【第7章 第4話】公開裁定
翌日、正午前。
最終都市の中央広場はいつもより人が多かった。市場の屋台も半分くらい閉じられて、代わりに石畳の真ん中に四角い空地がつくられている。
そこに、ぼくらのものと、この街のもの——公開箱が二つ並んだ。
片方はこの街がずっと使ってきた記録箱。
もう片方は、ぼくらが持ってきた鏡張りの公開箱(ゼロ印○つき)。
その間に、短い読み札が立っている。
この場のやり方
・いま決めたいことは、いまここで見て決める
・あとからこっそりはしない
・“ゼロ(○)”の意味をこの街の言葉で決める
(いよいよだ。
この街自身に「ゼロは危険」じゃないって、街の口で言ってもらう時間だ)
門審官、帳面係、荷車の親父、露店の女主人、記録庫の係、見習いの配達少年。
ちゃんといろんな層が輪になってる。
これ重要。あとで「勝手に決められた」って言わせないため。
ノアが端末を確認する。
端末《公開審:参加者7名/立会:ミリィ/傍聴:周囲40+α/観測摩耗:0/固定印:一時停止(返し輪で代替)》
『よし、固定印は押させない状態にできてる。あとは見せるだけ』
「いまだけ」
セレネがぼくの指に重ねてくる。《命響》がつながって、胸の圧が半拍ぶん軽くなる。
緊張がほんの少しやわらいだ。
(それにしても今日は堂々とつないでくる……もうこれ、合図じゃないよね?)
「手、離さないでね」小声でセレネ。
「そういうのはだいたい小声で言わないでほしい」
「聞こえたほうがいいかなって」
(わざとだなこれ)
⸻
1)“遅れ”の裁定を、全員の前でやる
ノアが手を挙げ、宣言する。
「まず、“遅れ”が出た場合の扱いから始めます」
倉庫(温床)でやったのと同じことを、いまこの広場で見せる。
ぼくは石畳に指を置いて、わざと列を乱した。
「《結時》——拍ほぐし/間灯」
列の歩幅をゆっくりにして、ズレを吸わせる。
「《結時》——余拍前倒し→返送/支援流→合図点・業点」
吸い切れないぶんは余拍箱へ入り、返送予約になる。
同時に、ほんの少しだけ支援流を、実際に声を出した人・案内した人に“届いた証”として回す。
ノアが数字を鏡の両公開箱に出す。
端末《遅れ 6
→ ほぐし吸収 4
→ 余拍 2(返送予約)
支援流 1(合図点・業点)
寿命使用 0(○)》
露店の女主人がすぐに手を挙げる。
「聞くけどさ。これ、誰かの明日ぶんを前借りしてないんだね?」
ぼくは即答する。
「してない。ぜんぶ“いま”ここで戻してる。だから“ゼロ”って言ってる」
荷車の親父が眉をしかめる。
「“ゼロ”ってのは、誰も泣いてないって意味でいいのか?」
セレネが一歩前に出て、はっきり言った。
「いい。それでいい。そう決めたい」
(この“決めたい”って言葉、強い。逃げてない)
記録庫の係が腕を組んだまま、低く言う。
「もし“ゼロ”のかわりに“将来ぶんで補填します”ってやつに戻したら?」
ノアがすぐにかぶせる。
『その線は赤線(寿命参照)です。昨日ここで止めました。』
端末《赤線:停止/青線(時の処理):前面化/固定印:返し輪へ/観測摩耗:0》
ミリィが立会札を掲げる。
「この場では、赤線(将来ぶんで埋める線)は使いません。これは公開済です」
輪の空気が、一度ふっと落ち着いた。
⸻
2)“固定印”の代わりに“返し輪”を見せる
帳面係が言う。
「でも、うちの街は“固定印”がないと不安なんだよ。
押して“はい終わり”ってやっておかないと、あとで揉めたときに誰が悪いって言えない」
わかる。これは昨日も聞いた。
だからこそ今日、見せる。
ぼくは石畳に細い糸を置いて、輪をつくった。
「《結時》——返し輪」
説明する。
•返し輪は「いまこの形で止まってるよ」を示す
•でも“固定”じゃない
•“あとで調停したい”って声が上がれば、もう一度ここ(公開の場)で開けることができる
•誰か一人がこっそり書き換えたり、寿命を担保に押し切ったりはできない
ノアが同期する。
端末《返し輪:公開箱と鏡張り/改ざん不可/ただし調停コール有効/固定(三)未実行(二止め)》
荷車の親父が低くつぶやく。
「……“いま止まってる”って落ち着きはあるのに、“一生動かすな”じゃないのか」
帳面係「つまり、“ごめん間違えた”って言いやすいんだな」
門審官「怒鳴る理由が減る」
露店の女主人「客が泣きわめく時の切り札にしたい」
(この街さ、ちゃんと実用が好きなんだよな。
きれいごとより、“明日も店を出せるか”の話)
ミリィが短くまとめる。
「“固定印”のかわりに“返し輪”。
いまは止まってるよ、って公開で示す。
でも、誰かを潰すための永久ロックにはしない。
これを、街の“安心”として使っていいかどうか——街が選べる?」
全員の視線が、門審官に集まる。
門審官はしばらく黙って、うなずいた。
「“固定印”より怒鳴り声が減るなら、試して悪い理由はない」
ノアが端末に打ち込む。
端末《街側:固定印(全面必須)→“返し輪(公開止め)”での代替を本日以降許容(条件付)》
『記録しました。いまの発言は公開箱に反映されました』
(口約束を“公開”に変えた。これでもう、引っ込めにくい)
⸻
3)“ゼロ(○)”の定義を街の口で決めてもらう
いよいよ本題だ。
読み札を一枚、立て直す。
そこには昨日からの一文がもう印刷されている。
ゼロ(○)=誰も泣いてない証。あなたも。わたしも。
セレネの耳が燃えるくらい赤くなる。
「それほんとにそのまま出すんだ……」
「うん。公開したから固定だよ」
「返し輪は?」
「返し輪は、ここでは使わない」
「ひどい」
(かわいい)
ミリィがみんなに向き直って言う。
「“ゼロ(○)”をこれとして扱っていい、と街が言えるなら、
“ゼロは危険”っていう古い札は外します。
“ゼロ=安心”の看板に貼り替えます。
これを今日、ここで決めていい?」
露店の女主人が真っ先にうなずいた。
「ゼロが出てるってことは、いま誰も泣いてないってことなんでしょ?
なら、そのほうが客にも言いやすい」
荷車の親父も腕を組んで、低くうなずく。
「“明日の自分”を担保にされないなら、それでいい。
“あとで請求飛ぶぞ”って脅されないのは、ありがたい」
記録庫の係も続ける。
「昨日の倉庫、赤い線止まったの見た。
あれが続くなら、ゼロを“危険”って呼ぶのはもう嘘だ。
嘘の札は残しておきたくない」
門審官は少しだけ息を吐いたあと、はっきりと言った。
「……この街は本日より、
“ゼロ(○)=危険”ではなく
“ゼロ(○)=負担がいま戻された証であり、誰も泣いていない証”と扱う。
記録しろ」
ノアがすぐに同期させる。
端末《街標準:ゼロ(○)の定義 上書き/寿命参照の文言 削除予定/将来前借りルール=一時停止》
『はい、入った。これでもう、“ゼロは危険”は現行ルールじゃない』
石畳のあちこちで、安堵の息がいっせいに漏れた。
(この音、聞き覚えがある。街が“緊張”から一段降りたときの音。
初めて東筋の交差帯を安定させた日の音に少し似てる)
⸻
4)差異はその場でそろえる(儀式)
最後に、公開箱どうしの数字をわざとずらす。
ノアが街側の箱に「通過 31」と出す。
ぼくの箱には「通過 30」。
人垣がざわつく。「あっ」「出た」「見せ裁きだ」
ぼくは両手をひらりと出して、両の箱の前にしゃがみ込む。
「《封鎖・判定》——時=30/寿命=0」
差異の線だけを噛んで止め、数字を30に揃える。
右下には**零印(○)**が灯る。
「公開で、いま決めました」ぼく。
「誰かの寿命を材料にしなかった」ノア。
「固定印も押してない」ミリィ。
「怒鳴ってない」荷車の親父。
「泣いてない」セレネ、小声で。
ぼくの胸のあたりで、彼女の指がきゅっと強くなる。
(それ、あとでからかわれるやつだけど、今は黙っとく)
門審官は短く言った。
「これを、街の“公開裁定”と呼ぶ。
これからは、もめたらまずここでやる。
裏で“将来ぶん”を誰かに押しつけるな」
ノアが端末を叩く。
端末《公開裁定:市街標準項目に仮採用/裏帳尻処理:凍結フラグON/観測摩耗:0》
(これは、大きい。
ここまで来たらもう、この街は“赤線”を日常運用に戻せない)
⸻
5)ハーフビートの告白未遂(でも、これは記録になる)
人垣が少し散り始めたあと、セレネがぼくの袖をぐいっと引いた。
顔が近い。近い。ほんと近い。
「クロ。……いまだけ」
(またそれ)
「ここの人たちがさ。『ゼロは誰も泣いてない証』って言ったよね」
「言った」
「“あなたも。わたしも。”って入れたよね」
「うん」
セレネは、指先を見下ろしながら小声で言った。
「じゃあ、それ、ずっと続けようよ」
「“いまだけ”じゃなくて?」
「……うん。二拍ずつでいいから」
ノアが横からすっと割って入る。
『すみません、それは公開裁定の正式議題に含まれていないので、記録の扱いとしては——』
同時に、ぼくとセレネ:「ノアちょっと黙ってて」
人垣の残ってた何人かが、吹き出した。
(これ、全部公開箱に反映されてるんだよな……
つまり、“二拍ずつでいいから”っての、もう街の記録だよな……
ああもう、後で一生からかわれるやつだ)
⸻
6)今日の看板(公開裁定)と数字
公開箱に、今日のまとめを入れる。
今日のまとめ(公開裁定)
・“遅れ”は拍ほぐし+余拍前倒しで戻す。将来ぶんは借りない
・赤線(寿命参照/将来前借り)は止めたままにする
・固定印の代わりに返し輪を使う(「いま止まってる」を公開で示す)
・ゼロ(○)は“誰も泣いていない証”“明日に借りない証”と、この街の口で宣言
・差異は公開箱の前でその場調整(時=30/寿命=0)、裏帳尻を禁止
・これらを**『公開裁定』**として街のやり方に入れる
ノアが数字を出す。
端末《街内反応:
“ゼロ=安心” 受諾 73%→82%
“返し輪”運用 試験許容
将来前借り提案 拒否率 92%→96%
寿命欄:全拍0(○)
観測摩耗:0》
門審官が一歩、前へ出てはっきり言った。
「本日より、
“ゼロは危険”という掲示は外す。
“ゼロ(○)=誰も泣いていない証”という読み札を、門・市場・記録庫・橋の下に掲げる」
——都市が、自分の口で言った。
これはもう、誰かの影の台詞じゃない。
ミリィが満足そうに白衣の袖を折り、小さく言う。
「B:合格。次、宣言ね」
宣言。そう、次はこれを“街の標準”として残す瞬間だ。
⸻
7)二拍のあとで
人垣が解けていく。
セレネは、まだ手を離さない。
逆にちょっと強く握ってきてる。
「ね、クロ」
「なに」
「さっきの、二拍ずつでいいからってやつ」
「うん」
「……“ずっと”って言葉、どこに入れる?」
「公開箱に入れたら、それ固定になるよ」
「固定はいや」
「返し輪つける?」
「返し輪つける恋はいや」
ノアが咳き込んで、こらえきれず笑い出した。
ミリィも笑ってる。
グラムは外套のまま、顔だけわずかにそむけて肩が震えている。
(たぶんこれが、ちゃんとした希望ってやつだ)
⸻
8)進む先:標準の宣言
公開裁定は通った。
街は“ゼロは安心”と言った。
“固定より返し輪”にうなずいた。
“将来ぶんの前借り”を止めるって、みんなの前で言った。
つまり次は——
この街自身に「これがうちの標準です」と宣言してもらう。
二準拠条項を、もう“よそ者の提案”じゃなく、“この街のやり方”にする。
そしてそれは、ぼくらの最終ラインにもなる。
「この街はもう切らない。三で縛らない。寿命は使わない」って、記録で残すことになる。
それはもう、終わりの形に近い。
セレネがぼくの肩にもたれる。
「ふつうの未来って、こういう感じなんだね」
「うん」
「さっき“ずっと”って言いかけたの、返し輪でふせいだの、ぜったい忘れないからね」
「返し輪の正しい運用例です」ノア。
「ノア」
「はい黙ります」
二で通して、三は踏まない。
切らずに結んで、見せて運ぶ。
“ゼロ(○)”はもう脅しじゃない。安心の印になった。
そして、二拍で手をつないだまま、ぼくらは次の段階へ進む。
——次は、標準の宣言。
この街が「二準拠は私たちのやり方です」と言う、その瞬間。
そこが、ハッピーエンドの手前の線になる。




