、まさか私の目の前で実際起こったとは未だに信じられない体験だった。
私は祖国へ逃げ延びる途中、敵国で我が子を産み落とすことになって仕舞った。ゴンガを攻めたリンガ国を跨いだ処に有るのがルンガ国、私の故郷だ。
この子がこれから先の旅に耐えられるまでは、リンガ国で隠れ住まねばならないだろう。
「もう入っても宜しいでしょうか?」
騎士のオーエンが寒空の中、外でそわそわと声を掛けてきた。
「オオ、忘れておったオーエン。元気な王子がお生まれになりましたよ」
バタンとドアが開き、屈強な老兵が顔を覗かせ満面の笑みで生れたばかりの王子を見つめている。オーエンも私に祖国から付いてた騎士だった。
「呼び名を決めねばなりませんな」
「ええ、呼び名はもう決まっています。正式な名前は神殿で頂かなくてはなりませんが、慣例通りにと考えております」
「コンガ国王の幼名、クリス様と?」
「いいえ私の幼名に」
「そうですか。では、モモ様とお呼びいたしましょう。しかし王子にモモ様とは呼びにくいですな」
――ここは敵国だ。ここを通り抜けて姫様の生国へいくには時間が掛かる。王子の幼名がコンガ王と同じなら詮索される恐れがある。
オーエンは納得してうなずく。
「この子が旅に耐えられるまでは、リンガ国に居ることになりますが。ばあやは大丈夫?」
「何を仰いますか。まだまだ役に立ちますとも。オーエンはどうだか分かりませんがね」
「口の減らないばあさんだ。私とて勿論まだ若者には負けませんぞ。ほれ、さっき捕まえてきた野鳥だ。姫様に食べさせて遣ってくれ」
「これは旨そうな大鳥だね。早速支度しましょうかね」
沢山の宝石やお金は持っていたが、今はお金など何の役にも立たない、植物の知識や狩りの腕が必要となってくるのだ。
ばあやのスキルと、オーエンのスキルが無ければ、私はあっという間に死んでしまうだろう。彼等はスキル持ちだった。私の国ではかなりの割合でスキルを授かる者がいたのに、私には何も無い。
私は、5歳の洗礼式の時に神からは何のスキルも与えて貰えなかった。同じ兄弟で私だけがスキルを貰えなかったのは悲しかった。処刑されて魔物に変わってしまったコンガ王も素晴らしいスキルを持っていた。王族の殆どがスキル持ちの中で、私は肩身が狭かった。役立たずだと、影で言われていたのは気が付いていたが、どうしようもなかった。
――スキルを持っていた王族が総て魔物に変わっていたのは、偶然かしら? 今更考えてもどうしようも無い。私は本当に疲れてしまった。
そんな事を考えながら、いつの間にか深い眠りについた。
姫様は、出産の疲れで眠ってしまった。
オーエンはばあやを外に連れ出して話始めた。
「魔物に変わった王様はやはり転生者だったと言う事だな」
「そうだね。魔物に変わる人間は以前も見たけど、何回見ても気味が悪いものだ。私はああはなりたくはないね。これからも真っ当に生きてゆかなければと改めて思ったよ」
「ああ、そうだ。俺もそう感じた。ああはなりたくはねえな。処で、王子様だがばあやはどう思う? モモ様も転生者だろうか?」
「まだ分からないね。もしそうだったとしても、生れてきてしまったんだ。どうしようも無いじゃないか」
「そうだけども、俺らは第五期だった。あの時は周り中が転生者だらけで、スキルのお陰で、大変な発展をしていたが、混乱も大きかった。暫く転生者が生れなかったせいか、落ち着いてきていたのに。これからまた増えると言うことなんだろうか」
「どうだろうね。同期の殆どが魔物に変わってしまったけどね。後から次々と送られてきていたようだから、もう居なくなったんじゃあ無いのかい。まともに生きて死んだ転生者は生まれ変わっている頃だろうさ。その線かも知れないし、元々この世界の人間かも知れない」
「ここで生まれ変わった転生者は、魔物に変わらないのか? 姫様は転生者では無かったから安心して仕えていたが、もし王子が転生者だったら俺はどう付き合っていけば良いか悩むよ」
「五歳になってスキルを与えられたら、私は自分の事を打ち明けて育てていくよ。そうすれば真っ当に生きて行ってくれるかも知れないからね」
「それしか無いだろうな。ところで、姫様は大丈夫だろうか。身体が辛そうだったが」
「余りよくは無いね。出産後の悪露がなかなか止らない。このままでは、若しかすると危ないかも知れない」
オーエンは薬草をおばばに手渡した。止血の効果がある薬草だ。
「オーエン、いつの間に・・・・・ありがとう。これで、姫様も持ち直すかも知れない」
「・・・・・もし姫様が亡くなったら、俺は姫様の国へはモモ様を連れて行きたくない。俺の孫として、ここで育てようと思っている」
「何故?姫様の国へ連れて行って何か不都合があるのかい?」
「あの国は、多分総ての王族が転生者だ。誰も自分の事を話さないが、住民の半数もそうだと思っている。彼等の行いを見ていれば、コンガ国と同じ運命になる気がする。民の苦しむ事に無頓着すぎて、死ねば彼奴らは魔物に落ちてしまうさ。モモ様をあんな場所で育てるわけには行かないだろう」
姫様の国はスキル持ちが多く居て大変な発展を遂げている。だが一方でスキル持ちが、魔物に変わってしまう事もあったのだ。五歳になって直ぐに魔物に変わったという住民もいた。あの国は魔物が増えすぎて大変な事になっている。魔物は倒されては居るが、まだまだ相当な数が森や山に逃げ込んで潜んでいるのだ。
「俺らは以前の世界で、魔物に変わるほど酷かったのだろうか?」
「ああ、ここに来て思ったね。以前の世界はみんな魔物以下だった。私の国は何時も飢えた子供が居たし、マフィアがいてそれは酷かった。ゾンビドラッグで朦朧としている者が道ばたに転がっていたよ。子供達も犯罪に手を染めていたしね。神様が身近にいらっしゃるここでは滅多に無い光景だろう?」
「俺の世界ではそれほどでも無かったがな」
「あんたの国は世界一裕福だったから分からなかっただろうさ。でも、一歩路地へ行けば似たような物だったはずさ。裕福な者は極一部の者だけさ」
確かにそうだった。オーエンは今更ながら自分が恵まれていたんだと気が付いた。高学歴で、金の稼げる仕事について、高価なマンションに住んでいたのだ。その矢先にあの恐怖の大魔王が現れて世界を蹂躙して回った。俺は魔王にマンションごと潰されて死んだのだった。記憶が薄らとしか残って居ないせいで余り恐怖は感じない。俺のスキルは、スポーツ選手に対する憧れが元になって、身体を使った仕事をしたいと願っていた。それが剣士のスキルとなって現れたのだろう。
ばあやは、物を盗まれる生活に嫌気が差して、物を盗まれたくないと祈ったそうだ。そのせいか、マジックボックスというスキルを授かったらしい。
マジックボックスの中には、食糧やら着替えやらとあらゆる物が入っていた。隣国が攻めてきたと聞いて直ぐに準備していたのが窺える。
オーエンに対しても、姫様を助ける機会を覗っておけと序言してくれた。ばあやの用心深さのお陰で今はこうして無事で居られるのだ。
姫様は、次の日亡くなられてしまった。やはり、無理が祟って仕舞ったのだ。オーエン達は崖の上の見晴らしの良い場所に墓を建てて姫を埋葬した。
「まだこんなに幼くて若い娘だったのに。可哀想に。今度生れてくるときは、姫様なんかじゃ無く普通の娘に産まれてくると良いさ」
「そうだな、その方が幸せだろう」
二人は手を合わせ、この世界の神に祈りを捧げた。