【第7章 第8話/エピローグ】二で続く街
朝。
夜と朝の境目。
少し白んだ空気のなかで、街はもう「昔の街」じゃなかった。
大きな鐘は鳴らない。怒鳴り声も飛ばない。
かわりに、小さな鈴が鳴る。
チリン
合図係の子が鳴らした初鈴が、石畳を二拍ぶん歩かせていく。
人は歩調を合わせて進んで、間灯でふっと一拍止まる。
怖がらずに止まる。
止まることが「悪いこと」じゃなくなったから。
橋脚下では、橋の影に貼られた読み札が揺れている。
ゼロ(○)=誰も泣いていない証
あなたも。わたしも。
だれももう、「ゼロは危険」とは言わない。
「ゼロ(○)って出てるから、今日は安心だね」なんて、普通の声で言っている。
すごい話なんだけど、この街ではそれがもう「普通」で済む段階に入った。
ノアが端末に記録を出す。
端末《街観測:
怒鳴り声 0(検知なし)
泣き声 0(広場・交差帯)
将来ぶん前借り 0
赤線 稼働なし
返し輪 使用:2件/両件とも“いま止まってる”で了解済
寿命欄:全拍0(○)
観測摩耗:0》
『平常です』
“平常です”。
この言い方が、いちばん好きだ。
⸻
いつもの朝の風景になったものたち
1.市場
露店の女主人は、布を並べながらこんなふうに言う。
「印名だけでいいよ。どんなふうに着たいか教えて。
“ゆったり好き”とか“あったかいの”とか書いてくれれば、それで十分。
名前はいらない」
客も、ためらわない。
「印名:肩ゆったり」「性質:冷えやすい」って、札にさらっと書く。
返し輪が横に小さく留まり、間違いがあったらすぐ言い直せる。
女主人は笑って、「今日もゼロ(○)だから安心して」と言う。
“ゼロ”が「怖さ」じゃなくて「安心して」の合図になってるの、何度見ても胸にくる。
2.交差帯
交差帯では、偽の交差鈴はもうほとんど鳴らない。
もし誰かが遊び半分で真似しても、本物の鈴には鈴紋印が残るから、誰も混乱しない。
「横、いってー」「縦、いま一拍休みー」
合図係の子がそう呼ぶと、全員がちゃんと動く。
「止まって」と言われても、誰もビクッとしない。
“止まる=怒られる前ぶれ”っていう意味じゃ、もうないから。
ノアがまた数字を出す。
端末《交差帯:遅延3→拍ほぐし2+余拍1(返送予約)/将来ぶん前借り:0/寿命使用:0(○)》
『正常。将来ぶんのツケ飛ばしなし』
3.倉庫(元・針の温床)
かつて赤線が走っていた倉庫は、今はふつうの荷合わせ場。
壁には札が一枚だけ貼られている。
遅れは、いまほぐします。
将来ぶんでは埋めません。
だれの明日も、勝手に売りません。
ところどころに“返し輪”が小さく結んである。
「いま止まってるよ、あとで話すよ」の印。
あれを見てイラつかずに「あ、今ここは保留中ね」で済むようになったの、正直ほんとすごい。
すごいけど、もう「すごい」というより「まあそうなるよね」に近い。
それくらい、落ち着いてる。
⸻
公開裁定は“ちいさな儀式”になった
昼前。
市場の端っこでは、日課のようにひとつだけ小さな裁定が行われる。
公開箱A:「配達 14」
公開箱B:「配達 15」
わざと数字がずれてる。
「はい注目ー」
合図係の子が鈴をふたつ鳴らす。チリン、チン。音跡二拍。
ノアが指を箱の間に置いて言う。
「《封鎖・判定》——時=14/寿命=0(○)」
数字が「14」に揃い、右下に小さな○が灯る。
「もうそろったよー」「ずれてないよー」
合図係がそれを歩道に向けて宣言し、近くで見ていた人たちは「はいオッケー」と普通に散っていく。
怒鳴らない。
どなる前に「そろえた」って皆に聞こえるから。
泣かない。
泣かなくて済むように止め方と直し方が前提になってるから。
ハンコはいらない。
代わりに、返し輪がある。
「いま止まってるよ」「これは保留ね」が可視化されたから、“押しつけ”じゃなくなった。
そして“ゼロ(○)”は、ちゃんと皆の安心の印になった。
「ゼロ(○)って出てる?」「出てる。だから今日は平和扱い」
このやり取りが、街中で本当に聞こえる。
もう「ゼロ(○)=危険」って言葉は、誰も口にしない。
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ちいさな“ずっと”と、ちょっとしたラブコメ
昼すぎ。
橋の下、少し風の通る陰でぼくとセレネは布をたたんでいた。
(なんでふたりで布たたむ担当になったかって言うと「このふたりは放っておくとどっかで倒れるから見える場所に置け」ってノアが言ったからです。ノア。)
セレネがふいに口を開く。
「ね、クロ」
「うん」
「“ずっと並んで進む”ってさ。あれ、街標準の七番に入ったじゃない?」
「入った」
「つまり、うちらは今、条例でくっついてるってことでいい?」
「条例って言いかたやめてもらえません?」
「じゃあ、公開鍵で結ばれてる?」
「それもなんか違う」
セレネは笑う。
「でもさ、街じゅうが“二拍ずつでいいから並んで進む”って言ってるの、ちょっといいなって思ったの。
“ずっと”って言っても誰も変な顔しないの、すごいよね」
「すごい」
「わたし、昔だったら“ずっと”って言ったら『重い』って言われると思ってた」
「言わないよ」
「今はもう誰も言わないんだよね」
「言わない」
「……だから言うんだけど」
セレネは、ちょっとだけ目をそらしながら、それでもちゃんと口にした。
「わたし、クロとずっと一緒にいたい」
(心臓が、変なふうに跳ねた。
いや、というか、ちゃんと跳ねた。
いつもは半拍落ち着くのに、今は逆に跳ねた。)
ぼくは、ものすごく当たり前のことのようにうなずいた。
「うん。いるよ。いなくならない」
「返し輪いる?」
「いらない」
「固定印は?」
「それもう街の方針と矛盾するからやめて」
「ふふ」
セレネは笑って、ぼくの肩に額をコトンと預けた。
それは、もう隠すような動きじゃなかった。
頭上の橋梁から、誰かが「仲良きことはいいことだー」って冷やかした。
(荷車の親父。あなた声がデカい。広場向けの声量やめて。)
ノアが端末を見つつ、さらっと告げる。
端末《“いなくならない”再確認。公開維持。観測摩耗:0》
「ノア、それ毎回言わなくていい」
『義務です』
(義務らしい。もういいや。)
⸻
グラムとミリィ
少し離れた日陰。
黒外套のグラムは、腰から外した刃を持っていなかった。
刃そのものは、もう公開箱の下にある。
街の前で、見える場所に置かれてる。
「落ち着いたな」
グラムが言う。
「うん」ミリィが白衣の袖をたくし上げる。「あなたも肩から力抜けてきたよね」
「……うるさい」
「縫い側の顔になってる」
「やめろ」
「似合う」
「やめろって言ってるだろ」
「似合う」
(グラム、耳が赤い。お前も結局そういうタイプだったんだな……)
ミリィは満足げに頷いた。
「でもまあ、本当にやったことはシンプルよ。
“誰の明日も黙って売らないで”って街に言い切らせた。
“泣いていい”を、泣く人じゃなくて街の側に引き受けさせた。
それだけ」
「それだけ、か」
「それだけ、でしょ?」
グラムはちょっとだけ笑った。
「……それだけ、だな」
⸻
この街を出る道も、もう“怖い出口”じゃない
午後。
川べりの桟橋には、小さな舟が一艘つながれている。
船首には、小さな○印。零印(○)。
「これ、まだ使うの?」セレネ。
「使えるように置いておく。
上流にも下流にも、渡っていいよ、っていう“橋のかわり”として」ぼく。
この街はもう、内側だけで閉じない。
「二拍ずつで並んで進む」っていう標準は、街と街のあいだにも使えるものとして貼られる。
つまり、押しつけでも布教でもなく、「うちこうだから、見に来ていいよ?」っていう開き方だ。
押しつけじゃないから、怖がられない。
怖がられないから、壊されない。
ノアが端末に出す。
端末《外向け読み札(旅仕様)》
・鈴は数える、灯は休む。
・名はいらない(印名+証+時間)。
・二で通して、三は踏まない。
・ゼロ(○)は安心。“誰も泣いていない証”。
・返し輪で“いま止まってる”を見える場所に置く。
・将来ぶんで埋めない。明日のあなたは担保じゃない。
・二拍ずつでいいから並んで進む。それは“ずっと”でかまわない。
(これを持って、来たい街があれば来るし、いらない街は見ない。それでいい。
こっちから押しつける必要はない。
こっちはもう、守る側だから。)
セレネが少し笑って言う。
「なんかさ。
“二拍ずつでいいから並んで進む”って、告白の言い換えなのに、
都市間プロトコルっぽく見えてくるのおかしくない?」
「おかしい」
「でも、いいよね?」
「いい」
(正直、最高にいい。)
⸻
そして、日常へ
夕方。
広場には、もう式も儀式もない。
ただ、普通に人が座って喋ってるだけ。
ただの「いつもの」になった。
•合図係の子が、鈴を練習している。
「いまの、半拍ずれた」「じゃ、声重ねしてあげるね」とか、普通のやり取りになってる。
•返し輪は、あちこちの角に小さく結ばれている。
「これいま保留中ね」で済む。誰も怒鳴らない。
•ゼロ(○)は、屋台の横にも、交差帯の柱にも、小窓にも貼られてる。
“安心だよ”の意味で。
•グラムは外套を肩に引っかけて見回りをしてるけど、刃を抜かない。
「縫い目、ちゃんと生きてるな」で済む。
•ミリィは袖まくって笑ってる。
•ノアは「観測摩耗:0」と何度も出しては、ちょっとだけ誇らしそうにしてる。
(ノアが誇らしそうにするの、かわいい。たぶんノアは自覚ない。)
ぼくとセレネは、広場の段差に腰を下ろして並んでる。
手は、もうつないだまま。
別に隠してない。
隠さなくていい日常になったから。
セレネが、言う。
声は小さいけど、ちゃんと芯がある声で。
「ねぇクロ」
「うん」
「今日のゼロ(○)、きれいだね」
「うん。きれい」
「“誰も泣いてない証”って、ほんとにそうなんだね」
「そうだよ」
「……わたしも、泣いてない」
「うん」
「クロは?」
「泣いてないよ」
「そっか」
彼女は、ふっと息を吐いて、笑った。
「じゃあ、今日もゼロだね」
そう言って、ぼくの肩にコトンと頭を預ける。
日がゆっくり落ちて、夜目灯が一拍だけ灯る。
返し輪は街角に静かに結ばれたまま。
公開箱には、ずっと同じ言葉が貼られている。
ゼロ(○)=誰も泣いていない証。
あなたも。わたしも。
二拍ずつでいいから、並んで進む。ずっと。
この街は、もう“刃で黙らせる街”じゃない。
“泣かせないで進む街”になった。
それは、すごく特別なことみたいで、
でも同時に、ただの「いつもの明日」だ。
——おしまい。
(そして、ずっとつづく。)
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。




