【第5章 第6話】試験運用:配給β
夕暮れ。市場広場に面した通りへ、βとγをつなぐ輪を一つ足した。
角ごとに合図係が立ち、看板は短く、はっきり。
《共通印》で開きます。
人の名前はいりません。
「見たこと(証)」と「いつ(時間)」の二つで通れます。
**鈴はひとり一回/灯も一回。**分からなければ声をかけてください。
ノアが端末を開く。
端末《試験:広場一帯(β拡張)/刻限:30拍/緩衝路:ON/合図印:初鈴・一鈴一灯・音跡》
『観測は私が持つ。二で開示、三は閉のまま。混雑は緩衝路でほぐすよ』
「いまだけ」
セレネがぼくの指に触れる。《命響》が繋がり、胸の圧が半拍ぶん軽くなる。
ぼくは継承鍵を半回転。
「《結時》——配給↔受け口(β・γ・広場)」
線と線を結ぶ。切らない。奪わない。ただ“手をつなぐ”。
端末《接続:安定/請求:標準/摩耗:遮断》
屋台の灯がふわりと明るくなり、最初の列が動き出す。
チリン。灯が一度だけ点る。足元に音跡が一拍、きれいに残った。
ノアが囁く。『いい立ち上がり。初鈴が効いてる』
——十拍目。
端末《遅延:小(屋台通り北側)/要因:人だかり→拍の偏り》
「数え飛ばしは最後の手。まず、ほぐす」
ぼくは緩衝路の角を指でなぞり、角張った曲がりを丸くする。
「《結時》——緩衝路・再縫合」
歩幅が揃いやすいよう、一呼吸ぶんの余白を小さく足す。
端末《遅延:軽減/時間酔い:リスク低》
セレネが合図係に声を飛ばす。「鈴は一拍遅らせて。息を合わせるよ」
チリン。列が深呼吸みたいに揃った。
——十五拍目。
端末《異常:局所“鈴だまり”発生/音跡:濃度過多》
露店の奥で、鳴りっぱなしの鈴がひとつ。
(音を増幅して、音跡を上書きしてる……見せかけの混雑を作って、刻限延長に滑り込む気だ)
ノアが眉をひそめる。『発生源、携帯スピーカー。無名の道具じゃないけど、無名が好む手口』
「止めてから、結ぶ」
ぼくは発生源の足元に小さな印を置く。
「《印付け》——鈴量制限」
合図印の“鈴”に上限を設定し、本物の一鳴き以外は言葉の膜で流す。
端末《過剰音:無効化/音跡:正常化》
セレネがスピーカーの持ち主に近づき、やわらかい声で言う。
「一人一鈴で、みんなが楽になります。ここでは合図係が叩きます。お願いね」
持ち主は一瞬迷い、うなずいてスイッチを切った。
——十八拍目。
端末《負荷:再分散/遅延:微に回復》
そのとき、広場の真ん中で灯がつきっぱなしになる。
(灯延長……灯を長押しして、**固定(三)**へ行く“合図”に偽装している)
ノアが低く言う。『借り印混じり。固定回路へ抜ける裏配線が動いた』
「止めてから、返す」
ぼくは灯の根元に指を置く。
「《封鎖》——固定回路」
三へ向かう道だけ噛んで止め、
「《封鎖・判定》——通る側に旗」
延長ぶんの誤差を配給側へ押し戻す。
端末《固定回路:遮断/誤差:返送/灯:正常》
セレネが短く息を吐く。「いまだけ、持ててる」
——二十拍目。
端末《刻限:30→31(外部補正)検出》
(増やしてきた……!)
灯の外縁で、見えない針が数え目に触れている。
無名の手だ。**“最初の道”**から数を延ばして、三に滑らせようとしている。
ノアが目を細める。『小さい+1。このくらいなら——』
「飛ばす」
ぼくは刻限針の目盛に小さな結び目を置いた。
「《結時》——刻限結び(小)」
三十一拍は飛ぶ。
針が一目盛り戻り、固定に必要な“余白”が消えた。
端末《刻限:30確定/固定:未到達》
広場の空気がすっと軽くなる。
合図係の少年が手を上げ、「次の角へ!」と声を張った。
列が滑るように進み、チリン、灯がひと呼吸だけ点る。
——二十七拍目。
端末《異常:高齢者ゾーンで“時間酔い”前兆》
(飛ばしは効くけど、多用すると酔う。ほぐすに戻す)
ぼくは緩衝路をもう一段柔らかくする。
「《結時》——拍ほぐし」
歩幅の合わないところにやわらかい段差を置き、足並みを揃えやすくする。
セレネが高齢の客の腕を取り、ゆっくり一緒に歩く。
「鈴は私が打つね。灯を見て、一歩ずつ」
チリン。灯が寄り添うように点り、音跡が二拍分、やさしく残った。
端末《酔い:解消/負荷:安定》
——三十拍目。
端末《刻限:満了/開示:終了/固定:未実行》
《結果:β拡張 成功/誤差:返送済/観測摩耗:0》
ノアが大きく息を吐く。『合格(本運用に移行可)。数え飛ばしは一点だけ、ほかはほぐしで済んだ』
セレネが笑って、合図係たちに頭を下げる。
「ありがとう。一鈴一灯、きれいだった」
合図係のひとり——昼に手を上げたサジが、少し照れた顔で胸の前の鈴を掲げる。
「……悪くない。名を貸すより、こっちのほうが楽だし、怒鳴られない」
彼は自分の懐から、最後の借り印を一枚出して、回収箱に落とした。
からん。
ぼくは頷き、端末へ短く宣言する。
「《通す責任》——回収分は帳(仮)へ送付。条件は三原則」
端末《送達:完了/未清算:ゼロ(本件)》
そのとき、広場の端で白衣の影がこちらを見ていた。
ミリィ。腕の管は外し、ただ観察だけしている。
目が合うと、彼女は顎で広場を指した。
「二で回るのは分かった。三を踏まない前提で。
——でも、刻限は穴が多い。数え目は増やせるし、くぐれる」
ミリィは屋台の灯を数えるみたいに指を動かした。
「無名は最初だけじゃなくて、**“最後の数え”**も狙うよ」
ノアが短く頷く。『今日の**+1**は小手試し。穴の検証が要る』
「やるよ」ぼくは即答する。
「止めて、結んで、返す。
次は刻限の穴を、言葉でふさぐ」
セレネが手を握ってきた。「いまだけじゃなく、続ける合図でね」
ミリィは肩をすくめた。
「その言葉、嫌いじゃない。——続けて」
そう言って、群衆へまぎれた。
端末《次段:刻限の穴の解析/対策:結び目の“裏”》
《補足:初鈴・一鈴一灯・音跡→常設に移行》
広場の灯がゆっくりと落ち着き、夜風が線の上を撫でた。
ぼくは継承鍵を握り直す。温度は変わらない。
ただ、手の中の重さは、少し働きの形を帯びている。
「行こう。二で通して、三は踏まない。
次は——刻限の穴だ」




