【第6章 第1話】受け口の地図
朝。
下流区の川風は、前よりもやわらかかった。
広場わきの長机に、公開箱、読み札、**合図キット(鈴と小灯)**を置き、ぼくらは地面に大きな布を広げる。そこに、受け口の地図を描くつもりだ。
「今日やるのは三つ」ぼくは指を折る。
「**受け口**の位置を決める。合図(口上と看板)を角ごとに合わせる。
それから、seed-03を二重化して冗長化する」
「いまだけ」
セレネが指を重ねる。《命響》が繋がり、胸の圧が半拍ぶん軽くなった。
ノアはうなずき、端末を開く。
端末《対象:下流区 東西二筋+市場通り/公開:ON/観測摩耗:遮断》
《既存:seed-03(中央)/必要:seed-03α(東)・seed-03β(西)》
合図係の少女が、小さな鈴を胸元で確かめる。
声は明るいが、目は真剣だ。ぼくらは四人で、最初の角へ向かった。
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1)角を測る——“声と灯の反射”
最初の角は、石壁が近くて声が返りやすい。
セレネが**口上(声の看板)**を短く読む。
口上(短)
名はいりません。印名で通ります。
鈴は数える、灯は休む。
二で通して、三は踏みません。
チリン。少女が初鈴を鳴らす。
灯が一瞬点り、路面に音跡が一拍、きれいに出た。壁の反射で声が少し強くなる。
ノアが頷く。『ここは声が届く角。看板は低めで、口上をメインに』
布地図に印をつける。
□:受け口/◎:口上強/—:拍線/*:間灯。
ぼくらは歩幅を合わせて、次の角へ。
二つ目の角は屋台の軒が重なり、灯が見えにくい。
「灯は頭上にも要るね」セレネが見上げる。
「《印付け》——吊り灯」
ぼくは細い結び目で、一瞬だけ点る小灯を軒先に結んだ。
端末《吊り灯:有効/視認:↑/音跡:安定》
少女が手を挙げ、一鈴一灯を丁寧に刻む。
(よし、見える/聞こえるが揃った)
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2)受け口の地図——“手をつなぐ線”
広場へ戻り、布地図の上に二本の筋を描く。
東筋と西筋。どちらも受け口→合図→緩衝路→公開箱の順に結ぶ。
「《結時》——配給↔受け口(東・西)」
ぼくは継承鍵を半回転し、切らずに結ぶ。奪わず、ただ手をつなぐ。
端末《接続:東/西=安定/請求:標準/緩衝路:ON》
ノアが布地図の端に、**“迷ったときの目印”**を書き足す。
鐘の音が小さくなるあいだ/灯が二つ見える角/屋台の湯気の向き。
『人の目と耳で辿れる印を残す。機械だけに頼らない』
少女がその横に読み札を並べた。
読み札(角共通)
・鈴=数える/灯=休む
・初鈴→一鈴一灯→終鈴(二層)
・線(拍線)は道しるべ。数えません。
セレネが頷き、指で布の縁をなぞる。
「やさしい言葉になった。看板が抜かれても、声で補えるね」
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3)冗長化——seed-03を“二で増やす”
地図の東端と西端に、小さな丸を二つ描く。
そこにseedを置く。最初の証だ。
「《証印》——seed-03α/seed-03β」
ぼくは記録井の周縁から取った“朝の欠片”を使い、核に触れずに印を押す。
人の名は使わない。印名+刻限で識別する。
端末《seed-03α/β:生成→有効/観測摩耗:0/固定:未実行(二止め)》
ノアが解説を添える。『seedは二で開示。**三(固定)**はしない。
最初が狙われても、次の最初をもう一つ、すぐ立てられる』
少女が目を丸くする。「最初が二つ?」
「朝は毎日あるみたいなものだよ」ぼくは笑う。
「無名が先回りしても、最初は並列で作れる」
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4)小さな乱れ——“声の影”の入り口
東の角で、看板が一枚、風に煽られて斜めになった。
同時に、通りの隅で小さな囁きが口上を真似る。
(来た。影声の入口)
ノアが分析する。『音の高さが微妙に違う。音跡が半拍しか残らない』
「止めてから、結ぶ」
ぼくは囁きの足元に指を置き、声紋印の札を一枚、路面へ押す。
「《印付け》——声紋印」
誰が読んだ口上か、二拍の音跡に印を付けて残す。
真似声は印が付かず、開示不能。
端末《偽口上:無効/声紋印:有効/苦情:なし》
セレネが看板を直し、少女が口上を落ち着いた声で重ねる。
響きは平らに戻り、一鈴一灯が整った。
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5)人の側の呼吸——“拍をほぐす”
西の角では、荷車で歩幅が乱れた。
飛ばしは最後の手。まず、ほぐす。
「《結時》——拍ほぐし/緩衝路の再縫合」
歩幅の合わないところに、やわらかい段差を置く。
チリン。灯が一呼吸だけ長く寄り添い、音跡は乱れない。
端末《遅延:解消/時間酔い:回避》
少女が小声で笑う。「届いたって顔、分かるね」
セレネがうなずく。「いまだけ、息を合わせるんだ」
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6)受け口の地図——“見えるまとめ”
夕方、布地図が線で満ちた。
受け口(□)、口上強(◎)、拍線(—)、間灯(*)、吊り灯(∧)、seed-03α/β(●)。
中央に公開箱。角ごとに読み札の短い文。
ぼくは継承鍵を掲げ、短く宣言する。
「《公開》——受け口の地図(読み札版)」
端末《公開:完了/閲覧:誰でも/改ざん:不可》
ノアが数字を添える。
今日の通過数/合図点(届いた証)/余拍箱→返送量。
数字は言葉の横に置き、難しい式はいらない。
そのとき、川風に混じって目に見えない波が少しだけ通りを揺らした。
鈴の響きが、半拍だけ薄くなる。(……無音の波?)
ノアが眉を寄せる。『二話目の宿題、来たね』
(分かってる。音跡二拍を基準にして、合唱で上書きする)
ぼくは少女と目を合わせ、合図を送る。
「次は“波”を見えるようにする。
鈴=数える、灯=休む。それに**“声の重ね”**を足そう」
少女は胸の前で鈴を握り、人差し指を一本立てた。次への合図だ。
セレネがぼくの手を握る。
「いまだけじゃなく、毎日機能する地図になったね」
「うん。二で通して、三は踏まない。
止めて、結んで、返すを——地図と言葉で残す」
夕焼けが拍線の上に伸び、吊り灯が一拍だけやさしく点る。
終鈴はまだ遠い。けれど、受け口の地図はもう、街の呼吸に合っていた。




