【第5章 第5話】借り印と貸し名
昼下がり。露店の間を、同じ形の札を持った人たちが流れていく。
札の端には薄い刻印——借り印。名を貸すブローカーが配っている。
『件数、増えてる』ノアが小声で告げる。『共通印に“人の名”をくくりつけて、**三(固定)**に持ち込もうとしてる』
(ここで止める。けど、人は責めない)
セレネが頷き、ぼくの指に触れる。「いまだけ」
《命響》の糸が温かく胸を撫で、圧が半拍ぶん軽くなる。
ぼくは鍵を半回転。宣言の回路が開く。
「《封鎖》——借り印の請求だけ凍結」
吸い上げの進みを噛んで留める。ほかの流れは止めない。
端末《借り印:抑止/配給:通常/摩耗:遮断》
その時、ぽん、と指で札を弾く音。
「仕事の邪魔は静かに」
薄い外套の若者が、屋台の影から現れた。手には借り印が束で挟まれている。
「サジ。名の斡旋屋。聞いたことあるでしょ」
「ある」ぼくはうなずく。「でも今日は、返し口を作りに来た」
サジは片眉を上げる。「返すって、どこに?」
「帳。人じゃなく、帳へ。
——その前に、説明」
ぼくは角の看板に短い札を貼った。
《おしらせ》
共通印は人の名では通りません。
やることの名前(印名)で通します。
借り印は回収箱へ。受け取りは減りません。
鈴はひとり一回/灯も一回。二つ鳴らないときは教えてください。
セレネが回収箱(大きめの缶)を置き、にっこりする。
「ここに入れてくれたら、合図印と案内を渡すよ。減らない。ね?」
「信じろって?」サジは肩をすくめ、回収箱を覗き込む。
彼の周りにいた数人が、迷う目で札を握りしめたまま立ち止まる。
(迷いを責めない。看板で支える)
「二で開示、三は踏まない。固定されないから、やり直せる」
ぼくは続ける。「借り印を返す人の責任は、粒にしてぼくが預かる。
人の名には残さない。帳に送る」
サジの目が細くなる。「預かる? あんたが?」
「《通す責任》——名義だけ移す」
ぼくは鍵の小窓を開き、回収箱へ落ちる借り印の影に細い糸をかける。
《時蝕》で責任を粒に砕き、鍵の内側へ一時保管。
端末《借り印:回収→粒化保管/清算:微(鍵側)/人の名:負担ゼロ》
ノアが補足する。『粒はあとで帳に送る。観測を損なわない/寿命の強要なし/記録に残すの三原則で』
人々の指が、ゆっくりと緩む。
最初の一枚がからんと缶に落ちた音を合図に、二枚、三枚……。
サジは一歩下がり、黙って様子を見る。
——そのすきに、別の仕掛け。
回収箱の底から細い道が伸び、どこかへ“名”を固定しに行こうとする影が動いた。
『裏配線。回収を装って三へ固定する罠』ノア。
「止めてから、結ぶ」
ぼくは底の道に指を置く。
「《封鎖》——固定回路」
三へ行く回路だけを噛んで止め、
「《結時》——回収→帳(仮受け口)」
固定じゃない、帳の仮受け口へ結び替える。
端末《固定回路:遮断/仮受け口:生成/名義:帳へ送付(条件=三原則)》
セレネが頷き、回収箱の脇で合図印の札を配る。
合図印:初鈴/一鈴一灯/音跡
これで順番が見える。無音の鈴は無効。
受け取った母親が、小声で訊く。「減らないの?」
「減らない」セレネははっきり答えた。「名じゃなく印で通るから」
サジが舌打ちし、札束を指で弾く。
「“名を貸すのは悪じゃない”。食える。印が増えても、名のほうが早い。
今日のあんたらがいなくなったら、みんなこっちに戻る」
(今日だけじゃ意味がない。続ける仕組み)
ぼくは黒板に新しい行を足す。
《正直な細路》:名の貸し借りに頼らない“短い道”
入り口:合図印の看板/出口:共通印の受け口(仮)
混雑時:緩衝路で分散/刻限:飛ばしすぎない
「やるなら構造からだ」ぼくはサジを見る。
「名の貸し借りに頼らずに食えるやり方。
案内の仕事に印を結びつける。一鈴一灯を配る“合図係”。
——名じゃなく働きで、対価が出る」
サジは笑った。「善意で腹は膨れない」
「善意じゃない」ぼくは即答する。
「共通印の運用費から出す。二で開示の手数。三で固定しないぶん、回せる」
ノアが端末に入力し、数字を見せる。
端末《運用費:開示手数→地域枠/合図係:日給(小)/条件:印の説明が伝わった証》
『言葉が届いたことが“証”になる。看板の読めない人にも音と灯で届けばOK』
セレネが手を挙げる。「合図係はここで募集。まずは三人、今日から」
回収箱の前に、ためらいがちに手が上がる。
屋台の青年、配達の少年、そして——サジが、ゆっくり一歩前に出た。
「……一日だけ、やってみる」
彼は束の上の札を自分で回収箱に落とした。
からん。
「客の“名”じゃなくて、鈴と灯を回す。金は前払いだ」
セレネが笑う。「前払いでいいよ。今日だけはね」
(いまだけを、ちゃんと使う)
——夕刻。
合図係の三人が角ごとに立ち、初鈴が鳴るたびに手を上げて答える。
チリン。灯がふっと点いて消える。
足元に音跡が一拍残り、無音の鈴は滑って剥がれる。
端末《借り印:回収→帳(仮)=増/名の固定:ゼロ/配給:安定》
その裏で、借り印の束を別の手が拾いに来た。
顔を上げると、白衣の影——ミリィが路地の向こうに立っている。
彼女は束を一枚ずつ観察し、眉をひそめた。
「固定じゃなくて仮受け。痛くはないやり方。……でも、長くは持たない」
ミリィはぼくらに歩み寄る。
「借り印が回収されると、上流で回路を増設する。名じゃなく**“最初の道”**に印を打つ。——無名の請負だよ」
ノアが小さく頷く。『最初を狙う流れ……記録井の時と同じ』
「対応はできる」ぼくは言う。「初鈴と音跡で最初を守る。
それに——案内を増やす。最初の角に人を立てる」
ミリィは肩をすくめ、回収箱を指先で叩く。
「帳に送るやり方、嫌いじゃない。観測も寿命も削らない。
……でも、借り印が利ざやを生まなくなると、別の針が来る」
「無名?」
「たぶんね」ミリィは目を伏せる。「名前を持たない“発注”。固定を嫌う相手。あなたと相性が悪い」
(二で開示、三は踏まない。相性は悪い。でも、やることは同じ)
ぼくは鍵を握り直し、回収箱の底をもう一度確認する。
粒になった“責任”が、静かに揺れた。
「返す」
ぼくは《封鎖・判定》で印の粒を帳の仮受け口へ送り、条件を添える。
「観測を損なわない/寿命の強要なし/記録に残す。
——二で開示、三は閉」
端末《粒:送達/受理:帳(仮)/未清算:ゼロ(本件)》
サジがぼくの横に来て、空になりかけの束を見下ろす。
「……昼のあいだは、これで回る。夜は?」
「合図の灯りを少し強くする。鐘は二つ連ねる」セレネが答える。
「音と灯で迷わない。看板は増やす。——やることの名前を大きく」
ノアがまとめる。『今日のやり方、言葉にして掲示する』
今日のまとめ
・借り印は回収箱へ。人の名に負担を残しません。
・通る条件は二つ(証と時間)。三(固定)はしません。
・合図印(初鈴/一鈴一灯/音跡)で順番を見える化。
・案内係が角に立ちます。分からなければ声をかけてください。
夕暮れの風が、看板を軽く揺らす。
ミリィは束を胸に抱え、肩をすくめた。
「続けなよ。きれいごとじゃないやり方で、続けるのがいちばん難しいから」
そう言って、彼女は人波に紛れて消えた。
端末《結果:借り印→回収継続/名の固定:阻止/配給:安定》
《次手:案内係の常設化/“最初の角”リストアップ/回路増設の兆候監視》
セレネが小さく伸びをして、ぼくの肩を軽く叩く。
「いまだけ、ちゃんと使えたね。——続け方を、決めよう」
「うん。止めて、結んで、返す。
名じゃなく、やることで回す。
看板と合図で、毎日やる」
ノアが笑う。『観測は保つ。案内の言葉も更新する』
街の灯りがひとつ、またひとつ点る。
初鈴が遠くで二度、優しく鳴った。
ぼくは鍵を握り直し、次の角を見た。
続ける番だ。




